■栗田 彰■


栗田 彰 さん
[KURITA Akira]
下水文化研究家

栗田 彰さんは東京都の下水道局のお役人さんだったが、「江戸の川柳」にはまってしまった。きっかけは江戸時代の下水の文献漁りだったようだが、いつしか「江戸」+「川柳」+「環境」という3つのキーワードがからんできた。どんな帰結になるかは読み通してのお楽しみである。

江戸を知り、江戸に学ぶことは多々ある
行政の発想に庶民も同調し、協力した
―― 東京都の下水道局のお役人だったお仕事と川柳というつながり、それがさらに下水と結びついていった経過がどうしてもピンと来ません(笑い)。そのへんから伺います。

<栗田> 落語好きだったということが関係あるように思いますね。落語は小学校の頃からです。最初はラジオで聞いていました。そして、「江戸」に興味を持ったのは角川文庫の『江戸名所図会』を買ってからでしょう。どうして買ったのかは覚えていません。1968年頃ですから、もう役人になっていました。
それから、20代の頃に古本屋で買った昭和23年(1948)刊行の『名句江戸川柳』という本で川柳のおもしろさを啓蒙された。面白いと思った句に印をつけたり、一部を転記してみたりしました。
まあ、そんな伏線があったんですが、昭和50年代の後半に下水道局広報係への異動がありましてね、下水道局へ訪ねて来られた都民から「江戸の下水道はどうなっていたのか?」と聞かれたんですが、資料もなく、ましてや知識もないわけでまったく答えられなかったんです(笑い)。それからです、自分でも知りたくなりましてねえ……。
とはいえ、なにを取っ掛かりにして良いか分からない。それで、江戸民俗資料の宝庫と言われている川柳を手がかりに「江戸の下水道」を見てみようかという思いに至ったんですね。

―― 大正解だった(笑い)。

<栗田> 『御府内備考』をはじめとして、「江戸」に関する本を読み漁りながら、「下水」に関する資料を集めたんです。
そして、いろいろ資料やら文献を集め始めたんですが、ただ集めるだけじゃあ意味がないと思い、業界紙(『水道産業新聞』)に、連載記事を掲載してもらった。初めは資料紹介の域を出なかったんですが、「日本下水文化研究会」で江戸の下水道について話をするようになりました。そのときの質疑応答で、東京の下水道は明治からでなく、江戸から続いているんだというアドバイスも受け、下水文化研究会の会員になるように勧められ、入会しました。それからですね、本格的に調べ始めたのは。
シンプルだった? 江戸庶民の住環境のあり方への発想
―― 江戸時代、とりわけ元禄時代までが顕著だったようですが、下水道を完備したり、ゴミの問題とかに行政―当時は幕府でしょうが―も住民も力を入れたわけですが、どうしてそういうことが行なわれたのか? また、いまの世の中に当てはめたらどんな感じでしょうか?

<栗田> ある意味でシンプルな発想だったのではないでしょうか。要は、汚いものを流せば目に見えるわけですね。ということは、どこかへ流してしまえでなく、流したら知らないよでなく、自分たちが住んでいるところはできるだけきれいにしておきたいというのが庶民の発想だったのではないでしょうか。
それと、行政的に言えば下水にゴミが流れ出せば堀や川がゴミで埋まってしまい、当時の流通の中心だった舟の運航に支障が出る。それを避けるために神経を使ったんじゃないでしょうか。

―― 下水道の専従的な役所とか機関はあったのでしょうか?

<栗田> 全容は分からないのですが、17世紀中頃の寛文6年に下水奉行というのが廃止されたことがはっきりしています。ですから逆に言うと、そういう組織は存在した。しかし、それがいつ設けられ、どういう人がやっていたのかというのはいろいろな文献を当っていますが、まだ分かっていません。江戸時代前期から、下水にゴミを捨てるなという町触(まちぶれ)がたびたび出されていますから、「捨てるな」ということは、「捨てる者がいた」ことになると思います。まあ、想像できるのは最初のうちは相当ゴミが多く下水に流され、舟の往来に支障を来していたので、なんとかしなければいかんということで専門奉行を設け、その後いろいろな努力によって改善されたのでもういいだろうということになったのではないでしょうか。

―― そういう江戸の知恵をいまの世に導入する余地はありますか?

<栗田> 近代の下水道は始まって100年じゃないですか。人類の歴史に比べたら100年なんてほんの一瞬ですよ。直すんだったら今じゃないですかね。じゃあ、具体的に言えといわれると困りますが、お江戸のそれに学ぶものはあるんじゃないですかね、暴論ですかね?(笑い)

―― 川柳に「下水」が詠われているのは2つや3つではないですよね。

<栗田> 相当ありますね。ぱっと見て、目についたのをピックアップしてみました。13句ありました。

―― 選んだ基準みたいなものはなんですか?

