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わたしと「塩」・「食」
食環境ジャーナリスト
金丸弘美(かなまる・ひろみ)さん


聞き手 : 司 加人

雑誌・テレビの企画プロダクションや出版業などを経て、金丸さんが究めつつあるのが“スローフードの道”。「食環境ジャーナリスト」という珍しい職業を通じて、さながら“スローフードの伝道師”的役割を果たしています。真のスローフードとは何か? から始まり、「食」そして「塩」へと話しは広がりました。



正しい認識のもとにスローフード浸透させたい
塩、米………それぞれの個性知ることが大事

―― 食環境ジャーナリストという肩書は一般の人たちには馴染みが薄いように思います。多分、ご自身でお考えになった職名と思われますが、どういうイメージで付けられたのでしょうか?

■食べ物取材が環境問題→環境保全型農業へと広がった

金 丸  食べ物の現場を取材していくと、体にいい食べ物とは、環境にも配慮されたものだということがわかってきた。それで、食と同時に環境まで考えるということ、それに環境保全型の農業のルポ『メダカが田んぼに帰った日』や、都市の環境問題をルポした『スーパーラット 都市の野獣クマネズミの恐怖』を書いたということもあります。

      
―― いま触れられた「スローフード」ですが、これも日本ではここ数年前頃からよく聞くようになったと思いますが、どうもイマイチ正しく浸透していない感じがします。たとえば、時間をかけてゆっくり食べることとか、あまり味付けをしないで素材に近い姿で料理したものを食べるとか………。スローフードとは何か? というところからうかがいましょう。

金 丸 スローフードというのは、イタリアで始まった地域の食文化を守り発展させるというNPO運動のネーミングで、その推進母体をスローフード協会と言い、彼らがその運動の中でスローツアーとかスローライフとか言ってるんです。実は彼らは地域の小さな生産農家や、その土地と土地の味覚文化などのプレゼンテーションをやってるんですよ。

―― そのへんがまだスローフードという言葉と、何であるかという実態があまねく浸透していないとですね。

金 丸 そうなんです。実は、日本のスローフードの支部の人たちもあまり理解しないままやってるところがあり、言葉だけ一人歩きしていて、流行語みたいなところがあって困るんですよ(笑い)

―― そもそもはファーストフードに対するスローフードと言ったそうですね?

金 丸 スローフード協会の前身というのは「アルチ・ゴーラ」というワイン愛好者のグループなんですね。地域にあるワインを守ろうとか食べものを守ろうとかと言っても、口だけでは守れない。守るためには一定の経済活動を付加させようということでNPOが始まったのですが、そこにローマでマクドナルドが店を出すということがきかっけになって方向がはっきり定まったんですね。


■スローフード運動の立上げはマクドナルドのお陰?………

―― マクドナルドのお陰だという皮肉な話しですね?(笑い)

金 丸 そうです。向こうがファーストフードで来るならこっちはスローだということで協会名になった。マクドナルドという格好のグローバリゼーションがあることによって、スローフード協会のNPOとしての方向が明確になったわけです。ペトリーニ会長が去年10月に開かれたテッラ・マードレで言ってました、「小さな、生産家の多様性の生産家をもってグローバリゼーションをやるんだ」と………。

―― そう言えば「テッラ・マードレ」への日本からの参加者の推薦の役割も果たしたんでしたっけ?

金 丸 いや、ボク自身は正式な推薦委員ではないのですよ。ただ、日本支部が推薦しかねたらしく、イタリアの本部からボクに推薦しろという連絡があって選ばせていただいたんですよ。それで、素材から分って作っている人、経済性をちゃんと確立している人、その上イタリアへ行って発言が出来る人―を基準に選びました。
いくらいいものを作っていても趣味でやっているのでは世界の生産者の中では通らないわけで、30人くらい推薦しました。ご都合で行けなかった人もいましたが、今回日本から73人行きました。

―― 日本での活動はどういうスタイルでやっているのですか?

