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第6章 家族とのかかわり

はじめに
〔1〕 「混乱」の伝播とその対処法
〔2〕 家族との軋轢とその対処法
〔3〕 自分の精神をコントロールする
〔4〕 家族との関係についての考え方
特別企画 夫へのインタビュー 「家族からみた化学物質過敏症」
 


第6章 家族とのかかわり

はじめに
 CS患者にとって、家族との関係の中から生じる問題は避けて通れないものです。CSという病気の特徴として、日常的に接する生活用品によって症状が起きるということがあります。この点が他の疾患と違うところです。CS患者は治療のために生活自体を変えていかなければなりません。この時、一緒に暮らしている家族も、その事情に否応なしに巻き込まれていくことになります。

 CS患者が感じている独特の感覚は、患者にしかわからないものです。家族にはその感覚は全くわかりません。家族にとっては全然平気なものが、CS患者にとっては大変有害なものになります。その時、CS患者にとってはそれが有害であることは紛れもない事実なのですが、家族にとってみれば、それが無害であることが当たり前の感覚となっています。ここに患者と家族の間の決定的な違いがあります。家族との関わりの中ではいろいろと問題が出てくるのですが、根本はすべてこの違いから生じると言ってよいでしょう。

 まずはじめに、この章を書くに当たって、私の立場を明らかにしておきたいと思います。家族の問題はそれぞれの家によって違い、多岐にわたり、幅も広いので、私が様々な場面を想定して対策法を書くというのは難しいです。私は自分の個人的な体験から書くことしかできないので、内容が一面的になってしまう可能性がありますが、どうかご了承ください。また、家族の方へのアドバイスも書ければよいのですが、私は本当の意味で家族の立場というのがわかっていないようなので、書けませんでした。以下は、CS患者本人が行う対処法です。家族との関係はいろいろと難しい面があります。私は問題が起こるたびに試行錯誤でやってきました。失敗も数多くありましたが、経験の積み重ねの中で、こんな感じでやっていけばいいのではないか、という形がある程度見えてきました。その私の経験を元にこの章を書きました。

 


〔1〕「混乱」の伝搬とその対処法

○ 混乱が起きたとき
 CS症状が起きたときに、原因を追及していく過程で「混乱」が起きることがよくあります。その時、家族もその「混乱」に巻き込まれることになります。

症状が出る → 原因と思われるものを取り除く → 見当違いだったりする → 別のものを取り除く → また見当違い → 混乱 → 迷宮

このような道をたどります。その場合、CS患者本人も何が何だかよくわからなくなるのですが、家族も同様に混乱します。本人はCS患者に独特の感覚を持っていながら混乱しているのですが、家族の方は感覚を伴わないのですから、混乱の度合いはより大きいのです。感覚のありなしがCS患者本人と家族の決定的な違いになっています。この混乱の対処法は、次の2点になります。

1 .見当違いを減らし、対策の成功率を上げる。
 原因をよく見極めることが大切です。そのためには、自分の感覚をたよりにして、さぐっていかなければなりません。それまでの経験を総動員して、判断することになります。このことについては、第1章〔1〕−a,b,c第2章で詳しく説明しています。ご参照下さい。

2 .家族に対し、CS患者の感覚をよく説明する。どのような感覚でどのような症状が起きているか。対策はどうするのか。対策してみた結果はどうか。

○ 家族によく説明する
 CS患者本人は自分ではどうしても出来ないことがあるので家族の協力は不可欠ですが、協力してもらうためには、過剰なくらい説明することが必要です。相手には全くわからない感覚なので、よく説明しないと伝わりません。自分自身が混乱していると人に説明するのも不可能なので、自分の症状について頭の中でよく整理をつけることが大切です。そのためには常に記録をとることが役に立ちます (第1章〔1〕−a参照)。 記録をとると、対策を考える際にも役に立ちます。家族の協力のもとにある対策をしてみて、成功しても失敗しても家族にその感覚を伝えます。そして一人で、あるいは家族と一緒に原因を考えてみます。それを続けていくと、次に困ったことがあった時に、家族の方から対策法を提案してくれることもあります。1人で考えるよりも、2人、3人で考えた方がよいアイディアが浮かびます。よく説明することによって、家族の精神的負担も減ります。

