インタビュー
 堤 裕昭 さん
 [TSUTSUMI Hiroaki]
 熊本県立大学 環境共生学部 教授

堤裕昭さんの生まれた所は筑後川の下流に近い佐賀県三養基(みやき)郡千代田町。大学時代の福岡を除いて「有明海」とは日常的に接してきた。それだけに今日の有明海の姿、状況には沈痛な思いを持っている。思い入れを胸に“闘う研究者”でもある。
2005年、「諫干」事業の問題は、今後、日本の社会で、環境問題や
環境を利用する公共工事をどう取り扱うべきかが問われる年になる

―― 新年早々、佐賀地裁は昨年10月に続いて、諫早干拓工事への国の異議を退けました。有明海の汚染を憂え、再生に向けてもっとも活発にアクションし続けている研究者の一人として、迎えた2005年という年をどう位置付けていますか? 

<堤>  佐賀地裁の判決は、民事訴訟において、諫早湾干拓事業がもたらす社会的な負の影響の方が、そのメリットよりも大きいことを冷静な目で示したものとして、画期的な判決であると思います。我々が提示した調査結果の意味についても、まだ不十分なものであるにもかかわらず、よく理解して頂いたと感謝しています。しかしながら、事業者である農水省側は、現状から判断すれば、当然のごとく高等審に上告するでしょう(※注=1月26日、福岡高裁に抗告)。これからさらにこの問題に関する論議が煮詰まっていくと、干拓事業と有明海で起きている異変との関係が詳細な部分まで議論が及びます。そうなったときに、さらに正確、精密な調査結果が必要となってきます。ところが、我々が研究を始めたのは、有明海で大規模な赤潮が多発するようになった2000年以降です。諫早湾の潮受け堤防が締め切られたのは1997年5月。潮受け堤防締めきり以前に調査していません。

諫早湾干拓事業に関しては、もちろんのこと、莫大な予算を使って、事前の環境アセスや様々な調査が行われてきました。ところが、今日の視点からこれらの調査をふり返ってみると、私にはジャンクデータ(ごみのような使い物にならないデータ)にしか見えてきません。なぜならば、どの調査をとっても調査精度が悪く、諫早湾とそのごく近傍の有明海しか調査範囲に含まれていません。今、問題となっているのは、諫早湾を潮受け堤防で締め切ったら、諫早湾の外の有明海の奥部海域(主に佐賀県、福岡県の海域)全体にどのような影響を及ぼすか、及ぼしているのかということなのです。裁判で論議していることも、その事なのですが、それに答える調査結果として、潮受け堤防締めきり以前のものが皆無に等しい状態なのです。

よく引き合いに出されるのが、有明海沿岸4県の水産関係の試験研究機関が1960年代から行ってきた浅海定線調査です。この調査結果は、毎月1回、決められた有明海沿岸の調査ポイントで、数十年にもわたって延々と続けられてきた調査です。一見、すごい調査のように聞こえますが、私にはやはりジャンクデータにしか見えません。本当は、有明海で何か異変が起きていれば、この調査結果に何らかの変化が現れてしかるべきなのですが、その調査結果が示すことは、昔と変わらない水質の有明海が今も存在するということです。確かにデータだけを見れば、私もそう判断すると思います。それは本当なのでしょうか。我々の研究グループが調査を行うまでは、おそらくほとんどの研究者がその調査結果を信じきっていました。ところが、我々の調査結果は、水温、塩分の調査結果ですら、この浅海定線調査と大きな開きが生じています。現在でも、なぜこのような調査結果の違いが生じるのか、私も合理的な説明が見あたりません。でも、違います。確実に言えることは、我々の調査方法がはるかに精度が高く、最新の技術を用いていること、現場の調査にも1地点15?20分をかけて慎重に行っているのに対して、浅海定線調査では調査地点間の移動を含めて10〜15分程度で調査が行われていることが少なくないこと、調査計画および分析の質的管理は、私の研究グループでは私が統一して管理しているに対して、浅海定線調査では多数の職員が数年ごとに入れ替わりながら行い、受け渡していくマニュアルがないことです。どちらの調査結果により高い信頼性が感じられますか? 現状では、多くの研究者が未だに浅海定線調査の結果を用いて、いろいろなことを計算したり、シミュレーションを行ったりしています。その研究者に対して、この調査結果の危うさを指摘しても、まだ十分に理解されていないというのが現状です。


