ホーム >> ブック >> ブックリスト2 >> 読書感想 >> No.171〜180

サイトマップへ ・ サイト内検索へ


読書感想

▼bottom

読書感想目次
(New) ←以降へ  以前へ→ (Old)

No.171〜180

[180] 時計つくりのジョニー

作:エドワード・アーディゾーニ
訳:あべきみこ

思い出しながら書いています。

お父さん、きびしくてこわいですね。顔つきもぴりぴりしているし。お父さんにもお母さんにもあんまり理解されないっていうの、ええっと、デ・ラ・メアの[64]『魔法のうわぎ』でもそういうところありませんでしたっけ。はっきり思い出せないけど。

小さい子がやりとげるさまを描いていることでは、[9]『チムとゆうかんなせんちょうさん』でもそうだったと思うけど、今回は、自分は少しひっかかるものも感じた。

チムの場合は、本当はあんなに小さなこが、船に乗ってあらしの中なんかいけるわけないけれど、本のなかではほんとうにそうなんだ、と思った。でも今回は、少し違うように感じる…。おもりやふりこや部品が全部あっても、無理なんじゃなかろうかと感じたからだろうか…?

リストへ戻る

▲top


[179] 物語 アイルランドの歴史

波多野裕造

■王の丘 タラ

「タラ」という地名がある。

この本には、本文の間に、1ページつかってコラムみたいのがはさんであるのだが、そこに、映画『風と共に去りぬ』のことがでてきた。スカーレットの曾祖父がアイルランド移民で、故郷を思って土地をタラと名づけたとあった。そうだったんだ!

アイルランドの、本場の「タラ」のほうは、サトクリフの作品にでてきたときはじめて知った。
(参考:[126]『ケルト神話 黄金の騎士フィン・マックール』

そのとき、あれ? タラ(ターラ)って『風と共に去りぬ』にでてきた名前と似ている…と思っていたんだけど、そういう背景があったんだ!

■アイルランド王 ブライアン・ボルー

中世、アイルランドでは各地で王国・諸侯が争いアイルランドには一つの国というまとまりがなかった時、「ブライアン・ボルー」という人が、始めて「全アイルランド」の上王になった。

「ブライアン・ボルー」ってどこかで聞いたことあるなあ。と、思い出したのは、NHKの「名曲アルバム選」で「アイルランドの子守歌」、「ブライアン・バル・マーチ」、「アイルランド交響曲」の3曲があった。

(参考サイト:NHKのサイトより「名曲アルバム選」2006年1月放送分のページ

あの「ブライアン・バル・マーチ」の人だ! 録画を探してみた。あったあった。バルゆかりの城跡など、映っていました。

■故郷 アイルランド

「アイルランドの子守歌」の曲を作曲したのは、シャノンという人。番組によると、シャノンはアイルランド系アメリカ人だといわれているが、この曲のほかに彼を知る手がかりになるものはないという。

アイルランド出身だろうなあ…。
番組を見た後で、本にシャノンという地名がでてきたところを読んだ。シャノン川。アイルランド人の苦難の中で重要な場所でした…。シャノンという名前を思い、じんとしました。

■心の誇り クーハラン

文章の間のコラムでとりあげられていた、英雄「クーハラン」(クーフリン)の伝承について。
その英雄の姿は、昔の伝説の英雄というだけでなく、アイルランド人にとって、イギリスに支配されたアイルランドの歴史の中での意味があるということがわかった。イェーツなどはアイルランド文芸の復興運動をおこし、クーハランなどのテーマを取り上げた。

■余談

ノルマンによるイングランド支配のところで思い出したのは、サトクリフの『運命の騎士』はそのくらいの時代のことじゃないかな?と思いついた。読んでいたときは、よく歴史や背景がわからなかったが。

リストへ戻る

▲top


[178] 根っこのこどもたち 目をさます

絵:ジビレ・フォン・オルファース
文:ヘレン・ディーン・フィッシュ
訳・編:いしいももこ

[175]『森のおひめさま』のオルファースです。

別訳の『ねっこぼっこ』と同時には読めなかった。また、『ねっこぼっこ』も読んでみたい。(参考:[214]『ねっこぼっこ』を後日読む。)

『根っこのこどもたち 目をさます』のうしろの、作者紹介のところにも書いてありましたが、「児童文学書評」のサイトを見てみると、 オリジナルはオルファースが文も書いたもので(それが『ねっこぼっこ』の訳)、でも、こちら童話館出版の訳のは、別の人(フィッシュ)が文章を書いているということだ。

それはともかくとして、根っこのこどもたちは、色が地味なので、最初の2ページくらいは、ちょっと暗めのトーン。起きたばかりで眠く、表情も大人しげ? 髪の毛もくせ毛ふう。