金 丸 組織的には、イタリアの本部の許可を得て、仙台にスローフード・ジャパンが置かれ、そこが統括するようにという指示が出されています。


■各地域の食文化を子供たちにキチンと伝えたい

―― となると、金丸さんは何をおやりになりたいのですか?

金 丸 ボクがやりたいのは各地域の食文化を子供たちにキチンと伝えることです。それが出来ればよい。ただ、イタリアの彼らは地域経済活動にちゃんと落とし込むことをやっていて、その彼らのシステムと戦略を日本の農家や行政や消費者も学ぶべきだということで、講演会とか出版とか内外へのツアーとかを具体的活動に落とし込むことをやってるわけです。
で、日本でのスローフードの本格的な動きというのはむしろこれからだと思っています。したがって、ボクはスローフードという言葉よりも、その経済システムと戦略を学ぶという中味にこだわりたいと思っています。ボクがスローフードに関わったのは大きく言って二つあるんです。

一つは、私事に関わるんですが、子供が保育園に通っていた頃のことです。幸いうちの子供はかからなかったのですが、アトピーにかかっている子供たちがすごく多いことを知ったんです。それをきっかけに、実は女房も若い18歳の頃ひどいアトピーでそれによる腎臓障害で20歳くらいまでしか生きられないと言われたことがあるということを知り、ボクと結婚し、子供を生むにあたっては母乳以外は一切の飲まさないとか、インスタントものは食べないとか、根菜類や魚や海草、穀類を中心にした食事にするとか、とにかく注意して丈夫な子供が生まれたということをうかつにも初めて聞いたんです(笑い)。
その時なんです、アトピーという言葉を初めて聞いたのは。それで、300人以上のアトピーのお母さんとか子供たちとかお医者さんたちに会い、いろいろ話しを聞いた結果、ボクたちの食生活がとんでもないところにきているということに初めて気づいたわけです。

大量生産、大量消費のなかで、コマーシャルによって、簡易な食べ物や飲み物がたくさん売られている。それらは素材もはっきりしないものが多いし、添加物や砂糖や着色料や油、保存剤、農薬などもたくさん使われていたりする。そもそも、牛、豚、鶏、野菜なども、すべて効率化によって、改良されたものが主流で、昔のものとは、素材そのものがまったく異なる。
女房やお母さんたちも有機野菜の宅配を取ったりしましたが、本当に安心なのか? 誰も作っている現場に行っていないわけですよ。それを確認するために田んぼに行ったのがスタートでした。
それでも元々農業の専門的な知識がないので本当のことは分らないわけです。農家の人は「いい」と言うけれど、どこを基準にして「いい」のか? ボクたちの頭の中では単純に農薬を使っていなければ「いい」と思ったり、「少しは使っている」と言われても、その少しの量と中味が分らないわけで、結局、北海道から沖縄まで360ヵ所行くことになったわけです(笑い)。

―― そういう中でどんな事が印象に残っていますか?

金 丸 いっぱいあります。たとえば、岩手県に行った時に農家の人たちから「あんたたち消費者が悪いから今日の状況になるんだ。おれたち農家は食っていけない」みたいなことを言われました。でも、それに答えられない。「そうかなあ」と思っちゃう。だんだん回答を求めるために、農家に対してもモノ言いが出来る、消費者にもどれがいいのかはっきり答えられるようになりたいなあと、農家の質問攻めのなかで考えていました。

―― その当時、金丸さんはどんな仕事していたんでしょうか?

金 丸 プロダクションにいました。放送作家の集団と付き合ってました。

■アトピーへのオールマイティはまだない

―― アトピーとか有機野菜とかにはまったく素人だったんですね?

金 丸 素人もいいところです(笑い)。本屋へ行くと何十冊というアトピーの本がありましたが、まあ、どれもこれもアトピーに効くと書いてある(笑い)。それなら苦労しないわけで、結局さきほど申し上げたように、300人以上のお母さんたちの話しを聞いてもアレルギー反応というのは全部タイプが違うんだということが分ったわけです。
したがって、全ての回答は正しいんだけどオールマイティはどこにもない、というのがボクなりの結論でした。ただ、その背景には環境汚染があったり、ストレス社会があったり、着色剤があったり、添加物や農薬、核家族があったりというようにいろいろなものがあるわけですが、その中で食べものが一番ウェートが高くて、それで食べものに関心が強まっっていったわけです。

―― ご自身の食はどうだったのですか?