潮受け堤防のない状態で調査し直さないと、本当の事はわからない!
結局、冒頭から延々と申し上げて、何を言いたいのかというと、潮受け堤防以前の有明海奥部海域の水質や潮流を知りたければ、潮受け堤防のない状態を可能な限り再現して、もう一度、現在の最新技術を結集して調査し直さないと、本当の事はわからないということです。農水省側はそれを拒否しています。あやふやな調査結果と、無責任にそれにうなずく御用学者を擁して、真実を極めることなく、事業を進めて行こうしています。そんなことで、諫早湾や有明海の生態系が変調をきたし、そこで自然の恵みを得て生活してきた多くの人々が苦しむことになるのであれば、許し難い行為です。

2005年、農水省側はひたすら事の真相はうやむやにしたままで逃げ切りを計ろうとする年になります。司法の原則は疑わしきは罰せずということを耳にします。そんなことがこの環境問題の審理にも持ち込まれるのでしょうか? そうなれば、事業者側は絶対的に有意な立場を得ます。環境問題の審理では、疑わしきは徹底的に調査し、審議をつくすべしという立場に立つべきです。2005年、諫早湾干拓事業の問題は、今後、日本の社会で、環境問題や環境を利用する公共工事をどのように取り扱っていくべきかということが問われる年になると思います。


間違いない「諫干」の影響。だが、問題はどう立証するかだ
―― これまで堤さんは有明海・八代海の汚染、生態系の破壊の最大の原因として、いわゆるイサカン−国営諫早干拓事業を上げています。机上の空論だけでなく、 海はもちろん空からの観察を含め、自他共に許すもっとも足繁く現場に出向いている研究者として、いまもその認識は変りませんか?

<堤>  確かに、有明海を研究する研究者といっても、有明海の沖合の水質調査に年間少なくとも15回以上、干潟の環境調査にも20回以上調査に出かけて、それを何年も続けている研究者が、他の大学にいるとは思えません。(大学院生や水産試験場の職員の方であれば、そのくらいの調査頻度の方はいらっしゃるかもしれませんが)そういう現場型の研究者がもっと必要だと痛感していますが、今はシミュレーション大流行の時代です。私はその結果を全然信じていません。

私の研究者としての感覚では、諫早湾干拓事業で潮受け堤防を締め切ったことが、大規模赤潮の頻発、貧酸素水の発生に象徴される有明海異変を引き起こしたと100%考えています。問題は、それを客観的なデータとしてどのように表現し得るのかということです。また、赤潮や貧酸素水の発生には、今までの学問では想定しえなかったメカニズムが隠されていると思っています。なぜならば、赤潮の発生と言えば必ずといっていいほど、周辺の陸域からの窒素やリンの栄養塩の流入量が何倍にも増えて、海が富栄養化して起きています。ところが、有明海の場合は、栄養塩の流入量はこの数十年間にむしろ減少傾向にあるほどです。勝手に海の方で何かが起きて、大規模な赤潮が発生するようになった世界で例を見ない赤潮の発生パターンではないかと思います。それが1998年から起きています。1997年までの有明海とそれ以後の有明海では、赤潮の発生する規模が数倍違っています。ですから、ここで何が起きたのか? ということです。
ただ、八代海の汚染は、また別の論理が必要です。諫早湾とは無関係であると考えます。


“マンガン説”、アサリ激減の有力原因だが究明には時間必要
―― ところで、あとでも触れますが、昨年11月、東京での有明海・八代海総合調査評価委員会の小委員会を傍聴した際、興味深いことがありました。簡単に言うと、堤さんが最近盛んに唱えている“マンガン説”に対する評価が人によってまったく異なるという事例でした。改めて伺います。熊本県沿岸におけるアサリの激減はどういうメカニズムなのでしょうか?