後半は、地上に出るし、明るくなります。こどもたちは、「花のこども」にかわります。植物がたくさん描かれ、名前がわかれば楽しいでしょう。文章中にもでてきますが。

おんなのこと、おとこのこの、春のしたくの仕事が違うのは、ベスコフの[79]『ウッレと冬の森』を思い出した。

リストへ戻る

▲top


[177] アーサー王伝説紀行 神秘の城を求めて

加藤恭子

「映画キング・アーサー公開記念!! 関連書フェア」という帯がついていたのを、買っておいていたのを読みました。

サトクリフの[18]『ともしびをかかげて』にでてきたアンブロシウス・アウレリアヌスの名前もでてきた。アルトスも。

(参考:[46]『夜明けの風』

そうか、あのサトクリフの『ともしびをかかげて』ではアルトスがあんなにきらきら輝いている人のように描かれていたのは、やはり彼が<アーサー>だったから、ということ?

アンブロシウスもすきだったんだけどな。

そのときはあんまりアーサー王のこと知らなくて、 「アンブロシウスがアーサー王の原型」と『ともしびをかかげて』のあとがきか注釈かなにかで書かれていたのを見て、びっくりして、アーサーって、アンブロシウスがモデルなのかぁ…と思ったんだけど。 ではどうしてアルトスが輝いているのかなあ…?って。

(記憶の中で思い出して書いているので、勘違いしているかもしれないけれど)

「今日のウェイルズに六世紀末頃住んでいたブリトン人の詩人アナイアリンが、六〇〇年頃に『ゴドディン』という英雄詩を書いたが、そこには確かにアーサーの名が出てくる。」
(p.19)

とあった。そうなのか。

(そこを読んでいると、どうも、アーサーがでてくるんじゃなくて、ある英雄がでてきて、彼のことについて 「だが彼はアーサーほどではなかったが」(p.19) という言い方をされている、というように思われた。
それは、アーサー、という人物が前提になっている、ということを表しているわけだ)

サトクリフが『ゴドディン』をもとに書き上げた[127]『アネイリンの歌 ケルトの戦の物語』を読んだけど、そこにもアーサーの名前出てきていただろうか?

リストへ戻る

▲top


[176] 加古里子 絵本への道

加古里子

加古さんの絵本は、まだ読んだことがない。

加古さんは、『絵かき遊び考』という本をだされたそうですね。
(絵描き遊びとは、へのへのもへじ、とかの。)

以前、新聞で、そのことに関連して、加古さんに取材した記事をみました。一部、絵描き遊びの絵も載っていたと思います。

この『絵本への道』にも、絵描き遊びのことが載っていました。

また、紙芝居や、絵本の表現について、いろいろ加古さんの考えが載っていて、興味深かった。

「『あなたのいえわたしのいえ』の意図の一つは、今あなたが住んでいる所が家なんだよ、立派な家なんだよ、ということをはっきりのべようということでした。家が主軸の本ではあっても、家の建て方とか歴史とかはのべませんでした。(中略)建築の歴史を描くならば別の本にしようと思いました。家を作ってそこに住むことの必要性を知ってもらいたかったからです。」
(p.115-116)

このように、何かひとつテーマをきめたら、それを貫いてかく、ということを、ほかの絵本でも主眼においておられるように思えました。

科学絵本で、太陽なら太陽でも、いろんなとらえ方があるわけです。

また、上記の『あなたのいえわたしのいえ』が出た当時は、まだ風呂や台所もない家に住んでいる子どももいた。

「自分の住んでいる所には、台所もトイレもない子どもに、家の条件としてそれらを記述すればどう思うかを考えました。(中略)屋根と壁と窓と出入口と床があれば立派な家なんだよ、ということをこの本ではのべることにしました。」
(p.116)

と書かれていたことが、心にとまりました。

リストへ戻る

▲top


[175] 森のおひめさま

作:ジビュレ・フォン・オルファース
訳:秦 理絵子

オルファースは、『ねっこぼっこ』『根っこのこどもたち目をさます』)を読みたいと思っているんだけど、まだです。(参考:[178]『根っこのこどもたち 目をさます』を後日読む。)

クライドルフの[76]『花のメルヘン』や、それに似ているテイストと教えてもらった、ベスコフの[91]『リーサの庭の花まつり』にも通じる、擬人化の絵のお話でした。

「つゆの子」や、「こけのぼうや」「星の子ども」

「からすの先生」に字を教わるのがいいですね。からすの先生は、めがねはかけているけど、からすのまんまです。

絵が額縁のように植物などで囲まれているのもきれい。窓を通して向こうをみているみたいにも感じられる。

字がくろぐろと、おおきいです。でかっ。ちょっとびっくりしました。原本もこんなふうな字の大きさなんだろうか。

オルファースは、修道院に入り、そこでも絵の勉強を続けて宗教作品や絵本を残したそうです。

リストへ戻る

▲top


[174] フリー フォール

作:デイヴィッド・ウィーズナー

絵だけで、文章のない絵本です。

これはウィーズナーで最初に手にとった絵本。竜の絵があったけど、その時はちゃんと読んでいなかった。[167]『おぞましいりゅう』を読んで、あの『フリーフォール』の人だなと思った。

