下総の神社   <八千代市の神社 東部版>

 八千代市は市域が広いため、新川を境に東西に分けました。西部版はこちら
この東部版は、保品・神野・米本・村上・上高野・下高野・下市場・勝田・勝田台の社を掲載しています。

根上神社【八千代市村上】

全長50mの前方後円墳(根上神社古墳)のくびれ部に鎮座している。御祭神は、大己貴尊をお祀りする。狛犬は昭和55年のもの。境内社に菅原神社・子安神社・水神社・金刀比羅神社・稲荷神社がある。ただ、印旛郡誌には境内社に「水神社」は無く、その代わりに猿田大神と守夜神(布留魂命)が入っている。個人的には「布留魂命」に注意を魅かれる。場所はジョイフル本田資材館の裏手。(八千代市村上2698)

神明神社(お伊勢さま)【八千代市村上】 

神明社とは、伊勢神宮の御分祀の社のことである。そのため本殿は神明造に似て内千木、鰹木4本、外側には棟持柱も見える。祠には「天照大日霊尊」(霊の文字は環境依存文字のために代用使用した)とある。参道入口から細長い公園内の道を一度下ってから、また昇って公園奥に鎮座している。八千代市内東部(新川より東)では唯一の神明社か。
(八千代市村上1648)

浅間神社【八千代市村上】 

”せんげんじんじゃ”と読む。静岡県富士宮市本宮の浅間(せんげん)神社を勧請した神社。また山梨県一宮に鎮座する浅間神社は”あさまじんじゃ”と読む。双方共に各国一之宮でご祭神も木花之開椰耶姫命である。境内には天保13年(1842年)11月吉日と刻まれる胎内碑、手水鉢は明治期のもの。新川東側台地上にあり、奥宮である富士山を眺めることができるのかもしれない。(八千代市村上2819)

厳島神社(弁天さま)【八千代市村上】

ご祭神は、市寸島姫命で宗像三女神のお一人であり、有名な安芸国宮島に祀られ厳島神社のご祭神となる。また神仏混淆により弁財天と同一視されて水の神と様にもなっている。鎮座しているのは新川沿い低地でさらに一段低い場所にあるのだが、元々は湧水などが出ていたのだろう。鳥居は大正15年(昭和元年)、手水鉢には元治元年(1864年)甲子4月吉日と願主名が入っている。場所は正覚院南側の道を挟んだすぐそばに。(八千代市村上1522)

厳島神社(起木弁天さま)【八千代市村上】

上記厳島神社とは、京葉高速鉄道を挟んで南側に鎮座する。fururuからR16を挟んだ向い側と云った方が分かり易そう。マンション群の中にひっそりと鎮座する。鳥居の右の柱前には正方形の大型の手水鉢があり、風化が激しく読み取り難いが文化9年(1812年)のもの。ここも水神らしく一段低い土地となっている。弁天様が境内の倒れた樹木を起こしたと云う伝承があり「起木弁天」とも称される。(八千代市村上2950)

八坂神社【八千代市村上】

正面鳥居が八坂神社、左の鳥居が金毘羅宮である。静かな住宅地にちんまりと鎮座している。個人的にとっても好きな社である。
(八千代市村上1280付近)

子守神社【八千代市村上】

鳥居奥の社には2基の祠が鎮座しており、子安大明神は延享2年(1745年)のもの、その隣には愛染明王は、寛政5年(1793年)と刻まれている。愛染明王は愛欲の神であり、子安大明神は、その名の通り子育ての神であって、子供に関してワンパッケージになっている社と云えよう。いつの時代も、子授けと健やかな成長を願う気持は変わらない様である。場所は郷土博物館隣。(八千代市村上1170付近)

道祖神社【八千代市村上】

八千代市内では、大中型の道祖神の祠に鳥居を備えた「道祖神社」をよく見かける。これは白井・鎌ヶ谷市内ではほとんど見られない社の形式である。資料によれば文化3(1806年)年8月吉日とある。御祭神は猿田彦命。(印旛郡誌)
場所は宮内バス停のすぐ近くに鎮座。
(八千代市村上389付近)

