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第1章  電磁波過敏症(携帯電話)その1

その1
 〔1〕電磁波過敏症の経緯――発症から現在まで
(2011年10月30日更新)

その2 (2011年10月 30日更新)
 
〔2〕観察――電磁波の感じ方と症状の出方
   a.中継アンテナへの反応
   b.症状
   c.携帯電話機(端末)への反応
   d.金属製品による症状

その3 (2011年10月 30日更新)
 〔3〕対策

   a.電磁波発生源を避ける
   b.金属製品の除去
   c.シールド



〔1〕電磁波過敏症の経緯―発症から現在まで

○発症

 2001年5月のことでした。私は外出先で強烈な目の痛みの発作に襲われました。それは突然やってきました。気づいたときには、目を焼かれるような強烈な痛みと、強い頭痛に襲われていました。あっという間に激烈な症状となり、そのあまりの強さに自分でも何が何だかわかりません。目は化学薬品を注ぎ込まれたみたいな痛みとなり、頭の中では巨大な振り子が音を立てて頭蓋骨に衝突しているような衝撃がありました。私は強い恐怖心を感じ、急いで家に帰りました。

 そしてベッドに寝ながら、2時間ほど苦しみました。2時間たつと次第に衝撃はおさまっていき、強い疲労感が残りました。おさまってから、記憶を呼び覚まそうとしても、発作時のことがよく思い出せません。発作の原因や症状がよく把握できず、正体がつかめない恐怖がありました。

 同様の発作は何度も何度も訪れるようになり、頻度も増していきました。日常的に目がただれたような状態が続き、常に目の痛みがあります。それがときに激烈な発作に発展するといった状態になっていました。目が過敏なので、身の回りの日用品にも次々と刺激を感じるようになってきました。それまで何ともなく安全に使っていたものにも、強い目の痛みを感じてしまいます。

 特に、除草剤や殺虫剤など農薬類には、強烈な目の痛みを感じるようになってきました。外出時に除草剤をまいて草が枯れたようなところに行くと、強い目の痛みを感じました。また、田んぼの近くに行ったときにも、同様の症状が出ます。それまでも農薬では強いCS症状を起こしていましたが、症状は頭痛・めまい・吐き気・ふらつきなどでした。目の痛みを感じたのは、このときが初めてです。それまでとは比較にならないくらい強く激烈な症状で、いったい何が起こったのかまったくわかりませんでした。

○水道水への反応
 その後、水道水にも強い目の痛みを感じるようになってきました。水道の蛇口から強烈な刺激のある液体が流れ出てきており、とても目を開けていることができません。水が刺激性の物質に変わってしまったため、通常の日常生活を送ることができない状態に追い込まれてしまいました。

  水は生活のあらゆる場面で使用されます。飲み水・掃除・洗濯・料理・洗顔・シャワー・トイレ・歯みがきなど…それらすべてに支障が出てきて、不便な生活を強いられることになりました(→スモール・データ・バンク「水」参照)。 水を使えば使うほど、強い刺激に触れなければならず、水で洗浄したものはすべて刺激性の物質に変わっていきました。身の回りのものが、どんどん汚染されて使えなくなってきました。

 当時、仙台に住んでいましたが、生活は次第に限界に近づいてきました。私が考えたことは、農薬が刺激の原因となっており、それ水道水にも混じってきているのではないかということです。しかし、前年までこのような刺激を感じなかった農薬が、2001年に入ってから、突然刺激性の物質に変わってしまったというのはどういうことなのか、説明がつきません。その後、何年にもわたって観察を続けなければ、その原因はなかなか把握することができませんでした。

○原因の分布図
  外出先で、突然強い発作を起こすことが頻繁にありました。徒歩や車で、ある場所を通ったとき、不意に強烈な目の痛みを感じます。そして、数秒のうちに激しい発作に発展していきました。それは、道路を走行中だったり、スーパーの駐車場を歩いているときだったり、いろんな場所で起きました。

 最初はどこで起こるのかわからず、恐怖でいっぱいでしたが、何度も反応するうちに、次第にある特定の場所に行くと、特に強い目の痛みに見舞われるということがわかってきました。その場所は何十ヶ所もありましたが、いつも同じ場所で症状が起きてきました。そのような危険な場所をよく覚えていて、なるべく近づかないようにしました。しかし、そのような場所は生活範囲の至る所にあり、生活上どうしても行かなければならないことがありました。その場所に行くたびに強い発作症状を起こしていました。恐怖でした。

