ホーム >> ブック >> ブックリスト2 >> 読書感想 >> No.181〜190
[163]『いたずら王子バートラム』のアーノルド・ローベルです。
落合恵子さんの[149]『絵本だいすき!』で、この絵本を知って、読んでみたいと思っていました。
面白いし、良かったです。
一階と二階に同時にいるようにするって、どんな話かと思っていました。
その話「うえと した」も面白かったけど、いちばんおかしかったのは、「こんもり おやま」の話です。 「なみだの おちゃ」の、ゆわかしをかかえてるふくろうくんの絵がかわいい。
「とまってしまった とけい。」
と ふくろうは いいました。
「そばに ぜんまいを
まいてくれる ひとが
ひとりも いないんだ。」
(p.34)
おもしろいところなんだけど、ここにはついほろっとしました。
「おつきさま」の、おつきさまとさよならしたふくろうのさみしさ。くすっと笑える話の中に、そういうしんみりした気持ちを感じる。
ひとの心の感情とか、しんみりした気持ちとか、そういうものが、やさしい絵や文章の中に、見られる気がします。
このあいだ、NHKの「プレミアム10」という番組で、直木賞作家三人がトレッキングするのを見た。角田光代さんがイタリアのドロミテ、三浦しをんさんがバリ島、村山由佳さんがモンゴルの地を。
ドロミテというのをきいて、この、トミー・デ・パオラの『ドロミテの王子』もドロミテという地名がでていたなと、思い出し、読んでみようと思いました。
モンゴルのなら、『スーホの白い馬』がよみたいな。バリ島の絵本ってなにかあるかな。
さて、それで、『ドロミテの王子』です。トミー・デ・パオラは、注目している作家さんです。[133]『神の道化師』をはじめに読み、[137]『騎士とドラゴン』、[142]『青い花のじゅうたん』も読みました。
番組でも、確かドロミテの山が太陽の光に照り映えて赤く輝いていたように思う。この絵本でも、山が輝いているのです。 赤くはなくて、どちらかというと白く清浄な感じを受けました。白っぽいのは、月の光から? この絵本は、イタリアの古い民話からということです。
この絵本、いいですよねえ…。文章も多いけど、こういうのはいいな。
デ・パオラの絵は、ちょっぴりクセを感じて、ストレートに大好きというわけではないけど、『騎士とドラゴン』みたいに、2頭身や3頭身みたいなデフォルメじゃなくて、少し大人っぽい雰囲気で、美しいです。
月のお姫さま。かぐや姫をちょっぴり思い出す?
人間の世界でないものに出会い、そのときから、愛するようになる王子。
サルヴァーニという、こびとが出てくるのですが、故郷を追われていること、『ホビットの冒険』のドワーフたちを思い出しました。歌も歌うんですよ。故郷をおわれるこびと、そういうモチーフって、伝説の中にはあったりするのかな?
「くる日も くる夜も さまよいあるく
わしらのすみかは どこにある?
わるいやつらに おいたてられて
わしらは どこで くらせるだろう?
いつになったら あゆみをとめて
やすらぎいこえる 日がくるのやら」
うばのマーガ・ローザの存在、大きいですね。この人、ただのうばじゃないんじゃないでしょうか。ただものじゃないですよね。
「おはなしのおじさん」
は、デ・パオラ自身なんですよね。後ろの解説読んだら。絵もそっくり?
