※環ラスとは
2005/10/24 <18> ▼近頃の世の中、いささか「ぶれ」過ぎていませんか?▼

たった2〜3ヵ月の間に、相次いで起った事象の振り子は恐ろしいくらい大きくぶれている。我がニッポン、迷走していると言わざるを得ない。

時系列でざっと振り返ってみよう………。

≪その1:8月8日、郵政民営化法案が参院で否決されたのに衆院を解散≫
予想通りというか、参議院は存在価値を示すなどと歯の浮くようなことを言って、自民党議員が造反。13票差で郵政民営化法案を否決した。

≪その2:8月30日、公害等調整委員会(公調委)が漁民の原因裁定申請を棄却≫
大方の予想を覆して、公調委は「諫干事業が有明海の汚染の原因とは認定できない。したがって、漁民の申請は棄却する」という“史上最低の裁定”と言われる裁定を下した。

≪その3:9月11日、衆議院選挙で自民党は歴史的な勝利を収め、自らの予想を大幅に上回る296議席を獲得≫
投票の結果、議席は自民党237→296、民主党177→113と、“2大政党”時代から“1.5大政党時代”になってしまった………。

≪その4:9月14日、参議院で一転して郵政民営化法案が可決≫
たった44日の間に30人のうち27人が“転び”、「国民の意思を尊重する」などと軽薄な言葉を吐いて賛成に回り、法案は可決された。「サンギイン」って何? 本当に要るの? という議論が沸き上がった。

≪その5:9月30日、大阪地裁は「首相の靖国参拝は違憲」との判決を下す≫
台湾人116人を含む188人が国と小泉首相を相手取って、靖国参拝に精神的苦痛を受けたとして損害賠償を求めた訴訟に対し、「参拝の継続、靖国を特別に支援している印象を与え、特定宗教を助長している」として、憲法の禁じる宗教的活動にあたると認めた。

≪その6:9月30日、最高裁は、有明海の漁場が悪化したとして、沿岸4県の漁業者が工事の差しとめを求めた仮処分申請を棄却≫
濱田邦夫裁判長は、5月の福岡高裁の「漁業被害と工事の因果関係について立証不十分」とした判断を支持し、抗告を棄却した。これによって、法的には再開されている工事の続行が確定した。

“ぶれ”はまだまだあるが、キリがないので先に進みたい。

これら実際に起こった現象(事象)を見ただけでも“日本という振り子”は上下・左右に大きく揺れている。もちろん、長い時空の中で揺れ動くことは「歴史」として受け止められよう。

しかし、このところのぶれ方は尋常ではない。危険と言わざるを得ない。多くのマスコミや世論は「小泉さんのせい」と彼一人にその因を求め、責任を押し付けているが、果してそうであろうか? かつて、15年ほど彼の選挙区に住んでいた、2人の息子が彼の高校の後輩であるということくらいの関わりはあるものの、彼を個人的に弁護するつもりは毛頭ないが、彼は郵政民営化にしろ、靖国参拝にしろ「ぶれ」はまったくない。むしろ、マスコミのぶれ、ある時は虚報(取材してないのにあたかもしたような記事にする)などに我々国民・市民が自らは何も考えないで、その大半を鵜呑みにし、その気になり、その結果、社会現象としてぶれていると思えてならない。これからに目を転じても、郵政民営化が峠を越し、憲法改正というきわめて根幹の問題に焦点が移ろうとしているだけに、このぶれ具合はいさか気になるところだ。

環境問題に話を戻せば「有明海再生」、「水俣の産廃処分場」などなど難問は目白押しだ。一市民として、冷静に、かつ事態を見据えていく必要が益々増えている。

おっと、「ぶれない人」がもう一人いたことを忘れていた。小池百合子さんという人が2005年10月4日、「水俣病の認定基準の見直しは一切考えていない」と、まったくぶれていない発言をした。しかし、その舌の根が乾かない10月14日、「(水俣病関西訴訟の)判決を厳粛に受け止め、被害の拡大を防止できなかったことを反省したい」と“謝罪”している。もう、この人の謝罪は聞き飽きた。これだけは小泉さんの内閣改造に期待しよう。

「ぶれ」戻しが始まった。2005年10月22日、東京で開かれたシンポジウム「諫早干拓・裁定を検証する」は、福岡高裁―最高裁とぶれ続けた有明海再生への道を佐賀地裁のレベルに戻そうという行動の始まりだ。100人近い人たちが集まった。
*シンポジウムの詳報は近日中に紹介

2005/09/05 <17> ▼「イサカン裁定」―限界露呈した公調委。「公害裁判所」の設置が必要では▼

2005年8月30日午後2時20分。公調委の記者会見場に入る際に渡された「主文」が視界に入った瞬間、我が目を疑った。そこには「いずれも棄却する」とあったからだ。深呼吸して読み返したが間違いない。記者諸君も声を上げ、廊下に飛び出した。携帯電話でデスクに「棄却です!」と潜めた声ではあるが、一様に驚愕の色を隠せない。10分ほどして始まった事務局長以下の会見は優に1時間半を超した………。
会見を聞き、裁定文を読んでの結論を言おう。

公調委は実質的な「公害裁判所」と思っていた。しかしもはや限界。とりわけ今回はその役割を放棄した。とすれば、厳正・中立、かつ判断能力をもつ「公害裁判所」を設置する必要があるのではないか。

「イサカン」。国営諫早湾干拓事業(長崎県)が有明海の漁業被害を招いたとして因果関係の認定を求めていた長崎、福岡、佐賀、熊本4県の漁業者17人と福岡県有明海漁連に対し、「公調委」―公害等調停委員会(加藤和夫委員長)は、潮受け堤防の閉め切り後に漁業被害が起きたことは認めたものの、「客観的な証拠資料や科学的知見が乏しいという状況下で認定判断を行わざるを得ず、漁業被害と諫早湾干拓事業の因果関係を高度の蓋然性をもって肯定するに至らなかった」(付言)とし、「申請人らの申請をいずれも棄却する」(主文)と切って捨てたのである。