七百餘所神社(しちひゃくよしょじんじゃ)【八千代市村上】

当神社は第91代の後(原文「御」)宇多天皇の弘安年中(1278-1288年)の創立御鎮座にして明暦3年(1657年)10月9日社殿を造立、宝永2年(1705年)改造。従古七百余所大明神と称し来りしが明治元年七百余所神社と改め、現本殿は明治16年、拝殿は明治32年に建設され今に至る。御祭神:国常立尊(神代七代の第一代の神)(境内掲示板より抜粋要約)灯篭は文化2年(1805年)9月吉日、手水鉢は宝暦5年(1755年)11月吉日。本殿流造で神紋は「月星」と「九曜」、境内社に足尾神社・祓戸神社・古峯神社・疱瘡神等あり。米本城主村上氏の氏神とも、永禄元年(1558年)民部大輔清綱の代に落城、以後近在の鎮守になったと云う。七百餘所神社と呼ばれる社はこの他には無い。初詣には賑わいそうである。(八千代市村上433)

子神神社【八千代市村上】

新川東岸台地下の崖下に鎮座している。鳥居は平成9年。参道の左に鳥居の建設記念碑があるのだが、その寄付者名簿の中に上記の七百餘所神社が入っており、七百餘所神社の境外末社なのかもしれない。印旛郡誌によれば、御祭神は大己貴命。鳥居から参道奥に見える赤いのが本殿であるのだが、参拝した折には参道にまではみ出したゴミが大量にあって雰囲気をブチ壊しにしていた。
(八千代市村上530付近)

台町稲荷神社【八千代市村上】

本殿流造、幕には「抱き稲」と「稲荷宝珠」の神紋が入っている。公民館らしき建物の間にキッチリと鎮座されているお稲荷様である。国道296号線沿いに鳥居があり参道があるのだが、例の公民館が参道上に建てられていて本殿はその裏にある形となっている。境社には天神社他あり。
(八千代市村上4479付近)

八坂神社(天王さま)【八千代市下市場】

旧村社。鳥居は明治31年4月、手水鉢は文政9(1826年)戌年6月吉日とある。境内社には金刀比羅宮。子安大明神他あり。場所は国道296号沿いに鎮座しているのだが、ここから国道16号線は挟んだ西側500m位に下記の白籏神社・高産霊神社、上記の稲荷神社などが多くの社が鎮座している。
(八千代市下市場1-1-24)

白籏神社【八千代市下市場】

白旗神社の白旗とは源氏の旗印「白幟」に由来する。御祭神は、源氏の氏神である誉田別命(応神天皇)であり、ちなみに一般的な八幡神社の御祭神と同一である。
神紋は「三ツ巴」。
場所は国道16号線と成田街道交差点西側に鎮座。(八千代市下市場2-7-15)

高産霊神社【八千代市下市場】

平成21年10月に参拝したのだが数日前の台風によって境内の樹木が倒れ、本殿を損壊してしまった様子である。鳥居には昭和63年8月吉日と刻まれている。
(八千代市下市場2-7-17付近)

米本神社(妙見さま)【八千代市米本】

旧村社、旧来妙見尊と称したが明治元年、米本神社と改称した。御祭神は天御中主尊。その他境内社には疱瘡神社・天満天神社・三峯神社・白籏神社他が鎮座している。神紋は九曜であるが、灯篭には月星紋が入っている。本殿流造、狛犬・灯篭は平成のもの。米本城鬼門に鎮座する妙見神であるが、築城の際に鬼門方向に妙見神を鎮座させるのは千葉氏の定石とも言える。(八千代市米本1641)

大瘻蝟セ神他【八千代市米本】

写真の左側屋内に3基の祠。右側から大瘁i杉)大明神・石尊大権現・金毘羅大権現で共に弘化3年(1846年)のもの。右側屋内は板碑があり「咳の神様」として祀られていると云う。参拝した折には、各祠に「のどアメ」が供えられていた。
(八千代市米本城址内)

