下総の神社     <船橋市の神社 北部版>


船橋市は市域が広いため、南北に分けました。南部版はこちら。
この北部版は、小室町・小野田町・車方町・鈴身町・大神保町・八木が谷・豊富町・金堀町・楠が山町・三咲・二和・金杉・高根町・古和釜町・坪井町・大穴北・丸山・馬込・旭町・上山町・藤原の社を掲載しています。


八幡神社【船橋市小室町】

旧村社、本殿朱塗流造り南向き。手水鉢は寛政9(1797)年丁巳4月吉日、狛犬は明治期のもの。境内社には稲荷神社・天満宮・古峰神社・疱瘡神・妙見社・道祖神などあり。由緒不明、明治44年に厳島神社を合祀、祭神は応神天皇。当地小室の他、小野田・小池(八千代市)の鎮守。別当は本覚寺。参道は東側台地下より、参道入口には朱塗りの両部型鳥居あり。
(船橋市小室町148)

駒形神社【船橋市小室町】

本来、上記の八幡神社境内社と見るのか独立した神社とするか迷うところである。八幡神社境内掲示板には本社を境内社としているが、鎮座地が切り通しを挟んだ庚申塔群の中にあるので一応独立項目とした。覆屋の中に小型の祠が鎮座している。資料によれば明治11年5月のもの。右側には大型の庚申塔が10基以上並ぶ。八幡神社本殿奥から東側に下る裏参道を下りるとすぐ。
(船橋市小室町149南東側付近)

天王神社【船橋市小室町】

道側に背を向けており、かつ鳥居も額も無いので解りずらい。散歩している方に案内してもらってようやく見つける事が出来た。注連縄と鈴緒(鈴に付いてる紅白の帯)でかろうじて社であることが判る。案内してもらった方に小室の三匹獅子舞の奉納があると教えていただいた。(平成22年現在休止中)由緒祭神等不明であるが天王神社の名から素戔嗚尊か。
(船橋市小室町430付近)

名称不明社【船橋市小室町】

木の根元にあるのだが、正面の向き等から個人敷地内の可能性もあるので・・。

(船橋市小室町)

弁天社【船橋市小室町】

小室公園の北側一画に鎮座する。鳥居をくぐって参道を進むと背の高い朱色(ピンクに近い)の祠が見える。この公園から水が東側の神崎川へ向って流れる。資料によれば内祠は寛政10年(1798年)2月のもの。
(船橋市小室公園北側)

安房神社【船橋市小野田町】

旧村社、ご祭神は太玉命。本殿流造、外千木、鰹木4本。神紋十六菊。手水鉢の2基の内1基と灯篭は明治期、残り1期と狛犬・鳥居は昭和のもの。鳥居には角頼太郎左衛門宣代とあり。本社は旧家角頼太郎左衛氏の氏神として祀られ元は安房主神社と称していたらしく、正徳年間(1711〜1716年)に隣の光明寺管理下となったとされる。本社と光明寺周辺には土塁が残り中世の小野田城址と比定されており、本社の鎮座する場所が主郭とされ城跡主要部に氏神が建立されたと考えられ、千葉一族である臼井氏系・馬加氏系・高城氏系いづれかの末と思われる。東隣の八千代市小池にも同安房神社が鎮座しておりこちらは浅野氏の氏神であると云う。
境内社はいくつか見えるものの神社名を確認するに至らず。
(船橋市小野田町610)

稲荷社【船橋市小野田町

覆屋の中に石祠と神使の狐が見える。資料によれば祖師堂傍にあるとされる明治期のものか。同社わきにも覆屋の祠あり。
(船橋市小野田町700付近)

