■栗田 彰■
■ 講 演 ■
《公開セミナー「江戸の下水道」で》
「下水」という言葉から始まり、「江戸の下水道のしくみ」、「江戸川柳に詠まれた下水道」、そして「江戸の下水管理」、「江戸の暮しと下水道」などのテーマで、雨水市民の会の第1回公開セミナーで講演。江戸がいかに下水を大事にし、清潔な町に“行政”も庶民も心したかを、時にはきわどい川柳を引用しながら熱く語った。
=2004年10月2日、東京・中央大学駿河台記念館で

川柳を触媒に江戸と下水(環境)をソフトな語り口で説く栗田さんの講演は楽しい

■ 写真撮影/史料収集 ■
江戸の史跡、明治の史跡を訪ねる》
栗田さん自身が研究の一環で現場を訪ね、撮影した東京都内の史跡の一部。コメントも付けていただいた。

「北町奉行所前の石組下水」東京駅八重洲北口遺跡
使われていた場所が特定できる貴重な史料であるが、残念ながら調査後に廃棄されてしまった………。

「旧岩崎邸」のトイレや下水の配管図
明治29年に建てられたという。その頃に水洗便所が使われていたことになる。
配管図を見ると、下水は不忍池へ流し込まれていたように思える。
水洗便所・洋式便器 水洗便所・ハイタンク
水洗便所・小便器 下水配管図

=いずれも最高裁研修所として使われていた1989年5月頃に撮影


「新宿区荒木町石組下水(現・公共下水道)」
いつ頃布設されたものかは分からないが、この石組下水に後からマンホールが取り付けられ、公共下水道として使用されている。

≪「江戸下水」を探る中で拾い出した資料の一部≫
いかに縦横に堀が作られ、下水道網が構築されていたか。いかにゴミの流出を下水段階で食い止めるか。―江戸には様々な創意と工夫が施されていたかを示す絵図類である。


流し、井戸端、下水路が描かれている=『江戸名所図会』より「竹女故事」

大名屋敷の石組下水、排水口、下水桝(?)=『江戸名所図会』より「霞が関」

道路端につくられていた雨落下水=『江戸名所図会』より「錦袋圓」

下水路の中につくられていた「ごみ除け杭」=『江戸名所図会』より「鮫が橋」

堀が川に合流するところに設けられていた「ごみ除け柵」=『江戸名所図会』より「西本願寺」

「雨落下水」と新道につくられた下水路
【富沢町沽券図】
「往還下水蓋有」と記されている
【元大坂町沽券図】
=いずれも中央区立京橋図書館郷土資料室・蔵
                                   

栗田ワールド》
T.江戸の町の「下水の仕組み」
『沽券絵図面』や『御内府備考』の記事を参考にして、江戸の町の「下水の仕組み」を想像で描いたもの。さながら《栗田ワールド》に踏み込んだ感じだ。


U.隅田川に流れ込んでいた江戸の堀や川
こうして図面化して見ると、いかに多くの堀が掘られ、川に流れ込んでいたかが分かる。

T.江戸の町の「下水の仕組み」 U.隅田川に流れ込んでいた江戸の堀や川
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