 家族の提案は、最初の頃は的はずれなことがあります。これは「感覚」を伴わないので仕方のないことです。見当違いでも何とか知恵を絞って考えてくれるのはありがたいことです。よくよく説明して「なぜ的はずれなのか」「その方法ではなぜ解決できないのか」をわかってもらうようにします。私の夫は、最初の1年くらいはすごく見当はずれなアイディアをいっぱい出してくれました。はずれていましたが、その気持ちはうれしかったです。私がよく説明していくうちに、だんだんピントが合ってきて、有効なアイディアを出してくれるようになりました。現在では、頼もしいパートナーです。

○ マニュアルを作る
 CS患者にしか通用しないような日常生活の特別な手続きは、マニュアルを作って紙に書いておくといいです。例えば、車に乗る時に車内の空気を汚さないように、工夫が必要なときがあります。私の場合は、有害である可能性が高いものは、車内に積まずに、トランクに積むようにしています。このとき、「トランクに積むもの」「車内に積むもの」の分類表を作っておくと、家族も間違えにくくなってトラブルが減ります。マニュアルは何度も使えるし、失敗が減るのでとても便利です。マニュアルを作っていく過程で、患者本人も自分の方法をよく確認することが出来ます。


〔2〕家族との軋轢とその対処法
 CS患者は、対策をしていく上で、家族に自分の事情に合わせてもらわなければならない場面に行き当たります。この時に、家族の自由を狭めたり不利益を被らせたりする結果になることがあります。

○ 蚊取線香の問題
 例えば、私が実家に住んでいた時には、よく蚊取線香の問題でもめました。私にとってみれば、蚊取線香を焚かれることの苦しみに比べれば、蚊に刺されて痒いのなんか何でもないことですが、家族にとってみれば感じ方は全く逆です。蚊に刺されるのはものすごく不快だが、蚊取線香は無害なのもだと感じています。この時は、「お願い」して何とか蚊取線香をやめてもらいました。そして他の方法を模索してみました。「除虫菊」を使った天然素材の蚊取線香を使ってみましたが、この煙にも私は全く耐えることが出来ませんでした。

 このような不具合を生じた時には感情的になりやすいのですが、自分の側からだけではなく、相手の視点から見てみることが、事態を理解する上で役に立ちます。家族はCS症状のことを感覚的にはわからないので、患者を脅かすことをしても、それは悪意からではなく、今までと同じように当たり前のことをやっているにすぎないことが多いのだと思います。相手にとってCSは未知の世界であり、どのようなものか全く想像もつかないので、理解できないのは無理もないことです。その距離を埋めるように努力することが必要です。前述したように、よくよく説明して理解してもらうようにします。自分の方から歩み寄るようにします。家族にとってCS患者は新参者のようなものなのですから…。対立してしまうのは、いい結果をもたらさないと思います。

○ 家族の事情
 また、家族の側にも重大な問題があり、CS患者の事情に合わせるだけの余裕がないという場合も考えられます。その場合は、自分一人でできる対策法を中心に行っていかなければなりません。私が実家にいた時 (〜2002年)は、家の中に私より重病人がいたので(CSとは別の病気で)、家族は私のことまで手が回らないという感じがありました。家族の対応にがっかりしたり、否定的な感情を持ったりすることがありますが、それには目をつぶるようにした方がよいです。



○ よく考えてから話す
 自分の事情をよく説明し、自分の事情に合わせて家族が普段やっていることを変更してもらう時には、「お願い」の姿勢で話してみるのがよいです。「自分がつらいのだから当然やってもらえるはずだ」と思っていると、相手も人間だし感情もあるので、うまくいかないことが多いような気がします。「お願い」する前に、何をどうしてもらいたいのかをよく考えます。自分が相手に何を望むのかをはっきりさせます。自分の「要求」がどういうものなのか、よく検討します。