「裁定」内容を説明する谷口事務局長(正面右から2人目)ら公調委事務局 テレビカメラの数、1時間半に及んだ会見もこの問題に対する関心度を表わしていた
=いずれも2005年8月30日午後2時半過ぎ、霞ヶ関・公調委で

極論だが、「因果関係は認められない」ならまだスッキリする(新たな議論になることはもちろんだが)。被害の一部は認めるが、「高度の蓋然性をもって肯定するに至らなかった」というのである。
「高度の蓋然性」―どこかで聞いた言葉だ。そうだ水俣病事件の一連の裁判で頻繁に使われた、いわば裁判用語だ。蓋然性とは言い換えれば「確立」であり、もっと「証拠」がはっきりしなければイサカンが原因だと決められないという意味だ。
もう少し公調委の“言い分”を紹介しよう。


「干拓事業が有明海における漁業環境に影響を及ぼした可能性を否定するものではない」が、「膨大な事件記録を精査」したり、「その他客観的証拠や科学的知見の掌握に可能な限り努めた」ものの、「客観的データの蓄積や科学的知見の面でなお不十分であって、現時点では因果関係の有無のいずれとも、一般人が疑いを差し挟まない程度の真実性の確信をもっては認定し得ないとの判断にとどまざるを得なかった」(委員長談話)

なぜか今回に限り加藤和夫委員長名の「談話」が裁定とは別に付けられ、しかもそれは「一体」なのだそうだ(事務局長)。

方法論としても、とても姑息な手段と言って過言ではあるまい。まるで、棄却するけどそれではあまりにも後ろめたいので特例として「談話」を付けた。いわゆる苦渋の決断であることを理解して欲しい………こんなふうに聞こえないか? いっそのこと、こんな中途半端な「談話」など付けないほうがいい。末尾の「今後、有明海を巡る環境問題について、国を始めとして、更なる調査・研究が進められて、的確な対策が実施され………」(同)に至ってはなぜ「開門調査」という具体的な方法を表現しなかったのか? ここにも、この談話なるものの中途半端な姿勢が如実に表われているとしか思えない。

もっとも問題と思われるのは、自ら選定した4人という異例の数の研究者を専門委員に任じ、昨年12月に「意見書」をまとめさせておいて、しかもその内容は「諫早湾近傍場については明確に結論づけることができる。それ以外の漁場についても程度の差はあるものの可能性を肯定」したものであったにもかかわらず、これらの専門家の結論を結果的に否定した裁定をしたのである。判断ができないどころか、れっきとして判断しているのである! 「談話」や裁定の内容と明らかに矛盾している。

そして、具体的な点でも多くの矛盾や疑問があると専門家は指摘する。その一人、元中央水産研究所室長だった佐々木克之さんは、「実測データと数値シミュレーションの関係」、「潮流速の減少」、「水質・底質の悪化」、「成層度の強化・貧酸素化」など多岐にわたって、「調停委員はどのデータを見て結論付けたのか理解に苦しむ」とか、「今回の評価の非科学性を見ることができる」とか、「農水省のデータでも明瞭に示されているのにこれさえ無視している。都合の良いデータだけ利用している」などと指摘、「赤潮の増加」の個所に至っては「農水省の(中長期検討会議の)文章とよく似ている。農水省が作成した文章ではないかと疑ってしまう」と弾劾している。

「正義の理念に著しく反した遺憾な裁定。くじけることなく全力を尽くす」と堀弁護団事務局長(立つ人)や支援者は直ちに記者会見し猛反発した 所用で上京していた長崎県南高有明漁協の松本正明元組合長も同席。「残念としか言葉がないが、漁師としてここであきらめるわけにはいかない。いやがる息子を後継者にしたことからも元の海になるよう闘い続ける」と発言した。

=いずれも2005年8月30日午後3時過ぎ、霞ヶ関・弁護士会館で
【写真:諫早干潟緊急救済東京事務所提供】

「公調委裁定は法的拘束力はない」とされている。が、現実はそうではない。もっと重みをもつ。現に、国・農水省側は「限りなく主張が認められた。工事を継続する」と意気込んでいる。

佐々木さんも主張しているが、こうなった以上、漁民の主張を支援して来た研究者集団も本質的なところで見解を出して欲しいし、9月1日の組合長会議で、中・長期開門調査を行なうよう国に求める行政訴訟を起こす事を決めた福岡県有明海漁連のような動きは必須だし、並行して当てにならない公調委に代わって権威と能力をもった「公害裁判所」の設置を求める動きを起して良いのではないか、というのが今回の我がメッセージである。

だが、最後に、かつて国際会議の場で公害裁判所について触れた淡路剛久・立教大学大学院法学部教授の言葉を紹介したい。

公害裁判所としての役割を果たすためには条件が必要である。当事者の同意を得るということだけでなく、ある種の強い法的権限を持って、調停・仲裁だけでなく裁定のようなこともできるし、必要に応じて権利と義務の法的判断をすることも必要になるし、委員には独立性がなければならない。証拠調べのために専門家を活用できるような資金的裏付けと制度の工夫が必要だ。また裁判は長いわけで、短期に、早期に結論が出せるように人員と審理の工夫が必要だと思う。
(2001年9月、北京で開催された「環境紛争処理中日国際ワークショップ」での基調講演から)
→ http://www.southwave.co.jp/swave/8_cover/2001/peking/cover0124_04.htm

≪環っ波≫の求めに応じ、赤潮研究の最先端を行き、研究者証人として公調委で尋問を受けた熊本県立大学教授・堤裕昭さんから今回の裁定についてコメントが寄せられた。そこには「憤りが溜まっている」という前置きだったが、冷静に先を見た問題提起と自らの決意が込められている。

堤熊本県立大学教授 : 干拓事業の頓挫はあと一歩。あきらめずに追求していく
一揆が起ってもおかしくない状況にきていると憤る堤さん
今回の公調委の裁定は、福岡高裁の工事差し止め仮処分の撤回という判決と同じという感じがします。 現在の法律体系が環境問題に対応していないことを痛感します。公調委裁定でも訴えを受理するためには、高度な蓋然性が求められています。訴えに対する蓋然性は佐賀地裁の判決で認められています。それが判例とあるので、判断の根底にはかなり意識されていると思います。しかしながら、高度なという修飾語がつくと、確かにそこまでの蓋然性は現在までに私が取りえた調査データにも、他の機関の調査データからも、そのレベルに達していないことは認めます。すると、“疑わしきは罰せず”という刑事裁判で言われる法曹界の掟が顔を出 してきますし、それを持ち出して環境問題の本質に鈴を付ける役目を担うことを避けることができます。

