御嶽神社【八千代市八千代台】本殿流造。神紋は「三ツ巴」。手水鉢は嘉永元申年(1848年)6月吉日、鳥居は平成9年のもの。境内社には道祖神あり。境内には由来を記した記念碑があり、それによる御祭神は、国常立尊・大己貴命・少彦名命である。鳥居をくぐってL字型に曲がって本殿になる。(八千代市八千代台西9-18付近) |
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高津比盗_社【八千代市高津】不思議な神社である。高津姫(比刀jとは、藤原時平息女で当地に母と共に逃れ一生を終える。その後、地元で慕われた姫は神社に祀られた伝承が近くの「高津山観音寺縁起」に記される。しかし、当社の御祭神(多岐都比売命・大己貴尊・木花開耶姫命・北斗北辰・間宮庄五郎源高秀)には現在見当たらない。境内由緒書には明応元年(1492年)9月創立。本殿流造、境内社、稲荷神社・琴平神社など。灯篭には「別當正福寺(廃寺)」、狛犬は明治のもの。下総三山の七年祭りには「娘」役で参加。(八千代市高津294) |
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高秀霊神社【八千代市高津】江戸時代の高津領主、旗本間宮家の先祖をお祀りする。細長い参道は急な登り坂となり昇りきった場所に高秀霊神社の碑が建っており、碑には昭和41年4月吉日、高津区と入っている。碑の前には手水鉢があり、こちらは嘉永3(1849年)庚戌年9月吉日とある。高秀霊とは江戸時代の旗本領主間宮氏先祖とも伝わる。(八千代市高津1360付近) |
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弁天社【八千代市高津】正面に”弁財(天)ヵ女”とあり。天明4(1784年)辰9月吉日とあり。観音堂東隣、池の中之島に鎮座している。(八千代市高津1321北側付近) |
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道祖神【八千代市高津】鳥居の前にお供えされた「二股大根」、道祖神の特徴なのですぐに見つけられた。内部は見られなかったが資料によれば元文6年(1741年)のもの。正面を北に向けている道祖神(神社一般に北向きは少ないのだが)なので北向道祖神とも云われる。(八千代市高津655付近) |
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妙正大明神・子安大明神神【八千代市高津】左側が妙正大明神で文化7(1810年)午年正月吉日、石仏を挟んで右側が子安大明神で文化9(1812年)申年11月吉日とある。(八千代市高津688東側付近) |
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妙見社【八千代市高津】妙見社のセオリーとして千葉氏城館の鬼門方向に鎮座する。付近に千葉氏関係の城館は南東方向に高津館跡と思われる遺構が存在する。その場所が高津館とすれば、妙見社がその後、遷宮を行った(新しく鎮座したのかもしれないが)高津館の位置に疑問があるのかどちらかだろう。鳥居と神額以外の構造物は無い。(八千代市高津687付近) |
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大六天神社?【八千代市高津】陸上自衛隊習志野演習場内に鎮座している。手前の金網は演習場のもの。高津川沿いに鎮座している。八千代市の字で「大六天下」となっている場所である。神紋「三ツ巴」。(八千代市高津東1-4西側付近) |
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時平神社【八千代市大和田】時平神社は、藤原時平公を御祭神とする神社で市内4ヶ所に鎮座する。事の次第は「時平の後胤藤原諸常(師経か?)が平清盛によって東国に流され漂着する。子守神社(素加天王神社)(幕張)・菊田神社(津田沼)に同様の伝承が残っている。慶長15年(1610年)3月創立、本殿流造、神紋「三ツ巴」。境内社に古峯神社・疱瘡神・子守神・道陸神(道祖神)あり。灯篭・鳥居は大正期のもの。手水鉢は安政2卯年(1855年)のもの。(八千代市大和田793) |
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小板橋時平神社【八千代市大和田】昭和16年大和田時平神社からの分祀。境内は広く手入れが行き届いている。灯篭・狛犬などは昭和・平成のもの。本殿流造、神紋「三ツ巴」。手元のメモに灯篭・狛犬2009年8月吉日と書いている。西暦で入れていたのかなあ。(八千代市大和田311-3) |