金 丸 高度成長の真っ只中に育ったわけですから、それを羨望の眼差しで見ていたわけです、コーラとかインスタントラーメンとかに(笑い)………。万博の時は高校生でしたが、ファーストフードやスカイラークが出て来た頃で、常に羨ましい気持で育ってきたことは事実です(笑い)。
で、農家を回っているうちに、お米を直売したいという声が出てきたので、「それなら消費者に売れば」ということになり、その橋渡しをして、(東京の)広尾で消費者のお母さんたちを集めてそういう場をセッティングしてお米作りの話しをしたり、オニギリ食べるとかした。農家の人たちが広尾のマンションの主婦に「米作りの話しをして分るのか?」と言うので大丈夫と言い、籾種や苗作りの話しからしてもらった。誰も聞いた事ないから都会の主婦は感動するんですよ。それで出来たお米のオニギリ食べる………。
こんどは主婦の方から「安心できるお米ってどこにあるの?」と言う声が出てきて、それじゃあツアーを組んで行こうよということになり、田んぼを訪ねたり、畑を訪ねた。そうして、こういうのがスローフードと言うんだよ―ああそうなんだということになる。実は、イタリア本部の方は消費者と生産者を直接結びつけるということをもっと戦略的に、組織的にやっていて、なおかつ出版活動と結びついて、それがちゃんと収益になっている………。


■経済性がともなわなければスローフードではない

―― 金丸さんのやってることは間違いなかった?

金 丸 そうなんですよ。しかもボクは元々出版をやっていたわけだから、もっともっと有機的に結びつけて動かしていけば(スローフードの)本物に近づいていけるなという方向がはっきりしたわけです。
それで、イタリアへ行ってみたらお金をどう使うかということが考えられていたことに感心しました。そこのところをキチッとしないと、農家にいくらいいものを作りましょうと言っても経済性が付与されなければ誰も動かないですよね。
日本の場合、NPOというとみんなボランティアになっちゃう。そうすると、ボクらのようにフリーランスでやってる者にとっては困るわけです。農家も困るわけです。うたい文句ではみんなのためと言うけど、経済がともなわなければみんなのためにならないわけです。
そういう日本的なものでなく、しっかりと「経済性」がともなうことをうたっている「スローフード」に触発されたんです。

―― 少なくても3〜4年前までは金丸さんご自身もスローフードというのを知らなかった?

金 丸 知りませんでした、まったく(笑い)。


■ワイン愛好家の集まりがアンチ・ファーストで立ち上がった

―― スローフード協会の前身がワインの愛好協会だったということは、運動はワインから始まったと言うわけですね?

金 丸 そうなんです。イタリアへ行くと実感するのはものすごいワインの種類があることですよね。しかも農家ごとに作っているから、その多様性はすごい。そしてこれらワインのテースティング(官能評価)には文化的に確立したものがあって、その手法もいっぱいある。これがベースになっているんですね、スローフード協会というのは。
要するに、ファーストフードが進出してきたのに対して、ああいう画一的なものは許せないということだし、単純に言うと彼らはアメリカやアメリカ文化が好きじゃないんですね(笑い)。しかし、逆に言うとそれによって北イタリアの田舎のワイン愛好者が多様性を核としたグローバルなスローフード運動を起して世界的に注目を浴びたのですからうまい戦略だと思いません?(笑い)

―― 再三言いますが、そのへんがイマイチ日本では浸透してない感じがしますね。

金 丸 それは理由があります。スローフード協会のトップの人たちは、たとえば子供たちに本物の香りを伝えるんだとか、さっき申し上げたテッラ・マードレでも「小さい生産農家の多様性のグローバリゼーションが目標だ」とか多分に哲学的な話しが多く、何をやってるとかの具体的な話しじゃないんですよ。ところが、日本に入ると、それが郷土料理を守りましょうというような話しになっちゃうんです(笑い)。