裁判官に勇気がないと言えばそれまでですが、環境問題で高度な蓋然性を持ち出したら誰も訴えることができなくなります。そのレベルまで因果関係を立証するためには、時間と費用と、研究調査に熟練した人材が必要です。第一、今回の問題では、農水省が行った事前の環境アセスメントが諫早湾だけに限られていて、有明海の方はほとんど調査していません。現実の問題(赤潮や貧酸素)が発生しているのは有明海です。また、潮受け堤防を開けて調査をしないかぎり、高度な蓋然性の有無を問うような調査はできません。閉め切り前の状態がある程度再現された条件で、精密な調査をし直す必要があるのですが、それを農水省が拒んでいる以上、不利な証拠を取られるのを拒んでいるようなものです。このような状態で、高度な蓋然性を被害をうけている側に求めるのであれば、環境問題では訴えるなというようなものです。 (例えばアスベスト被害のように誰もがわかるような高度な蓋然性が認められる状態が発生すれば、加害側が認めて対応するので、裁判にはならないでしょ う)

その一方で、環境問題はどんどん進行していきます。水俣病の教訓というものを思い出して欲しいものですし、裁判官には環境問題の本質をもっと理解してもらいたいものです。裁判官の勉強が足りないと、自然科学の研究者の立場からは叱責したいと思います。また、公調委裁定の判決の選択肢として、訴えを認める、認めないというほかに、高度な蓋然性の有無を明確にするために、再度の詳しいアセス調査研究を勧告するというものがほしいと思います。

「談話」として、今回、異例とも言えるメッセージが残されましたが、これだけでは農水省は訴えが退けられた! 我々の主張が100%通ったかのような錯覚を持って、工事に突き進んでしまいます。ところが、現実は、自らの委員会であった第三者委員会の結論にはじまり、佐賀地裁、福岡高裁、公調委裁定と、共通して、調査を行って因果関係の有無を明確にすることが求められていますし、本当はかなり追いつめられたところまで来ています。福岡高裁、公調委裁定のどちらかで、蓋然性があると言われれば、諫早湾干拓事業は頓挫しかねないところまできていました。土俵際のあと一押しが足らなかっただけにすぎないのではないでしょうか?

なので、私はまだあきらめません。他の関わった多くの方々もそのように思われていると思います。福岡県漁連や個人の多くの漁民の方々が、開門調査を裁判所に求める訴えをされると聞きました。合法的な手続きで、現代の一揆のような蜂起をする必要があるのではないでしょうか。私もこれから何が有明海で起きるのか、研究者として追い続けて、現状を訴えたいと思います。

2005/08/16 <16> ▼「9.11」は絶好のチャンスと考えるべきではないか▼
「暑い夏」に辟易していたら、あれよあれよという間の解散劇で「熱い夏」という要素も加わった。ここで政治論争(とりわけ政権論争)をするつもりはないが、プロセスや手法に今更とやかく言っても仕方なく、もはや矢は放たれてしまったのだから思考と視点は「9.11」(偶然とは言え、あまり良い日ではない)に移すべきだろう。
とにかく、4年4ヵ月前はネコもシャクシも“純ちゃんブーム”で湧いていて、ほとんどのマスコミもそれを容認し享受したくせに、昨今の冷めたいとも言える対応は、まさに日本人の“熱しやすく冷めやすい”典型いや代表と言って良いであろう。「変人以上の変人」とは後見人を自負していた領袖の言葉だが、今回の解散にあたって一つだけ評価したいことがある。島村という農水大臣の辞表を受取らず罷免にしたことだ。記憶に新しい、この人のあきれる発言がある。昨年9月に就任以来、農水大臣にとって重要案件の一つであると思われる「諫早湾干拓事業」の現場に10ヵ月目の7月23日に初めて視察(しかもこそこそと)、感想を求められると、「この事業に反対する気持が分からない」と言ってのけた御仁である。もうそれだけで罷免に値すると思っていたが、今回はからずもそうなった。

急な展開にあせっている候補者も多いだろう。しかしである。我々有権者からすれば、いかに選挙が急転直下であろうが、国会議員の果たすべき責務・役割をしっかりと見据えて日常の地道な活動を積み重ねている人と、裏で金やアンフェアな取引で票を取り込むことに腐心している人を見分ける絶好のチャンスではないだろうか。辞めて欲しい人がいても任期満了までには2年以上も待たなければならなかったのに、動機は別として突如、直接審判を下せるチャンスがめぐってきたのである。この際、暑さも熱さも甘んじて受け、こんどこそしっかりと見極め、思いを込めた「9.11」にしようではないか。

▼お蔭様で≪環っ波≫は発信1周年を迎えました▼
ところで、弊≪環っ波≫は8月15日をもって、発信1周年を迎えました。スタートにあたっては54人の人たちに応援メッセージをいただき、さらに多くの方々に激励の電話やメール、手紙を頂戴しました。それらにどこまでお応えできたかということについては忸怩たるものがあります。旧暦の新年である2月9日にも「ヤルコト」を公言したものの、「工事中」のままのメニューはあまり減っていません。お詫びするとともに、公約を実行しないどこかの政党以下だと自らの怠惰を恥じています。

かと言って、迎えた2年目も気ばかり先行して実践に移せない自らの器量・能力を自覚し、あれもやります、これもやりますとは申しません。やれることを確実にものにしようという心境です。