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浅間神社【八千代市大和田】円光院敷地内に鎮座していて、墓地の脇にあると言った方が分かり易い。鳥居の奥に浅間講の碑が建立されている。この円光院は真言宗のお寺で慶長3年(1698年)前を通る成田街道(国道296号線)の開通によって当地に移ったお寺である。御本尊は地蔵菩薩。上の時平神社も円光院と同時期に整備されたか。(八千代市大和田785南側付近) |
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道祖神【八千代市大和田新田】境内の覆屋に2基、外に1基の道祖神が鎮座。覆屋内左側の道祖神は明治のもの。左側は風化が激しく判明せず。覆屋外側の道祖神は大正期のものである。鳥居の前にバス停が写っているが庚(カノエ)塚バス停と云う。(八千代市大和田新田323西側付近) |
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稲荷神社【八千代市大和田新田】本殿流造、神紋「三ツ巴」。鳥居は昭和のもので「大和田新田下区氏子」とある。灯篭も昭和10年12月のもの。本殿敷地内には稲荷大明神の祠があり寛政12(1800年)申2月吉日とある。鳥居のある参道入口から境内に入るが公民館(地図では保育所)のような建物が本殿を隠してしまっていて、もう少しどうにかならなかったのかと思う。本殿では猫がひなたぼっこをしていた。(八千代市大和田新田320付近) |
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稲荷社【八千代市大和田新田】文化12(1815年)亥年7月吉日とある。マンション駐車場敷地と思われるが、実はこの祠は通りに背を向けて立っている。正面には形ばかりの参道は造られているのだがマンション建設時にそのままの形で残されたものと思われる。(八千代市大和田新田337付近) |
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八幡神社(下区)【八千代市大和田新田】境内由緒書きには「祭神、応神天皇・神功皇后・媛神 民間では厄除け安産育児の神として信仰の篤い社である。郷中では往古より正月15日の八幡奉射には海の幸山の幸を御供えし氏子一同御神言及び謡を奉唱し、その年の無事安穏を祈願し、また10月10日の祭礼には御幣を納め玉串を捧げ神賑行事を執り行うを旧例とする。」とある。本殿流造、神紋「三ツ巴」。境内社には神明神社・古峯神社・御嶽社・天神様・金比羅様・天王様など。大和田新田は下野牧を開墾した村であるが元禄13年(1700年)頃の石高は無高で幕府領であったので、その頃以降の鎮座であろう。(八千代市大和田新田392) |
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八幡神社(上区)【八千代市大和田新田】本殿は、流造で鰹木4本と外千木あり。神紋は「三ツ巴」。狛犬・手水鉢は明治のもので、手は鷺沼(習志野市)の廣瀬音五郎のもの。境内社には金刀比羅大神・天神宮などがある。鳥居は国道296号線に面しており、細長い造りとなっている。(八千代市大和田新田1034付近) |
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道祖神【八千代市大和田新田】手前の道祖神は天明9(1789年)酉年、奥の道祖神は安政6(1859年)未年のもの。天明9年の道祖神には2月吉日と入っているのだが、実は天明9年は1月25日に次の寛政に改元されてしまっていて実在しない年記となっている。場所は焼肉屋さんの駐車場入口に鎮座。(八千代市大和田新田73) |
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神明神社【八千代市大和田新田】神明造の本殿に内千木、鰹木5本、棟持柱あり。神紋は十二葉菊を使用している。千葉県神社名鑑によると、御祭神は「神明大神」になっている。境内社は仙元神社他。鳥居脇には平成8年の移築記念碑が建っている。大和田新田開発以降に伊勢講から発展したものか。(八千代市大和田新田963) |
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仙元宮・足尾山大権現【八千代市大和田新田】資料によれば左側は仙元宮(判読できず)、嘉永7(1854年)もの。右側は足尾山大権現で万延元年(1860年)申10月吉日とある。仙元(浅間)社と足尾社の取り合わせも面白い。(八千代市大和田新田186中央消防署富士塚頂) |