<堤>  まず、筑後川を中心に過去30年、上流から砂が来ていません。この原因は何かと言うと、昭和28(1953)年に大水害がありました。これに懲りて河川改修を行ない、そして間もなく高度成長とともに建設ラッシュが続き、大量の砂利が川から採取されました。そのため、上流から流れて、干潟まで届く砂利の量が激減してしまったのです。

有明海の干潟というのは、歴史的には少なくともこの2000年間くらいは、100年で1キロ成長してきました。ところが、ここ30〜40年間、成長するどころか、干潟から砂が減りつつあるのではないでしょうか?

私が発見した干潟の砂の中に1000〜3000ppmに及ぶような高濃度のマンガンが蓄積していることは、NHKの朝のニュースで最初に公表したので、随分と論議を呼んだようです。私にとっても、もう少し公表を控えておきたかったトップシークレットだったのですが、それでも誰かに肩を叩いてもらわないと言い出せなかった事かもしれません。そのくらい、私としても思い切りが必要なことでした。マンガンは、火山が多いので、地下からわき出す熱水に多く含まれています。川の上流から砂は流れてこなくなっても、マンガンの微粒子は川の水とともに流れてきます。それが海水とちょうど干潟の上で混ざり合うと、凝集沈殿という作用が起きて、大きな粒子になって重くなり、干潟に堆積します。干潟でこれまで高濃度のマンガンが検出されたのは、熊本県の荒尾市の干潟と熊本市の緑川河口干潟の2ヵ所です。いずれも20年位前までは、アサリが何万トンもとれる干潟でした。この2ヵ所の干潟のアサリの漁獲量だけで、現在の日本全国の総アサリ漁獲量(約4万トン)を上回っていたかもしれません。通常はマンガンの濃度は200〜400ppm程度ですから、随分高い値です。

実は、他にもマンガンと挙動を共にしているような物質も見つかっているのですが、いずれにしてもこれまでノーマークだった金属類が干潟の砂の中に高濃度に含まれていて、どうもそれが干潟の生物に生理的なショックを与えていて、アサリが獲れないだけではなく、様々な生物が姿を消した、まるでサイレントスプリングの世界のような生物の生きる音がしない干潟が発生していました。その原因がマンガンであろうが、その他のことであろうが、水産の試験研究にかかわる方々には、もっと深刻に受け止めて欲しいと思っています。

でも、このことに気づいた事の発端は、緑川のあるアサリの漁師の方がどうも砂がおかしいということで、試しに干潟に砂をまいたことにありあます。砂の干潟に砂をまくなんて、気が狂っとるのか?と言われたそうですが。そしたら、そこにアサリが甦ったんです。熊本ではアサリは1970年代には年間6万5000トンも取れていたのに、4〜5年前は2000〜3000トンまで落ち込んでしまいました。でも、緑川河口干潟では、砂撒きの効果で、2003年度はここだけで5000トンくらいアサリが獲れるようになりました。この砂撒きの過程で、ちょうどその発案者の方に会って話を聞いて、その現場で追跡調査を行いました。そこで、私も何か砂が変だと思って、砂の成分分析を始めました。答えを得るためには、健康な干潟の砂と比較しなければならないので、千葉の木更津、広島、高松、北九州、熊本県の荒尾市、玉名市、本渡市、八代市、韓国の仁川、群山、麗水、済州島、いろいろと足を伸ばして、砂を調べました。でも、まだマンガン、もしくはその仲間の金属で、説明がつきそうな場所は、荒尾市の干潟と熊本市の緑川河口干潟に限られます。他の干潟では、また別の干潟−例えば玉名市の菊池川河口や八代市の金剛干潟、天草の本渡市の瀬戸干潟−では、別の理由がかかわっていることがわかってきました。いずれにしても、熊本県の有明海に面した砂の干潟で年間に6万トンを越えるアサリが獲れていたのが壊滅的な状態になったことに、「諫干」は結びつきません。この問題には、河川を今までどのように利用してきたかという河川管理という大きな問題が見えてきました。というのが最近の私の思いです。ただ、究めるにはもう少し時間がかかります。


恩師に出会い蝶のコレクターから海洋生物の道に
―― ところで、これまでの堤さんの言動を見聞きしてますと、有明海への思い込みあるいは執念と言ってもいいと思うんですが、他の研究者とかなり異なる感じを受けます。生まれ、育ちのなせる業でしょうか?