(追記)
後日、[268]『とってもふしぎなクリスマス』を読み、この輝く山のことを思い出す。
こびとのおじさんの、きりかぶのいえ。かわいい。おじさんの服装や、とんがり帽子も、みてしまいます。こびとのおばさんの、ぼうしのいえ。ぼうしを家にするとは。
カタツムリのおとこの子の姿は、顔だけ人間ふうなのはちょっと変だなー。
火事を出してしまうのは、ハラハラです。
火遊びはぜったいにしちゃダメ、(この絵本では遊びのつもりじゃないけど、ともかく火は子どもは大人のいないところで使っちゃダメ)という気持ちがあるので、え、え〜、描いていいのかこんなこと〜という思いも。
さいごの解決方法は、びっくりです。それでいいのか、おじさん、おばさん。
楽しいラストはあまり突っ込まないでいましょうか。大人読みはやめて子どもらしく絵本らしく楽しんで、めでたしめでたし。
[182]『おとうさんの庭』の、ポール・フライシュマン作の絵本です。
絵のケビン・ホークスは、[120]『大森林の少年』の絵の人でしょうか。
この本をみかけたとき、表紙の絵と、 表紙裏の説明文にある、
「仲間はずれにされていた少年が、
夏休みの自由研究に「自分だけの文明」を
つくりだすという壮大な物語。」
というのにひかれて、読みたく思っていた。
この間読んだポール・フライシュマンの作だと知り、ケビン・ホークスの絵でもあるし、読んでみることにした。
思っていたように感動作ではあった。「絵本ナビ」のサイトでも、高評価・好感の感想が多く出ている。
ケビン・ホークスの絵、夏の日差しを感じさせるところ、いいなと思う。
でも、ちょっと引っかかるところも、あった。
ウエズレーは、ともだちはいないけれど、とても自分を持っているというか、他人の目は気にしない強さを持っている。そのウエズレーの強さが気になる。
男の子たちは、「あたまのりょうがわをツルツルにそりあげ」(P.3)
ている。町の家の形はどれも同じ。お父さんもお母さんもどこか変な感じ。
ウエズレーの住む町には、そしてウエズレーのつくった「ウエズランディア」には、違和感を感じた。
庭には種が、とんできてくれた。花が咲き、実はおいしい食物となる。
でも、ありえない住民だから、ありえない植物があるからということだけで、違和感というのではない。
いじめられっこの子にこの本を渡して、こんなふうに自分を持って生きていけば、仲間ができるよ、というように言ってほしくない。
現実の子のところには、種はとんできてはくれないし…。たやすく服や道具もつくれない。
んー…、でも、そういう方向から読むテーマとは、違う本だった、ということか。
そうか、ウエズレーのつくったのは、自分が好きにできる国、というよりは、新しいひとつの文明。
「やまねこ翻訳クラブ」のサイトでの書評を読んでいて、気づいた。
(「やまねこ翻訳クラブ」のサイトはトップページしかリンクできないので、書評は検索してみてください。)
ウエズレーは、一種、クールで達観していた。でもひとつの文明をつくりあげることを通して、ひとりきりでなく、仲間がいることの大切さに気づく、ということが描かれているのだろうか。
「みんなでやるのも、おもしろいかもしれないな」
そうおもったウエズレーは、
おおぜいでできるゲームもかんがえた。
(p.22)
一つの文明をつくる。文字(ウエズレー語)もつくる。
そこで想像するのは、指輪物語の世界やエルフ語をつくったトールキン。フライシュマンは、この作品を考えながら、トールキンを思っただろうか? 絵を描いたケビン・ホークスは?
それに、「ウエズランディア」って、なんか、(指輪物語に出てくる)「ミスランディア」と、語感似てませんか?
WESLANDIAって、ウエズレーとランド(LAND)からきているのかな? とすれば綴りや語源の意味は関係ないみたいですけどね。
こちらもロバの絵本です。
これは、NHKの番組の「夢のつづき わたしの絵本」で、ゲストの人の紹介ではなく、番組のおわりのほうの絵本ソムリエの人のコーナーで、紹介されていた絵本だと記憶しています。
せたていじさんの訳の絵本だということを、そこで知りました。いつか読んでみたいと思っていました。
私の読んだのは、新版のようで、スタイグさんのコールデコット賞の受賞のスピーチも載っていました。(訳 さくまゆみこさん)
ロバのシルベスターの家族は、仲がよくていいな。シルベスターが姿を変えて(変えられて)しまうのは、考えたらおそろしい気がします。永久にあのままだったら…。
それにシルベスターのこころが、永久にあのままだからいっそそのすがたになりきろう、という気持ちになっていくことに、考えさせられるものを感じた。
さいごは、結局、まほうの小石を見つけるまえと、同じ状態になるわけで。でも、それでもねがいがかない、「みんなののぞみが、すっかりたりた」
ことになる。
そして、くっついて幸せをかみしめる三人の姿。
説明しようとすると、幸せは身近にあるものだとか、そういうことばになってしまいそうだけど、ただそれだけじゃないものも感じるような。 ありのままに素直に感動したい。
ロバの絵本、2冊続きます。
ブリュノフと見て、聞いた名前…と思いました。「ぞうのババール」の人だとわかったけれど、 あれ? ロランという名前だったっけ?
絵本の後ろを見てみたら、お父さんのジャン・ド・ブリュノフのあとを継いだ息子さんだということがわかった。そうだったんだ。ババールはまだちゃんと読んだことがない。
表紙のロバの絵にひかれた。中身のロバもとてもかわいい。
アナトールさんの姿(ほかの人物や動物たちも)は、さささっとした線で描いただけのように見えるのに、それらしく見えるし、生き生きしています。おうしの顔(口)が面白いです。
オレンジ色で描かれた、アナトールさんのスーツ(?)姿のライン。カエルが出発する場面の、見送っているアナトールさんの姿勢。筆か何か(?)で、ただ、ぐぐっと描いただけみたいにも見えるのに。ちゃんと本当の人間の姿勢みたいに見えてしまうのがすごいと思った。
耳がおおきいロバは、「あいらしい ロバ」
とあったけど、あいらしいです。
「さみしくて、さみしくて、なみだが ぽろぽろ こぼれます。
アナトールさんの こころは、いまにも つぶれてしまいそうでした。」
りゅう がでてくるのかな…? と思って読みました。
中国の明の時代の小説の『封神演義』からとられているお話みたいです。東洋ふうの風変わりな絵で、カラフルで、ちょっと今まで読んでいたのと違う絵本の感じでした。唐亜明と于大武のコンビでは、西遊記の絵本もあるのでしょうか?
