ホーム >> ブック >> ブックリスト2 >> 読書感想 >> No.151〜160
1839年、奴隷貿易船アミスタッド号にのせられていたアフリカ人たちは、船をのっとりました。その事件の背景がえがかれています。
この本も返してしまいましたので、思い出しながら書いています。
この本を読むきっかけの最初は、映画の『アミスタッド』。
船が出てくる映画のように思い、見てみたいと思った。でも、最後のほうしか見れませんでした。 その時はどういう映画か、どういう背景か、よくわからなかった。でも、主役の、アフリカ人の中心的人物(シンケ?)を演じていた俳優さんが印象的でした。
それからのち、『サハラに舞う羽根』という映画を見ていたとき、でていた人、あの俳優さんだと思いました。ジャイモン・フンスーという俳優さんでした。
『エラゴン』にでているのを知りました。この映画は見に行きました。(でも『エラゴン』では、あまり強烈な印象はなかったです。)
話を戻して。
この、アミスタッド号事件の本があったので、読んでみました。
これは、映画でえがかれていなかった(という)、シンケたちアフリカ人が解放されてからのことも書かれている、ということでした。
とらえられ、船に乗せられ、ひどい仕打ちをうけ、知らない土地に連れてこられて、奴隷にされた人たちが、当時たくさんいた。
このアミスタッド号は、アメリカ北部に流れ着いたから、奴隷解放支持者の人たちがたくさんいたり周りの環境もましだったのもあって、裁判に勝ったけれど、それはこの時代まれなことだった、と、解説に書かれていた。
また、裁判には勝ったけれど、アフリカに帰る、ということが実現するまでまた長く困難があったのでした。奴隷解放支持者たちに囲まれていても、どこか利用されているような、気持ち…。そういう気持ちは、映画では描かれていなかったのではないか?ということ。そこを、描いている、ということが、解説かあとがき(?)にあったと思う。
エルサ・ベスコフの絵本。
[124]『みどりおばさん、ちゃいろおばさん、むらさきおばさん』のシリーズは本が大きいので、借りるのが少しおっくう…。これは手ごろな大きさでかわいい色柄が気に入りました。でももう借りていたのを返してしまったから詳しいことが書けない。
絵本ナビのHPで見てみると、「ベスコフのデビュー作」
と書いてある。
原本の初版が1897年だから、…すごい、もう100年以上も前? ベスコフってそんなに昔の人だったんだ…。
でも、絵がらを見ているととってもかわいらしくて、古臭くもなく、いい感じです。ちいさなちいさなおばあちゃんがでてくるお話。
ちいさなちいさな、という、繰り返しの言葉に、以前に読んだスズキコージさんの絵本で、ジェイコブズの[134]『トム・チット・トット』に、もうひとつ、「ちっこいちっこい」というお話が入っていたのを、思い出した。(でも話の内容は違いました)
ねこを叱る、叱り方がいいな。絵本の活字も、ただのゴシックみたいな活字じゃなくて、少しかわいい形の活字になっていました。その活字体が、妙におばあちゃんの言い方にあっている。
床に、いい香りのする草をまいておくのが、その地方の習慣、みたいなことが、注釈されていたように思う。
ターシャ・テューダーのクラシック絵本、2冊目。
(参考:1冊目に読んだのは[150]『ホワイト・グース』)
シルヴィー・アンとおとものペットたち。おさんぽです。
「だめ、アレキサンダー、わるいこ」
ここのところの訳が好き。原文はわからないけど。
シルヴィー・アンにかかえられた、アレキサンダーの姿の絵がかわいい。(かなりおっきいー)
そうか、原題の『ALEXANDER THE GANDER』、きっと韻になっているんですよね。
ホグロギアンの本、2冊目。
やさしいリベックじいさん。なしの実をこどもたちにわけてあげます。
版画の絵が、味わい深いです。
[156]『妖精の妻』の絵とはまた違うけど、うっすら薄い青色が、画面にさーっとながれているのは、『妖精の妻』でも気づきました。青い色と、黄土色。ホグロギアンで気づいた色です。それと、夢見るような、たれ目(?)の瞳も、もしかしたら特徴的なのかな?
なしの実は、まるくなかった。あたりまえだけど洋ナシのかたちでした。
寛容なじいさんの、息子は、しみったれなんですね。(この人は、つり目につり眉毛)
藤本さんの解説によりますと、これは、フォンターネという、ドイツの詩人の書いた、ハーフェルラントを舞台にした叙事詩なんだそうです。
「『ルッピン伯爵領とその周辺地域の民話伝承』を下敷きにして書かれ、」
とありました。
「バラッドや民話など、伝承文芸に親しんでいるホグロギアンの味わいのある版画が」
とありました。ホグロギアン、そうか、伝承にくわしいんですね。だから、『妖精の妻』の絵も手がけたのかな?