<堤>  そうでしょうねえ(笑い)。佐賀の三養基郡千代田町に生まれ、いわば筑後川の河口付近で育ち、よく河口でツクシを摘んだり、ムツゴロウやカニをみたり、獲れたものを食べて育ちました。高校は久留米でしたし、大学も3年間は福岡でしたが、専門課程や院は研究所が天草にありましたので10年くらいいました。そういう意味で、生まれてこの方、ほとんど有明海沿岸に住んでいるわけで、感情が入ってしまうことは否定できません(笑い)。

―― ということは、子供の頃からこの分野に興味をもった?

<堤>  いや、最初は虫と蝶、とくに蝶のコレクターだったんですよ(笑い)。それで、九大だったら昆虫が勉強できると思って入ったんですが、菊池泰二先生(九州大学名誉教授)という海洋生態学の師匠から実習を受けた時に感銘を受けまして、この先生について行こうと思ったことで海洋生態学になってしまったんです。陸の虫が海の虫になっちゃったわけです(笑い)。それと、蝶というのは趣味で集めるにはいいのですが、これを研究対象とするのは難しそうにみえました。いずれにしても菊池先生にお会いしなかったらいま私はここにいませんね。


「有明海」で世界に通じる環境問題の研究やりぬきたい
―― 人それぞれいろいろなステージに立つわけですが、堤さんの場合、有明海とのしがらみというか、ここ(県立大)を動くわけにはいきませんね?

<堤>  うーん、というよりいまの日本の大学の現状を考えると、ここがベストですね。設備とか施設、スタッフなど諸条件を考えると、環境問題の研究の場としてはここよりいいところはないと断言できます。フィールドも近いですし………。私は基本的に田舎育ちのフィールドワーカーですから、フィールドと離れた所にはいたくないし、ローカルなアサリが獲れないとか、赤潮が発生したという問題を扱っても、それをもう少し学問的に突き詰め、もう少し一般性をもたすような考えを加えれば、立派な環境問題の研究成果として世の中に発信できると思っています。環境問題というのはローカルな問題なんですよ。地球温暖化問題でさえ、突き詰めればローカル問題なんですよ(笑い)。

―― ということは、たとえ移籍の話が来てもここに止まる?

<堤>  そういう時期もありましたが、ある意味ではもうなくなりましたよ(笑い)。とにかく、有明海が私にとってはどうしてもテーマになりますから。これで世界に通じる環境問題の研究をやっていきます。


ノリの色落ち現場で衝撃受け、「有明海に生きよう!」と決心
―― その有明海ですが、“有明海のこと”との最初の出会いはなんだったのでしょう?

<堤>  まずは、魚の養殖です。有明海というよりも、天草の海でしょうか。魚の養殖は、今や沿岸漁業の中心にもなっていますが、周囲の海を汚してしまい、結局自分で自分の首を絞めるようなことになって、養殖が難しくなっています。ところが、そういう汚れた海底にも生物の世界があります。その汚れた環境を住処とするゴカイの研究が私の有明海との最初の出会いです。その研究が一段落ついて、熊本の大学に職を得て、さて熊本で研究を始めようとした時に出会ったのが、アサリなんですよ。干潟に行ったら、なんでこんなにアサリも、その他の貝も、ゴカイも少ないのか不思議でした。天草の干潟で見た光景とはあまりにも大きな開きがあって、不思議に思って、熊本市の周辺のあちこちの干潟を見て回ったんです。それで、荒尾市からも頼まれて荒尾の海岸の干潟の調査をした時に、今度は干潟で養殖ノリの色落ち問題が起きたんです。色の抜けた養殖ノリの間でアサリを取っていたんですね。それを見て物凄いショックを受けて涙が出ました。よし、本格的に「有明海」をやるぞと決心したんです。それまでは文字通り対岸の火、対岸の話と思ってたんです。馬鹿なことやってんな、でも熊本のよそ者がしゃしゃり出てもしょうがない、地元の人たちがやってることだから………と。したがって、もちろん(「諫干」に)賛成じゃないけど、あえてかかわらなかったのです。

しかし、いまやそういう一局面の話でなく、熊本だけの話でなく、有明海全体の話になってきましたので、干潟でアサリだけやっててもなんの解決にならないという思いになって、本腰を入れ始めたわけです。

ただ、やるからには科学的にやらなければ意味がないし、それをやるためにはどうしたらよいかも分かるわけです。はまるならはまらないといけないし、中途半端なはまリ方ならやらない方がいいという思いから当初は避けていたのも事実です。

―― 具体的にはどういうことですか?