 私は反応を起こすたびに、原因となる化学物質が近くにないか探していました。しかし不思議なことに、CS反応であれば思い当たるような原因物質が見あたらないのです。この頃には、私は感覚を磨いて、かなり高い割合でCS原因を探り当てることができるようになっていました。それにもかかわらず、反応を起こしても原因が見つからない例が、多く発生するようになってきました。2001年から起こった激烈な症状については、正体のわからない、全く新しい現象のような気がしました。

 7月までは、生活に必要な用事をするために、無理に外出をしていましたが、8月には不可能になり、夫が代わりにしてくれるようになりました。当時、私たち夫婦は住む家が見つからず、それぞれの実家に住んでいました。夫は片道50qの道のりを訪ねてきて、私の代わりに用事をしてくれました。

 特に私が忘れられないのは、地下鉄構内の反応で、2001年6月2日地下鉄に乗っているときに、激しい発作に襲われたことです。(あまりにも強い印象があるので、今でもこの日付がそらで出てきます。)電車内で強い目の痛みを感じ、焼けるような痛みでその場にうずくまってしまいました。電車を降りて地上に出ると、しばらくして症状はおさまっていきましたが、あのときの苦痛・恐怖は忘れることができません。それから地下鉄に乗るたびに同様の発作が起こり、7月頃には、もう地下鉄に乗ることはできなくなってしまいました。

 常に強い目の痛みを感じながらの生活は「天然の拷問」というのにふさわしいものでした。私はあまりの目の痛みに、まともに物を考えることができませんでした。そんな中で、これまでにない奇妙な症状が次々と現れ出てきました。

○金属製品への反応
 2001年の夏頃から、私は金属製品に強い目の痛みを感じるようになってきました。アルミ箔は、それまで何の問題もなく使っていましたが、この頃からアルミ箔を見ると、突き刺さるような強い刺激を感じるようになってきました。がんばって表面を見つめようとするのですが、箔全体からまぶしい光線が発しているようで、見つめることができません。アルミ箔全体がバチバチと火花を散らしているような、強い光が点滅しているような独特の衝撃がありました。「これはどういうことなんだろう?」 私は、見つめようとしても見つめられないアルミ箔を前に、とまどっていました。

 同時に、金属製の鍋やボウル・缶・髪どめ・ヘアピンなどにも同じ刺激を感じるようになってきました。スーパーの調理用品売場に行ったとき、壁一面にフライパンや鍋がぶら下がっていました。それを見ると、猛烈な目の痛みを感じました。とても見ていられないような痛みです。カトラリー(フォークやスプーン)売場も同様でした。その売場一帯が強烈な刺激を帯びており、一瞥をくれることもできません。アルミ箔のときと同じように、売場全体が輝いて点滅しているように感じられました。

 私はCS対策として、物をしまっておく入れ物には、化学物質の揮発が少ない金属缶を利用していました。この頃から缶に接すると、強烈な目の痛みを感じるようになりました。原因物質を探ろうと、缶全体から化学物質の揮発がないか観察してみましたが、目の痛みに阻まれてよくわかりません。鼻を近づけて嗅いでみても、金属の匂いが少しするだけで、化学物質の匂いは感じられません。化学物質が原因ではないようでした。

 ヘアピンや髪どめについては、もっと奇妙な症状がありました。ヘアピンを手にとって眺めてみると、手にチリチリ・ピリピリとした刺激が起こり、指先から肘に向かって流れていく感覚があります。ピンを見つめようとしても、目にバチバチとした刺激があり、見ることができません。そして、ヘアピンにも点滅したフラッシュライトが当たっているかのように、チラチラと瞬いて見えました。ヘアピンを髪につけると、その部分がチリチリと刺激を発して(見つめているわけではないので目の痛みはありませんでしたが)、触れている部分の頭皮が痛みました。次第に金属製のヘアピンや髪どめは使えなくなり、プラスチック製のものを使うようになっていきました。

 金属製品について特別奇妙に思われたのは、視界の点滅です。金属製品を見ると、突き刺さるような目の痛みと同時に、視界がチラチラと点滅するようになります。それはまるで、切れかかった蛍光灯が点滅しているような感じでした。点滅の周期は速くて、明暗がめまぐるしく変わり、とても目が疲れます。この症状はそれまでにはなく、2001年からはっきりと現れてきました。