はじめは、アメリカから出版されたけど、ドイツ版が出たとき、編集したのは、ベッティーナ・ヒューリマン。その名に、アッと、思いました。この人の本読んだ。
(参考:ヒューリマン著[70]『ヨーロッパの子どもの本』)
有名な編集者なんですね。
「彼女自身、ハーフェル川の近くで育ち、ホグロギアンが版画でこの作品を制作していることを知ると、すぐにドイツ語版を出すことを決めたそうです。」
とありました。
「世界のむかし話7 ギリシア」
とあります。
画の、ノニー=ホグロジアン、って、ナニー・ホグロギアンという人と同じでしょうか? たしか、ホグロギアンは、ジョージ・マクドナルドの『フォトジェン』の絵を描いているひとでしたか?
『フォトジェン』の本は読んでいないけれど、別訳(岩波少年文庫の[111]『かるいお姫さま』のなかの、「昼の少年と夜の少女」)は読みました。
この本は、落合恵子さんの、[149]『絵本だいすき!』を見ていて、気になった本や作者を、チェックしていたとき、ホグロギアンの本をチェックしていて、その関係で知りました。『絵本だいすき!』に載っていた、ホグロギアンの本が何だったのか…、そっちをもう忘れている…。
いままでギリシャの昔話というものがどんなのか、あまり意識したことはなかった。
読んでみたら、ギリシャにも、妖精のお話ってあるんですね。美しい妖精、こういうの、アイルランドとか…イギリスのものみたいに思っていたふしがありました。でも、ギリシャにもあるんですね。
美しい妖精に恋をした男の話(「妖精の妻」)、あざらしの妖精の伝説の[57]『海と島のマイリ』という絵本を思い出しました。彼女は、自分の世界に帰っていってしまう。
「父親を塩のように愛した王女」という話も入っていますが、このような話は、きいたことありますね。
ターシャ・テューダーさんの、言葉と、写真がたくさんの本です。
短い時間で読めました。
絵本作家さんだということが、わかってきていたけど、このあいだ、テレビの番組でみて(参考:[150]『ホワイト・グース』)、どういう感じの人か、やっとわかってきた。(まだまだですが…)
ターシャさんの、世界。言葉と写真でつづられる、見てもきれいな本でした。
「ひろすけ童話絵本」
とあります。
この絵本を読んだのは、りゅうがでてくるというのもあるし、どんな話かはっきり知らない『ないた赤おに』という話を読んでみたいと思っていたことから。
人におそれられきらわれるりゅうがでてきて、読んだら泣けてくるようなお話だと思って、『ないた赤おに』と似ているような気がした。でも『ないた赤おに』が見当たらなかったし、まずこちらを読みました。
そうしたら、同じ浜田廣介さんの作でした。
最初は、龍がでてくるのだから、絵がらは、水墨画みたいな絵本だろうな…と思っていました。(読んでみたら、南のほうの国とあるので東洋が舞台ではないかもしれないけれど…)
でも、この絵本の絵は、わりと、おしゃれなイラストレーション、ともいえるような絵がらでした。
時代も、昔ふうでなく、衣装も、どこふうというのではなくも、どこか着物ふうのところもあったり。
話は、泣けるほど感動!というわけではなかった…。(『ないた赤おに』のほうはどうでしょうか…?) しかし、偏見をもたない「子ども」のまっすぐな気持ちが、つたわりますね。
「いっても いいかい。いっしょに いっても いいのかい。」
「いいとも。ぼくは、ね、おまえさんを いじめは しない。
また、だれか、いじめようと したっても、かばって あげる」
(本文より)
しかし、おもったのですけれど、この話、最後の解決のしかたというか、それ、 ネズビットの[93]『ドラゴンがいっぱい!』のなかにあった、「最後のドラゴン」を思い出しました。
ネズビットのほうは、ナンセンス・コメディ、面白さ。こちらは、心に訴えかけるような叙情性というか、真面目なしっとりしたものがありますのでタイプはぜんぜん違います。
でも、りゅうが最後にどうなるか、という、ことになると、なんだか似ていますね。ネズビットのほうは、オチになっていて良いとしても、『りゅうの目のなみだ』のほう、りゅうは、あれで、よろこんでいたようですが、ほんとうにあれでよかったんでしょうか…? りゅうでいては結局ダメなんでしょうか…? ちょっとすっきりしないものも感じました。
絵本です。以前、一度手にとって、修道院のお話のようだと思いながら、読んでいませんでした。
今度、また目にとまったので、手にとってみて、見てみると、なんと、これは、バーバラ・クーニー[130]『ちいさな曲芸師バーナビー』、トミー・デ・パオラ[133]『神の道化師』と同じ、おはなしではありませんか!!