<堤>  沖合にも出るし、海底も見ますので、それなりの手法を使わなければならないわけですよ。そのためには新しい機材も必要だし、私は底生生物の海洋生態学の研究者ですが、水質の調査は海洋化学の分野ですし、潮流は海洋物理の分野ですし、赤潮となると植物プランクトンの勉強をしなければいけないし、それをある程度広く理解しなければ「諫干」にタッチできないという思いがあったんです。だけど、現地を見ると、そんな悠長なことを言ってられない。自分が変るしかない、と決心したのがのめり込む、はまり込む動機でしょうね(笑い)。

―― ノリの色落ちを見て愕然とした日を覚えていますか?

<堤>  2001年の2月でした。それを見て、ふっと振り返った対岸が諫早湾の入り口なんですよ、ちょうど視線の先が、見えませんが、「諫干」だったんです。


「諫干問題」には生物+化学+物理の英知の結集が必須
―― で、どういう発想で取り組んだんでしょう? 発想にあたってはアメリカ留学が役立ったのでしょうか?

<堤>  アメリカのトップレベルの沿岸海洋の研究所で、92年頃1年間、客人として研究させてもらっていました。常勤のスタッフのほぼ全員がサイエンスやネーチャーに論文を発表した経歴を持つという研究所で、今から思い返せば映画のトップガンのような世界を垣間見た時でした。その時に得た知識や技術は、いま研究に非常に役立っています。それと同じ90年代に、10年くらいかけて北九州の洞海湾で、市の研究所と海洋物理学と海洋化学の先生たちと組んで、洞海湾の環境管理をしようというプロジェクトに加わってやってました。「諫干問題」に必要なのはこれなんですよ。生物学だけじゃなく化学と物理の知見を組み合せる必要があるんです。これの有明版をすればいいんだなと思ったんです。ただ、今度はすべてを自分の頭の中にいれなければなりませんが。

―― 余計な心配かもしれませんが、どうも堤さんの調査研究活動の成果は正しく評価されていない気がしますが(笑い)………。

<堤>  それなんですよ。国やその関連の機関などの調査結果よりも、私たちのような安い研究費で行っている1大学の研究グループの調査結果の精度の方が高いというのが実は不思議なんです(笑い)。彼らが見つけ出すことができない有明海の出来事を、なぜかしら見つけてしまい、それがあまり都合のいいことばかりではないようで、しかもそれを彼らがコントロールできないところで勝手に発表してしまうので、そんなところがこころよく思われていないところでしょうか、残念ながら………。

―― 先に少し触れましたが、昨年、たまたまこういう現場に直面しました。いわゆる総合評価委−有明海・八代海総合調査評価委員会の小委員会を傍聴した時です。文献の検討結果で、アサリ漁獲高の激減に対するマンガン濃度の関係についてほぼ同じテーマで、内容のものだった佐々木克之さんの文献が最高位の「4」にされ、堤さんのが最低位の「1」に分れたのです。率直に言って、それに対するやりとりは要領の得ないもので、扱い方も中途半端で終わってしまいました。そして、そのことを知った堤さんは「よくあること」と受け流しながらも、現場で自ら調査していない人がこういう判断をすることに疑問を呈したコメントを出されましたが、いまは別のコメントをお持ちでしょうか?