足尾諏訪神社【船橋市小野田町】

正徳年間(1711〜1716年)の創立と伝う。従昔、積田氏遠祖、佐左ェ門氏が氏子中に流行の魔病に襲われ死人続出するのをなげき、日頃崇敬する大六天に祈願されたところ霊験があった。ために住民は大いにその徳を尊び、奉祀されたという。境内社の諏訪神社は従昔、玉井氏の遠祖、八兵衛氏が、諏訪の大明神へ参拝の際に戴いた大神の分霊に降雨祈願され霊験があったことから住民と相談し、農桑の神として奉祀されたといわれる。(千葉県神社名鑑)(船橋市小野田町790)

諏訪神社【船橋市小野田町】  

上記の足尾諏訪神社から北側に直線距離で200mも離れていない場所にあって、本社との関係は不明、民家の方に一応諏訪神社と確認した上で参拝。細い道を入ると金属製の鳥居が見え、手水鉢は明治期のもの。豊富村誌では旧小野田村内には安房神社・足尾神社・天神社の3社としているので、当初天神社の間違いではないかとも思ったのだが諏訪神社で間違いなさそうである。場所は、誠光園東側に鎮座している。(船橋市小野田町769東側付近)

車方神明社【船橋市車方町】

天照大御神をご祭神とする。灯篭は文政6(1823年)未7月吉日、手水鉢も同じ文政6年のもの。石鳥居には文政13年(1830年)9月の年号と「天下泰平国家安穏 氏子中」と、反対側の柱には「御地頭鈴木〜武運長久」と入っている。境内社には天満宮他。場所は法井寺(日蓮宗 中山法華経寺末)のちょうど裏側にあたる場所になる。法井寺境内を通って参道石段を上がるのが一般的な参道か。(船橋市車方町354)

道祖神【船橋市車方町】

法井寺の脇道を登って行くと、大きな木の下に鎮座している道祖神。覆屋の脇が少しだけ空いていて、寛政(1789〜1801年)の文字と霜月(11月)がかろうじて見ることができる。周りの畑と大きな木、大好きな風景の1つ。
(船橋市車方町350西側台地上付近)

水神【船橋市車方町】

安永2(1773年)癸巳3月23日とある水神祠。鈴身川支流の高才川源流地にあたる場所に鎮座。池の脇の林の縁を周って奥へ進むと、笠の苔生した水神様を拝する事ができる。
(船橋市車方町420付近)

鈴身神社【船橋市鈴身町】

旧行々林(オドロハヤシ)村鎮守、社格は旧村社。素盞嗚(スサノヲ)尊をご祭神とする。神崎川に流れる鈴身側右岸高台に鎮座する。本殿流造。神紋は本殿に「三ツ巴」、本殿前の昭和期の手水鉢正面に「丸に違い鷹羽」あり。拝殿前の手水鉢は寛政12(1800年)庚申11月吉日、灯篭は文久2(1862年)戌12月吉日。本殿前に昭和期の狛犬・灯篭・手水鉢あり。参道入口に木製両部型鳥居あり。境内社には子安大明神・天満宮・金毘羅宮・駒形神社等あり。(船橋市鈴身町297)

大六天社【船橋市鈴身町】

鈴身川に沿った道の参道入口に小型の鳥居が見える。細長い参道を進むと台地中腹に本殿が鎮座している。本殿内部までは見る事はできないが、資料によれば延享3(1746年)年、行々林村の願主によるもの。鳥居は平成3年7月吉日、左右の柱に各々「大六天社」・「皇産霊神社」と刻まれる。
(船橋市鈴身町345付近)

道祖神【船橋市鈴身町】

坂の途中にちんまりと2基仲良く鎮座している道祖神。右側の古い祠は風化が激しく読取り難いのだが明和元(1764年)年11月とある。
(船橋市鈴身町633付近)

水神宮【船橋市鈴身町】

鈴身川に架かる水神橋手前のポンプ小屋(だと思うが)脇に鎮座している。昭和59年5月9日建立とある。土地改良事業によるもの。御影石製で笠の横長なのが特徴で正面には朱で鮮やかに水神宮とある。
(船橋市鈴身町210付近)