りゅうおうは、獣としてのりゅうじゃなくて、顔はりゅうだけど、人間みたいな姿で着物も着ていました。
迫力の、正面づらです。
りゅうおうの息子は、りゅうの姿で現れたので、その絵はうろこのあるりゅうの姿でした。
海の波のしぶきの感じ、北斎でしたっけ…? 浮世絵の、富士山と波の絵の…。ああいう波しぶきの感じで、雲の描き方も、東洋的だなと思いました。
仙人のところの蓮や鶴の絵とか、真面目な絵がらのタッチもあり、デフォルメされた絵本的な可愛らしさのある絵がらもあり。
ストーリーはハラハラドキドキもあって、動きのある絵本でした。
ナージャは,とっさに,けんを じぶんの くびに あてて,さけびました。
「おい,りゅうおう。ぼくの いのちと ひきかえに,みんなを たすけて くれ。」
ナージャが仙人にもらった輪、「けんこんけん」
(乾坤圏)と、赤い布、「こんてんりょう」
(混天綾)、また、「ふうかりん」
(風火輪)、「かせんそう」
(火尖鎗)という乗り物や武器の名前がかっこいいですね。
このところ絵本もじっくりじっくり読んでから感想がかけません。
ベスコフは、何冊が読んでいるけれど、やはり絵がかわいい。
黄色っぽい色合いが、かわいらしいけれど、お話は、すこし深刻な面もありますね。暗くはならないけれど…。誰もペーテルおじさんにお金を払わないなんて、ひどくないですか…?
そしてペーテルおじさんがさいごに…。ちょっとショックでしたね。でもルッレや子どもたちは、おじさんのことを忘れないでしょうね。
「もらった そのこは つぎのあたった
ズボンや シャツを きてても もう へいき。
じぶんだけが もらった ごほうびの
おおきな プレゼントが あるのですから。」
あんな船をもらえるなんて、いいなあ。
ポール・フライシュマンは、読んでみたいと思っている、『ウェズレーの国』という絵本の文も書いているらしい。
(参考:[187]『ウエズレーの国』を後日読む。)
お父さんと、三人の息子。息子たちの絵が、長男は背が高くて細かったり、次男はふっくらしてたりする。
息子たちも、だんだん大きくなったり、お父さんも老けていったり、時を感じます。雨が降らずに食べ物も少なくなり、やつれていき悲しげな家族の様子。家畜を売りに行くお父さんの、さびしそうな背中。
再び歌を歌いながら、いけがきの刈り込みをしているお父さんの表情がいいですね。とっても楽しそうだし優しそう。どこかでみたような人の顔のように思える。どこか懐かしい。
いけがきの葉の色、かなり濃い緑色ですよね…。黄緑じゃなくて、ビリジアン(?)みたいな。兄弟の歌う歌が、伏線になっているんですね。
いいお話ではあるけれど、私には感想が書きにくかった…。文章の長い絵本は、うーん…、心にピンときにくいのかもしれない。
[168]『四人のきょうだい』の「世界の昔ばなし」シリーズ。
今度はポーランドのお話です。
絵が、[173]『ねむりひめ』でのフェリクス・ホフマンだったので、読もうと思いました。
「王子さまになったはりねずみ」の、おんどりに乗ったはりねずみとおひめさまの絵が、いいなと思います。
「王子ヤンと風のおおかみ」の、おおかみに乗っているヤンの顔はかっこいい。また他の絵ではそうでもないけど…。三人兄弟の末っ子が活躍するお話で、動物の助けもある。
「王さまになった陽気な仕立屋」の、ユーゼフ・ニテチカさん。やせっぽちで、あんまり細いので、細いうどんしか食べれません。でも「なかなかの男まえ」
です。ニテチカさんの絵もいいです。
おひめさまたちは、相手(ヤンや、ニテチカさんや、はりねずみも)が素敵な人だと知ったとたんすっかり好きになってしまうのには、くすっと笑えるところがあるかも。
「王さまをだました道化師」の、年老いた道化師マテンコの、すごく年取った感じの絵。マテンコとおかみさんのエルズニアの話は、身につまされる状況だけど暗くならずに、おかしさのある話になりました。
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