という、一歩退いた所で、ささやかですが以下のような部分リニューアルをします。
  • 既存の【Action】 を、事前のものは新メニュー 【Event】 とし、事後のものを【Action】 とします。
  • 新メニュー 【環境ヘンだ!ライン】 を設けます。いま、私たちの環境はなにか変です。しかし、忙しさにかまけて時間的観念を失いがちです。日々報道される公害・環境関連のニュースを、ニュースソースを付記した1本のヘッドラインにし、積み重ねることによって、みなさんがそのニュースに遡及できる一助になればという願いです。このネーミングは「環境の変化を1本のヘッドラインで表現する」意味合いを込めてつけました。俗称を「へんだライン(henda−line)」とします。
  • 【環境パノラマ】 で近々、レポート<アスベスト公害>の連載をスタートさせます。日々表面化しているアスベスト問題は「れっきとした公害である」との前提から、いろいろな切り口からレポートします。
  • 【ピース工房日記】 は筆者の都合により“閉店”します。
  • トップページのレイアウトを一部変えます。
最後に、7月からデザイナーが交替しました。立ち上げ前からなにかと面倒をみてくださった西田陽子さんにこの場を借りて厚く、深く御礼申し上げますとともに、目指す有機農業が実現する事をお祈りします。
そして、ほとんどボランティアに近い条件でバトンタッチしてくれたのは気鋭のデザイナー、河村裕行さんです。早速トップページのレイアウトの一部変更に力量を発揮してくれました。

2005/08/01 <15> ▼アスベスト被害は明らかに「公害」。国は認定の方向へ動くべし▼

アスベスト被害? アスベスト禍? アスベスト問題?………すべて“No!”である。アスベストという両刃の剣によってもたらされている中皮腫、肺がん、アスベスト肺などすべては「アスベスト公害」である。もっと言えば「アスベスト行政公害」である。当時もいまも、国や行政は極力軽微に見せかけようとし、その対策も「慎重に検討する」ゆえに遅い。しかも、連日明るみに出された死亡事例や疾病事例はひと握り、氷山の一角。死亡者は今後20年、30年後に10万人とも20万人に上るとも推定されており、角度を変えて見ると、公害の原点「水俣病」に優るとも劣らない、れっきとした「公害」としか言いようがない。

アスベスト問題。この古いテーマがいまなぜ新しいテーマになったのか? 
その“功労者”として「クボタ」という企業をあげたい。2005年6月29日、同社の突然の公表は世間を驚かせた。「従業員、出入りの業者78人がアスベストが原因で起きる中皮腫などで死亡した」とし、それだけでなく「工場付近の住民も発病、うち2人が死亡していた」という内容であった。
それからである。この際便乗しちゃえと考えたのか、同業他社が雨後の竹の子のように相次いで死亡の事実を公表し始めた。その動きは1ヵ月経過した今もなお続いている。これまでの累計では約50社・約500人に及んでいる。

この先べんを切った「クボタ」の行動について、1988年に刊行された『アスベスト対策をどうするか』
(日本評論社)の中心的執筆者だった鈴木武夫さん(元国立公衆衛生院院長)がある公式の場で「クボタが突然“自首”した」と発言した(7月10日)。自首とは言い得て妙な表現だが、追随した他の企業はもし「クボタ」が公表しなかったらいまも沈黙を守っていたのだろうか? もっとも、「クボタ」も『毎日新聞』に迫られ、“自白”したというのが事実経過であるが………。

調べていくうちに、タイミング的に「このためでは?」と思われるものに気づいた。ことし2月24日に制定された「石綿障害予防規則」が7月1日から施行されたのだ。ただ、この規則、「特定化学物質等障害予防規則」、いわゆる「特化則」から石綿を独立させたもので、石綿含有建材による石綿飛散の防止を目的としており、罰則規定はない。いま、にわかに取材攻勢を受けている木野茂さん(立命館大学教授)も「そういうことは考えられる」と言う。
そこで、当事者に聞いてみた。多分ナシのつぶてだろうと思っていたら、この時期に公表した理由については触れられてなかったものの、「社内外で石綿健康被害が起った事実に対し、企業としての責任という観点から、これまで蓄積してきた石綿の使用実態に関する情報とデータを包み隠さず開示することが重要であると判断したため」(要約)との回答が同社CSR推進部名で寄せられた。
かくして、「クボタ」の公表をきっかけに日本中に“アスベストは恐ろしい”というニュースが流れ、人々にアスベストが超危険物質であるという認識を植え付けた“功績”は多としよう。
 
だが、問題はそれ以降である。
例によって、環境省・国土交通省・厚生労働省などの関係官庁や都道府県の自治体が右往左往し始め、その中には滑稽なほどの狼狽ぶりや、またしても責任回避の発言も臆面もなく行なわれたのである。まさに懲りない面々である。
そして、相次いで国や自治体の行政側のミスと断定してよい事例が公表された。
その一部を上げると―

(1) 1971年当時、旧労働省がアスベスト問題が「労災だけでなく、公害問題に発展する可能性がある」と「特化則」の解説書の中で明確に指摘していたが、その指摘は活かされず、1989年の大気汚染防止法改正まで具体的な措置が講じられることはなかった。 【読売新聞】
(2) 1972年、旧環境庁は「アスベストが工場周辺の住民などに健康被害を与える可能性について認識していた」(小池百合子大臣、7月22日の記者会見で発言)が、対策を取ったのは89年の大気汚染防止法改正時だった。 【朝日新聞】
(3) 1977年、アスベスト吹き付け作業が全面禁止となり、大気中のアスベスト濃度測定を開始、規制も開始したが、環境省は「一般国民にとってのリスクは著しく小さい」として、公害対策としての規制措置は見送った。 【読売新聞】
*このほか旧環境庁/現環境省の怠慢は数多く、目に余る。
(4) 1977年、労働基準監督署が埼玉県羽生市の「曙ブレーキ工業」羽生製作所で、外部にアスベストが飛散し住民11人が死亡している可能性を指摘、旧労働省の埼玉労働基準局に早急な対応を求めたが、当時、アスベストの危険性は認識され、旧労働省も規制を始めていたにもかかわらず対策は講じられなかった。 【朝日新聞】
(5) 旧厚生省は「死因調査」で長い間、〈中皮腫〉について取り上げ、分類しなかった。95年に至ってWHO(世界保健機構)が国際疾病分類を変更したのにともない統計を取り始めた。 【朝日新聞】
(6)