白幡宮【船橋市大神保町】

この社の造立年代に付いては、千葉県神社名鑑では寛文12(1672年)年癸丑7月9日、千葉県地名大辞典では寛文5年(1665年)、豊富村誌では延宝13年癸丑7月9日としていて三つ共に合わない。暦と合わせた場合、延宝13年は存在せず、寛文12年は癸丑年では無いのだが、寛文13年(1673年)が癸丑年でかつ延宝元年ともなるため正しくは寛文13年癸丑7月9日のようだ。旧村社で大神保村鎮守、御祭神は応神天皇。本殿流造り、鳥居は平成5年10月吉日、灯篭は明治8年亥10月吉日とある。県民の森裏側の奥深くに鎮座しているが参道は思いの他手入れがされていた。(船橋市大神保町636)

八幡宮【船橋市大神保町】

西福寺から八木が谷方面に向って右側に鎮座。小型の鳥居(平成9年12月吉日と願主名あり)とちんまりとした本殿と鈴と鈴緒が愛らしい。社の前には神使の鳩が一対見える。小さいながら手の入った一社である。
(船橋市大神保町270付近)

須賀(すが)神社【船橋市神保町】

殿銅板葺流造、外千木、鰹木4本で神紋は「三ツ巴」。狛犬は昭和54年、手水鉢は文化14(1817年)丁丑歳2月吉日、灯篭は天保10(1839年)己亥仲夏(陰暦5月)吉日建之とある。石造りの構造物(鳥居・神使(狛犬)・灯篭などたいていは建立年月日を入れるのだが「仲夏」のような季語を使うのは珍しい。旧社格は無格社、御祭神は素盞嗚尊、尾張津島より遷宮とも伝わる。境内社には、神明神社(独立鳥居あり)・子安大明神・妙正大明神・稲荷大明神・道祖神などあり。その他、船橋市指定無形民俗文化財の「神保ばやし」が伝わる。船橋市教育委員会の掲示板によれば、江戸時代末か明治の初め頃、八木ヶ谷に伝わる深川ばやしを受け継いだものといわれる。
(船橋市神保町102)

王子神社【船橋市八木が谷】

場所は長福寺(天台宗叡山派泉倉寺末)脇に鎮座しているが、八木が谷城跡の土塁上とも推定されている場所でもある。この社は複雑な経緯を持つ社であり、元の鎮守は石尊社であったが後に白幡神社と王子神社が合祀したらしいのだが、例によって神社名鑑には「明治44年無格社白幡神社、同石尊神社合祀す」とあるが豊富村誌には「明治44年に白幡石尊の2社合祀す」とあって混乱の元となっている。御祭神は伊弉冊尊(イザナミノミコト)・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)・応神天皇をお祀りする。境内社には天満宮・正八幡・子安大明神・八坂神社等あり。灯篭は昭和期、狛犬は大正期のもの。(船橋市八木が谷5-391-2)

道御祖神【船橋市八木が谷】

明治5申11月吉日とある。八木が谷北市民の森、南側入口の道沿いにある庚申塔群の中の1基。道祖神ではなく、”道御祖神”であることに注目だ。
(船橋市八木が谷5-9-37付近)

稲荷神社【船橋市豊富町】

豊富小学校脇の無格社。本殿流造、神使の狐は明治と平成、灯篭は平成、手水鉢は明治のもの。参道入口の鳥居は平成16年ものである。さて境内社に「夜泣稲荷神社」が本殿とは別に鎮座している。碑によれば昭和61年のものであるが、子供の夜泣きに霊験のあるものとしてお祀りしてあるものと思われるが、主神の稲倉魂神とは別柱と捉えているところは興味深い。近辺で夜泣き稲荷の鎮座しているところはここ以外には無いように思われる。(船橋市豊富町1)

