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体重3016g、身長49cm で生まれたわが子もすくすくと成長し、3ヶ月健診では、体重7100g 身長60.7cmに、9ヶ月健診では、体重9200g 身長70.6cmになりました。
病気もせず、発育・発達に関して特に記憶も無く、上の二人の子どもたちと一緒に ひたすら可愛がって赤ちゃんのいる生活を楽しんでいました。
今、改めて母子手帳の記録を見ると、1ヶ月で、「声をかけると泣き止みますか?」9ヶ月で、「笛やラッパを吹いて遊びますか?」1歳で、「おとなのいう簡単なことば(おいで、ちょうだいなど)がわかりますか?」等の質問に「いいえ」と答えているのに気づきますが、この時には気にもとめませんでした。
こどもの発達にはかなりの個人差があり、この時期の多少の差異は 学齢期になる頃には 問題にならないケースが多いことを、ふたりのこどもと その周りの多くのこどもたちと関わっていて知っていたからです。
首がすわる、お座りをする、つかまり立ちをする、伝え歩きをする、ひとりで歩けるようになる・・・。
母乳の飲み、離乳食の開始、離乳、好きなおもちゃで遊ぶ、おねえちゃん・おにいちゃんと遊ぶ・・・。
特に変わっているとは思わなかったのです。
私は 東京の下町生まれの下町育ち、女4人姉妹で、中学から女子校。
夫は、群馬の山村、電車の終点からバスに乗り、バスの終点から、さらに30分 徒歩で山を登って行くような静かなところで生まれ育ち、男3人兄弟。学校も工業・物理と男ばかり。
私は、1歳前から文章で言葉を話し、訪ねてきた親戚が驚いたそうですが、夫は、3歳くらいまであまりしゃべれなかったと聞いています。
同じ言語を使う同一民族でも、考え方や感じ方は全く違うことがあります。
私たち夫婦のことを「あなたたちほど、お互いの欠点をカバーしている夫婦は珍しいわよね。」といった人がいますが、結婚当初から 日々驚きの連続だった私は、たとえ受け入れることはできなくても、違うものの考え方や価値観を認める訓練を少しずつ受けていたのだと思います。
そんな背景もあり、こどもの『個性』を楽しんでいた私には、目の前の可愛いわが子を特に『変』 とは思わなかったのです。
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平成1年5月26日。1歳半健診 身長84.2cm 体重12.05kg。
今から思えば、この1歳半健診の日から少しずつ 私のこどもを見る見方が変化してきたようです。
発育という点からは申し分なく良く育っていた我が子も、発達では問題を持っていました。
最初に認識されられたのは、健診の担当者から
「指差しをしませんか?」「お家でもまったくしませんか?」と何度も念をおすように尋ねられたことです。
その日は、「指差しなんてそんなに重要なことなのかしら?」と首をかしげながら家路に着きました。
母を高校生のときに亡くしている私は、子育ての先輩であり、生活のあらゆる面での協力者、よき相談相手でもある親友のような姉二人に なんでも報告していましたので、早速
健診で言われたことを電話で話しました。
今は亡きすぐ上の姉は、長い間ボランティア活動をしていて、障害を持つ多くのお子さんと関わりあっていました。
姉は、「少し前から、おかしいと思っていたんだけれど・・・」
と話し始めてくれました。
なんでも言いあえる姉妹とはいえ、私の気持ちを考えると なかなか切り出せなかったのでしょう。
「げんちゃん (父のこと) やお姉さんから聞いたことだけど、顔を合わせないのはちょっと問題かもしれない。これから、いつも目と目を合わせるように気をつけてごらんなさい。まだ小さくて何がどうということは言えないけれど、なるべく、集団に入れてよく観察しなさい。たとえ情緒障害があっても適切な指導が早ければ早いほど、子どもが小さいほど回復するから。あとは、あなた次第。母親次第なのよ。」
姉は、障害を持つお子さんの成長や社会への適応力は、母親によるところが多いと、いつも感じていたらしく、教え諭すようにアドバイスを、また力を込めて私を励ましてくれたのです。
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