厳島神社(旧弁財天)(八千代市米本)

中央本殿脇に小型の弁財天の祠(大正3年)が鎮座している。以前は鳥居・灯篭は無かったのだが鳥居には平成22年2月吉日とありリニュアルされた様子。場所は新川に架かる城橋東側すぐそばの垣根に囲まれている所である。
(八千代市米本1785付近)

御嶽神社【八千代市米本】

御嶽には「おんたけ」と「みたけ」の2流がある。「おんたけ」と読むのは長野県王滝村に鎮座する社で奥宮は木曽御嶽山であって国常立尊・大己貴命・少名彦命をお祭りする。「みたけ」と読むのは武蔵御嶽神社(東京都青梅市)で、こちらは櫛真知命・大己貴命・少名彦命をお祭りする。本社は、本殿裏の塚上に「国常立尊・大己貴命・少名彦命」の碑があるので「おんたけ神社」と云うことになる。境内社は、大瀧大神などあり。手水鉢には明治32年とあり。山岳系神社の常なのだが急な崖上に鎮座しているので舌状地北側の参道から急な階段で参拝する事になる。境内からの眺めは最高で眼下に新川流域を望む。(八千代市米本176付近)

浅間神社【八千代市米本】  

上記御嶽神社から北に200m程の台地上に鎮座している。参道入口の鳥居から登ると立派な本殿が見えてくる。縁起を記した碑もあり、それによれば「弘化年間(1844-1847年)に米本割菱講として発足、嘉永元年(1848年)にお祭りせし者とあるので江戸末期の創建であろうと思われる。割菱講とは不二割菱講とも呼ばれ、富士山の山マークの下に武田菱の紋がある。境内社には藤森稲荷・内守稲荷他あり。(八千代市米本1514付近)

乳清水浅間神社【八千代市米本】

普通、湧水などでは厳島神社や弁財天など水利系の神様が結びつくのだが、ここでは山岳系の浅間神社が鎮座している。縁起によれば湧水は干ばつでも涸れる事なく湧出し、それを富士山麓の忍野八海に例えている。嘉永元年(1848年)お産の神として祭られ、子供が生まれると清水を戴き、おかゆを作り産婦が乳の出るよう食させるは今なお伝えられている。鳥居は平成3年。神紋は「三ツ巴」。ホタルの里入口に鎮座。(八千代市米本1517西側付近)

天満宮【八千代市米本】

印旛郡誌にある天満天神社が本社か。御祭神は菅公霊。国道16号線外回り側、本殿後側は道路に面しているが参道入口は一段低い畑の中にある。
私有地内と思われるので参拝せず。
(八千代市米本2006付近)

道祖神社【八千代市米本】

境内は鬱蒼として暗く、荒れが目立って来ている。記念碑も建立されてはいるが苔生して読み難い。本殿他にも道祖神の祠がある。灯篭・手水鉢は明治期、狛犬・鳥居は昭和のもの。
場所は、米本地蔵墓苑南側に鎮座する。
(八千代市米本2610付近)

米本稲荷神社【八千代市米本】

境内案内板によれば、「享保年間(1716-1736年)に鎮座、寛政期と慶応期に再建された」とある。本殿他市指定有形文化財に指定されている。本殿うらには「正一位稲荷神社」の石碑。手水鉢は慶応4年(1868年)(明治元年)、境内に稲荷神社の祠、神使の狐が多数寄進されている。一間社の本殿であるが、さすがに文化財にしていされるだけあり彫刻は一見の価値あり。御祭神は、稲倉魂命,大己貴命,太田神,大宮姫神,保食神で一般的に稲荷五神とされているものである。(八千代市米本2424)

道祖神【八千代市米本】

大きな樹木の根元に鎮座する道祖神。トトロでも住んでいそうな雰囲気。私の好きなロケーションでもある。鎮座している場所は運送屋さんの脇の道路沿いにあるのだがパンチの効いた鳥居で見逃す事はまず無さそう。
(八千代市米本1288付近)