A.必ず満たされなければならないことは何か。
B.妥協できる点は何か。


この2つをよく考え、具体的にどうしてもらいたいのかをはっきりと相手に伝えます。「苦しいから何とかしてほしい」という要求だけでは相手も困ってしまいます。相手の立場を考えた要望内容にします。いくつか方法 (案)を考えてみて、その中で一番確実的で、相手にも負担のかからない方法を選ぶとよいです。結果としてAが満たされない場合もあります。その時は何とか妥協していくしかありません。対策はまず自分一人で出来ることを優先にして、家族に負担がかかるような方法は、どうしても必要な時だけ採用するとよいです。

○ 蚊取線香の対策
 実家での蚊取線香の問題は次のような対策をしました。すでに家の中に入ってきている蚊を殺すよりも、まず家の中に入れないようにすればよいのです。それで次のシーズンには、春になってきたらすぐに、家中のすべての窓に網戸を張りました。 もともと網戸がついている窓はそのままでよいのですが、勝手口の引き戸や観音開きの窓が何カ所かあり、そこには網戸はありませんでした。そこに新たにホームセンターで購入して、網戸を張っていきました。よく探してみると、観音開きの窓にもそれ専用の網戸があります。この頃は重症度が3Bだったので、いろいろな材料を使うことができ、有効に対策することができました。網戸を張ったことで家の中に入ってくる蚊の数は大幅に減りました。そして、シーズン中には、家の中に一匹でも蚊が入ってくるようなことがあれば、私がそこに行って蚊を直接潰すようにしていました。これで家族も納得して蚊取線香を使わずにすませてくれるようになりました。網戸を張ったことで、家中の風通しがよくなり、蚊以外の虫も入ってこなくなったので、家族にはとても喜ばれました。やった甲斐があったというものです。

○ 緊急の事態に対処する
 CSの対策をし始めて何年もたつと回数は減ってくるのですが、はじめの頃は、家族がうっかり有害なものを使用してしまうことがあります。例えば、来客があったので、仏壇の線香をつけてしまった、というようなことが起こります。普段からよく説明しているつもりでも、家族にしてみればその有害性が感覚的にはわからないので、今までの習慣でそのまま使ってしまいます。こういう時はとても焦ってしまうし、ぐあいが悪くなるので、冷静に事情を説明している余裕がありません。とにかくすぐにやめてもらうように言います。そして体が回復したら、よくよく説明します。制止の語調が強いと相手は気分を害していることがあるので、フォローは絶対に必要です。線香については、私は僧侶・来客・家族の人にいちいち説明していました。じっくり説明すると皆さん納得して下さるようでした。また、仏壇の前に「お願い」の紙を貼っておきました。このようにしておくと、自分の留守中にお線香を焚かれる可能性が減ります。もし線香を焚かれてぐあい悪くなってしまったとしても、その紙を指さしながらお願いすれば、一から説明しなくてもすみます。


〔3〕自分の精神をコントロールする
○ 化学物質過敏症で起こる精神症状
 CS症状の1つとして、思考力の低下・外界認識能力の低下があります。自分ではちゃんとやっているつもりなのに、後で確認してみると、とんでもないことをしていたりします。例えば、私の場合は、いつの間にか変な場所に物をしまっていたりしたことがありました。そういう時は注意力が決定的に足りなくなっています。また、農薬を浴びた時に、感情面で障害を受けることがあります。何だかソワソワして落ち着かなくなり、世界がよそよそしい感じ (非現実感)になります。人のやることが悪意に見えたり(客観的に判断できない)、物事が全然手につかなくなったりします。これは悪夢の中にいるような独特の感覚で、何度経験しても嫌なものです。こういう時に鏡で自分の目を観察してみると、瞳が小さく縮んでいることがよくあります。視覚も影響を受けています。部屋が暗くなり、視野が狭くなります。脳の血流量も低下しているのでしょうか? 思考力が極端に落ちていて、考え方が狭くなっています。外界認識の歪みも生じます。普段は他人のすることの意味・意図がわかるのに、その判断力を失います。自分で自分の精神を信用できないのはとても苦しいことですが、現実としてそういうことが起きてきます。