<堤>  口幅ったい言い方で不遜に聞こえるかもしれませんが、このことに限らず、私たちが一連のデータを取っていなかったらいまごろどうなっていただろうと思ってるんですよ(笑い)。赤潮のことだって、結局、誰もまともな調査をしてないんですよ。でも、こだわるようですが、「4」の評価の佐々木さんの論文で、マンガンに関係した部分は、私の研究を紹介したものだと思います。ですから、同じ事に対して、2つの異なる評価が下されたわけです。評価が違うのは、2つの論文を評価した委員が違うことにもよります。

ただ、いまの世の中違うのは高価なハードも国や関連機関だけが持っているのではなく、ここ(県立大)にも歴代知事の理解度が高かったので、たとえば栄養塩を測る器具−2000万するのですが−とか、現場の水質を測定する装置−400万円、クロロフィル量を測定する機械−400万、海底の泥の有機物分を調べる装置−1000万円………とか、我々現場の要求をほとんど受け入れてくれて予算化してくれました。こういうものがあるのでやる気さえあれば精度の高い調査が出来るんです。したがって、ここではやる気があれば出来ます。でも他の大学ではやる気があってもハードがないのが現状です。


調査の発想も現状に照らして変えず旧態依然
―― 堤さんの調査結果にはよく海水の濃度を測った時の言葉として、「1メートルピッチで………」というのが出てきますが、分り易くご説明願えませんか?

<堤>  いまはセンサーがあるので塩分を水深1メートルピッチ(毎)で測定できるのに、水産関係の試験研究機関が有明海で行っている浅海定線調査では、何十年か前に決めた表層、中層、底層の水を採水器で採水して水質を測定するというような古いスタイルを、新しい機械があるのにもかかわらず踏襲してるんです。調査の考え方が非常に古いんですね。
いま問題になっているのは赤潮は表層の3〜5メートルで起きているんですよ。それを0メートル/5メートル/海底からという3点からしか評価しなかったらまず本当の姿は見えません。現状の問題に対してアレンジした調査になっていないから分るはずないんです。数十年前と同じ基準で調べなければ比べられないということなんでしょうが、その限りではそうであってもプラスアルファーの調査がないのが問題なんですよ。


「赤潮」は有明海が弱ったからでなく「諫干」の為せる業
―― ところで、有明海海域の生態系が破壊されている現状を踏まえ、何が問題かということだけでなく、これからどうすべきか−がもっとも重要だと思われますが、この点について話を進めていただくとどうでしょう?

<堤>  まず、なんで有明海で赤潮が起きやすくなったかという議論に関して、この30〜40年の間にいろいろなことをやってきたわけですよ。筑後大堰も造りましたし、熊本新港も造りましたし、埋立てもしたわけです。で、そういうものの総体ではないかという言われ方をよくするのですが、私はそれはすごくいやなんです。それじゃあ焦点がぼけちゃって、結局、なんだ有明海が弱ってきたんだよという話になっちゃう。だけど、本当にそういう話しなのか? 違うんですよ。急に起きた事なんですよ。いま、そういうことの裏付けとなる資料を出していますが、赤潮が起きている経過を調べると、98年から急に増えているんですよ。だから、赤潮の話というのは98年以降の話なんです。ということで、事の因果関係をもう少し明確にしたいんですね。結局、いわゆるギロチンを閉めた事でかなり説明がつくんです。閉めた事によって(潮の表層の)横の動きが遅くなったんです。

動きが遅くなれば何が起ったかというと、その分、筑後川からの塩分の薄い水がそのまままざらないで上に乗っかってるわけです。成層構造が起きます。赤潮というのは、成層構造が起きた時の表層で起きてるんです。横の動きを遅くしてしまって、成層強度が強まるという状況を作ることが一番間違いなんです。それは別のシュミレーションでも、締切って以来湾奥部で強くなっているということが出てるんですよ。ということは成層構造を起すのがまずい、横の動きを早くすれば自然とまざる、ということになるんですよ。

それで、年2回陸上から物凄い栄養塩が出る時期があるんです。1回は梅雨どきの6〜7月です。6月はひょっとしたらお茶です。お茶は大量に肥料を使うんです。これが出てきて赤潮になるんじゃないかと考えられます。ただ、これは梅雨どきですのであまり問題にならない。

問題は10月なんです。とはいえ、この原因はまだ分かりません。なぜか栄養塩が大量に出るんです。データ的には川の窒素とリンの高濃度のものが有明海のど真ん中で出来ちゃうんです。ところがいままでのように横方向に動いているとこれが縦方向にまざるんですね。そうすると、水深が15〜20メートルありますから上5メートルでそうなっても3倍くらい薄まるわけですよ。そうすれば赤潮は起きません。赤潮が起きないで、そこでノリを作付けしていると、ノリの方に吸収されるんです。鉛直にまじわってますから上で使っても下からまた補給されるんです。

ということで、全部ノリいけるんです。だけど上で固まってしまうと赤潮になってしまい、赤潮プランクトンという粒状の有機物となって下に落ちてしまうのでノリには全然行かないんですよ。

―― ということは?