 冒頭に紹介したいちばん最初の発作時にも、確かにこの点滅する感じは起きていました。目の痛みと頭痛が激しかったために、客観的に自分の症状をとらえることなど不可能でしたが、おぼろげながら思い出してみるに、頭の中の振り子が揺れると同時に、激しいフラッシュライトが瞬いていました。

 この反応はどうも化学物質が原因ではないようでした。とすると、これはCS反応ではないということになります。金属が原因の過敏症状といえば、金属アレルギーがあります。金属アレルギーは、金属に接触することによって皮膚がかぶれたりするアレルギー反応のことです。私が体験している神経への強い刺激反応が、金属アレルギーによるものとは思えませんでした。それならこの反応はいったい何なのだろう? 私は、それまで知られていない、全く新しい種類の症状を経験しているのかもしれないと思いました。

 私が2000年までに体験していたCS症状は、化学物質に触れると頭痛・吐き気・意識障害・呼吸困難などが起きるもので、“静的な症状”と言えるものでした。苦しさの中で、麻酔にかかったみたいにスーッと意識が遠のいていきます。そのまま深くて暗い水底に沈んでいくような感覚がありました。

 それに対して、2001年に起きた一連の症状は“動的な症状”と呼べるもので、環境中のものに反応して激しい刺激を感じるものでした。発作中はまぶしい光の明滅、頭の中に大きな塊がぶつかってくるような衝撃、大音響の音楽が頭の中で鳴り響いているような感覚です。この刺激に襲われると、私はまったく眠れなくなりました。心の休まる暇もありません。

 2001年の1年間は、常にこのような刺激を感じ、日夜まったく休めることがありませんでした。その後、症状の強弱や変遷を経てきましたが、その間ずっと“刺激”は途切れることなく続いており、現在(2011年)に至るまで一度も「安らぎ」や「静寂」が得られたことはありません。残念ながら、この先もこのような人生が続くものと思われます。2001年、それは私の人生が大きく変わってしまった年であり、私はこの年に受けた衝撃を決して忘れることができません。

○「電磁波過敏症では?」
 2001年の秋までには、農薬や水・金属製品・日用品への症状は激烈さを増していき、まったく生活が立ち行かなくなってしまいました。一番の問題は「水」でした。水道水がまるで劇薬のように強い刺激を帯びているために、手を洗ったりトイレで用を足すのにも支障を来すようになりました。それに対して、様々な対策をしたにもかかわらず効果が出ませんでした。私は全くの無力でした。生活は限界に近づいていました。

 様々な症状のうち、原因がはっきりわかっているのは「農薬」でした。そして、水の問題も、水道水に農薬が混じり込んだことが原因ではないかと推測していました。一般の人が感じないような微量でも、私には強い症状を引き起こしているのではないかと思いました。農薬に対する過敏症状は、数ある「目の痛み」の反応の中でも、比較的理解しやすいものでした。以前と反応のしかたが変わったとはいえ、それは農薬に含まれる化学物質によって引き起こされるCS反応だと考えることができたからです。他の反応については、原因も症状のメカニズムも全くわかりませんでした。見当もつきませんでした。まずは原因のよくわかっていることから対処していこうと思いました。

 私と夫は農薬の少ない地域に引っ越すことを考えはじめました。そして、全国の地域を検討した結果、札幌に引っ越すことになりました。(→PART1・第5章〔3〕「引越の経緯」スモール・データ・バンク「水」参照)

 札幌での家探しの相談に乗ってくれたコンサルタントが言うには、私の症状は「携帯電話の電磁波による過敏症ではないか」ということでした。私はそれまで全く考えたこともない原因を指摘されて、とまどいました。この時点で、電波通信や電気製品の知識はほとんどありませんでした。

 1985年に化学物質過敏症を発症し、その後15年は原因不明の体調不良に悩まされてきました。1999年にとうとう自分の病気の原因が化学物質であることに気づき、対策を進めてきました。それが功を奏して、次第に症状がおさまってきた頃です。その2001年に、私はそれまで想像したこともないような激烈な症状に襲われることになったのです。これは、15年間悩まされてきて、つらいながらも慣れ親しんだCS症状とは、全く違っていました。私は新たな事態が起こってしまったことを、強く感じずにはいられませんでした。