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庚申様【八千代市大和田新田】鳥居奥に延宝2年(1674年)と昭和の2基の庚申塔がある。神額にある”庚申様”はめずらしい。鳥居は平成8年のもの。(八千代市大和田新田186中央消防署前) |
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稲荷神社【八千代市萱田町】明治44年の稲荷神社の祠。国道296号線市役所入口交差点、東北角のお店の前の木の下に鎮座している。(八千代市萱田町587付近) |
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時平神社【八千代市萱田町】本殿流造、青い甍の本殿はめずらしい。神紋「三ツ巴」。元和元年(1615年)創立。狛犬は明治39年、灯篭は明治・昭和・平成とある。萱田町は大和田宿を形成していた一村であったが大和田宿の発足は佐倉藩主土井利勝の時代とも云われるが不明。既に文禄4年(1595年)の文書に「大わた」と見える。成田街道沿いの高台に鎮座しているところから、その頃の鎮座としても頷ける。下総三山の七年祭りには「長男」役で参加。(八千代市萱田町947) |
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弁天宮【八千代市萱田】上記水神宮の隣に鎮座する弁天宮。鬼瓦に「兵」、鬼紋には「長」の文字が使われている。江ノ島神社(辺津宮)境内の奉安殿には八臂弁財天と妙音弁財天が祀られており、それを模して勧請されたものなのかもしれない。(八千代市ゆりのき台1-9付近) |
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御嶽神社【八千代市萱田】中央の青い大きい石が御嶽講の碑で明治のもの。その右前に見えるのが大瘁i大杉)大明神の祠である。Y字路に背を向けた本殿の造りもめずらしい。(八千代市萱田1143付近) |
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熊野神社【八千代市萱田】木製の素朴な鳥居の奥に流造の本殿がある。神紋は「三ツ巴」。境内社には古峯神社・榛名大明神・三峰神社など山岳系の社が並ぶ。めずらしいところでは「摩利支天宮」などがある。熊野神社は八千代市内でよく目にする神社の一つである。(八千代市萱田1111南側付近) |
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時平神社【八千代市萱田】場所柄から見て近世以降に鎮座したものと思われる。古峯神社・仙元神社などがある。鎮座している場所は萱田下公会堂の敷地内で、他に庚申等など多数の祠が祀られている。時平神社は、八千代市内4ヶ所のみに鎮座している神様ある。藤原時平・高津姫・十一面観音とそれなりの伝承と共通項目が何を意味するものなのか興味が尽きない。(八千代市萱田1104) |
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道祖神【八千代市萱田町】鳥居の奥の覆屋には道祖神の祠3基が鎮座。賽銭箱には剣のような紋が入っている。この道祖神は北向きとまではいかないが、鬼門方向(北東方向)に向いて鎮座している。(八千代市萱田1104北東側付近) |
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飯綱神社【八千代市萱田町】文明11年(1479年)、享徳の乱によって太田道灌が臼井城攻略のために布陣した事が始まりと伝わるが、米本城落城伝承とは時代が合わない。御祭神は宇賀之御魂で稲荷神と同神である。本源は長野県飯綱山の修験道とされているが、現在では衰亡している。別当は真言宗豊山派の萱田長福寺であるが、かつて飯綱大権現として関東で有名だったのが高尾山薬王院(御本尊:飯綱大権現)で、こちらも真言宗智山派である。この豊山派と智山派の分裂は江戸初期頃なので、かつて両寺が同宗同派であった可能性もある。ともあれ近郷には見られない三間社流造の巨大な本殿と粋を凝らした鐘楼や玉垣など八千代市西部の横綱級の社であることには間違いない。飯綱神社は稀な神社で近在では佐倉市吉見と白井市谷田に見られる程度である。(八千代市萱田476) |
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雷神社【八千代市麦丸】本社は、市内近郷でもあまり見かけない社である。鎌ヶ谷市に「雷電」と刻まれた祠がある。自然神である雷を祀る火雷(ほのいかづち)神系と賀茂氏系の賀茂別雷命系があるが、下記日枝神社内にも大雷神社が祀られているので詳しくは日枝神社で述べる。避雷の神から転じて、順雨をもたらし豊作の神に、雷が「火」に係わることから飲食・製造業・消防関係など幅広い業種に対応する。祠側面に昭和31年4月吉日と願主名あり。(八千代市麦丸1374付近) |
