北神戸 丹生山田の郷
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鈴蘭台関連リンク(*26)

菊水山から見た鈴蘭台JR神戸駅の西、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のおじさん故淀川長治(映画評論家)が活動写真館に通った新開地から神戸電鉄に乗って10数分、烏原川沿いの急勾配の山間地を登ってトンネルを抜けたところにいきなり広がる街並みが鈴蘭台。

かつては、山田町小部の一部であった(小部の元々の集落の中心であった小部小学校付近よりやや南側の地域を中心とする)鈴蘭台地区は現在は北区の行政・交通などの中心で、最大の人口集中地域。鈴蘭台という地名は無く、鈴蘭台駅を囲む鈴蘭台西町・北町・東町・南町から、北鈴蘭台駅、西鈴蘭台駅方面に広がる街並み全体が鈴蘭台と総称されている。

(写真の左下、ダイエー(オレンジのマーク)右が鈴蘭台駅。後方(北側)の丹生山系との間が山田川流域の谷部。小部(おぶ)の名前の由来となった"尾部”の地形の輪郭がくっきり見て取れる。)

もともと鈴蘭台は、神戸電鉄(神有電鉄)の草創期に、経営安定のための乗客増加策の一環として、「関西の軽井沢」のキャッチフレーズで昭和3年から分譲が開始された住宅地の開拓にその端を発している。

有馬鉄道(現神戸電鉄)の初代の社長である山脇延吉(縁の人々参照)は、神有電車の経営は有馬温泉(関連リンク)の湯治客だけでは不十分で、沿線に住宅地や学校を作って人口を増やすことが必要であると考え、その好適地が山田町小部であると見ていた。

海抜278mで神戸の海側に比べて、夏場で3〜4℃低い高原的風土を活かせば、「関西の軽井沢」というキャッチフレーズで避暑地として売り出せる。山田村村長も発起人に名を連ねた創立趣意書に小部の電鉄経営の住宅地開発をうたい、駅を中心とした約40万坪(130万u)の宅地を確保し、電鉄開業直前の昭和3年9月の第1回分譲(全体の1/4が対象)で7割の売約が成立した。

当時、「神戸の中心から僅10分の理想的住宅地。空気清浄、水質良好、気候温和、特に夏季冷涼。居住者は電車賃たった9銭。土地の御選択には必ず当経営地を」という新聞広告が出された。

惣山町から見た鈴蘭台以下は、当時発行された沿線案内に刷り込まれた「住宅経営地」の案内

停車場は神戸有馬電鉄会社が鋭意経営せる小部住宅地の中央にある。此のあたり一帯に土地は高燥よく高原的の気分を発揮し、風光優麗、空気清澄、水亦頗る透徹清明の良水で、而も此の地より神戸市の中央に至るまで本電鉄によれば僅かに数十分を費やすのみ、・・・・・・(中略)・・・・・・煤煙都市に勤労する人士の住宅地としては実に理想の位置と環境を併せ有してゐるのである。六甲芦屋を有する阪神人は、茲に新らしく、夫れよりも利便で、処女地で、そして夫れよりも健康的なユートピアを求め得たことになる。

昭和5年には、小部駅前に商店や住宅23軒が並ぶようになったが、その頃になって小部駅の名称変更の話が持ち上がった。公募により健康の花言葉を持ち、避暑地「関西の軽井沢」のイメージに合う「スズラン」の名前を取って鈴蘭台駅に変更された。戦後、各地の鉄道沿線に次々と開発された「○○台」の草分けとも言うべきものかも知れない。その後、昭和10年頃には旅館や店も増え、昭和13年に三木線が開通する頃にはダンスホールやビアホールの繁盛する避暑歓楽街となった。

(写真は、北側(惣山町)から見た鈴蘭台。中央が鈴蘭台駅で、左右に鈴蘭台東・北町と西・南町が広がる。昭和初期、神戸有馬電鉄開通直後は、鈴蘭台東町北側と鈴蘭台西町の南端のあたりのみが住宅地(別荘地)となっていた。正面の斜面は君影町(君影はスズランの別名)・星和台)。


戦前避暑地として発展した鈴蘭台は、神戸電鉄(昭和22年に神有電鉄と三木電気鉄道が合併して神有三木電鉄となり更に昭和24年に現在の神戸電鉄に改名)の延伸とともに戦後阪神地域のベッドタウンとしての発展をとげる。昭和36年、神戸市が住宅公団の委託を受けて「鈴蘭台ニュータウン」を開発、昭和43年に、それまで湊川始発だった神戸電鉄が新開地に乗り入れ、阪急・阪神と接続、昭和44年から47年にかけて駅周辺の街並みが鈴蘭台南・西・北・東町に変わり、北五葉・南五葉(地名の由来)、君影町(地名の由来)、星和台(地名の由来)が誕生、昭和45年には北鈴蘭台駅、西鈴蘭台駅が開業した。鈴蘭台と北鈴蘭台の中間にある小部小学校は児童数が昭和40年に1000名、昭和45年に2000名を突破し、その後小部小学校から分離する形で北五葉小、南五葉小、小部東小、君影小、鈴蘭台小などが次々に誕生した。


昭和48年に北区が兵庫区から分離独立し、鈴蘭台に区役所が置かれ、北区の行政の中心地となった。その後、道路網も整備され、長田箕谷線が昭和49年(1974)にひよどり台で西神戸有料道路に接続、平成2年(1990)に阪神高速北神戸線の藍那ICが開業し、現在では中国道、山陽道、瀬戸大橋方面へのアクセスも非常に良くなるとともに、住宅地も更に広がっている。もっとも、神戸市内へのアクセスである有馬街道の工事や事故による渋滞発生は改善されていないが...

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