<2005年2月19日>
▼08:30………一夜明けるも天候の見通しはいぜん厳しい |
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冷たい風が東シナ海から吹きつけ、波も高く、フェリーは欠航に
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結局、“工場舞台”は陽の目を見なかった
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“餅つき隊”は6時から準備を始めたとか |
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景山夫妻の“そば打ち隊”も打ち始めた
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宮崎県人(左)&東京都民(右)のにわかコンビ |
東京都民(左)&粟国島民(右)の女性コンビも
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そば打ちと鏡餅作りが同じテーブルで……… |
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▼09:00………第1・第2釜場の間にはった特設テントで神事が |
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福島グループ代表の鈴木さん(右)の一声で神事の準備に
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遠路、福島からこの日のために運ばれ、出を待つ大ダルマ |
小渡さんの手中にあるのは目を入れるための薪すみ |
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揃って柏手を打つ小渡夫妻ら
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ダルマの両目にすみを入れる小渡さん |
めでたく両目が入り“開眼”したダルマ |
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粟国島には珍しい?ダルマに見入る社員の大城さん母子
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神事を終り同席した全員で記念撮影 |
小渡夫妻と事務員として働く5女・美代子さん |
▼09:30………工場でのイベント開催は無理と判断される |
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苦労してはった横断幕もおろされる |
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▼10:00………会場を村の総合センターに移動する |
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島の子供たちも加わり餅つきも続開される |
つき上がった餅は5種類のからみ餅に |
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調理室や屋外でもダイナミックに食事の用意が |
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▼13:00………チャーター便などでゲストが続々到着。あいさつや打合せが始まる |
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ゲストの女性もできたてのそばを月桃に包むお手伝い
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▼13:40………いよいよイベントが始まる |
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〈第1部〉は声優の平野 文さんの司会で始まった |
金丸さんが基調講演「スローフードとは」で熱弁をふるう
※講演概要はデータ 1を参照 |
▼14:40………〈第2部〉は金丸さんがコーディネーターを勤め、6人のパネラーによるシンポジウムが行われた
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※シンポジウム概要はデータ2を参照 |
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6人がそれぞれの立場から「食」について語った
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はじめはざわついていたフロアだったがいつの間にか熱心に聞き入っていた
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同時並行で福島の別会場へ“実況中継”が行なわれた |
関係先から続々お祝い品が |
女性スタッフはようやく昼食 |
▼17:20………待望の〈第3部〉“スローフード小宴”に |
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ラジオ沖縄の名物アナウンサー、屋良悦子さん(壇上)の司会で
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上江洲村長が村を代表して祝辞を述べる |
ゲストを代表して大木大吉さんが乾杯の音頭 |
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伊藤俊彦さん
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平野 文さん |
松田優正さん |
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屋良秀夫さん |
草場道子さん |
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▼20:00〜………子供たちや島の人たちによる三線の演奏や踊りが場内を盛り上げた |
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島の子供たちによる《イチハナリ》
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子供たちによる《アシビナー》 |
婦人たちによる《むんじゅる》 |
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岸本悦子さんによる《祝賀の舞い》 |
青年たちの力強い《エイサー》 |
ダルマが見守る中で宴は最高潮に |
▼20:20………会食しながら随所で歓談が行なわれた |
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圧巻だった豪快なマグロのカマ |
▼21:30………ロック歌手・ジョニー宜野湾が2度にわたりミニコンサートを |
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『粟國の塩』をうたった《いのちは海から》などを熱唱したジョニー宜野湾
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さすが沖縄の子供。堂々と舞台上に |
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会場は全員が手拍子 |
最前列に出てきて聞き入る若い人たち |
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▼21:50………ついにフィナーレへ |
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祝辞を述べる屋良朝一さん(右)と即席の漫才をする小渡さん |
この日の様子は屋良アナウンサー(右)とラジオ沖縄のスタッフによって収録され、後日放送された |
小渡さんの謝辞には万感の思いがこめられていた |
▼23:30………番外。ホテルで“2次会” |
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盛り上がった余韻さめやらずホテルに戻ってからも三線と歌が…… |
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