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日枝神社【八千代市麦丸】本殿流造(覆屋根あり)、。神紋「三ツ巴」。狛犬・灯篭は明治と平成のもの。手水鉢は万延元庚申(1860年)歳9月吉時日とある。境内社には浅間神社他、石碑には日枝神社・大雷神社・熊野神社とある。千葉郡誌によれば、創建は文武元(697年)年9月9日。日枝神社の御祭神、大山咋(おおやまくい)命は、元来「比叡(日枝)の山」の神であるが賀茂氏祖、賀茂別雷命の父神とする説もあり、また大山咋命の祖父は素戔鳴(すさのを)尊で熊野神社の御祭神となる。麦丸地区に鎮座する日枝神社・雷神社・熊野神社は、昔人が考えた緻密なネットワークなのかもしれない。(八千代市麦丸1336) |
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熊野神社【八千代市麦丸】妻入り型の覆屋本殿である。神額には「熊野宮」とある。神紋は「三ツ巴」、手水鉢は昭和54年のもの。本殿脇に昭和55年の願主名など記した説明文が掲げられている。こじんまりとした社だが手が行き届いていて、清々しい。(八千代市麦丸950南側付近) |
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道祖神【八千代市麦丸】石積の台の上に祠が鎮座している。素朴な鳥居が構えている。参拝した折には二股大根が供えられていた。場所は、日枝神社のすぐ斜向かいに鎮座している。(八千代市麦丸1152南側付近) |
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稲荷神社【八千代市桑納】覆屋の中には座像と神使の狐が一対置かれている。神使が狐の場合、飯縄神も考えられるが、覆屋の下の祠の蓋には「宝珠」らしき穴が開いていること、鎮座地西側の字名を「稲荷台」と云うとの事から稲荷神と推定した。(八千代市桑納400北西側付近) |
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疱瘡神【八千代市桑納】上記稲荷神社の横に鎮座している。祠には「疱瘡之神」とある。昭和54年2月吉日 桑納区とある。この場所は薬師堂境内と思われ、標識には「桑納字中郷402番」とある。(八千代市桑納400北西側付近) |
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道祖神【八千代市桑納】延享5(1748年)戊辰2月吉日とある道祖神。覆屋の中で冬の日差しを浴びながらひっそり建っていた。鎮座しているのは睦小学校の南側を東西に走る道路沿いにあるのだが、ここは桑納・桑橋・島田台の住所が入組む所である。(八千代市桑納18西側付近) |
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妙見社【八千代市桑納】本殿流造で昭和55年に再建。神紋は「七曜」と「三ツ巴」。境内社は金比羅宮と八幡宮。灯篭は2対で小さい方が嘉永2(1849年)酉年、大きい方が昭和のもの。狛犬は明治期のもので鳥居は昭和50年12月吉日とある。御祭神は、天御中主(あめのみなかみぬし)尊、中世千葉氏の妙見信仰は有名であるが、千葉氏宗家の家紋は「月星」・「九曜」であるので「七曜」を使用している本社は支流であった人物の可能性もある。付近には「妙見社」は多いが、大部分は鎮守に合祀される場合が多く、独立した社を保っているのは稀である。(八千代市桑納99) |
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神明社【八千代市桑納】かろうじて立っている木造鳥居から北側に参道が延びている。覆屋の中に神明造風本殿があり祠が鎮座している。祠には昭和54年12月吉日 桑納区とある。八千代市東部に比べ西部には神明社が濃密に分布する。(八千代市桑納120北側付近) |
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熊野神社【八千代市桑橋】本殿は流造だが、かなり凝った造りとなっている。庇部分は唐破風になり庇角柱には獅子面が付いている。灯篭は平成、狛犬は明治と昭和のもの。手水鉢は文化4(1804年)2月とある。本殿は平成8年に改修工事を終えた。覆屋の裏には、大きな矢が2本、供えてある。狩股矢には鶴と「福 寿 上棟」とあるので改修工事の際に奉納されたものかもしれない。手入れの行届いた良い社である。さてこの熊野神社は、全国に約3,000社以上はあるが特に桑納川一帯に濃密に分布する社である。千葉郡誌に、吉橋城主 吉橋丹後守胤俊が建治年間(1275〜1278年)に熊野三社を建立したとの伝承が船橋市楠が山町に残っている。(八千代市桑橋910-2) |