 「電磁波過敏症」の指摘が気にかかりながら、私たちは2002年5月に札幌に引っ越しました。引越後3ヶ月は、新居をCS体質に合ったものにするために働き続けなければならず、息つく暇もありませんでした。この引越で、それまで仙台で悩まされていた農薬や水道水による強い目の痛みは軽減され、激烈な症状を回避することができました。この引越は成功でした。しかし、依然として中程度の目の痛みは途切れることなく続いており、その原因究明と対策は不可欠なものでした。

○携帯電話のしくみ
 2002年の秋頃から人心地ついて、電磁波過敏症について調べはじめることができました。私は携帯電話や高圧送電網について基本的な知識を得ることができました。

 携帯電話は当時持っていませんでしたが、2000年に夫が会社の携帯を持っていたので、一度だけ使ったことがあります。そのときは耳元に振動のような刺激と強い頭痛を感じたので、使うことができませんでした。夫に「何これ? ぐあい悪くなるよ」と言ったら、夫も「俺も長時間使っていると気持ち悪くなってくるんだ」と言っていました。


 引越をした頃、我が家には携帯電話はないし、私はCS症状のためにほとんど外出できなかったので、携帯電話機に接する機会はほとんどありませんでした。しかし、携帯電話のしくみとES症状を考えるときに避けて通れないのが、中継アンテナの存在です。携帯電話は無線電波を飛ばして、各所にある「中継基地局」と呼ばれるアンテナと交信しています。中継アンテナは、全国に500m〜1kmおきに設置されており、タワー型であったり、建物の屋上に設置されていたりします。(図1・写真1,2)自分が携帯電話を使わなくても、この中継基地局から発せられる電磁波で症状を起こす可能性があるということでした。




 他にも様々な型のアンテナがあります。→ 携帯電話の中継アンテナ写真集

○アンテナの観察
 引越した2002年は、ほとんど外出ができませんでしたが、2003年から少しずつ観察を始めました。当時、私の行動範囲は車で5分のスーパーに買い物に行くことくらいで、その間に携帯電話の中継基地局はありませんでした。家から50m位のところに、2ヶ所、PHSのアンテナがありました。歩いて観察しに行ってみました。(図2)南北にそれぞれドコモとアステル(当時)のアンテナがあり、この近くに来ると目がビリビリと痛みます。離れてみると痛みが少なくなります。それで、PHSのアンテナが目の痛みの原因であることがわかりました。


 ただ、これはとても奇妙なことなのですが、私には、北側のアステルのアンテナより、南側のドコモのアンテナの方が、格段に強く感じられました。そして、よく体感を観察してみると、大変奇妙なことに、刺激はもっと西寄りの方、南西の方向から来ているようなのです?

 この家に引っ越してきたとき、私と夫はフェリーに車を乗せて、仙台港から苫小牧港まで来ました。苫小牧から高速道路を走って2時間かけて、札幌市の西区まで来ました。道中、何度も目の痛みの発作に襲われました。それは5月9日のことで、道路沿いに広がる田畑の農薬に反応していたのだと思います。しかし、田畑がないところでも鋭い反応を起こすこともありました。そして、インターチェンジを降りて、一般道を新居まで走っていたとき、何ヶ所か目の痛い場所を通り過ぎました。さらに進んで、家の近くまで来たとき、〔図2〕に書いた交差点でも、私は強い目の痛みを感じました。家から約50mのところです。私はこんな場所で暮らしていけるのかと、不安になったことを覚えています。

 この家で暮らしていると、日々絶えることなく目の痛みがありましたが、やはりそれは北側より南西側から来ているように感じました。当時は季節柄、農薬の影響も受けてCS反応も起こしていたので判然としなかったのですが、南西側からの刺激は絶えず降り注いでいるようでした。家の2階南側の窓から外を見るとき、視界が点滅し、ビリビリとした刺激が到達しているのがわかりました。あんな小さなPHSのアンテナが原因になるのだろうか?と悩みました。PHSは、携帯電話より短い間隔で中継アンテナが立っています。携帯電話の中継アンテナより数が多いので、一台のアンテナが送受信する電磁波の量は、携帯電話のものより少なくなるはずです。この強い刺激は、一体どこからやってきているのだろう、と疑問に思いました。