それで、読んでみました。
元話がどうとか、まったく書いていません。でも、やはりこれはあの「聖母マリアの曲芸師」のお話からと思われました。
どちらかというと、『神の道化師』よりは『ちいさな曲芸師バーナビー』に近いような気がします。ただ、少年が修道院へ行った理由が、バーナビーと違いました。曲芸がいやになったわけではないけれど、しずかな暮らしがしたかったから。バーナビーは、もっと生活が切迫していました。
版画ふうの絵が独特ですね。
「ちくま少年図書館」というシリーズの、55です。
おもに、ノルウェーの若き王、オラーブ・トリグバセンの生涯にスポットをあてています。
オラーブよりも前の時代、ハラルド美髪王という王がいました。(オラーブはハラルド美髪王の孫のトリグベの子なので、ひ孫にあたる?)
このハラルド美髪王がまだ、少年だったころ、隣の地方のガンダルフ王とたたかう、とありました。ガンダルフという名前にびっくりしました。
「指輪物語」を書いたトールキンは、こういう、北欧の伝説やサガなど取り入れたりしているだろうとは思っていましたが、ガンダルフという王がいたなんて、しらなかった。
(ガンダルフとは「指輪物語」にでてくる登場人物です)
そして、オラーブのことですが、過酷な運命に翻弄されて成長しました。バイキングにとらえられたりロシアで育ったり。
波乱に満ちた生涯でした。28歳で王位につき33歳で亡くなりました。
山室さんのあとがきでは
「彼は現在でもノルウェー人には最もしたわれている王なのだ。それはつまり、彼ほど北欧人らしい剛勇を示し、また熱烈な理想に生きて、数奇な生涯を送った人もめずらしいからだと思う」
(p.223)
とありました。
あと、以前、[97]『バイキング伝説』で読んで、グリーンランドに移住した「赤毛のエイリーク」という人がいたことをしりましたが*1、今回、この本でその人の息子、レイブのことがでていました。
*1(参考:[100]『トロール・フェル』の感想中の記述)
レイブが未知の土地(アメリカ大陸?)を発見したとかそういうこと。レイブは、ノルウェーに小麦や材木の買いいれにきて、オラーブ王と親しみ、グリーンランドに帰る途中で、未知の土地へ到着したのでした。*2
その発見は偶然で、オラーブの指示ではなかったけれど、オラーブはそういう時代の王だったのだ、ということがわかり、良かったです。
*2(参考:後に読んだ[172]『航路をひらいた人々』では、少々違うように書かれていた。)
クェンティン・ブレイクという人は、はじめて(?)読んだと思う。ジョーン・エイキン(エイケン)の本の挿絵を描いている人だそうだ。
この本も、ジョーン・エイキンにささげられているようだった。
「ジョーン・エイキンに」
と書いてあった。
エイキンって、ダイドーの出てくるシリーズって船がでてきたりしますか。(『ぬすまれた湖』だけ読んだ。航海もでてきたように記憶している。)そういうの、関係あるのかな。
この絵本は、一面にみどりいっぱいで、<船>がでてきて…。それが興味があって、読んでみた。
海や船の話、いま、興味ある。(正確には、これは海や船の話ではなかったけれど)
トリディーガさんや<水夫長>のこころの持ち方が好きだなあ…。
なかなか、現実の生活のなかにいると、こういう心持ち、わすれてしまう。
時がすぎていって、船は船でなくなり、やがては緑にうもれてしまう…。ノスタルジックという言葉は安易に使いたくないけれど、輝かしい季節の終わりに胸がキュンとします。でも決して湿っぽくはない。緑の船の思い出は、みずみずしく光りつづけているような気がします。
過去を振り返るような作品も、時々ありますね。バーバラ・クーニーの[146]『すてきな子どもたち』もそうだったし、少しタイプは違うけれど、ファージョンの[119]『エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする』も思い出しました。
「あらしのとき、船長だったらどうするかしら。そうよ、あらしの
まんなかにむかって、すすむのよ。おもかじ、いっぱい!」
(本文より)
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