大垣に5:55、定刻に着きました。すぐに隣のホ ームで発車を待っている6:00発の姫路行き普 通電車に乗る。間もなく発車した。 そして米原に到着。多くの乗客が隣のホームの 電車に移る。「なぜ」私は判らなかったが隣に止 まっていた電車は敦賀発の姫路行き新快速電車 でこの電車より目的地に早く着くことになる。他に 快速電車も走っていて皆さんはそれを上手に利 用されているわけです。私は大垣から乗り換えな しで行けると初めから思っていましたのでそちら の方法は思いつきませんでした。 大阪に8:36に着きました。高野山に行くには 難波に行かなければなりません。地下鉄に乗っ て難波へ。御堂筋線で梅田から四つ目の駅がな んばです。 間もなく難波に着きました。難波は勝手知った る他人の家とばかりに地下街に繰り出したのです がさて南海電鉄はどこに行けばいいのか?矢印 の案内を見つけて進んだ。途中で突然表示が無く なって、これは困った誰かに聞くかなんて思って いたらそこから南海電鉄、階段を登ると切符売り 場と改札口。 難波の地下街をぶらついてから高野山に行く 予定でしたが、早朝の地下街はまだ開店前。そこ はもう高野山行くしかありません。 難波から高野山までは南海電鉄特急こうやで 行くのが一般的なようですがそこは快速電車で行 くことに。9:24発の快速電車に乗り込む。 ここから一時間半位で高野山に着きます。 |
|
極楽橋から高野山にはケーブルカーに乗り換えて 登ります。 海抜539mの極楽橋から867mの高野山まで高低 差は約330m。距離は830m、約5分で登ります。ガイドブックにはケーブルカーから見た美しい景色 が掲載されていましたが、私のカメラには記録さ れませんでしたのであしからず・・・ |
|
高野山駅に到着してケーブルカーを降りるとバス が待っています。高野山内は徒歩かバスで巡る 事になります。 |
|
南海りんかんバスの一日乗車券800円です。高 野山駅から金剛峰寺や壇上伽藍、宿坊に行くの にはバスしかありません。10分ぐらいバス専用道 路を走ります。お寺さんが並ぶ町に入ると歩いて 巡ったほうが早いようです。,一日乗車券は時間が たっぷり有って高野山の端から端まで巡るには間 違いなく便利なチケットといえます。 |
|
高野山駅から千手院橋までバスに乗る。千住 院橋は高野山の中心で食堂やみやげやが軒を並 べているところ。 まず、今夜宿泊する宿坊西門院で荷物を預かっ てもらう。まずは食事です。昼食は、中央食堂さん ぽうで精進花篭弁当を食べる事に前もって決めて いましたのでまずは店を探しました。小さな看板 に暖簾が下がった中央食堂さんぽうはすぐに見つ かりました。 ちょうどお昼の時間でしたが待つことなく席に着 くことが出来ました。メニューを一見して「これ」と 精進花篭弁当を注文。、中央食堂さんぽうでいた だいた精進花篭弁当です。動物性の材料を一切 使わない野菜だけの料理ですがとっても美味しく いただけました。 高野山ではごま豆腐を食べるのが楽しみでし た。ほんの少ししか出してもらえませんでしたが、 これが本当のごま豆腐なんだと舌鼓を打ちました 。他に野菜のてんぷら、煮付け、ユバの油揚げ、 きんぴら、お吸い物、栗麩田楽、豆の炊き込みご 飯とはじめての精進料理にまずは満足というとこ ろ。 |
|