○中継アンテナを発見
 2003年2月、雪かきをしながら隣近所の人とおしゃべりをしていたとき、隣家の人に携帯電話のアンテナについて聞いてみました。そうしたら、この人は「すぐ近くにあるんだ」と言いました。私が「PHSのアンテナですよね。50m先に南北1つずつあります」と言うと、「100m先だよ」と言います。何分間か話のかみあわない状況が続きましたが、隣人は少し離れた空き地にある雪山に連れて行ってくれました。「あれだよ」雪山に登って隣人が指さした先には、マンションの上に給水塔のようなものが…。(写真3)「あれが携帯電話のアンテナだよ。2年前に設置されるとき、この近所の人は反対運動をしたんだけど、結局建ってしまった。住民に反対されたから、隠すようにアンテナの周りに囲いをつくったんだね。」


 この時、私は謎が解けるのと同時に、自分が携帯電話の電磁波に反応しているのだということを確信しました。家の2階に上がって南側の窓の外を見てみると、はっきりと、あのアンテナが見えました。私がそれまで目の痛みを感じながら正体がわからず来たのは、携帯電話の中継アンテナだったのです。(図3)

○かつて発作を起こした場所を訪ねて
 引越して約1年後の2003年に、私は故郷の仙台に帰省することができました。仙台には5〜9月の農薬シーズンには、CS反応を起こしてしまうので戻ることができません。秋〜春に帰省することにしています。これは2011年の現在でも変わりません。夏期に帰省すると、強い目の痛みの発作を起こすことになってしまいます。2009年の5月末に、どうしても帰らなければならない用事があって帰省したときには、やはり激烈な目の痛みの発作に見舞われてしまいました。緊急のとき意外には、いつも夏を避けて帰省しています。

 2003年に帰省したときに、私はかつて強い目の痛みの発作を起こした場所を訪ねてみました。発作を起こしていた当時は、何がなにやらわかりませんでしたが、この時の私には電磁波についての基本的な知識がありました。中継アンテナがどういうものかもわかっていました。記憶を辿って、当時発作を起こしたところを順に訪ねてみると、まさにその場所場所に、携帯電話の中継アンテナがあったのです。その場所は何十ヶ所もありましたが、ここにそのうち2ヶ所の写真を載せます。(写真4・5)
 


このアンテナを見ると、目にバチバチとした刺激がきて、視野が点滅します。2001年当時より目の過敏性が下がっていたので、その頃のような激しい発作は起こりませんでしたが、かなり強い刺激を感じました。かつて反応を起こしたところに中継アンテナがあったという事実は、衝撃でもあると同時に、正体がわかって妙に納得することでもありました。私の目の痛みの症状を起こしていた原因の1つは、携帯電話の電磁波だったのです。

 そうやって訪ね歩いて何ヶ所も確認していくと、地域内のほぼ全域で原因を特定することができました。このとき、忘れることができない地下鉄の構内での反応の原因も探りに行きました。改札を通って地下のホームに降りていくと、目の痛みが強まりました。私はホームの天井から携帯電話のアンテナがぶら下がっているのを見つけました。(写真6) 

このアンテナに近づくと目の痛みが強まり、離れると痛みが弱まりました。それで、地下鉄での反応も電磁波が原因であることがはっきりしました。あれだけの恐怖をもたらした目の痛みの発作。その原因をつかむことができて感無量でした。何とも言えず「安堵した気持ち」と「救われた感じ」、そして、「哀しみ」を感じました。いろんな感情が交じり合っていました。

 このようにして、目の痛みの原因の1つが、携帯電話の電磁波であることがわかりました。しかし、原因は電磁波だけではなく、他のいくつもの要因が混じり合っているように見えました。そのため、症状を起こすたびに原因を特定するのが難しいと感じました。原因を見極めなければ、対策を取るのも難しかったです。目の痛みの原因については、農薬・水・電磁波・金属製品など多くの要因が考えられます。

 農薬の化学物質に対する強い目の痛みはCS反応と考えていましたが、ひょっとしたら携帯電話の電磁波に対する反応によって目の過敏性が増し、農薬にも目の痛みを感じるようになったのかもしれません。また、農薬が新しい種類のものに代わり、その化学物質の影響で、強い目の痛みが出ているのかもしれず、結果として電磁波にも反応するようになったのかもしれません。
このように、強い反応が一時期に同時に発症したために、何が根本原因で、何が副次的に発生した症状なのか、把握することは難しかったのです。多くの要因が複雑に絡み合って、反応と症状の全体像をつくり上げているようです。

 この複合要因について、解明する試みを、後の章「第2部 第4章 目の痛みの症状」で行ってみるつもりです。この章では、携帯電話の電磁波のふるまいを観察し、様々な対策を試みた様子を書いていきます。


「第1章〔2〕観察」へ続く
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