1992年、日本石綿協会など石綿業界は、当時社民党の五島正規議員(現・民主党)が石綿製品の製造などを原則禁止とする議員立法に動いていることを察知し、当時の通産省に「労働環境は改善されており、健康被害は起り得ない」などと陳情。結局、これに自民党が乗り、法案化に反対したため一度も審議されないまま葬り去られた。  
*この業界はかなり悪質だ。新規製造が禁止された昨年10月以降も、建材メーカーは規制対象外の在庫品を販売し続けたことが報道された。 【朝日新聞】

(7)

大手の損保保険会社は80年代半ばから、企業が付近の住民や従業員から請求されるアスベスト被害と思われる賠償金について対象外とする免責契約に切り替えていた。 【共同通信】

―まだまだあるが、取り上げたらキリがないのでこのへんにして、話を進めたい。

これらの事例が30年〜20年たって、いま白日の下にさらされた。思い起こすと、70年代は水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜん息をいわゆる4大公害とし、“公害国会”さえ開かれた時代であった。当時の厚生省、労働省、環境庁、通産省などがそれらの対応におおわらわだったことは容易に想像される。勘繰れば「この上、アスベスト問題までも表面化したのではたまらない」という判断が行政側の上にも下にもあったのではないか?

こう考えてくると、アスベスト被害は明確に「公害」である。現に、「クボタ」の幡掛大輔社長も「国全体で対策に取り組まなければならないという意味では公害だと思う」と述懐している。

政府は7月29日、ようやく重い腰を上げ、細田官房長官をトップにする関係閣僚会議を開き、「緊急対策」なるものを決定した。4項目の対応策を決め、実態の把握に乗り出すことになった。それらが無駄と言うつもりはない。だが、「公害として認定する」という決意が欠けている。どうせ、法律の性質にそぐわないとか要件を充たしてないなどと言うのだろう。もう、そういう屁理屈に国民は飽き飽きしてい
る。きょう以降も20年、30年前に本人が無意識のうちに体内に吸い込んだアスベストという“ミクロの刺客”によって手の打ちようのない病に侵され、死亡してしまうのである。

重ねて強調したい。
超法規で「公害」として認定し、対策を講じることに異論を唱える者はいないだろう。熟年、中年のみならず、アスベスト建材を大量に使った学校の体育館で過ごした若者たちや子供たちもすでに“静かなる時限爆弾”を吸い込んでいるかもしれないからだ。


2005/06/29 <14>
“話しの達人”たちの言葉は印象深かった(左から栗原さん、河合さん、柳田さん)
=2005年5月27日、東京・御茶ノ水の明治大学で
ここ1ヵ月あまりの間に二つの公開の議論を傍聴する機会を得た。二つの場は、目的も狙いも異なるものであったが、奇しくも昨今の世情を反映するキーワード<謝罪>ということで共通していた。

一つは、2005年5月27日、東京・御茶ノ水の明治大学で催された公開鼎談会で「生きることとと言葉」がテーマであった。鼎談者は文化庁長官で臨床心理学者の河合隼雄さん、ノンフィクション作家の柳田邦男さん、そして明治大学教授でボタンティア学会や水俣フォーラムの代表を務める栗原彬さんの3人で、2時間にわたって薀蓄を傾けてくれた。

印象に残った言葉がいくつかあった。
柳田邦男さんは、その前日に月刊誌(『現代』7月号)への原稿を脱稿したばかりだと前置きして、JR福知山線の大事故で奇跡的に助かった女子大生とのインタビューのときの様子を生々しく語った。あの朝、偶然乗り合わせた友人と車中で話しながら事故現場に差しかかり、事故に会い、結果的には友人との死別を実体験したことによる「心の共生」について触れた。
栗原彬さんは、水俣病患者たちとの交流などの体験を通じて思い至った「誠の言葉」という表現をした。

もう一つは、2005年6月14日、東京・霞ヶ関の環境省で開かれた「水俣病に係る懇談会」で、この日は2回目の会合であった。(この懇談会、小池環境大臣の発案により立ち上げられた私的懇談会で事前申込み制であるが、一度は傍聴されることをお勧めする)
有馬朗人・元文部大臣が座長を務め、10人の委員が全員発言するルールらしい(どこかの会議のように、一言も発言しないで帰る委員は一人もいなかった)。この日のハイライトは、前水俣市長の吉井正澄さんの「報告」であった。その全文はご本人の了承を得て掲載しているのでぜひ一読して欲しい。

市長退任後も本業の林業を続けている吉井さんだが、市議から水俣市長になってすぐ、市行政として初めて公式に水俣病の発生、被害の拡大を防げなかったことについて詫びたことで一躍その名を知られた人である。この日の「報告」は傍聴席にも配布されたが、吉井さん自身がワープロでA4版に小さ目のフォントで9枚にわたってびっしりと打ち込んだもの。水俣弁なまりでトクトクと読み上げたが、圧巻は「来年の(水俣病の)公式発見50年という節目の慰霊式に総理大臣自らが出席し、反省と謝罪を行うことが少しでも犠牲者やいまなお苦しんでいる人たちの心を和ますことだ」と求めたことであった。
この報告に触発されたのか有馬座長以下、ほとんどの委員の発言をキーワードでくくれば<謝罪>であった。

偶然の重なりだが、前述した柳田邦男さんも委員の一人として出席、発言した。水俣で胎児性患者の支援活動を続けている加藤たけ子さん(ほっとはうす代表)は「中味のない謝罪は謝罪とは言えない」と指摘。そして「昨今、連日のように報じられている国や行政や企業や団体トップの謝罪は必ずといっていいくらい“世間をお騒がせして申し訳ない”と言う。これはなんに対する謝罪なのか?」と屋山太郎さん(政治評論家)や亀山継夫さん(元最高裁判事)も異口同音に発言。


全委員が発言するこの懇談会は一見の価値がある
=2005年6月14日、東京・霞ヶ関の環境省で
そして、“公務のため”とは言え、自ら召集したにもかかわらず予定時間の半分を過ぎて出席した小池百合子大臣も「(関西訴訟の最高裁判決後に)謝罪したが、今後は総合対策をしっかりやりたい」と<謝罪>の言葉を口にした。しかし、この人から<謝罪>という言葉を聞くと、患者の人たちに迫られて渋々<謝罪>したシーンをどうしても思い出してしまう。

