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孤独な少女と、古道具屋、木馬。こうくると、もう、ちょっとワクワク感でてきますよね。
月が照る、雪の野原。駆ける馬、さえざえとした風の透明感が感じられます。
後半はちょっと…あまりぱっとしないかなぁ…。大切なことの意味はこう、ちょっと心に入ってこなかった。
野生馬の群れのところは、こちらは、冬の夜の透明感を感じるのでイメージは違うけど、 映画の『オーシャン・オブ・ファイヤー』の、馬の群れの疾駆を思い出したりしました。(参考:ブログの、映画『オーシャン・オブ・ファイヤー』の感想の記事)
あちらの群れはもっとワイルドかもしれませんけど。馬の息遣いというか。
シンシア・ライラントは『神さまが…』という本があるのを知りました。それは読んでいませんが、この本とも、重なるような気がします。
『天国に近い村』は、読んで、違和感がありました。特にやきもの師のトマスのところなど。神様のこと、こんな感じで想像して書くの、受け入れにくかったです。
走るのが好きな少女、コーディーが、話したこともない青年を愛するようになるところは、いいなと思いました。彼女が、青年のため、残された人々のために祈るということも。
村の映画劇場のミッドナイトショーではいつも、「素晴らしき哉、人生!」をやっている、というのが面白いですね。
[340]『丘の家、夢の家族』で、主人公が読んでいる本のなかにこれがありました。
タイトルはよく聞く本でしたので、興味がわいて、読んでみました。
ダコタ・ファニング主演の映画は観ていません。
子豚がでてきて、農場で、食べられないように…というのは、映画の「ベイブ」を思い出しました。
同じく映画で観た「スチュアート・リトル」(?)の原作でしょうか、『スチュアートの大ぼうけん』を書いたのも、このE.B.ホワイトだそうです。
シャーロットって誰だと思いますか?
表紙にも載っている、主人公のひとりの女の子の名前はファーンですし。なんと、シャーロットって蜘蛛の名前なんですよね。
生まれたブタの中に、大きくは育たないだろうとお父さんが「しまつ」しようとしたブタがいました。ファーンはそのブタを育てることにします。名前はウィルバー。
ファーンのこの行動、せりふが好きです。
「「自分の気持ち?」ファーンは、大声をはりあげました。「生きるか、死ぬかっていうときなのに、気持ちをおさえろですって?」」(p.8)
お父さんの顔に「ふしぎな表情がうかびました」(p.10)
というのもわかります。
お人形の乳母車にのせられているウィルバーの絵はとってもかわいい。ガース・ウイリアムズの絵も見れるのが良かったです。
農場の動物たち。ファーンは納屋に入り浸って、お母さんを心配させます。動物たちの言葉がわかるとファーンが思っているらしいのです。
動物たちの言葉がわかる。[343]『ウィッティントン』と似た設定ですが、こちらのほうが、そのことが自然に思えました。言葉が理解できる、と言い張りさえしない自然さがファーンと動物の間にはあるようです。
品評会の日、ファーンは成長し、動物たちの世界と別れていくようでした。ヘンリー・ファッシーやその他の人たちの世界へと入っていくのでしょう。
よりにもよって、ウィルバーやシャーロットの重大な日に、どうしてなんだろうという思いは感じましたが…。
中川さんが、北海道新聞に連載したものがもとになっている本。
101冊の絵本が紹介され、内容の紹介というより、中川さんの子ども時代の思い出や、保母の体験を通して感じたことなどを書いています。
読んだ絵本があれば嬉しく、読んでみたいと思う絵本も見つけ、そこは楽しみでにんまりしています。
ただ、中川さんは保母さんだったということもあり、子どもを見る目線が愛情に満ちているけれど、自分には違和感がある。
自分が教えた子どもが、お母さんになって、とか、会った人が、小さい頃『ぐりとぐら』* を母に読んでもらって
「幸せな子ども時代を過ごして、よかったなあ」(p.35)
なんて言われちゃうとね…。
「つくづく、絵本は子どもといっしょに読んでこそ、幸せと思いました。」(p.177)
って、どうすればいいというの?
保育園と幼稚園では違うかもしれないけど、そんなに絵本に恵まれてなかったなと思うし。
なにより、子どもは遊んで泥んこになって、絵本に目をきらきらさせて、お母さんに絵本を読んでもらう幸せに満ちて、って。
そうかなぁ…?
