ホーム >> ブック >> ブックリスト2 >> 読書感想 >> No.131〜140
[129]『ちゃいろおばさんのたんじょうび』の次、3人のおばさんシリーズ、読みました。(シリーズの順はどうなっているのか知らない)
みどりおばさん、ちゃいろおばさん、むらさきおばさんと、あおおじさんと、ペッテルとロッタ、そして、いぬのプリックは、あおおじさんのボート『ツバメ号』で湖の島に行きます。またまた騒動が持ち上がるのですが…。
湖の島の上でのおひるごはんがおいしそうです。むらさきおばさん、案外(?)身軽だったです。(あれはこわかったからでしょうか?) いや、普段はしとやかに、はかなく、振舞ってるけれど、やっぱりそうだったか、というようにも、ほほえましく感じました。むらさきおばさん、好き。
みどりおばさんは、やはり今度も、かなり活発なところを見せてくれました。印象にのこったのは、せんちょうさんとおくさんと、息子のカッレの表情。優しげで線が細い印象のペッテルとロッタ(二人も苦労を越えてきたんですが)に比べ、意志が強く快活そうなその顔を見て、好ましさを感じました。
町の広場では、大きな事件には至らなかったけれど、あおおじさんが怒ったことに対して、どう考えればいいのだろう…と感じました。ものごいだとあおおじさんは言い、カッレは違うと言いました。
おじさんやおばさんたちに比べ、広場にあつまった人たちの服装は質素。身分や階級とか、貧富とか、そういうのも、あらわれているのかな、と感じました。
「悪いりゅうを退治し、人々を救ったという騎士の伝説をヒントに、『たのしい川べ』で知られる英国の作家グレアムが書いた楽しいお話に、人気画家ムーアが美しい絵を添えました。」
(表紙裏より)
訳者あとがきで書いてありましたが、ケネス・グレアムのこのお話は、石井桃子さんの訳で『おひとよしのりゅう』として訳されたこともあるようでした。今回のこれは、
「インガ・ムーアが出版社と相談しながら短く書きかえた文章を訳したもの」
(訳者あとがき)
とありました。
そうだったのか。吉田新一さんの『イギリス児童文学論』で、この本のことが書いてあるのを見ました。トールキンの『農夫ジャイルズの冒険』につながる傑作だということでした。そんなことから、この本があたらしく出るのを知って、楽しみでした。だから、グレアムのだと思っていたので、少し残念でした。
「古めかしすぎる表現があった」
とあるように、いろいろな事情があったのでしょうか。書きかえは、まあいいんですが、「グレアム作 インガ・ムーア編」とか書かなくていいんでしょうか?
それはともかく、のんびりとしたりゅうでした。人とあらそう気なんかまるでない、気のいいりゅう。でも、りゅうは騎士と戦うものと決まっています。村人は、困っているわけではないのに、聖ジョージを呼んで、戦いを待ち望んでいます。
「なんとりっぱな騎士でしょう」(p.28)
とあったので、絵をみると、おかっぱ頭で、顔も、がっかりだった。
馬にのり、槍を持って突進していく後姿はいいですね。顔でがっかりしたのが大きかったのかもしれないけれど、絵があまり、好みではなく感じました。絵そのものは、とても緻密できれいな絵がらなんですけど…。
絵では、この竜はつばさがないです。それはこれまで読んだ竜関係の本とは違うけれど、デ・パオラも、岡田淳さんの『竜退治の騎士になる方法』の絵も、ウエイン・アンダースンの絵本の『ドラゴンマシーン』も、ムーアも、それぞれ、竜をよく研究して、特徴をよくつかんでいますね。共通点がいっぱい。
ユーモラスなおかしさのある、お話でした。
−−−−−−
もうひとつメモ。
インガ・ムーアの「はじめに」のページで、ケネス・グレアムの家の近くにはアフィントンの丘があると書いてあった。アフィントンの丘にある、白馬の絵のことはサトクリフの『ケルトの白馬』で読んだ。その絵は馬を表していると思っていた。
だから、この「はじめに」の中で、
「丘にえがかれた巨大な白馬の絵で有名な観光地で、伝説によると、イングランドの守護聖人、聖ジョージとりゅうのたたかいがくりひろげられた場所だそうです。」
とあり、また、注として
「馬ではなく竜の絵だという説もある。」
とあるのを読んで、驚いた。
J.R.R.トールキンの『指輪物語』の、9人の旅の仲間のたどった道筋をあらわした地図。
トールキンについて、もっと知りたい! その思いがあって、読書の中でそのテーマで自分なりに、マザーグースとか、昔話とか伝説とか周辺から行っているけれど、ちょっと疲れ気味かもしれない。
久々に、本道の本に、行ってみました。本編、もうだいぶ忘れているなあ…。
訳者は、[55]『指輪物語 エルフ語を読む』の著者です。原著の記述にプラスして、何日に登場人物が何をしていたかとか補足をいれてくれていて、わかりやすく、本編をコンパクトに読み返したような気分も味わえました。
くわしい道のりの地図をみて、土地の位置関係などがわかり、とても良かったです。
誤植というか(活字じゃないけど)地図の字が原著の「RIVER NIMRODEL」
という書き文字の上に、「ニムロデル川」
という書き文字が重なってしまっているのでは? それと、あと一箇所だけ、活字のところ1文字、文字抜けかも?というところがあるように思った。おしい!