日宮神社【八千代市米本】

千葉県神社名鑑によると「ひのみやじんじゃ」と読む。御祭神は大日霊尊。鳥居と手水鉢は昭和のもの。但し手水鉢は隅に古い小型のものがあるが年代等は読取れず。(資料によれば嘉永と慶応がある)この社の本殿は写真のように逆水集会所の中にあると云う、ちょっとめずらしい形式を持っている。実はこの社への入口が分からずに、付近の御婦人に道を尋ねると「中に入りますか?」と聞かれた。境内内の事かと思っていたのだが、集会所の中の事だった。(八千代市米本1278)

水神社【八千代市米本】

印旛郡誌によれば「罔象女命」(ミズハノメノミコト)を御祭神とする。字のごとく水神であるがこれまでの様に低地ではなく階段を上った台地上に鎮座する。御神名の「ミズハ」に付いては「水走る」・「水這う」と云う意味があり、これは、湧水井戸等の他に「灌漑に使用する水」の意でもあると云う。つまり台地上から新川低地の水利を見守る神様と理解したい。境内には昭和4年の「雨乞記念」の手水鉢が残る。(八千代市米本1423付近)

熊野神社【八千代市神野】

御祭神は、伊弉諾(イザナギ)尊・伊弉冉尊(イザナミ)尊。参道階段を昇った処に二ノ鳥居(小型木造両部型)がある。旧神野村鎮守。手水鉢には天保2(1831年)卯年2月吉日とある。本殿流造。境内社には稲荷神社他。(八千代市神野750)

熊野神社【八千代市神野】

上記熊野神社と共に同地域に2社鎮座している。神野地区は、中央を県道4号線が南北に通りちょうど東西に分割する形となっているために、東部に鎮座する上記の熊野神社を西部のこの地に
分祀したのかもしれない。資料によれば祠は大正期のもの。手水鉢は「天保8年半兵エ」とタイムラグがあるが、印旛郡誌には記載が無い為、大正頃に分祀されたか。竹林奥に参道が伸び、奥に祠が鎮座している。スズメバチ注意!(八千代市神野1035付近)

子之神神社【八千代市神野】

お賽銭箱に「向合ったネズミ」が描かれている。一般的に子之神神社の御祭神は大国主命である。ちなみに神使は「ネズミ」。主要構造物は大正期〜昭和のもの。但し、古い手水鉢のみ天保12年(1841年)富士11月とあるのでちょっと微妙。北側参道からだと階段を昇る事になる。(八千代市神野715南側崖上付近)

石神宮【八千代市神野】

新しい鳥居は平成21年6月、奥にこれも新しい祠が鎮座。脇には天保13(1842年)年壬寅12月の小型の祠、正面に「石神宮」。場所は上記 子之神神社のすぐ南側。

麻賀多神社【八千代市神野】

                   参照→   

道祖神【八千代市神野】

四つ辻の森にひっそりと鎮まる社。参道奥にはひっそりと祠が建っている。
このようないい雰囲気の社には蛇足だが鳥居は平成7年4月吉日とあり。
(八千代市神野803南側付近)

氏神様【八千代市神野】

小型の鳥居と手水鉢だけのシンプルな造り、神額の「氏神」にパンチが効いている。
既に数百を超える神社を見てきたが、ここまでパンチの効いた社は少ない。
(八千代市神野773付近)

水神宮【八千代市神野】

印旛沼サイクリングロード脇に鎮座していて非常に目立つ社である。鳥居には平成8年2月吉日神野区とある。白い鳥居と祠、丸い手水鉢が青い空に映える。明治期の水神宮の祠も見える。
(八千代市神野サイクリングロード沿い)

香取神社【八千代市保品】

本殿、流造。神紋は「三ツ巴」。灯篭・狛犬共に天保15年(1844年)甲辰9月吉日、手水鉢はは嘉永4(1851年)辛9月とある。境内社には子安神社・水神社・妙見社・大杉神社他、広い境内にきちんと鎮座している。千葉県神社名鑑によれば御祭神は「経津主命」、印旛郡誌には由緒不詳とある。保科地区鎮守。(八千代市保科812)