○ 家族に迷惑をかけないようにする
そのような状態になった時に、それに気づいているかどうかはとても重要です。その症状に飲まれないようにします。思考力が落ちているので難しいのですが、そういう自分を外から観察する客観的モニター機能を働かせられるとよいのです。自分が衝動的になっていて、理由もなく変なことをしそうになったとしても、そのモニター機能があれば、事前にストップできます。そうすれば、周囲の人に迷惑をかけずにすみ、人との関係を損なわずにすみます。モニター機能を発達させるためには、記録をとることが有効です。自分が精神的に普段とは違う状態になっている時は、その分、感情を割り引いて考える (修正する)とよいです。人に迷惑をかけないように気をつけます。私の場合は次のようなことを肝に銘じています。

・ 人の言うこと・やることを悪意に取りがちなので割り引いて考える。
・ 自分の判断を疑ってみる。その場ですぐリアクションしない。後でよく考えてから対処する。一旦保留にする。
・ 新しい試みをしない。これまでに何度もやってきて記録・データが取れていること、安全性の高いことだけをする。(これは新しいことをしてCS的にアクシデントがあったとしても、思考力が低下していて対応しきれないため。家族にも迷惑がかかる。迷惑をかけてもうまくフォローできない。 )
・ 自分が思考力低下状態にあることを家族に説明する。イライラしている時は放っておいてもらう。
・ 自分の状態をよく観察し記録を取る。


〔4〕家族との関係についての考え方
○相手の立場に立って考える
 病気になると、肉体的にも精神的にも辛いことが多くなり、孤独感が深まります。精神のバランスを取るのが難しくなります。その時、病人が「誰かに自分の話を聞いてほしい」「私のことをわかってほしい」と思うのは当然の感情です。不安から、周囲の人々に、自分のことだけを延々と話してしまいたくなります。自分のことだけで精一杯になり、他の人のことを考える心の余裕がなくなってしまうのです。危機にある状態の人は、このような行動を取りやすくなります。

 しかし、実は、その行為によって、家族や周囲の人に大きな負担を強いてしまうことがあるのです。毎日、延々と病気のつらさを訴えられ、家族も精神的にまいってしまいます。体がどんなに苦しくても、そのことに少しでも心を向けて、気づくことは重要です。一度立ち止まって、逆の立場から、その光景を眺めてみましょう。もし自分がCS患者の家族だったらどうだろうか、と考えてみるのです。すると、毎日CS患者と接している家族の側の心情や立場も、少しずつ理解できるようになります。それまでは自分の病気のことで、頭がいっぱいだったことに気づき、他の人にも、別の苦労や大変さがあることがわかってきます。

 自分がCS以外の病気について、どれだけ理解しているのかと考えることも、周囲の人たちを理解するためには有効な手段です。自分の病気だけが、特別で大変なことのように思えてしまうのですが、こう考えてみると、自分が他の病気についてよく知らず、関心がなかったことに気づきます。逆の立場に立って考えれば、周囲の人々がCSに対して患者本人ほど関心も共感もないのは当然のことだと思えてきます。このように、他の人の立場に立って考え、自分の状態を相対的に俯瞰することは、事態を理解するために大切なことです。それによって、自分の置かれている状況や、周囲の人たちとの関係を、余裕を持って考えることができるようになります。

○頼りになるのは自分
 もし不安でどうしようもなく、「誰かの支えがほしい」「話を聞いてほしい」と思っても、病気があまりにも悪いと、不安が大きすぎるために、それを解消するのは容易なことではありません。「何度でも話を聞いてほしい」「自分を安心させてほしい」と思うのですが、それが満たされることはなく、いくら話してもきりがないのです。この悪循環を断ちきる方法はあるでしょうか?