道祖神【船橋市豊富町】

上記稲荷神社鳥居脇に庚申塔と並んで鎮座している道祖神。風化が進みかなり痛みが目立つ。文政9(1826年)戌2月吉日とあるが、ようやく読める程度のもの。
(船橋市豊富町674付近)

日枝大神【船橋市金堀町】

本殿流造、神紋は「三ツ巴」。手水鉢は嘉永5年(1852年)と安政6年(1859年)、灯篭は5対あり慶応期(1865〜1867年)2対、安政3年(1856年)1対、文久2年(1862年)1対、明治のものが1対ある。境内社には白旛神社・小御嶽神社・道祖神社・足尾神社・神明神社・弁財天などあり。旧村社にして大山祇命他をお祭する。
(船橋市金堀町471)

金毘羅大権現【船橋市金堀町】

金堀町の原宿バス停の脇に鎮座している。表の通りから拝見できる部分のみ撮影。ゼンリンの地図には「金毘羅大権現」として記載されている。
(船橋市金堀町)

熊野神社【船橋市楠が山町】

旧村社、楠ヶ山村鎮守。本殿は覆屋内で確認できず。手水鉢・灯篭は明治期のもの、狛犬には「戦勝祈願 天下泰平」とあり。ご祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照皇大神。建治元年(1275年)吉橋城主、吉橋丹後守胤俊の創立、永禄3年(1560年)再建と伝わる。新川に注ぐ桑納川水系流域には熊野神社の分布が濃密であるが、本社はその最上流部の熊野神社にあたる。(八千代市の神社西部版)千葉氏系吉橋氏と熊野神社信仰の関係が伺われる。また白幡神社・地守護神社・駒形神社を合祀する。(船橋市楠が山町204西側付近)

山神宮【船橋市楠が山町】

千葉郡誌には上記の吉橋丹後守胤俊は戦に敗れ一族郎党四散し、一部は楠が山の台地、金堀の辺田等に隠れ、今楠が山・金堀で吉橋姓を名乗る者はその子孫と伝える。しかしまた時代が下って戦国時代には高木(高城)伊勢守が天文5年(1536年)3月7日(天文6年正月7日とも)小田原北条氏に攻められた。千葉義胤に援軍を求めたが間に合わず落城落城、城主一族は大和田から幕張へ逃れる。家臣は土着して四家老と呼ばれ貞福寺(八千代市吉橋)他をを開山したと伝わる。同じ伝承が鎌倉時代と戦国時代にあるわけだが、碑文にある「高木伊勢守家来」とある処から後者を伝えるものである。高木(高城)家は、元々千葉氏重臣であったものが小金城によって半ば独立したもので家紋は「月星」と「細井桁に橘」であるが当地の吉橋姓には”橘”紋が使用されている。
祠には”明治19年(1886年)戌年 高木伊勢守家来 七十六代目吉橋五良左衛門”とある。楠が山館跡と呼ばれる城砦跡の主郭内の木の根元に置かれている。

大六天王宮【船橋市楠が山町】

嘉永5(1852年)子年2月吉日とあり。石祠の前にある手水鉢は明治期のもの。豊富村誌に記載のある大六天神社とすれば、大化元年創立の無格社、ご祭神は高皇栄日命である。
(船橋市楠が山町204北側付近山林内)

古峰神社【船橋市楠が山町】   

鎮座地としては上記熊野神社と同じ場所なので境内社とするかとも思ったが、熊野神社鳥居の外に鎮座するために単独の社として掲載した。本殿前に古峰神社と書した瓶が置いてあったため判断した。
(船橋市楠が山町204西側付近)