■スローフードの運動の基盤はイベントと出版にも

―― となると、金丸さんの役割は非常に重要ですね。あえて、“スローフードの伝道師”と名付けたいのですが(笑い)。

金 丸 いやいや………。話しを変えましょう(笑い)。
さっき二つあると言いました。アトピーをスタートに食とは何かということから、経済性をともなう仕組みを確立することの具現化と、もう一つは彼らの運動体の基盤がイベントと出版化なんですね。ボクもここ10年で50冊くらい本を書いてきましたが、きびしいと言われる出版の世界で実を上げるには、彼らのプロパガンダの方法というか、出版活動の仕組みをシステム化させればいいということです。
そして、重要性ということで言えば、こんど出した『生産者のためのスローフード入門』という本はその経済システムがどうなっているかということと、日本で具体的にそれに近い運動がどこにあるかということを書いたつもりです。

―― その前に、『マニフェスト』をお書きになっている………。

金 丸 これは日本で初めてスローフードのシステムを書いた本です。イタリアの本部で日本担当をしている石田雅芳君とイタリア本部のあるブラでの大きなイベント「チーズ」を体験し、本部の方々30名近くをインタビューし、農家を一緒に歩いてまとめたもので、なぜか農水省にも評価され若い人たちにも読まれ始めていまして、いいことだと思っています(笑い)。
とくに説明したいことは、単にスローフードの話しをしても聞いた人たちは「そういうものか」で終わってしまうんですね。具体的に、たとえば群馬県のオオジロという大豆を作って、それで豆腐を作ったら年間8000万円の収入を得た例を上げ、地域の個性、生産性と生き残る道はあるんだよと言うと、農家の人たちも一生懸命聞いてくれます。
あるいは粟国島の小渡(おど)さんという人が海水を汲み上げて塩を作ったら1億5000万円の売上げになたっとか実例を話すと、私もやりたいなんて言ってくる(笑い)。もちろんみなさんそれぞれ苦労し、努力してそういう実績を上げたわけですが、とにかくこういうことがボクの中では具体的なスローフード運動なんですよ。
それと、本を出すと同時に行動と組織作りをやっていきたいと考えて、徹底的にプロパガンダしたいと日々動いているわけです。

―― 1月早々、生まれ故郷の唐津での講演をうかがいましたが、唐津弁を巧みに混ぜながら次から次へと売上げの数字を上げて聴衆を引き込んでいましたね。正に伝道師でしたよ(笑い)。

金 丸 昨年末には伊東市の“きてきて先生プロジェクト”という、小学校の授業で食べものの授業をしてほしいという話しがありました。基本ベースは塩とお米で、どういうことをやったかと言うと、塩の場合、まず見た目の形状が全部違う。味合いが違う、手触りが違う。それを全部子供たちに五感によって自ら味わってもらい表現させようというわけです。

―― 具体的には?

金 丸 5種類のお米を炊きました。それで見た目はどうなのか? 触った感じはどうなのか? 香りはどうなのか? 食べた感じはどうなのか? それを4段階評価でシートを先生に作ってもらい、それを4人グループでそれぞれまとめて発表してもらったら子供たちの表現はものすごかった。米のそれぞれの特徴、違いを、いろんな言葉を使って表現してくれた。余りに豊かで感動しました。
最初はお母さんたちも校長先生も「お米なんか一緒でしょ」って言ってたんだけど、ところがどっこいでした。ボクが伝えたかったのはお米って全部違うんだよということと、その背景をちゃんと伝えることでしたが、子供たちの感受性は素晴らしかった。


■「塩とは何か」を発信している小渡さんを評価

―― さて、そろそろ「塩」についての話しを伺いましょうか。そもそも小渡さんあるいは「粟国の塩」の存在を知ったのはいつごろで、どういう動機だったのでしょうか?