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熊野神社【八千代市桑橋】周溝には水が張っており、当初は湧水地に鎮座されている水神宮かと思ったのだが、祠には「熊野神社」の護符がある。熊野大社の1つである熊野那智大社は「滝」を御神体としているので不思議ではないが近隣では見られない。熊野神社の分布が濃密な桑納川流域ならではの風景か。(八千代市桑橋833南側) |
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大宮神社(島田大宮神社)【八千代市島田】本殿流造、神紋は「三ツ巴」。大正5年に庚申社・大六天社・妙見社・水神社を合祀する。御祭神は、千葉県神社名鑑では「大宮神」、千葉郡誌では「天照大神」としている。境内社に古峯神社・津嶋神社がある。新川西岸の台地上に鎮座しているが大宮神社から東側の妙泉寺の舌状地一帯は中世城郭遺跡の島田城跡となっている。(八千代市島田1140) |
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子安大明神【八千代市島田】小型の鳥居(平成20年1月建立)の奥に本殿があるのだが、本殿前には花生けが設置されていて神仏混淆の名残が感じられる。(八千代市島田220付近) |
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水神宮【八千代市島田】この水神宮は江戸末期文政年間(1818〜1829年)に祀られたと言い伝えられております。湧き出る池水は、地域水田の灌漑用水源として広く利用されました。さらに区民の守護水神として信仰崇敬され、飲用すると病も回復すると、区民はもとより近郷近在から集まり幻名水として愛飲されました。(境内記念碑より抜粋)(八千代市島田60北側付近) |
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道祖神【八千代市島田】祠には「南無道祖神」と刻まれる。資料によれば安永5年(1776年)のものである。南無妙法蓮華経を唱える日蓮宗の影響と思われ、近くの長唱寺もまた日蓮宗である。鳥居は平成15年12月吉日とあり。(八千代市島田1004南側付近) |
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島田台神明神社【八千代市島田台】天照大御神をお祀りする。本殿流造り。境内社には仙元宮・稲荷神社などが鎮座する。本殿は、公民館裏手にあって正面からでは分からないようになってしまっていて、境内にある阿夫利神社の記念碑が目立つので地図によっては阿夫利神社とされてしまっている。(八千代市島田台1052) |
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道祖神【八千代市島田台】島田台神明神社鳥居から道路を挟んだ向い側、長唱寺境内に鎮座する。資料によれば明和2年(1765年)のもの。幕には「三ツ巴」の紋あり。(八千代市島田台848-2) |
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天満宮【八千代市島田台】道に面して小型の鳥居が立っているが、森の中へと参道を進むと覆屋の中に天満宮の祠が鎮座。資料によれば寛政元年(1789年)のもの。鳥居には昭和58年7月吉日と願主名。手水鉢には安政6(1859年)未年正月吉日とある。(住所特定できず、桑橋熊野神社東側) |
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稲荷大明神【八千代市島田台】宝暦13年(1763年)癸未10月吉日とある。秀明高校入口の庚申塔群の中に鎮座している。この県道61号線(船橋印西線)は、トラックなどの交通量も多いのだが、ゆっくり歩いて見ると、あちこちにこのような庚申塔や祠があって楽しめる。(八千代市島田台732北側) |
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水神宮【八千代市吉橋】吉橋の大師堂内に鎮座する。昭和13年9月28日と願主名が見える。(八千代市吉橋724南側付近) |
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鷲宮【八千代市吉橋】吉橋の貞福寺境内に鎮座する。本殿脇には「一力大明神」の碑がある。天日鷲命系か天穂日命系?(八千代市吉橋804) |