湯殿神社【船橋市大穴北】

青蓮院延命寺(真言宗)の脇に鎮座、天照皇大神をご祭神とし、貞治元年(1362年)<県神社名鑑では貞治6年>僧 亮瑞が神夢により勧請、天保3年(1832年)再建、無格社。楠ヶ山郷湯殿山権現縁起(青蓮院 普明 天正14年(1586年)の日付あり)によれば、亮瑞和尚が羽州(出羽国:秋田・山形県)湯殿山より湯殿山権現を勧請したと記される。元々真言宗と湯殿山の結びつきは強く真言宗寺院の脇に勧請されたのも頷ける。境内社に三峯神社・浅間神社他。本殿流造、内千木、鰹木4本、手水鉢は寛政期、狛犬は明治のもの。さてこの湯殿神社は、大方の地図の上では日枝神社とされているのと、かつ県神社名鑑では旧住所の楠が山町とされているので注意が必要。ちなみに青蓮院の宗教法人登録もまだ楠が山町となっている。古和釜十字路から県道57号線に沿って北側へ進むと崖下に赤い鳥居が見える。(船橋市大穴北5-30-12)

神明神社【船橋市大穴北】

本殿は神明造、内千木、鰹木3本。神紋は「三ツ巴」。境内社に正一位稲荷大明神・子安明神あり。灯篭・狛犬は昭和のもの。旧村村。場所は県道57号線から少し奥に入った場所にあるが、神社前のバス停があり比較的わかりやすい。拝殿裏の本殿は小さいながら神明造の特徴をよく現わしている。
(船橋市大穴北5-4-1)

弁財天【船橋市大穴北】

碑文も読めない状態であったので船橋市郷土資料館に問い合わせた処、弁財天と判明。大穴バス停至近。


(船橋市大穴北6-12付近)

弁財天【船橋市古和釜町】

木戸川沿いの細い道を古和釜橋あたりからボチボチ上流へ歩いて行くと、梨畑を過ぎた道の左側、木々の茂みの中に鎮座している。さすがに弁財天らしく付近には湧水らしき水溜りと小川が流れている。この道は主要道から一本中へ入った畑の中の道で散歩中にちょっと気を付ければ見る事ができる。資料によれば、宝暦5年(1755年)のもの。
(船橋市古和釜町504北西側付近)

金比羅宮【船橋市古和釜町】

古和釜十字路を通ったことがあれば、一度は目にしているはず・・です。十字路にあるスーパーさんの敷地内に鎮座。もちろん許可を得て撮影。先祖代々もう数百年ここに座しておられるとの事。(船橋市古和釜町517)

八王子神社【船橋市古和釜町】

難解な社である。ご祭神は、天忍穂耳尊(正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊)・天照皇大神・豊受姫命・猿田彦命・稲倉魂命で、天照皇大神以下は大正期に合祀されたものであって、元の八王子神社のご祭神としては、天忍穂耳尊という事になる。天忍穂耳尊には多くの稲穂の意をなす部分もあり村の豊穣を祈念していたのかもしれない。 全国の八王子神社を見れば素盞嗚尊の御子神八柱を祀るもの(天忍穂耳尊はそのお1人)と大阪市東成区の八王子神社で孝霊天皇第8王子の稚武彦命をご祭神とする社があるのだが、本社の場合どちらの系統かは明らかであろう。旧村社で八木ヶ谷・大穴・古和釜・楠ヶ山の5ヶ村で奉祀して来た。神域が他鎮守に比べ広大である事、広域村落で祭祀して来た事や近隣に同系の神社が見られない事など特異な社の1つである。縁起には大同2年(807年)創立、古来国家平定の守護、海上安全危難除安産の守神として崇敬されると伝わる。
本殿は神明造風T字型。写真は本殿斜め後から撮ったもので正面は平入の神明造で棟持柱もある。だが後に出っ張りがあってT字型をなす。後の出っ張りに本来の本殿が納められ、平入部分は拝殿の役目をしているものか。外千木(3ヶ所)・鰹木計12本。神紋は”下がり藤”。手水鉢は文化5(1808年)戌辰歳5月吉日、灯篭・狛犬は近代のもの。境内社には天王宮・大杉神社・妙正神などあり。三山の二宮神社の七年祭りに”末息子”として参加。(船橋市古和釜町161)

