子どもを育てることが出来るのは、本当に幸せなことです。私には3人の子どもがいます。
3番目に生まれた女の子は、生まれたときから私にたくさんの体験をさせてくれました。
当時は大変な事だったのですが、振り返ってみると楽しいことばかりだったように思えます





























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1 家で生まれちゃった
1987年9月の最後の日曜日、9月とはいえ寒い一日でした。
 その日は長女の小学生として初めての運動会。
出産予定日を過ぎて大きなおなかを抱えながらも、楽しみにしていた長女のためにお弁当を作って一緒に食べたいと朝から大忙し。
3回目のお産で予定日を過ぎているので、翌日には入院することになっていたし、多少の運動はお産を楽にしてくれると軽く考えていました。
 朝8時半、3歳の息子と小学校へ。やはり、校庭にずっといるのは辛いので最初の競技だけ見て家に帰ることに。少し休んでお弁当の時間にまた学校へ。
家族や友人たちと楽しいランチタイムを過ごし、、私だけ一足お先に帰宅。また少し休んで近所のスーパーへお買い物。
結局その日だけで、片道約10分の距離を3往復したのとほぼ同じウォーキングをしてしまいました。
 それが引き金になったのか、午後6時を過ぎた頃、おなかが張ってきました。
今までの2回の経験から、もしかすると今晩遅くか、明日の早朝生まれるかも知れないと思い、早めに夕食をすませ、夫に子どもたちと入浴してもらいました。
3人が入浴しているとき、また強くおなかが張ります。
「おとうさん、もしかしたら2時間もたないかもしれない。」
慌ててお風呂から飛び出してきた夫は、車を玄関先へ回すために急いで服を着て出て行きました。
私は2人の子どもをお隣の家に行かせ、病院に「今からいく」と電話をし入院の準備。
車の中で破水したときに備えバスタオルをとろうと棚に腕を伸ばしたとたん、強い陣痛と腰骨を体の内側からゴリゴリ押されるような痛みが。
「あっ、生まれたがっている。」もう立っていられません。横になり、いきみたいのを必死にこらえます。
「どぅお大丈夫?」すばらしいタイミングで、隣の奥さんが様子を見に来てくれました。
「お願い、パンツ脱がせて!もう出てきちゃう」
この瞬間、彼女は大変なことに巻き込まれてしまったのです。
「車もって来たよ。行こうか。」夫が戻ってきました。
「おとうさん、もう間に合わない。救急車呼んで!」
夫の顔から血の気が引いていきます。受話器を手に取ったまま「えっーと、救急車、救急車・・何番だっけ?」もう完全にパニック状態です。
119が思い出せない・・・ 自宅の場所の説明が出来ない・・・
それでもなんとか救急車を呼び、病院に電話をする。
「もう間に合わないから、救急車を呼びました。」
「いきんじゃだめよ!いきんじゃだめよ!裂けちゃうからね。落ち着いて!」
受話器の向こうで助産婦さんが必死です。体中が震えるほど、いきみたいのを必死でこらえます。
(出産経験のない方、変な喩えですが、お腹をこわしてトイレに行きたいのを我慢している時を数十倍に増幅した感じを想像していただけますか。)
 もうこれ以上我慢できないと思った瞬間、大きな収縮とともにバチッ 破水です。音がしたかは定かではありませんが、サァーと大量の水とともに赤ちゃんの頭が出てきてしまいました。自分の両手のひらで出口を広げるように押さえ、赤ちゃんが頭を出しやすいように助けます。
お隣のご主人が、奥さんがなかなか帰らないので、心配して様子を見に来ました。
「来ちゃダメ!入っちゃダメ!あっ、お湯沸かして。早く!早く!」奥さんが叫びます。
お隣は夫婦で珍事件に巻き込まれるハメに。
 赤ちゃんの頭が出てきたところでもう一押し、肩が出てきました。
お隣の奥さんはスゴイです。ほとんど本能的な行動でしたが、赤ちゃんの肩を引っ張って、文字通り『取り上げ』てくれたのです。
 「家にある一番強い糸で、臍の緒を縛って!赤ちゃんのお臍のそばとお母さんに近いところの2箇所!」電話の向こうで助産婦さんが指示します。おとうさんは糸を捜すのにも苦労しましたが、しっかりと2箇所結んでくれました。
 赤ちゃんというのは、生まれたときに産声を上げます。
それによって呼吸を開始するからです。
ところが、この子は泣きません。
「入院セットの中に滅菌ガーゼがあるから出して!」私も必死です。
お隣の奥さんは 滅菌ガーゼで赤ちゃんの口の中と鼻の穴をきれいにして、運ばれてきたお湯で顔や体を拭きながら赤ちゃんの背中をたたきます。
「ふんぎゃぁ〜」あまり力強くはありませんが、しっかりと泣き声をあげました。
みんなの顔に笑みが浮かびます。でも、安心は出来ません。赤ちゃんの体温はすぐに下がっていってしまうのです。お隣の奥さんは、赤ちゃんをバスタオルでくるむようにして、ずっとさすっていてくれました。赤ちゃんと私はまだ密着状態です。
後から聞いた病院長の話ですが、「幸いにも胎盤が引っかかっていて出なかったため、出血が少なく、落ち着いた行動が出来たのではないか」
 救急隊の人が入ってきました。「あぁ、もう○○しちゃってますね。」なんといったかはわかりませんでしたが、かばんの中から『臍帯クリップ』を出して臍の緒の真ん中をとめると、どこかに電話しました。私が、「病院は所沢市内じゃないんですが」というと、「あぁ、大丈夫ですよ」と言い、バスタオル2枚と毛布2枚で赤ちゃんと私をくるみストレッチャーに乗せ救急車へ。
私の胸にうつぶせになっていた赤ちゃんは、時折り首を上げ親指を口に持っていくような仕草をしながら、救急車の窓からわずかに差し込む夜の街の灯りに反応しているようでした。
「なんて、かわいいの」
出産した安堵感を味わった瞬間です。
病院に着くと、玄関先にドクターと助産婦さんたち4人が整列して待っていてくれました。
救急隊の方、病院の方、皆さんに良くしていただいて感謝しています。
特にお隣のご家族がいなかったら、赤ちゃんの命は危なかったと思います。
日頃ご自分を気が小さいと言っている奥さんは、救急車が去った後、足がガクガクして立っていることも出来なかったと言っていました。本当にありがとうございます。
 余談ですが、カルテの右上に大きく 『墜落出産』と書かれていたことが ちょっとショックでした。
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