数日が過ぎ、我々に<謝罪>とは何か? を改めて考えさせてくれたJR西日本が事故から55日目の6月19日、ついに運転を再開した。この日、一番電車に乗った垣内社長はまたも<謝罪>の言葉を口にした。

<謝罪>。罪や過ちを詫びることであり、本来はとても重い意味合いを持っているはずだ。なのに、昨今の<謝罪>はテレビカメラの前で関係者が揃って頭を下げる儀式になっていないか? 確かに、不特定多数の人たちに社会的地位にある人間が深々と頭を下げることは屈辱に違いない。ゆえに、あの場で頭を下げ、世間を騒がして申し訳ないと言えば“みそぎ”はすんだと、もしかしたら錯覚するのではないか?

<謝罪>ということで言えば、日本の“侵略”戦争によって何千万人という人の生命を奪い、山河を破壊したアジアの人たちや国や地域への謝罪もいま改めて問題提起されている。ここでは、このこと自体について論ずる紙数はないが、折りしも小泉首相が韓国に飛び、盧大統領と会談した(6月20日)。ソウルで迎え撃つさまざまな層のデモ隊のプラカードには揃って<謝罪>の文字が書きなぐられている。

戦争を知らない世代が外国人に<謝罪>する必要はないとか、水俣病の原因者でない者が患者やその関係者に<謝罪>するのは筋が違うとかの意見もあろう。そう単純なものでないことも一面の事実であろう。
が、今、我々は一人の日本人として<謝罪>についてもう一度根底から考え直し、一人ひとりが<謝罪>へのスタンスを固める必要があると思えてならない。そこから出てくるのが誠の「誠の言葉」ではないだろうか。



2005/05/20 <13> 唖然→呆然→愕然………。
2005年5月16日午前11時30分頃、第一報を聞いた時のわが感情の移り変わりである。国が佐賀地裁の下した諫早湾干拓事業への工事差し止め命令(2004年8月26日)と、それへの異議申立てに対する仮処分認可決定(2005年1月12日)に対し不服とした保全抗告への福岡高裁(中川弘幸裁判長)の決定は「日本の司法史上稀に見る不当な決定」(よみがえれ!有明海訴訟弁護団)のいささかオーバーと思われる言葉がそのまま当てはまると言って過言ではない。「不当」であるばかりでなく、「不条理」であり、大乗的見地を欠いた決定とさえ言いたい。

たとえば―
漁民が「漁業行使権を第三者から侵害されたときは、直接その第三者に対し、妨害排除ないし妨害予防の物件的請求権を行使できる」が、「ただ、漁業環境が悪化したからといって、すぐこれらの物件的請求権が発生するものではない」とし、様々な事象を「総合考慮して、はじめて決定される」べきで、工事差し止めを認めるか否かは「その事柄の性質上、これらの事由の疎明の程度としては、一般の場合に比べて高くなる、いわゆる証明に近いものが要求される」と、“判断”している。工事差し止めを認めた佐賀地裁の判断ともっとも異なる点である。佐賀地裁が国と同じレベルの証明を漁民側に求めるのは酷である、疑わしきは罰せよという判断を下したことは日々破壊が進んでいる我が国の自然環境をめぐる法的争いには必要不可欠な“基準”ではないか。「不当な決定」の所以である。

もう一点。
干拓工事と漁業環境の悪化の関連性について、福岡高裁は「定性的には否定できないが、定量的には明らかでない。現在のところ、漁業被害をもたらす可能性が考えられるというに止まる」としている。冗談じゃない! 中山裁判長以下、この決定に加わった裁判官はこの訴訟を何と心得ているのだろうか? 定性的にはもちろん、定量的にも十分に説明されている。だからこそ農水省は自ら設置した「ノリ第三者委員会」が「有明海の異変は干拓事業にあると想定されるので、それを科学的に明確にするために開門調査が必要」とした提言を無視し、アリバイ作りの短期開門調査でお茶を濁し、その後、今日に至るまで「科学的には明確にされていない」と言い続けているではないか。その意味から、今回の決定はあまりにも「国に肩入れしすぎた不条理な決定」である。

この件でよく言われることに工事の進捗状況および国家財政の投入実績がある。総事業費は2460億円で、工事進捗率は2003年度末(2004年3月)で94%という「事実」である。推進派は「ここまで国の財政を投入したものを水泡に帰していのか?」と声高に言う。あえて言い返したい。「やむを得ない、有明の海を救うためには」と。そして、日常茶飯事のように伝えられている種々の無駄使いや公的機関における不正行為などをなくす事によって、国トータルの損失は補えて余りあるのではないか? 国民的コンセンサスから言っても、「国は立案時と異なり、この計画を強行しようと誤った判断をした。有明海の自然生態系を壊滅的にしないために断念する」と英断したら大方の賛同を得られるのではないだろうか。
さて、問題は「これからのこと」だ。

確かに、弁護団や多くのマスコミが分析しているように、「因果関係は認めざるをえなかった」とか、「中長期開門調査の必要性は認めた」とか、敗訴の中にも一筋の光明を求めたコメントを発している。このことで、国が中長期開門調査をする義務があるとか、工事の妥当性を認めたものではないとかの指摘があるが、相手はそんなヤワな(純なと言うべきか)精神を持ち合わせてはいない。現に、「中長期開門調査は実施しないという昨年5月の判断に変わりはない」(石原葵次官、5月18日の会見で言明)としながら、一方で決定から2日しかたっていない同日、雨の中、早くも工事のための重機の運び込みを開始したという自己に都合のよい部分だけを取捨し、実行していくという精神の持ち主の集団なのだ。