子安神社【船橋市坪井町】

本殿神明造風、外千木、鰹木5本。手水鉢は明治17年、狛犬・灯篭は平成のもの。旧坪井村村内の中に鎮座している神社であるのは確かだが、極めて資料に乏しい神社で旧社格等由緒不明である。
(船橋市坪井町879)

天満宮【船橋市坪井町】

大きな馬頭観音碑のとなりにある小さな祠。かろうじて天満宮と読める。文化7年(1810年)のもの。

(船橋市坪井町763北東側付近)

道禄神宮(耳だれ様)【船橋市坪井町】

木の根元にどっしりと鎮座している道祖神。道祖神の祠としては大型なものもの。風化が進み、かろうじて11月吉日などが読取れる。資料から見て「延享元年(1744年)11月吉日 奉造道禄神宮 下総国二宮庄坪井村」と記されているもの。祠の中には花やらお餅やらが入って(お供えされて)いた。
(船橋市坪井町600西側路傍付近)

三咲稲荷神社【船橋市三咲】

当地は、江戸時代は下野牧であったようで明治2年、新政府政策により開墾され成立した。境内の碑には、「当村社は明治2年開墾創業し五穀成就村落繁栄守護の神としてこの地に鎮祭した」と見える。本殿は覆屋のため確認できず。神使(狐)は平成と大正、手水鉢は明治、灯篭は昭和と平成、鳥居は平成のもの。神紋は菊であるが15弁の菊である。
(船橋市三咲9-2)

弁天社【船橋市三咲】

木戸川へ注ぐ三咲川の最上流部付近に鎮座している弁財天。道から少し下がった場所である。覆屋内には”大弁財尊天”とあり明治8年のもの。参拝した折には、銀杏がきれいに色づいていた。
(船橋市三咲5-30付近)

仙元宮【船橋市南三咲】

ゴルフ練習場の西側、畑の中に富士塚が築かれ鎮座されている。神紋は手水鉢(大正7年)に”棕櫚団扇紋”が見える。境内には三峯神社・子安観音像あり。
鳥居と灯篭は昭和のもの。

(船橋市南三咲1-16)
 三咲開墾100年を記念して郷土のゆかりをのべ、且つ五穀豊穣と子育ての氏神仙元宮のご神殿を改築し併せて開墾当時の先駆者の方々の偉業と苦難に対し深甚なる感謝と敬意を捧げる。昭和44年10月(境内記念碑より抜粋要約)

星影神社【船橋市二和】

二和町鎮守。ご祭神は”星影神”(神社明細帳では星影稲荷)で明治2年星野氏の奉祀。上記三咲と同じく二和の町は牧の開墾を明治政府により推進、後開墾会社が設立されて具体化する。開墾会社の二和担当役員は星野清左衛門氏。この星野氏により創始されたものか。境内には神使の狐(昭和4年)があることから稲荷神社系統の社と思われる。灯篭は昭和18年と52年、狛犬と手水鉢は平成のもの。本殿は覆屋のため未確認。拝殿前の幕に宝珠紋(変わり焔宝珠?)あり。(船橋市二和西3-6-43)