 病気の時に一番頼りになるのは自分自身です。CSのような生活をおびやかす病気は、患者の人格を根幹から揺さぶります。あまりにも困難な事態に直面し、動揺して、精神の均衡を保っているのが難しくなります。心の中には、不条理な運命に対する疑問や嘆きが次々と浮かんできます。誰かにその思いをぶつければ、それを解消できるでしょうか。

 私も、CSを発症したての頃は、このような問題に突き当たりました。私の体験から言えることは、このような不安を他人が完全にぬぐい去ってくれることはないということです。結局は、自分の心と向かい合い、自分と対話していく中で、解決策を見出していかなければなりません。自分を信じて、自分が確固として立ち、人生に立ち向かわなければならないのです。

 自分の精神がしっかりとしてくれば、周囲の人たちとの緊張関係は緩和されて、心に余裕が生まれてきます。相手のことを相対的に見ることができるようになります。これは、家族や周囲の人々の心の負担を軽くすることにもなりますが、患者本人の心も確実に軽くなります。自分の心と、とことん対話し、すぐに解決できそうな問題も、永遠に解決できそうにない問題も、自分の中で折り合いをつけ、先に進んでいくことができるようになります。

 病気については、「なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか」「家族の中で私だけがCSだというのはどういうことなのだろう」「世の中にこんなにたくさん有害なものがあるのはなぜ」などと、いくら考えても答えがないような問いが、わき上がってきます。誰かに相談しても、これらの疑問には、答えが見つかりません。これを自分の心の中で、よく考え処理し、折り合いをつけていくことが必要です。

 そして、その作業をやり尽くしたら、それはいったん忘れて、「治るために何をしたらよいか」ということを考えていった方がいいと思うのです。家族の側も、病気のことを嘆かれたり不安を訴えられるより、「どうしたら解決できるか」ということを相談されると、前向きになれるし、協力しやすくなると思います。

 これまで書いてきたことは、私が長年病気とつきあう中で、悩み、考えて、実践してきたことです。私の体験を参考にして、少しでも皆さんの心が軽くなり、家族とよりよい関係を結んでいけるようにと願っています。

○ 終わりに
 最後に、この章のまとめです。家族との関係について考えた時に沸き上がってくる感情はいろいろあります。協力してくれる家族には感謝しています。早くよくなってお返しがしたいと思います。これが私の治癒のための原動力になっています。また、家族に我慢を強いるのは申し訳ないし、いたたまれないと思うことがあります。これも「治れば解決する」と考え、治るために何が出来るかを考えるようにしています。私は今は他の人にしてもらうことばかりですが、早く治って人に何かをしてあげられる人間になりたいです。

 協力してくれない人の存在は悲しいことですが、それは仕方のないことです。早く割り切って他の方法を考えた方がよいです。その場合は、自分一人で出来る対策を優先に行ってみます。CS患者の皆さんは、いろいろと精神的に厳しい面もあるかと思いますが、何とか乗り越えていってほしいと思います。

 家族との問題を解決する鍵は、「治ること」、これに尽きます。過敏性が下がり、家族と変わりない生活が送れるようになれば、この章に書いた問題はすべて解決します。「治る」ために出来ることから始めましょう。

 


特別企画 夫へのインタビュー「家族からみた化学物質過敏症」
  「家族との関わり」を書くに当たって、CS患者の家族の方に向けても何かメッセージを送れないかと模索してみました。しかし、私は患者の立場で患者に向けて書くことしかできないということがわかりました。ここでは、マルガリータの夫・クリスが、家族の立場からCS患者との生活について語ってくれることになりました。内容はマルガリータが夫にインタビューしたものを文章に起こし、まとめたものです。夫・クリスの承諾を得て掲載します。

○ 化学物質過敏症だと気づいたとき
マルガリータ(以下マ) CS患者もその家族も発症当時はとても戸惑うみたいです。クリスは私が発症した当時のことは、まだ出会っていないから、知らないけど、CSだと気付いた時にはどう思ったのかな?

クリス(以下ク) あれは、結婚するって決まってアパートを借りた時だよね。まずマルガリータが先に入居して、僕が3ヶ月遅れで合流するという計画だったよね。

(マ) そうそう。引越荷物を運び入れている時にもうすでにぐあい悪くて、夜なんか全然寝られなかった。あの頃ようやくマスコミで「シックハウス」って言い始めたから、「あっあれか!」って気付いたの。私がCSらしいってことになった時クリスはどう思ったの?