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駒形大明神【八千代市吉橋】安永7(1778年)戊9月吉日とある。墓地内に鎮座、御祭神は不明。(八千代市吉橋1289北西側付近) |
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名称不明社【八千代市吉橋】船橋印西線から貞福寺に入る辻に鎮座する。付近の商店はお休みで、通りがかりの御婦人にも伺ったが分からないとのことであった。八千代市保存林4号の看板あり。(八千代市吉橋1348南側付近) |
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弁天宮【八千代市吉橋】高本農業協同館北側の池に鎮座する。覆屋の中には石像と「平成12年3月吉日建之」との台座が見える。池のフェンス越しに朱色の鳥居が目を引く。(八千代市吉橋2640付近) |
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八幡大神・水神【八千代市吉橋】上の弁天宮の池の脇に鎮座する左側が八幡大神で昭和44年11月17日とある。右側の祠は水神宮、風化が激しく年期は申年しか読取れなかった。吉橋地区は他地区に比べ「八幡神」の分布が濃密である。 (八千代市吉橋2640付近) |
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大杉神社【八千代市吉橋】通りに面した素木の鳥居をくぐり参道を左に曲がると本殿が見える。雑木林と藪に囲まれた静かな社である。本殿左には安永4(1775年)未2月吉日と入った稲荷大明神の祠が鎮座している。(八千代市吉橋2130付近) |
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浅間神社【八千代市吉橋】八千代西高校の東脇にあって朱の鳥居が目を引く。境内には浅間大神の碑がある。また移転記念碑も建立されていて大体の経緯が想像できる。明治時代初期に湯浅氏が講を初め大正11年7月に当地に遷座。その後、境内地が売買されたが昭和62年に落着いた様子である。(八千代市吉橋2409付近) |
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古峯神社【八千代市吉橋】本殿内部に古峯神社の木札が見える。手水鉢は明治27年5月吉日とある。境内外左には「妙法霊神」の祠(昭和39年8月吉日)が鎮座する。妙法霊神は日蓮宗系である。(八千代市吉橋2670北西付近) |
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稲荷大神【八千代市佐山】眼下に神崎川を見下ろす舌状地の先端付近に鎮座しており北側の印西方面への見晴らしは抜群である。神崎川に沿ったサイクリングロードから鮮やかな朱色の鳥居が見える。通り沿いに「稲荷大神参道入口」と碑が建っているので参拝させていただいた。(八千代市佐山138付近) |
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道祖神【八千代市佐山】中央三柱は風化していて正面は読めない。かろうじて右から2番目の道祖神(と思われる)の側面に文化7(1810年)9月吉日と見える。一番右側には陽石を模った双体道祖神。ちんまりとした、まるで箱庭を見ているようなミニチュア道祖神群で、今まで見たことが無いほどめずらしい。(八千代市佐山2082付近) |
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水神宮【八千代市佐山】八千代市佐山としているが、厳密には印西市船尾の飛地になるらしい。神崎川右岸のサイクリングロード脇に鎮座している水神宮。左側は昭和12年10月、右側は風化が進み「和4年亥年」しか読めなかったが、元号の下が「和」で亥の年は明和4年(1767年)しかない。(印西市船尾) |
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道祖神【八千代市佐山】北向の道祖神。中央双体の道祖神は昭和60年4月、その他に百社道祖神 嘉永6(1853年)3月吉日など鎮座される。記念碑には「昭和60年4月、道祖神の御神木さくらの木、八千代市より永年保存樹33-3.樹齢三百余年幹周3mに指定されると同時に佐山熱田神社に合祀する。地主の同意を得て道祖神の改修工事着工落慶す。佐山区長」とある。(八千代市佐山1818北側付近) |
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熱田大明神【八千代市平戸】旧村社、本殿入母屋、神紋「三ツ巴」、ご祭神は日本武(ヤマトタケル)尊。狛犬は明治時代、灯篭は大正と昭和、年期不明の3対。手水鉢は文化10(1813年)8月のもの。境内社には稲荷大神・八幡大神・駒形大神・白山宮などあり。(八千代市平戸288) |