<堤>  有明海の横の動きを遅くしてはダメだということなんですよ。それを「諫干」はやってるということなんですよ。それで説明ついちゃうんです。いま、私が取ってるデータと周りの人たちのを合わせたら、それで説明ついちゃうんです。そんなに難しい話じゃないんですよ。

―― ということは、赤潮の理論解明はほぼ出来た。そうすると、あとは行政がそれをどう受け入れるかだと思うんですが、現実はそれが凄い問題なわけですね。

<堤>  視点を変えて社会への影響という点から見ても、行政は干拓をしてミニトマトとアスパラガスを栽培すると言いますが、ノリの売上げは600億、製品価値は3000億です。どっちが日本の社会のためになるのかという事を考えたら、断然ノリですよ。これをつぶしたら地域社会は成り立たないです。これを国がつぶすのですか? ということですよ。どう考えても分りませんね。


気になる高裁・公調委の審理。新事実積み上げしかない
―― 曲折はありましたが、その第一弾が10月15日の佐賀地裁の工事差し止め命令であり、それに対し、国は直ちに異議申し立てをしたが、それにもこの1月13日、佐賀地裁は工事差し止め命令の仮処分は妥当として、国の異議を退けました。 国・県は福岡高裁に抗告するでしょうが、この二つの佐賀地裁の判断を踏まえ、どういう思いをもたれていますか?

<堤>  画期的な判決で、これに勇気づけられた方々は少なくないと思います。私は、でもどうしても先を見てしまいます。これから福岡高裁での審理に持ち込まれるでしょうし、もう一つ東京で公害調停委員会の審理も進んでいます。私たちが取ってきた有明海の実態を示す調査結果が、これらの審理に係わる方々にどれだけ理解されるのであろうか、また、理解させることができるのであろうかということを考えてしまいます。私たちが取ったデータも完璧なものではありません。なぜならば、潮受け堤防が締め切られたままで、締め切り以前の状態の有明海の精密な調査結果がありませんし、開門してくれなければ調査のしようがありません。今後、審理を有利に進めるためには、新しい事実の積み上げが必要です。それをどうやって手に入れるのか? 門が閉められたままで。知恵の出しどころ、これからが勝負どころでしょう。


今後10年、諸々との勝負に挑みたい
―― 最後に、今年は「有明再生」にとってキーともいえる年と考えますが、堤さんは何をしたい、どういう年にしたいとお考えでしょう?

<堤>  私の所属する熊本県立大学環境共生学部では、今年から大学院博士課程ができます。ということは、やっとまともな研究室ができあがるということを意味しています。大学の先生って、偉そうにしている人が多くて、私はその手の方は苦手なのですが(笑い)、調査データは大学院生が支えているのが実態です。裏を返せば、いい研究をしようとすれば、いかに優秀な大学院生を育てるか? どこからか引っ張ってくるか? の勝負なのです。そういう意味で、やっと私の研究室も勝負できる陣容ができあがってきたという感があります。もちろん、手作りで学生を育ててきました。その学生たちと、失われた有明海を取り戻すための研究を進めたいと思っています。私は今48歳です。今年というよりも、これから10年が研究者として勝負する時期に当たっています。もちろん、その勝負を有明海で挑みます。世の中との勝負、学問との勝負、自分自身との勝負、勝負にもいろいろあります。と言っても、まずは干潟に通い、船で出かけて、淡々と調査を継続することが基本です。それに、何か一味加えることができれば、違った世界が見えてくると思います。そのためには、新兵器を編み出す必要があります。

―― ありがとうございました。大いなるご活躍を期待し、注目し続けていきたいと思っています。

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