天満天神社【八千代市保品】

御祭神は「菅相」、つまり菅原道真公である。朱色の鳥居に平成6年1月吉日と書かれている。本殿は写真の通りロープで固定された状態になっている。
(八千代市保品960付近)

道祖神【八千代市保品】

Y字路に小さな鳥居、奥に祠が鎮座するも読取れず。通りがかりの御婦人に尋ねたが判らないと言う。資料等から道祖神と判断。鳥居右側十九夜塔がある。場所は少年自然の家の駐車場入口あたり。
(八千代市保品1065付近)

上高野稲荷神社(今村稲荷))【八千代市上高野】

文久2年(1862年)佐倉藩は上高野原野の開墾を実施した。代官であった今村省吾義則は幕末から明治にかけての混乱期に帰農した人々の生活安定に尽力した。人々は省吾の徳を偲び、代官所跡の鎮守に屋敷神でもあった稲荷神社を合祀した。(境内縁起碑より要約抜粋)
灯篭は昭和63年、鳥居は平成16年、手水鉢は大正期のもの。(八千代市上高野1151付近)

白幡神社【八千代市上高野】

印旛郡誌では「白籏神社」と記す。鎮座する字名が白幡で白幡と称するのか。旧村社、御祭神は誉田別命である。尚、白籏神社に付いては、下市場白籏神社項を参照されたい。本殿は流造、鬼板部には鬼面の細工が施してある。狛犬は明治13年、灯篭は文久2(1862)壬戌9月、手水鉢は天保期である。境内に正規狛犬とは別にライオンのような神使が座しており興味深い。細部に付いて趣向を凝らしている神社である。(八千代市上高野677)

道祖神【八千代市上高野】

Y字路に鎮座する道祖神。右に行けば白幡神社。境内には小型の手水鉢が1基ある。資料によれば祠は文化10年、手水鉢はは大正期のもの。
(八千代市上高野710北側付近)

子安神社【八千代市上高野】

公園内にある子安神社。手水鉢は安政5(1858年)戊午。子安とは元々安産の神で、転じて子供を授かる・子育ての無事を祈願するものにもなった。同系のものに十九夜講があり子安講とも云い安産・子育ての無事を祈る。注意して見れば時々路傍にも見受けられる。
(八千代市上高野585付近)

駒形神社【八千代市上高野】

                      参照→ 

道祖神【八千代市上高野】

ひっそりと鎮座している道祖神。小さな鳥居は通りに面しているもののうっかりすると通り過ぎてしまう。境内の手水鉢は明治26年12月とある。
(八千代市上高野440付近)

菅原神社(天神さま)【八千代市下高野】

本殿、流造。神紋「梅鉢」。灯篭は天保10(1839年)亥年、一之鳥居は平成、二之鳥居は昭和のもの。境内社は八幡神社・甲大神(御祭神:少彦名命)・稲荷神社他。さてリニューアルされた鳥居に掛けられていた「天満宮」の神額であるが「元和4(1618年)戊正月25日 當村氏子中」と記されていた。今から約400年前、江戸時代初期には鎮座していた事になる。
(八千代市下高野115)

道祖神【八千代市下高野】

八千代病院を北に向かい、天神橋に入る道の左側に鎮座している。道祖神の他に庚申塔など多数ある。資料によれば祠は文政2(1819年)年のもの、小型の手水鉢あり。
(八千代市下高野280付近)

愛宕神社【八千代市勝田台南】

昭和34年11月の遷宮記念碑がある。付近は住宅街で、防犯のためか境内の樹木は伐採されている。境内には狛犬1対と手水鉢あり。印旛郡誌によれば、御祭神は軻過突知(カグツチ)命。
(八千代市勝田台南3-7付近)

駒形神社【八千代市勝田】

                        参照→