<栗田> 江戸の下水を説明するのに分かりやすいと思ったというのが基準でしょうか。それにしても「下水」という言葉は面白いですよね。「下水道」という言葉は明治になって「下水道法」ができてからと思っていましたが、町触の中で使われているんです。しかも今で言うところの「下水道」や「下水路」の意味で。語源的には「穢水(けすい)」から来ていると言われてますが、文献上で使われたのは室町時代のようです。

緑多く、掃除も行き届いていた江戸の町々

―― そういう意味では、江戸はいまの東京よりはるかに清潔な町だったと言えるのでしょうか?

栗田> そうだと思いますね。たとえば、樹木です。武家屋敷や寺社に緑が多かったので豊かだったのではないでしょうか。それから清掃が行き届いていたと考えられます。これは道路の掃除もことあるごとに町触が出されていた。将軍の外出時、公家の発着時、これはいまもありそうですが外国人が発着する時、さらには風が激しい時期などに町の清掃義務を知らしめる触れが出たようです。
それから、江戸中の井戸浚え(井戸替え)や大掃除(煤掃き)が年中行事として同じ日に行われていたんですね。たとえば井戸浚いは7月7日(6月下旬から7月上旬とも)でしたし、煤掃きは12月13日に一斉に行なわれていました。
水対策では下水には沈殿槽が設けられていたところもありましたし、下水が堀や川に流れ出る所には、ごみ溜用の杭や柵が設けられていました。これはさきほど申し上げました、ごみが堀や川へ流れ出て水底が埋まると舟運に差支えが出るからです。
こうして見ますと、現在の東京の地図からは想像もできないほど、江戸の町には堀や川が流れていて、洪水防御や気温上昇の抑制に役立っていたと思われます。『江戸名所図会』を見てますと、そういうこともイメージできて楽しいです。
悪質な汚水は「流すな」でなく、「発生元で抑えろ」だ
―― いやあ、はまっていったのがよく分かります(笑い)。ところで、著書『江戸の下水道』のあとがきに「これからの下水道は仕組みを換えて三つに分けたらよい」とお書きになっています。即ち、(1)雨水用でそのまま川や海に流す。(2)屎尿(しにょう)用で肥料の一つとして活用するために肥料工場へ。(3)雑排水用で台所や風呂場からの排水を処理して飲み水以外の水として再利用する。但し、有害物質を流さないことと、有害物質を含む製品は作らないようにすることを条件として付けています。これは97年にお書きになりましたが、いまでもこのお考えは変わりませんか?

<栗田> 変わっていません。ただ、屎尿用の下水道は必要がない。もっと他の方法があるのではないかということと、汚水と雨水は別々に流したほうがいいと思いますし、なんと言っても一番問題になるのは悪質な汚水を流さないというより発生するところで抑え込まないと意味がないですよね。どうも、いまの「下水道」に対してはなんでもきれいにしてくれるんだと思い込んでいる向きが多いですね。下水道は万能ではないんですね。こういう話があります。ある主婦が下水道局の役人に「処理した下水は100%きれいなんですか?」と聞いたら、その役人は「100%きれいです」と答えたんで、主婦が「じゃあ飲めるんですね」とたたみかけたら、以後こういうやりとりになったそうです。「いえ飲めません」→「だって、100%きれいだと言ったじゃないですか」→「100%というのは排水基準を全部クリアーしているという意味での100%です」と………。
環境教育の根本は親の子への躾けに尽きる
―― 話が飛びますが、栗田さんはいわゆる環境教育の必要性についてはどのようにお考えでしょうか?

<栗田> 
難しいですが、まず環境を破壊してきたものは何だったのか。それは一言で言えば金儲け、効率性、行政(役人)の無知・怠慢などではないでしょうか。そして、環境を守ることは人間の仕事、即ち教室で教えることではなく、暮らしの中で子供たちに躾けることだと思います。さらに、その躾けは親から子へ引き継がれるべきものです。ですから、親が手本にならなければ話になりません。私も親の端くれですが、とくに若いお父さん、お母さんにはそのへんをよく頭に入れてお子さんたちをリードしていってほしいですね。

―― その具体的な方法論でアピールしたいことありますか?
 
<栗田> 環境問題ばかりではなく、生活全般について行政と住民、専門家(学者・実務経験者)が協力共同していける関係を築く必要があると思っています。こじつけになるかも知れませんが、江戸のそういう結びつきを今風にアレンジしたらもっと住み良い世の中になると思うんですがね。甘いですかね(笑い)。

―― 最後に、いまやられていること、これからやりたいことについてお聞かせ下さい。

<栗田> 「江戸下水道史」をまとめたいと思っています。いま、町触から下水に関するものを拾い出す作業をしています。人間にとって本当に必要な下水道とはどういうものなのかを探りたいですね。それは江戸に戻るのではなく、江戸から学ぶという意味で………。

―― ありがとうございました。刊行を楽しみにしています。
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