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道祖神【八千代市平戸】右側の小さい祠は明治13(1880年)年辰9月吉日、左側の大きい祠は文化3(1806年)寅歳のもの。この道祖神の向いにはずらりと庚申塔が並んでいる。(八千代市平戸69付近) |
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水神宮【八千代市平戸】公園の中に白い鳥居が建っているので、ちょっと面食らうが鳥居の先、茂みの中に大型の祠が、その右側には小さい祠が鎮座している。嘉永6(1853年)年癸正月吉日とある。鳥居は平成3年4月吉日。かつては湧水などがあったのだろうか。(八千代市平戸679付近) |
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廣明稲荷大明神【八千代市大学町】木の根元、いや根っこの上に鎮座し道に背を向けている何とも不思議なお稲荷様。祠には願主名と「大正御即位式記念」とあるので大正4年(1915年)は間違いなさそうだ。 (八千代市大学町5-12-8東側 第二緑地東端) |
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水神宮【八千代市大学町】水神宮の碑文には昭和9年3月と刻まれる。掲示板によれば、鎮座している熱田池(熱田ヶ池)は昭和9年までは小さな清水で地元の方の手により広げられた人工の池であると云う。元々その清水に水神がお祀りされていたのか、新たに鎮座されたのかは定かではない。 (大学町5-1858-4熱田ヶ池公園内) |
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水天宮【八千代市大学町】スイレンの葉が浮かんでいる池に鎮座する水天宮。側面には昭和61年2月とある。場所は体育館の北側のバス通りに面しているので目には止まり易いのだが、問題は住所で、道を挟んで真木野になるが地図によっては道の真中が境界ではないために大学町か真木野か微妙であった。しかし昭和61年と新しいことと、池自体も大学町の造成によって新たに整えられたようでもあるので大学町とした。(八千代市大学町1北側付近) |
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真木野神明神社【八千代市真木野】天照大御神をご祭神とする。本殿流造、外千木、鰹木5本。灯篭は昭和62年4月吉日。鳥居は昭和49年10月吉日。鳥居の後側には以前の古い鳥居の台座部分だけが残っていた。境内社には、天満宮・駒形神社他1社あり。(八千代市真木野234) |
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道祖神【八千代市真木野】上記真木野神明神社と道を挟んで鎮座する道祖神。昭和54年11月吉日とある。(八千代市真木野235付近) |
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三十番神【八千代市神久保】神久保(いものくぼ)の東福寺の隣と言っても、すでに敷地内と思うほど。東福寺が日蓮宗のために、その影響で三十番神を祀っているかもしれない。本来、神社名鑑に記載されている神久保神明神社を探したのだが見当たらず、同住所らしき場所に本社が鎮座している。(八千代市神久保109付近) |
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天満宮【八千代市小池】鳥居の後側にある樹木のさらに後に本殿がある。鳥居は平成12年12月吉日、手水鉢は明治のもの。真木野・小池のような古い土地はゆっくり歩くと色々な発見があって面白い。中世には臼井庄神保郷に属する由緒ある土地である。(八千代市小池526付近) |
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小池安房神社【八千代市小池】創建年代不明。代々、浅野家の氏神で明治に入り小池地区の産土鎮守社と定められた。以後、区民の守護神として崇敬を享け今日に至る。本殿、流造、神紋は「三ツ巴」。狛犬は明治、灯篭と手水鉢は天保14(1843年)年癸卯11月とある。境内社は祇園牛頭天王社・古峯神社。ちなみに西隣の船橋市小野田町にも安房神社は鎮座している。(八千代市小池463) |
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