弁護団は5月16日、「最高裁への抗告は行なわず、潮受け堤防の水門開放を求める行政訴訟を起す」ことに決めた。原告となる漁民を募り、6月上旬をメドに佐賀地裁に提訴するという。いわば“肉を切らせて骨を切る”戦略への転換と言える。現実的な選択肢であろうが、どうしても気になるのが夏までには出るであろうとされている公調委(公害等調整委員会)の裁定だ。裁定そのものに法的拘束力はないものの、因果関係が認められれば「調停」を求めることが出来る。これまで公調委でのやりとりを何回か傍聴しているが、素人目にも農水側の対応はレベルが低いし、福岡高裁の決定を引用すれば漁民側の「疎明の程度は高い」。

これ以上、うがった見方はしたくないが、今回の福岡高裁の決定が公調委の裁定結果に何らかの影響を与えねばいいがと願わざるを得ない。


≪追加情報≫
原告の漁民と弁護団は5月20日、福岡高裁に「同高裁の16日の決定は不服」として、最高裁への「抗告許可」を求める申し立てを行なった。
弁護団は福岡高裁の決定が出された16日、いったんは抗告を断念し、潮受け堤防の排水門開放を国に義務づけを求める行政訴訟を行なう方針に転換したが、その後、国側が「中長期開門調査はしない」(島村農水大臣)と表明したり、決定2日後には工事再開に動き始めたことなどに、「最高裁初め手を尽くして闘うべきだ」との声が高まったため、方針転換したもの。この申立により排水門開放の行政訴訟と2本立てで闘っていくことになった。
「抗告許可」とは、高裁の決定に不服がある場合、最高裁に行うことができる抗告で、高裁が許可すれば最高裁で審理される。

たとえ裁判長が国の弁護人を務めた人でも“健全な判決”が下されると信じ、期待して各地から集まった漁民や支持者たち
=2005年5月16日10:00〜11:00頃
福岡高裁前で

しかし、馬奈木弁護団長から“悲惨な決定”を聞かされた元さん(左の写真・右から2人目)ら漁民・支援者の落胆はやがて新たな怒りに結集された
=2005年5月16日11:15分頃、同所
【撮影:いずれも時津良治さん】


2005/05/06 <12> どうやら我がニッポンは自然環境のみならず、生活環境も破壊の一途をたどっているようだ。
連日のように伝えられている理解を超える殺人事件や幼児への虐待などに困惑していたら、相次ぐ交通機関の不祥事………。つい数日前に国土交通大臣が日本航空を呼びつけて叱ったと思ったら、こんどは同じ大臣が日本航空を訪れ、陳謝しているという、まるで叱りゴッコ、叱られゴッコをしている。そんな様を見ていると、官から民まで日本中のタガが緩んでしまった感すらある。

JR西日本が会社ぐるみ(と、あえて言う)で引き起こした大惨事は時がたつにつれて企業体として構造的な問題があったことが浮き彫りにされてきた。あるテレビ番組でコメンテーターが力説していた「天災は防げない。が、この事故は人災であり、防げたはずだ」は結果論とはいえ、その通りだと思う。なにが原因であるかは別にして、今回の事故は人為的な事故としか言い様がないし、発生直後から今日までの“加害者・JR西日本”の対応は公害発生企業のそれと酷似していることに気がつく。事故(事件)の原因をあの手この手を使って自己責任から逃れようとする様は何十年たっても変わらない。その上、脱線した電車に2人の運転士が乗り合わせていたが、周辺住民の必死の救助活動を尻目に上司の指示で現場を立ち去り、出社したことが報道側から追及されて渋々「遺憾です」と答える幹部、事故を知りながら、休暇とは言え、その日の午後40数名がボウリング大会に興じ、その後、半数の社員は飲酒をしたこととか、よりによって事故後1週間あまりのうちに10数件のオーバーラーンを繰り返していたという事実など怒りを超えて飽きれるような事例が続々白日の下に曝け出されている。そして、これらは何も「西」だけの専売特許ではなく、「考え事をしていた」ために170メートルもオーバーラーンしたJR東日本の事例などを知らされるにつけ、どのJRとも十羽一からげに公的交通機関の資格なしと言われても仕方ないのでは?

陸だけでない。空でも唖然とさせられる事件が起きている。閉鎖中の滑走路に、機長からの再三の確認にもかかわらず着陸を許可・誘導するという航空管制ミス、交通渋滞事情を空中視察した帰路、なんらかの原因により集合住宅をかすめ墜落・炎上した静岡県警のヘリ………。犠牲になった方々には冥福を祈るしかないが、管制ミスにしてもヘリの墜落にしても紙一重でさらに多くの人命が失われていたと思うとぞっとする。

これら一連の事故をマスコミは繰り返し様々なことを伝えている。とりわけ「安全第一」を最重要項目に上げている。それには異存はないが、この際、あえて付言しておきたい。安全第一故に起るであろう「ダイアの遅延」に対して、我々利用者は寛容でなければならないのではないか、ということである。「安全に早く」は残念ながら限界を超えている。

5月3日は施行から58年回目の憲法記念日だった。
にわかに憲法論議がかまびすしくなってきた。時流に乗り遅れまいとこの日、半日を費やして『日本国憲法』を読み直してみた。白状すると、ここ数年の国内外の激動を勘案すると、「改憲やむなし?」という思いを抱き始めていた。しかし、改めて読み直しての我が結論は「改憲は不要」である。こういう“しばり”があったからこそ我がニッポンはこの60年、不戦で来れたわけだ。タガを緩めれば、自らを含め、冷めやすい我らの国民性は再び悪夢を繰り返すこと必定だからだ。

そしてもう一つ。「改憲は究極のところ環境を破壊する」という思いを強くしたからだ。


2005/04/11 <11> 年度替りはしたものの、世の中一向に「新しさ」が見えてこない。むしろ、「腹立つ事のみ多かりき」である。リフレッシュどころかストレスは溜まる一方。その最たる例が「有明海・諫早湾」をめぐる3つのケースだ。

その1は“むつごろう訴訟”に対する棄却の判決。2005年3月15日、長崎地裁はいわゆる“むつごろう訴訟”に棄却の判決を下した。長崎地裁の伊東譲二裁判長が下したこの判決にはいささか不服である。一口で言えば“情けない判決”である。