(ク) 別に目新しいことだとは思わなかったけど…。だってマルガリータはその前からずっとぐあい悪そうだったからね。CSだってわかる前から、身の回りのもので使えないものがいろいろあったじゃない。だから、別に戸惑うことはなかったよ。ただ単に病名がわかったっていうだけで…。

(マ) ああ、そうか…。


○ シックアパートの対策
(マ) シックアパートらしいって気付いてから、クリスはネットでいろいろ調べてくれたんだよね。で、その情報を元にアパートの中をいじってみたんだけど…。当時は知識が少なかったからあんまりうまくいかなかったね。

(ク) 壁にアルミ箔貼ったりとかしたよなあ…。あの時は何をどうしたらいいのかよくわからなくて…。手探りっていうかんじだったな。それと僕は、平日は会社に行ってるから、時間も手間もなかなかさけなかった。

(マ) 結局、あのアパートには住めなかったのよね。家族の人がCS患者を手助けしようと思った時、どんなことが問題になってくると思う?

(ク) まず、さっきも言ったけど、昼間仕事していると、時間も労力もフルに使えない。だからいろいろしてあげたいと思っても限界がある。だから本人が治療のイニシアチブを取って、それを助ける、っていうやり方しかできない。家族がリーダーになって率先してやっていくっていうのは難しいと思う。家族はCS患者のかかえている問題の本当のところはわからないんだ。だから、本とか雑誌でCSについて勉強してみても、効果があるのかどうか実感がもてないんだ。

(マ) そうだよね。最初の頃クリスがいろいろ提案してくれたけど、どうしても私の実態とは合ってなくて断らなければいけないことが多かったよね。私はどうしてダメなのか一所懸命説明するんだけど、まだうまく説明できなくてもどかしかったなぁ…。

(ク) 僕は患者本人がリーダーで家族はサブだって思ってたからまあよかったけど、もし家族がリーダー役で率先して対策考えて、実行して、でもそれが全然効果なし、患者からも「こんなんじゃダメ」とか言われたら、嫌になると思うよ。もう二度と手助けするかっていう気持ちになるんじゃないかな。だから家族が患者を手助けしたいと思ったとしても、あくまでも助力として手伝うのがいい距離の取り方だと思う。

(マ) 患者本人が自分で自分の治療をしていく中で家族には協力してもらうという姿勢がいいというわけね。

(ク) うん。本人にイニシアチブを取ってもらわないと。


○ 気持ちの持ちよう
(マ) 私がぐあい悪い時、神経がピリピリして性格も変わってるみたいなことがあったけど、そういう時ってやっぱり気を遣ってたんだよね?

(ク) あ、そういう時は八つ当たりされないように、サッサと自分の部屋に戻るようにしたの。触らぬ神にたたりなし。

(マ) ……。

(ク) だっていちいち取り合うと仲悪くなっちゃうでしょ。こっちも感情的になるからその辺うまく気持ちを切り替えないと。

(マ) それはそうだよねえ。それで私が元のマルガリータになったら二人で楽しくやればいいんだよね。

私が重症だった時って私は私のことだけで精一杯で、生活も大変だったからクリスのことまで考える余裕なかったんだけど、クリスも精神的にきつかったんじゃない?


(ク) 僕も夢中だったよ。もうどうしたらいいんだかよくわからなくて。

(マ) 先行きのことがすごく心配だったでしょ。

(ク) うーん。でもそれはあんまり深く考えないようにしていたよ。考え込むと深刻になっちゃうからね…。うまく気をそらして、あと将来よくなった時のことを考えるようにしていたよ。基本的には明るく前向きに考えるようにして。


○ 家族の求めるもの
(マ) CS患者の家族として、CSという病気について、今まで知りたかった情報はどんなものだったの?

(ク) ……なし。

(マ) なし!? 何もないの?