神明社【船橋市高根町】

本殿は覆屋内で確認できず。灯篭は文政3(1820年)辰年9月吉日、手水鉢は慶応3(1867年)丁卯9月吉日、鳥居は大正期のもの。境内社には水神宮・熊野大権現・天王神・山王大権現・妙正大明神・道六神・子安神社・三峯神社・仙元宮(富士塚)あり。旧高根村鎮守で村社、広い境内に拝殿・弊殿・本殿があり覆屋内の本殿は神明造と見られる。この他境内には神楽殿があり、明治初期に風早村塚崎神明社(柏市)から伝わったとされ市指定無形民俗文化財となっている。また参道入口にはワラ作りの大蛇が木に掛かっているのが見える。御祭神は天照皇大神他で県神社名鑑ではこれに春日大神が加わっている。境内掲示板によれば”船橋明神”を分祀したとあり、船橋明神とは意富比神社(船橋大神宮)の事であるのだが、隣村の米ヶ崎には意富比神社が鎮座しており、なぜ高根町の場合は意富比神社では無く神明社としたのか疑問が残る。(船橋市高根町600)
 当社は、幾世の昔からかその存立は明らかでないが、江戸時代以前に伊勢明神船橋明神を分祀した古社である。古くは観行院が別当を勤めており、元文(1736〜40年)・寛保(1741〜43年)・延享(1744〜47年)の頃は部落の人たちの厚い信心を受け、地頭小栗氏(江戸時代)もこの社を尊信し、年々神供米を差し出していた。その後衰退したが明治になり名主を始め氏子も用材等を献納して現在の社殿が完成し明治10年4月落成式を行い現在に至った。御祭神は船橋明神・春日神・八幡神を祀り、御神楽は明治6年、若者達により始められ今日に伝承されている。(境内掲示板より)

熊野神社【船橋市高根町】

正面覆屋内に、正面右側に「熊野大神」、左側に「大六天神」の石祠。どちらも昭和2年9月吉日とある。参道入口から灯篭、狛犬、手水鉢と明治期のもの。その奥がまた灯篭で天保2(1831年)辛年9月のもの。さらに奥には、この社の見所である神使のカラスの石像(慶応元年(1865年)丑9月吉日)が見える。鎮座地は高根町神明社から観行院へ東側から回り込むように進みカーブミラーのあるT字路突当たりの民家の塀と塀の間の細い道を進む。(船橋市高根町1202付近)

秋葉神社【船橋市高根町】

本殿及び神紋未確認、神楽殿あり。神使の狐は明治期、手水鉢は文政3(1830年)辰年9月吉日。鳥居は昭和のもの。境内社には”力行大雷神”(村内安全軍人安寧とあり)、”愛宕大権現”他あり。本宮は静岡県浜松市にある”秋葉山本宮秋葉神社”で火之迦具土神を御祭神とする防火の神である。ちなみに境内社の愛宕権現も同様に防火の神である。鎮座地は船橋我孫子線、高根寺脇にある。(船橋市高根町1521)

神明社【船橋市金杉】

本殿神明造、外千木、鰹木3本。神紋は「三ツ巴」。手水鉢は天保6(1835年)6月吉日、鳥居は昭和53年、灯篭・狛犬に年記は見当たらず。境内社は「天照太神宮」・「金比羅大権現」・「護津(牛頭)天皇」・「聖真子大権現」他。旧南金杉村鎮守で社格は村社。境内は数回にわたる合祀等を繰り返した経緯もあるがかなりコンパクトにまとめた感がある。拝殿本殿等の木造建築物はかなり傷みが見えてとれる。(船橋市金杉2-4付近)
 明治41年に村内の八坂神社・天照神社・道祖神社・子頭神社・猿田彦神社を合祀、昭和40年に字刀根山にあった神明社と字宮前(現在地)にあった豊受神社を合祀して、旧豊受神社の地に神明社を建立したという複雑な経緯を持つ。ただしこの昭和40年合祀説(千葉県地名辞典引用)であるが神社明細帳には既に”金杉村宮前”とあり、また八栄村誌(大正期)にも”村社神明社”とあり疑問が残る。

駒形神社【船橋市丸山】

藤原新田・上山新田同様に下野牧もしくはその周辺から開墾により延宝期(1673〜81年)に成立した旧丸山新田村鎮守。御神体は馬頭観世音。境内社には妙正大明神・稲荷大明神・子守大明神・仙元大菩薩などあり。灯篭は文久(1862年)戌年11月吉日と”十曜紋”の付いた平成のものがある。
(船橋市丸山4-12付近)