食事を終えて、観光です。ふと、自分はなぜ今こ こにいるのだろうなんて不思議な気分になりまし た。高野山は霊験あらたかな修験の地と何か神 秘的なイメージを持ってきたはずなのにここはただ の観光地? それは心の問題です。私が俗人の域を脱してい ないからなのです。 これは、弘法大師生誕1200年を記念して建立 された「いろは歌」の碑です。弘法大師はお釈迦 様の教えを子供たちにも判るように48文字のか な文字にして教えられたそうです。お大師様が作 られたと言い伝えられていると初めて知りました。 余談ですが、妻は得意げに「いろはにほへとち りぬる・・・・・・・・あさきゆめみし ゑひもせす 」と一 気に歌っていました。意味は判らないと言ってい ました。 大師教会を過ぎると高野山霊宝館があります 。高野山の各寺院に伝わる仏像、仏画、美術工 芸品などを保存して一般の人が目にすることが出 来る博物館です。胎蔵界曼荼羅が見ることが出 来るのかと期待して行って見ましたが本物はあり ませんでした。 金堂では春季彼岸会が催されていました。ちょう ど僧侶によるお経が読まれていました。ちょっとだ け高野山のお経を聴くことが出来ました。 |
|
根本大塔は高さ50mあるそうです。昭和12年に 再建された鉄筋コンクリートの近代的な建物。記 録によると火災から逃れるために鉄筋コンクリート で再建したとか |
|
金剛峰寺とは高野山全体を言うそうですが、明 治2年に青巌寺と興山寺が合併して、それから金 剛峰寺と呼ばれるようになった。また管主が住む 寺院を金剛峰寺というようになったとウィキベディ アに書いて有りました。 金剛峰寺には狩野派の絵師が描いた襖絵があ る主殿、弘法大師が高野山を開くまでの場景を襖 絵にした別殿。上皇や天皇が訪れたときに使用し た金箔を塗った書院上段の間、豊臣秀次が自害 した柳の間、現在は観光客の休憩所に使われて いる新別殿、2000人分のご飯を炊くことが出来 た台所などがあります。 新別殿では茶菓子の接待があります。ちょっと 上品なお菓子とお茶をいただきしばし、休憩をして きました。 |
|
奥殿を取り巻く石庭の蟠龍亭 | |
金剛峰寺を出たところのお寺。高野山はまだ花 の季節ではなく庭に咲いた桃の花が印象的でし た |
|
高野山のメーンストリート、千手院橋の十字路。 |
|
奥の院に向かって歩いています。時間が午後3時 を過ぎて太陽の光が傾いてきました。写真は刈萱 堂です。遅くなったのでここからバスに乗ることに しました。 |
|
奥の院の参道 | |
杉木立の中に古いお墓が並んでいます。有名 な戦国武将のお墓があることになっているのです が奥の院に行った時間が遅かったので途中から バスを使ったため多くの戦国武将の墓にはまわる ことが出来ませんでした。 伊達政宗も上杉謙信、景勝の御廟もあるそう です。武将たちも弘法大師の近くに眠りたかった のでしょうか。 |
|
玉川の脇に並ぶ水向地蔵に水を掛けて祈る。奥 の院は杉木立が鬱蒼としていますから午後4時 ともなると薄暗くなってきました。 |
|
今夜の宿、西門院です。 117の寺院の内52のお寺が宿坊として利用で きるそうですが一番安い宿泊料でしょう。インター ネットで申し込むと一泊二日9500えんから500 円引きで泊まることが出来ます。 この門は竜宮門です。 |
|
西門院の夕食です。肉、魚は一切使わない精進 料理。昼も中央食堂さんぽうで精進花篭弁当を食 べたのですが、ここでいただいたごま豆腐は格別 でした。世話をしていただいた若いお坊さんに「ご ま豆腐美味しいですね」と言ったら、ここの坊で作 っているので毎日味が違うとのこと。本物でした。 肉や野菜が使われていなくてもしっかりした味付 けで物足りなさなんかは感じさせない精進料理に 満足しました。 |
|
手作りごま豆腐 |
西門院のHPより拝借 「空海(弘法大師)が千二百年あまり前この地に 伝えて以来その製法は脈々と伝わっております。 当院のごま豆腐は本場吉野より取り寄せた本葛 に、高野山の地下より汲み上げた清潔で純粋な 地下水により丹念に練り上げた特製の「手作りご ま豆腐」です。 トロリとした舌触りと濃厚な「胡麻」 の風味が広がります。」 |
このページのTOPへ |