(ク) まあ、どんな病気かとか、メカニズムとか知りたいといえば知りたいよ。でもその気持ちはそんなに強くない。   CSの対策法を調べてみてもどうしてもよくわからないっていうか…、それが有効な対策法なのかやはり本人じゃないと判断できないんだよ。だからネットで情報を探し出しても、それをマルガリータに読んでもらって判断してもらわないと…。だから僕本人は知りたいことっていうのは特になかったの。

(マ) そうなんだ…。

(ク) 知りたいことっていうのはないけど…、 そう、何を求めるかってきかれたら、それはとにかく治ってほしい。これに尽きる。治れば何だっていい。どんな手段でもいいから治ってほしいと思う。僕にとってなぜ治ったかは重要ではないから…。

(マ) 家族としては、そういう風に思うものなんだ…。でもそう言われてみれば、たしかに治ればいいんだよね!

(ク) もし治らないとしても、うまく共存共栄していけたらいいよ。それが僕の第2希望。家族として「知りたい」と思う気持ち…、本当だったらそういう気持ちが出てくるのかな? でも、僕としては、家族が治してやるっていうのは無理だと思う。もし「僕が治してやるぜ」と思っていれば、いろいろな情報を知りたいと思うかも知れないけど。でもどうしても家族はCS患者本人にはなりかわれないから、本人が治す、と思うことが大事だと思う。そして家族は無理せず自分の出来る範囲で助けてやるようにする。そういう姿勢でいくと長続きするんじゃないかな。

(マ) なるほど。


○ CS患者とつきあう方法
(マ) CS患者の家族としての心構えってある? 例えば、CS患者と接する時のコツとか、こうやると気持ちが楽になるとか。

(ク)そうだね。CS患者と接していると、昨日はよかったものが今日はダメになったり、昨日はダメだったものが今日はいいといわれたり、めまぐるしく変わるからすごく戸惑ってしまう。そういう細かいことで一喜一憂しているととても身が持たないし、振り回されるから、巨視的に見るようにしているよ。細かいことにいちいちこだわらず、大まかにとらえるようにした方がいいと思う。

(マ)そうかあ。家族もいろいろ大変だよね。CS患者の団体っていろいろあるけど、家族のネットワークっていうのもあったらいいと思う?

(ク)うん、あったらいいと思うよ。家族もストレスたまるから、それを発散する場があるといい。あと、情報交換をしたいね。患者への対応で、「こうやったらうまくいった」とか「こういう時はこうした方がいい」とか、話ができたらいいね。患者とは共有できないことで、家族同士が共有できることはあると思う。

(マ)なるほどね。クリスはCSの症例とか読んでも、患者本人よりその家族の方に共感してること多いもんね。やっぱり家族の方にシンパシーを感じるんでしょ。

(ク)そうそう。やっぱり同じ立場だからね。心配になるよ。

(マ)家族の会みたいなのもできたらいいかもね。

(ク)うん。


○ 現状の中で最善を尽くす
(マ)クリスはふだん私のCS事情にこまごまと合わせてくれるけど、イヤになったりすることってないの?

(ク)うーん、考えてみれば確かに細かいことやってるよね。だんだん慣れてきたけど。時々、もっとすんなりいったらいいなって思うことはある…でもそれはイヤっていうんじゃなくて「面倒くさい」って感じかな。面倒だけどそれは必要だってわかっているからできるんだよ。確かに面倒だと思うことはあるけど「イヤ」っていうほどじゃないよ。

(マ)そうなんだ。そういう風に考えていてくれるってわかってちょっと安心したよ。確かにクリスはやる時はやるよね。嫌々やることってないもんね。すごくありがたいよ。
えーと、もし妻がCSでなかったら、あんなこともこんなこともできたのに…って思うことはある?


(ク)ない。

(マ)本当にないの? あえて考えないようにしているだけじゃないの?

(ク)(笑)どっちかわかんないけど…ないよ。もし妻がCSでなかったら…っていうのは、「もっとお金持ちだったら…」とかいうのと一緒で、考えると際限ないよ。
「家族が有名人だったら…」とか「親が大富豪だったら…」とか次々出てきちゃうでしょ。だから、そういうことは考えないで、現状の中で最善を尽くすようにした方がいいよ。


(マ)そうか…。その通りだよね。そう考えてもらうとこっちも気が楽になるよ。
それじゃインタビューはこれで終わりにするけど、これからもよろしくね。


(ク)こちらこそ。

(2005年5月)

 

 

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