金 丸 7〜8年前でしたのでスローフード以前の話しです。小渡さんとご懇意の料理研究家の方に取材をしようとしたのですが、結局、間接的に聞くわけで、それなら(粟国島へ)行っちゃおうと思い、小渡さんに電話したのが最初ですね。
それで、現場に行って、いろいろ話しを聞き、調べた結果、ボクの中での結論は「素材を知る」ということでした。お米の素材、ミリンの素材………その歴史的背景、生産の過程、おいしさ。そして、イタリアへ行ってあらためてスローフード運動が素材が起点になっているんだということを知ったわけです。考えてみれば当り前のことですよね。全部違うのですから塩によって料理も選ばなければ嘘だよなと思い始め、以来、どこへ行っても料理屋さん、食べもの屋さんでと、「塩は何を使っていますか?」と聞いています。塩って、全部表情が違うし、味が違うし、作り手と作り方によって変ってくるんだなあとつくづく思いました。

―― ずばり伺って、金丸さんから見た粟国の塩およびそれを生産している小渡さんのいいところはどういう点でしょうか?

金 丸 なんと言っても、「塩とは何か」ということをキッチリ世に知らせていること、塩について生産性・経済性を伝えていること、言い換えればちゃんとした“物語”を持っている人であることでしょうか。それと、そういう以前になによりもボクが今まで味わった塩の中で一番おいしかったことが上げられますね。
もう一つあります。ウチの女房も子供たちも一番気に入ってることです(笑い)。

―― 子供さんまでも?

金 丸 下の子供が小学校の時でした。沖縄へ遊びに行った際に、「友達にお土産買ったら?」と言ったら、粟国の塩を買ったんです。さすがのボクも小学生が同級生への土産に塩なんか………と思ったんですが、本人は「これがいいんだよ」と言うんですね。内心、「本物ってこういうことなんだ」と思いました。小渡さんの塩で作ったオニギリで育ったこともあるかもしれませんが(笑い)………。

―― 最後に、金丸さんとして、小渡さんに今後希望することは何でしょうか?

金 丸 いままでのままでかまわないと思います。ミネラル豊かな、個性ある、素材を引き立てる、本物の塩作りを続けてもらいたいですね。なぜなら、それは普遍で永遠のものですから。

―― ありがとうございました。スローフード=スローライフと考えますと、金丸さんの日常はかなりのファーストライフのようにお見受けします(笑い)。ご自愛の上、ご活躍下さい。


●トピックス
=ペトリーニ・スローフード協会長が東京で講演=
“日本人はもっと酒・そば・漁業を守り、日本のモノを食べよう”
東南アで展開されている養殖エビの不買運動に参加して欲しい

スローフードに関心をもつ日仏伊の100人余りが集まった

日本人はなぜ日本食をもっと食べないのか? と熱く語った
来日中だった「スローフード運動」の創始者、スローフード・インターナショナルのカルロ・ペトリーニ会長がスローフード運動の現在の展開について、2005年3月3日、東京・恵比寿の日仏会館で講演した。

ペトリーニ会長は、初めに世界的に「農業文化」が破壊されており、農業人口も各国で1ケタ台の比率に落ち込んでいる。より憂慮されることは子供たちが農業と切り離されて、感覚の教育から遠ざけられているとし、大人の役割として、これらに対して手を打つべきで、その具体的な一環としてスローフード協会は「食の大学」を開設、今年、日本にも学生を派遣、寿司屋などを見学させることを明かにした。

また、日本に関しては「酒・そば・漁民を守るべき」とし、日本人はもっと日本のモノを食べるべきだ、生産環境を守るのが本当のモダニズムだと強調した。

そして、現在進めつつある運動として、欧米日の大資本が東南アジアで進めているエビの養殖はマングローブの林を犠牲にし、抗生物質や成長促進剤などの化学物質を大量に使い、このため沖合5キロ以内では魚が獲れなくなり、就業人口も50〜100分の1に減る結果になっていると指摘。こういうエビは買うべきではない。こういう運動に日本の消費者もより多く加わって欲しいとし、小泉首相に会う(3月4日)際にもこの点を申し入れたいと結んだ。







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