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娘が2歳半頃だったでしょうか、市の福祉課の方からお電話をいただきました。
1歳半健診で指導を受けた子どものフォローをしていると言うことでした。
「何度かお電話をしましたが、お留守のようでした。そのままなってしまって申し訳ありません。」という年配女性の丁寧な優しい語りかけに、『あら、市役所って親切なのね』と、ちょっと感激。
「一度お子さんとご一緒に遊びにいらっしゃい」とのお言葉に甘えて、カウンセリングの予約をしました。
実際にお会いすると、周りの人から「先生」と呼ばれている、50代初めくらいのぽっちゃりとしたその女性は、全身から優しさのオーラを放っていました。
しばらく質問をされたり、子どもに話しかけられたりしました。私たち親子にとって初めてのカウンセリングでしたが、緊張感は全くなく、穏やかな時をすごせました。
「ことばの遅いお子さんのために週一回午前中、児童館でお遊びグループがありますから、ぜひいらっしゃい。」
さっそく、翌週から児童館通いが始まりました。
ここでは、基本的にはただのお遊びなのですが、歌ったり、手あそびやおゆうぎをしたり、簡単な工作を用意してくださったり、児童館の遊具を使ったりして、みんなと一緒に何かをする時間があります。
これがクセモノ。ひとりで奔放に遊んでいる時は、生き生きと楽しそうなのですが、みんなと一緒になったとたん、脱走を図ります。
例えば、輪になって座って、ひとりずつお名前を言うゲーム。
歌ったり、手をたたいてリズムをとったりはしますし、お友達がお名前を言えると拍手をするのですが、自分の番になると逃げます。
私の腕をすり抜けて走り去ります。野生動物が危険を察知したかのように。
他にも、みんなで並んでかけっこ
室内ですからスタート地点から折り返し地点までは5mくらい。ぬいぐるみが座っている椅子をぐるりとまわってスタート地点に戻るルール。
「よ〜い、ドン!」
あらぬ方向へ走っていくわが娘。とにかく、ここでの私はよく追いかけていました。
このグループワークに集まってくるお友だちの言葉の遅い原因はそれぞれに異なります。脳性マヒのお子さん、聴力に障害を持つお子さん、口腔に問題のあるお子さんetc... みんな、できるできないは別として指示に従います。
(概しておかあさんの通訳が過剰でしたが・・・)
児童館へは、娘が幼稚園に入園するまでの約一年間通いました。何度か通ううちに多少ですが適応するようになりました。ここでの収穫は何よりも私の認識です。
家の中や近所の公園では知ることができない集団の中でのわが子の姿を見ることができたからです。
集団に適応できないということは、学校へ行けないことにつながります。
そこで、プレ幼稚園のつもりで、近所のヤマハ音楽教室へも通いました。
その当時の幼児科に入る前のひよこちゃんのクラスです。
本当に先生にはご迷惑をおかけしました。ここでも、彼女は個性をぞんぶんに発揮したのですから。
エレクトーンは下にもぐって隠れるものでしたし、紙芝居の台の下段の空間にぴったりと納まったら、もう動きません。
手あそび、おゆうぎは何となく真似をするのですが、お名前を呼ばれて「ハーイ」ができません。
いつのことだったか、はっきりとした記憶はありませんが、名前を呼ばれた娘が手を上げて元気に「ハーイ」と初めて答えた時は、先生もお友だちもお母さま方も、
とても喜んでくれました。何よりも本人が、照れながらもとても嬉しそうでした。
「この子はやりたいと思っていた。そして今できる喜びを知った」
人とのコミュニケーションをとりたいのに、何かが邪魔をして出来ないのかもしれない。拒否をしているのではないのだ。それなら大丈夫、母がついている。
奇妙な行動の数々、集団への適応力等から、自閉症的傾向にある子とどこからともなく聞こえてきます。
「ジヘイショウ?」
その頃の私は、自閉症とは心を閉ざして人との関わりを拒否すると言う程度の認識でした。知らないことは知ることから始めましょう。当時ジヘイショウといえばレインマン。さっそくビデオを見ましたが、今イチ、ピンときません。
インターネットのない頃でしたから、最新の情報を求めて紀伊国屋書店へ何度も足を運びました。(都内の大手書店をまわった結果、新宿紀伊国屋が一番関連書物が多かったのです。)
姉が、「はぐくむ」という本を1・2巻送ってくれました。自閉症の息子さんの成長の記録を書いた読み応えのある本でした。著者は森正子さん。これは関わり方の点でとても参考になりました。また姉は、特別なルートで南カリフォルニア大学研究チームのビデオも入手してくれました。児童を指導した例でしたので手法を参考にすることはできませんでしたが、指導者の愛情あふれたふれあいと、根気のよさには心を打たれました。
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