裁判は「情」ではなく、「法律」に照らして判断されることは重々承知の上だが、今回の判決、あまりにも大局的な思想・発想に乏しいと言わざるをえない。
判決を傍聴したわけではないので臨場感に乏しいきらいはあるが、公表された判決要旨を読んだ限りでは、「敗訴は覚悟していたものの、あまりにも夢も希望もない判決」と、その内容の空虚さに落胆した原告団のコメントは100%理解できる。

この訴訟、1996年7月に提訴されたことから始まっている。原告が諫早湾とムツゴロウ、ズグロカモメ、ハマシギ、シオマネキ、ハイガイの自然物と住民6人(しかし提訴後に1人死亡し、1人取り下げ)が原告となり、人間原告が自然物の権利を代弁する形で審理が行なわれた前例の少ない裁判であった。少ない、と言ったのは皆無ではないからで、95年に奄美大島のゴルフ場開発に伴う「アマミノクロウサギ訴訟」(2月)と、霞ヶ浦の「オオヒシクイ訴訟」(12月)の2例があったからだ。そして9年(正確には8年8ヵ月)近くたっての今回の判決である。

長崎地裁が下した判決は自然物に「当事者能力を認める現行法上の規定がない。当事者能力を認めることはできない」という理由である。確かに現行法上の規定はないであろう。故に「前例がない」わけである。前例がない事はしない―のは官僚の習いである。しかし、我々庶民の感覚は裁判官は身分は公務員だが、官僚ではないという思いが強い。国・地方に限らず公務員の報酬が引き下げられているご時世の中で、彼らの身分は唯一、憲法で守られている(在任中、報酬は減じられてはならない)という事実をご存知だろうか。だとすれば、「前例」を作ればよかったのに。恐らく後世、我が国裁判史上、燦然と輝く判決となったに違いない。今回の裁判は、ギロチンが閉じられ、有明海に異変が現われる以前に提訴されたものであるからだ。

なぜか?
判決理由(要旨)を見ると、先述した「現行法上の規定がないこと」の次に、「自然物原告らに当事者能力を認めることはできない」としている。果たしてそうだろうか?
「国営諫早湾土地改良事業」―判決の“原告らが言う「国営諫早湾干拓事業」の正式名称”などという言い方がまず気に入らないが―によって、彼らは明らかに自然享有権(国民が豊かな自然環境を享受する権利)を失い、その生命すら断たれたのである。諫早湾が健全な状態であれば彼らはイキイキとし、人々を豊かな気持にさせ、場合によっては多額の商品価値をもたらしていたのである。彼らが直接貨幣の循環に参加することはできない。しかし、干拓事業が行なわれず、諫早湾がそれ以前の状態であれば十二分にある種の担保価値を発揮できたのである。たまたま物言えぬ彼らに代わって、奇特な5人の人間が彼らの声なき声を代弁し、闘ったにすぎない。
さらに、最新情報によれば、米カリフォルニア州の連邦地裁はジュゴンを「原告適格」として認めたではないか! もはやそういう価値観の世の中になっているのである。

むつごろう訴訟とはそういう奥の深い訴訟であったのだ。にもかかわらず、長崎地裁の判決は木を見て森を見ずどころか、せいぜい梢や1本の枝くらいしか見ていない、とあえて申し上げておく。

「イサカン」なかりせばそもそもこういう訴訟は起こらないのだ。すでに物凄い国家予算をつぎ込んで工事は90%以上進んでいる。その結果、愚かな農水省は佐賀地裁の工事停止の仮処分決定を表面上は「真摯に受け止め」工事そのものは中断しているが、水面下でやっている、あるいはやろうとしていることは真摯に受けとめるどころか「無視」していると言っても良いくらいだ。

その2は3月28日、公調委の結審が行なわれた後にもたれた漁民・弁護団との交渉での農水省の対応である。まるで前回、前々回のビデオを見ているような錯覚さえ覚える。同席した野党の国会議員が声を荒げる場面もあった(そう言えば、どうして自民党議員は1人も出ないのだろう?)。

さらには漁民を支援するネットワークの女性たちの努力によってまとめられた「堤防締めきり以降、有明海漁民の自殺・同未遂事件等リスト」が持ち出され、昨年1年で5人が、今年に入っても2人が自殺している現実を突き付けられ、それへの感想を求められても彼らから人間的な反応は露ほども現われなかった。

大鋸知弘君の勇気ある発言を農水官僚(左側奥)はどう受け止めたか?
=2005年3月28日、衆議院議員会館で
そんな中で唯一、一服の清涼剤とでも言おうか、佐賀県大浦の漁師・大鋸幸弘さんの息子さんで、休暇を取って傍聴に来ていた東京で介護ヘルパーの仕事をしている19歳の大鋸知弘君が立ち上がり勇気ある発言をした。「ボクは高校を卒業したら父の後を継ごうと思っていました。でも海へ手伝いに行っても全然獲れないのです。同じような思いを持っていた人間もいたのに、いまは大浦で後を継ごうという若い人はいません。こういう現実を親身になって受け止めて下さい!」
無表情を装いメモを取るふりをしていた官僚側の中で唯一、水産庁のI課長補佐が立ち上がって「私にも子供がいます。重く受け止めます」と涙目になって答えた。一人、Iさんが動いても事態は動かないであろう。しかし、官僚にも良心はあるなずだ。もっともそれに期待するのはいかにも寂しいが………。

そして、その3は最近急浮上してきた“有明海再生という名の環境破壊事業”だ。企んでいるのは国交省。港湾整備で発生する浚渫土(へドロ)を“活用した人口干潟”を福岡県・三池港と佐賀県・太良港に造成するとし、2005年度予算で設計調査費として1億2000万円を配分したことを公にしている。一体何を考えているのだろうか?

干潮時に野崎漁港から撮影した人口干潟予定地。先方の潮が陸側に入り込んだ付近が予定地
=撮影・提供:大鋸豊久さん
これについては、地元の一部漁民、環境NGO、学識経験者らが問題視し、いま動いているのでその動向を見守りたいが、どこまで税金を無駄使いし、しかも環境破壊したら気がすむのか? いつから日本の官僚は環境破壊屋に成り下がったのか? 官僚よ明白に答えるべし!

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