道祖神【船橋市丸山】

丸山自治会館沿いの道に鎮座する道祖神。資料によれば、文化10年(1813年)11月吉日のもの。

(船橋市丸山4-12付近)

天満宮【船橋市馬込】

本殿覆屋のため確認できず。旧上山新田村の枝郷から昭和15年に分離した。神紋は「剣梅鉢」に見える。境内社に稲荷宮・三峯神社・子安鬼子母神あり。

(船橋市馬込町725)

熱田神社【船橋市旭町】    

旧後貝塚村鎮守。境内は思ったより奥行きがあって広大である。本殿流造、外千木、鰹木3本。鳥居は昭和、灯篭は明治期、手水鉢は昭和のものと、天保8(1837年)酉年12月吉日とある。境内社は古峯神社・牛頭天王社・妙正大明神などあり。御祭神は、県神社名鑑では”熱田大神”、市資料では天照大神・須佐之男神・大山咋神。
(船橋市旭町2-11)

道祖神【船橋市旭町】

旭町農業会館向いの大木の下に鎮座する。銀色の草鞋に「とげぬき地蔵」とあるのはご愛嬌。


(船橋市旭町2-1付近)

駒形稲荷大明神【船橋市旭町】

船橋啓明高校(旧船橋西高校)脇の高台と云うよりは崖の上に鎮座する。本殿内部には”正一位駒方稲荷大明神”の祠が鎮座する。下の碑文にあるように貝塚川による谷地で勾配のキツイ坂道となっており、まさに往時の苦難が偲ばれる。

(船橋市旭町2-27付近)
安永4年(1775年)に鎮座。当時下総牧に仕官している者が廃馬の払い下げを受け駄馬として使役していたが、元々健康な馬ではなくまた、この地方には破傷風菌が多く2〜3年で死亡していた。そのため途方に暮れる者が続出し、そして誰云となく馬の祟りを恐れられた。村の有志が協議し坂道で最も馬の難渋する地に馬の守護神として駒形稲荷を祀ったのが起こりである。その後、明治9年に村の代表3名が京都伏見稲荷に参り分神を辱うし(かたじけなくも)正一位駒形稲荷大明神と深く崇敬し、氏子の繁栄の御守護を賜り今日に至っている。この幾星霜の間、度々改修を行いさらにこの度社殿修復と石段を設けた。そして敬神の念篤き先祖の御意志を回顧し、また今後の御守護を祈願して茲(ここ)に誌す。(碑文より抜粋要約)

藤原神明社【船橋市藤原】

当地藤原新田は下野牧を開墾して藤原新田として延宝3年(1675年)成立した村で、開墾発頭人鈴木甚右衛門家が本姓”藤原氏”であったことに因むと云う。旧村社。本殿神明造、外千木、鰹木5本。神紋は「三ツ巴」。鳥居は昭和期、狛犬は明治期、灯篭は文久2年(1862年)のもの。
木下街道を挟んで南側には、すぐ上山神明神社の参道入口の鳥居が見える。
(船橋市藤原町3-34-16)

上山神明宮【船橋市上山町】

旧上山新田村鎮守、延宝2年(1674年)成立。本殿神明造、外千木、鰹木5本。神紋は「三ツ巴」。境内社に牛頭天王宮・三峰神社・古峯神社・稲荷大明神・道祖神等あり。灯篭は大正期のものと弘化4年(1847年)。手水鉢は文久(1862年)戌年9月吉日のもの。
境内は広大で鎮守の杜らしい風情を残す。
(船橋市上山町2-431)

稲荷神社【船橋市上山町】

覆屋内には「正一位伏見稲荷大明神」の石祠がある。手水鉢には明治45年3月とある。参拝した折には小さな幟旗が数本供えられていた。

(船橋市上山町2-297付近)