そんなに遊びや、絵本体験に恵まれている子ばかりじゃないと思うけど。
こんな自分ですが、幼稚園でちょっとだけ働いたことあるんですよね(汗)。若い女性で、子どもとの接し方を知ってる先生は、すごいなと思ったけど、自分とはぜんぜん違う人間みたい…。
かなり落ち込みましたね…。
(追記)
中川李枝子さんと中川宗弥さんは、ご夫婦だったんだ。
[323]『ありこのおつかい』も載っていました。
アイルランド特集ということで、特集のところを読みました。
トリニティ・カレッジの旧図書館のロング・ルーム。本・本・本で天井までびっしりつまった本。すばらしい眺めですね。
パブ、ニット、グルメ。旅の見所のきれいな写真がたくさん。
世界遺産のジャイアンツ・コーズウェイの六角形の石の道は不思議。そこを通るトレッキングコースもあるそうで。
鶴岡真弓さんの、ケルト文化のページが興味深かったです。
「アイルランド人の修道士たちが持つエグザイル(流浪)の精神」(p.075)
エグザイルって、流浪という意味だったんだーと思いました。
鶴岡さんはいいます。多くのアメリカ人はアイルランド人を祖先としている。アイルランド人は飢饉のために祖国を出たと言われている。
「しかしかつて修道士たちがそうであったように、ケルトの末裔である彼らには「積極的自己追放」のスピリットがあったと私は考えています。」(p.075)
と。
なるほど…。飢饉や貧しさは確かにそうだったんだと思いますが、鶴岡さんの考えているような、そういう考えもあるんですね。
リチャード(ディック)・ウィッティントン。イギリスで1350年代に生まれ、織物商として成功を収め、ロンドン市長にもなり、莫大な財産を貧しい人たちのために使った人だそうです。
「ウィッティントンと猫」という昔話にもなっているそうです。
作者あとがきによりますと、
「十七世紀になると、ウィッティントンの名声は、非凡な猫によって財産を築いた十三世紀のペルシャの孤児の昔話と結びつきました。」(p.314)
ということですから、三男で財産はなかったとはいえ、貴族の出だったのが、貧しい生まれという話に変わったということでしょうか。
と、いうことで、とにかく、昔話の話なんだ、と思って、期待して読み始めました。 航海の地図もあるし、面白そう。ところが…うーん…。
合間合間に展開される、ディックの冒険・活躍・船旅や商売の話は面白いのに、まずそこへ行くまでが、いったいどういう話なのか、わかりにくかった。
ディックを金持ちにしたという猫の子孫が、ディックの生涯を語る。ただそれだけで、いいんじゃないでしょうか?
はみだしものの動物たちが納屋に集う、という設定も面白そうだし、読字障碍というテーマも興味があるのに、それぞれがぜんぜんかみ合ってない気がします。
だいたいどうして、子どもたちが動物たちの言葉を理解できるのか、さっぱりわからんのですが…。
ちょっと残念でした…。
でもウィッティントンのことが少しわかってよかったです。
ちょっと調べてたら、昔話の本にもディック・ウィッティントンと猫の話は入っているようだし、(読んだことあるのかも…)マーシャ・ブラウンの絵本に「ディック・ウィッティントンとねこ」というのがあるようです。
絵がとってもきれいでかわいらしいです。
親切が、順繰りになっていくお話。
この絵本も「ペール・カストール」シリーズだそうで、* 小さくて、優しく単純なお話ですが、なかなか味わいがありますね。
後ろの奥付のページの作者の解説のところに、「本書は中国民話の再話」
とあって驚きました。
少し調べてみると、似ている絵本に、『しんせつなともだち』というのがあるそうなので、そちらもまた見てみたい。
* (参考:[251]『かわせみのマルタン』)
これもよく聞くタイトルの絵本。はじめて読むことができました。ハンガリーの絵本なんですね。
よわむしの男の子、ラチと、らいおんの話。
「いち にっ さん!」
と体操をしているらいおんの絵がとてもかわいくて、気に入りました。
ラチがすきだという絵の、きりりとしたライオンも素敵ですね。(ちょっと笑っちゃいますけど…) こんな絵が入っているなんてびっくりです。
わたしにも、こんな小さな赤いらいおんが、いてほしい。ときどき、世界でこんなにこわがりなのは、いるのかな、って思うから…。
思わず自分も体操をしてみようかなんて…。
でも、強くなるのには体操しないといけない、っていうのがちょっとひっかかる…。
絵本のラストは、ほろりとします。ラチの涙が語っています。
それにしても、的を射た手紙(を描いた絵本の場面)というのは、心にしみますね。 [161]『ないた赤おに』なんて、目うるうるですしね…。
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