[133]『神の道化師』のトミー・デ・パオラです。こちらは、ゆかいな絵本です。
騎士と戦ったことのないドラゴン。
ドラゴンと戦ったことのない騎士。
ふたりがであうと、どうなってしまうのでしょうか?
表紙の、ドラゴンが短い足を組んでいるのが、かわいいのです。赤いちっちゃな翼をつけて。
決闘の日に備えて、ドラゴンがこわい顔の練習をして、だんだん赤い目になっていくのが、うん、こわい目になってるよ。でもその過程が笑っちゃう。かわいいなあ…。
騎士の槍は、馬に乗って槍を持って、突進していくのの、あの槍って大きいんですね。
あれが「槍」なんだっていうこと、先日テレビである映画で、(本物の戦いじゃなくて試合用の槍だけど)見て、認識しました。
訳の、岡田淳さん、ドラゴンに関する本を書いたり訳したりしていらっしゃるようですね。その関係もあって、訳されることになったのでしょうか? わかりませんけれど。
始まる前のページにある、デ・パオラのメッセージ
「赤い翼がある友人たちに」
という言葉が、心にとまりました。
類書に、[104]『英語の歌』があります。
こちらは、対訳、ということがおもで、言葉の解説とともに、詩(や詩の作者)そのものの解説も少しありますけれど、詩そのものがおも、ということで、詩の項目に入れてみました。
マザーグースがたくさん載っています。
デ・ラ・メア、クリスティナ・ロセッティ、スティーヴンソン、などの詩も載っています。
マザーグースの、「バビロンまでは何マイル?」の歌、Babylonとは
「Babylandが変化したものとも考えられる」(p.354)
と注釈があった。それはしりませんでした。
ほるぷ出版からでている本で、[126]『ケルト神話 黄金の騎士フィン・マックール』を読みました。こちらも読みました。
英語表記のところに、「Illustrations by Victor Ambrus」
とありました。ヴィクター・アンブラス、ということは、『黒馬物語』のダイジェスト版『ブラックビューティ』の絵を描いた人だろうか?
(参考:[121]『黒馬物語』を参照。)
『ブラックビューティ』のときはカラーだったし、わりと軽やかな印象を受けたけど、モノクロで、戦士の絵なんかあると、迫力ありますね。クーフリンの最期のところの絵がいいですね。
クーフリンは、大男なのかと思っていたら、細くて少年のように記述されているところもあったと思います。(絵ではあまり、少年とまでは見えませんでしたけど)
でも戦うときは、頭に英雄光が出たり、戦闘心でたぎっているときは、英雄光どころかもっとものすごいことになっていたりします。そこのところは、読んでいてあっけにとられ、ちょっとおかしささえ感じてしまったです。戦いの鬼、魔人、というよりすごい様子でした。
サトクリフの、「はじめに」のところから、心にとまった文章を抜粋しておきます
「アングロ・サクソン人の物語は、どれほど大胆に見えても、しっかりと地面に足がついています。だからベーオウルフとその仲間たちは、英雄という大きな人間ではありますが、あくまで人間の範疇を越えません。ところがケルトの物語は、簡単に現実を飛びこえ、空想世界へと飛躍します。赤枝戦士団の勇者たちの血管には、神々と妖精族(アイルランドに伝わる妖精とほぼ同じ種類です)の血が、熱くたぎっているのです。どちらの物語を読む場合も、この違いを知っておくといいでしょう。」
(p.5)
(参考:[117]『魔法ファンタジーの世界』を参照。)
1978年に最初に出た本が復刊されたののようです。
トム・チット・トットのお話は読んだことがあるけど、単独の絵本ははじめてかな。
スズキコージさん、名前は聞いたことあるけれどあまり知らなかったです。でも絵をみたら、この絵の感じはみたことある、という絵でした。
日本の人の絵で、イギリスの昔話の絵本読んでちょっと不思議な気分もしました。
「ニミ・ニミ・ノット
おまえの名まえは
トム・チット・トット」
のところの絵なんか、迫力ありますね。
もうひとつのおはなし、「ちっこい ちっこい」も、入っています。
(追記)
(参考:[248]『だいくと おにろく』)
バーバラ・クーニーの[130]『ちいさな曲芸師バーナビー』を読んで、似たお話らしかったので、読んでみました。
(参考:似た題材の、マックス・ボリガー[153]『しずかなきせき』という絵本も後日見つけた。)
表紙には「−イタリアの民話より−」
とありますが、こちらも同じ伝説(フランスに伝わる?)からアレンジされた本のようでした。
ルネサンス初期のイタリア(ソレント)が舞台となっています。
絵は、最初みたときは、あまり好きじゃないと思いました(好きな人ごめんなさい)。写実的なふうな絵でもないし、顔などあまりかわいくないし…。(ソレントに帰り着く、冬の寒い日の絵は感じがでてよいと思いました。)
成長し、曲芸でも活躍をかさねていくうちに、衣装のかざりが増えていくのはおもしろい。
絵のかわいさでいうと、バーバラ・クーニーの絵の方がいいかなと思っていました。(といってもクーニーさんは1冊しか知らないです。)
でも、最後に近づくにつれ、どうなるんだろうという気持ちでどきどきして、最後の一ページ。感動しました…。
デ・パオラも、このお話を語りなおすのに、とてもいろいろと調査研究したようだし、『ちいさな曲芸師バーナビー』のクーニーも、やはり調べたようなことを書いていたと思います。二人の絵本は違うけれど、それぞれすばらしいなと思います。
「マリアさま」ジョバンニは よびかけました。
「わたしも なにか おささげするものがあればと
おもうんですがね。あなたのお子さんは,こんなに
どっさり すばらしいおくりものをおうけになっても,
まだ ひどくかなしそうにみえますぜ。そうだ,
ちょいとまっててくださいよ。わたしは ひとを
よろこばせるのは,お手のものだったんでさ」
(本文より)
デ・パオラの絵本、ほかにもいろいろあるようです。『騎士とドラゴン』というのを読みたいと思います。(ちょっとまぬけな騎士とドラゴンのゆかいな絵本?みたいです。)
(参考:[137]『騎士とドラゴン』を後日読む。)
3月のダイアリーに書いたように、映画の『エル・シド』を見たとき、本を読みたいと思いました。やっと読めました。ただ、映画にはないモチーフもあったし、この英雄詩だけを映画にした、というわけじゃないのかな…? 注釈に「エル・シードのロマンセ」
という言葉がよくでてくるけれど、ロマンセって何だろ*1。この詩だけでなく、周辺にいろいろ伝説がある、ということ?
スペインの英雄、ロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバールをたたえる武勲詩。エル・シードの死後、半世紀から1世紀くらいの間に作られた詩とされています。
追放されながらもアルフォンソ王への忠誠の心を持ち、バレンシアの都に攻め入ります。
史実と、脚色とを交えながら、エル・シード・カンペアドールと呼ばれたロドリーゴの勇姿が歌われます。
注釈を見ながら本文と交互に読むのは大変だったけれど、内容はわかりやすかった。
敵対する側の人たちや、また同国人であってもエル・シードを憎む人たち、勇気がなく卑怯な人は、エル・シードの立派さが引き立つように、史実と異なったり創作的に描かれたりしているようでした。注釈を読んでいますと、セルバンテスの『ドン・キホーテ』には、エル・シードの伝説からとられてなぞられて描かれているようなところがあるということでした。獅子の場面や、愛馬のことなど。 エル・シードの愛馬はバビエーカですが、ドン・キホーテの愛馬ロシナンテのことや。*2
そんなふうに、ドン・キホーテや、他の本を引き合いに出して解説してくれるところがよかった。 家臣に気前よくふるまうことが強調されているが、[29]『ベーオウルフ』にもそういう記述があるということ。
「いったい、家臣に惜しみなく物を分かち与えることが主君たる者の最大の美徳であり、これにたいして、家臣は主君に忠誠を尽くす義務を負うていたことは、八、九世紀に成立したイギリスの英雄叙事詩『ベーオウルフ』(岩波文庫、七二−七三行注)の中でも強調されている」
(p.327)
『ベーオウルフ』を見てみたら書いてた! 昔の騎士や兵士たち、そういう風習や気持ちあったんだな。少しだけわかって嬉しい。
それで思ったのは、(『ベーオウルフ』が出てきたりしたからというのもあるけど)またまたこじつけかもしれないけど『指輪物語』。もう本のほうはだいぶ忘れてきているから、なにかそんな記述があっただろうか。ただ、映画のほうでのデネソールとピピンの会話を思い出してた。
あと、他にこの『エル・シードの歌』でよく強調されていること。鬚をむしられたり引き抜かれたりするのは、侮辱なのだとあった。鬚はあごひげ、髯はほおひげだと、ひげの字の種類あること再認識する。やっと覚えられたかな。これもまた、映画の『ロード・オブ・ザ・リング』のこと、思い出した。ギムリの鬚のことを。関係ないかもしれないけど、鬚ってそういう(名誉とか)意味で大事だったんだってこと、少しは関係あるのかな?
あと、気にかかったのは、旅の途中でひどい目にあわされて、それに対し復讐を果たす、というモチーフ。
ロドリーゴの剣は敵から獲得した、コラーダとティソーン。ティソーンとは、
「騎士道物語や『ドン・キホーテ』などに散見する「燃える剣」(la espada ardiente)の意。」
(p.391)
とあった。そうなんだー。
*1 *2(参考:[237]『ドン・キホーテ』を後日読む。ロマンセやロシナンテのことについて、参照)
ドブレ山の名前がこの本にでていることを教えてもらって読もうと思ってた本です。
(参考:[100]『トロール・フェル』(上))
「ドブレ山地の小ネコ」という話があって、でも、ドブレ山のことは、詳しくは、あまり載っていなかった。もっと、トロルとドブレ山の関係があるのかもと期待したんだけど。
しかし、この話は短いけど面白いです。
訳者あとがきで、トロルは
「じつにさまざまで、とても一つにくくれません」(p.397)
とありました。
大きいのもあれば小さいのもあるようです。大きさは疑問に思っていたので、分かってよかった。
「ドブレ山地の小ネコ」にも、トロルは大きいのや小さいのもいる、とあった。しっぽがあったり、なかったり。
アスビョルンセンとモーの民話集の中から、岩波少年文庫での[88]『太陽の東 月の西』では18編だったのが、こちらでは34編載っている。(原本が重なっているのかどうか、わからない)
もう『太陽の東 月の西』は、だいぶ忘れてしまっているけれど、おなじ話もあったと思うが、新しい話も読めた。
クマとキツネのだましあいのお話。キツネはミッケルという名前。クマのしっぽが短いわけは?
「太陽の東 月の西」というタイトルの話はなかった。「白クマ王ヴァレモン」が似ているけど、少し違う。
「旅の仲間」という話は、これ、アンデルセンの「旅の道づれ」というのの元のはなしになるんじゃないのだろうか?
[77]『アンデルセン童話全集1』を読んだとき、アンデルセンの民話ふうな話について解説が載っていたように思うんだけど、「旅の道づれ」も民話ふうな話とあったように思う。ええっと…アンデルセンが書いた時のほうが、アスビョルンセンたちが集めたのより、先かな…? デンマークとノルウェー近いから、似た話があるのだろうか?
絵は、原典の出版当時の絵を載せています。なかなか雰囲気がでていて、古い本の絵、そのまま見れたのが良かったと思います。表紙にある絵がいいです。末っ子の<灰つつき>、アスケラッドです。
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