3メートルもある絵を、絵本にまとめたものだそうです。 だから、絵がずっと続いている。

かくし絵みたいになったり、徐々に絵が変化していきながら風景が流れていくのがおもしろい。

木立の中に本がある。本のページは石段になっていたりする。風景の中にクロワッサンもあった。

あの、ギョロ目の宇宙人みたいなのと、帽子を目深にかぶった人物はなにもの?

リストへ戻る

▲top


[173] グリム童話 ねむりひめ

絵:フェリクス・ホフマン
訳:せた ていじ

図書館でみかけて、なんていい絵だろう…いい感じの絵だろう。と思っていた絵本です。しかも、瀬田貞二さんの訳です。

この絵本は、絵がいいし、瀬田さんの訳の特徴…っていうか、単語のくぎりの特徴とかあるなあ…とちらっと思いました。

瀬田さん訳の、[9]『チムとゆうかんなせんちょうさん』や、[42]『アンガスとあひる』[62]『おだんごぱん』を読んだときに、感じた気がする。

(そういうところは、うちだりさこさんの[13]『てぶくろ』などでもそんなふうですね。だから、瀬田さんだけのものじゃないかもしれないけど。子どもが読むように、ひらがなで、読みやすくするとなると、そうなるものなのかもしれないけれど…。そのころは絵本にまだあまり触れてなくて、そういうところが新鮮だった。)

フェリクス・ホフマンの絵は、どこか、寺島竜一さんの絵ににているような気がしました。(寺島さんは『ホビットの冒険』のさし絵などの。)

なんというか、ざざっとちょっと下書き風の線みたいな…。

また、なんか瀬田さんがらみの話題、ですね。でも瀬田さん抜きでも、この絵の雰囲気、寺島さん思い浮かべてしまいそう。この王さまの感じも。とてもいい。

どこか、アーサー王とか、アラゴルン(指輪物語の)とか。そういう感じもする。

王さまが、お姫さまと塀のところにいて、見下ろしているところの、ちょうど表紙の絵が、心にぐっときます。もうとてもとても、おひめさまをかわいがり、いとしく思っているのでしょう…。

おきさきさまの、ベッドの上の幕、黒い布の。どうも魔女(ここでは、「13ばんめの うらないおんな」)の姿のようにも見えるような気がする。

あとひとつ、気づいたことで。りょうりばんのところのこぞうさん、髪の毛がくるくるしているのが、もしかしたら黒人ということなのだろうか? 肌の色は、ざざっと塗った色で他の人と違わないので、わからない。

(グリムの「ねむり姫」って、どれくらいの時代の設定なんだろう…? 黒人の小僧さんとかいたのだろうか?)

リストへ戻る

▲top


[172] 航路をひらいた人々

瀬田貞二

瀬田貞二さんの本です。

エリクソン、エンリケ王子、バスコ=ダ・ガマ、コロンブス、マジェラン、クック、がとりあげられています。

エリクソンというのは、レイフ・エリクソンのことで、「幸運のレイフ」と呼ばれた人。「赤毛のエリク」のむすこ。

エリクがグリーンランドを見つけたことは、前に知ったとおり。でも、レイフのことはちょっと違った。

ビヤルニというひとがアイスランドからグリーンランドに行こうとして違う土地を見たことを、レイフが聞き、興味を持って、その陸地を探しにいった、とある。

山室静さんの[152]『バイキング王物語』では、レイフが、ノルウェーのオラーブ王のところから帰るおり、ヴィンランドを見つけたとあったと思ったけど…。

レイフの隊のチルキルがアイスランド語でいう、ことばづかい。

「そんなに遠くへいったわけでねえです。お知らせしたいことがありますだ。ブドウをどっさり見つけましただ。」
「ほんとか? おやじさん」
「もちろんほんとのことですだ。わしが生まれたところには、ブドウがたくさんありましたで」
(p.29)

なんか、瀬田さん訳の『指輪物語』のサムのことばづかいを思い出しました。

チルキルは、レイフを育ててくれて家族同様だと書かれていましたけれど、わからない言葉をつかったり(南方ゲルマン出身)、レイフの問いにアイスランド語で答えた、ということですから、レイフと違うことばづかいで書かれているのでしょうか?

その土地は「ビィンランド」(ブドウの国)と名づけられました。アメリカではないかという説があります。

ポルトガルのエンリケ王子という人は、知らなかった。

厳しい顔をしたひとで、岬の館にこもり、船乗りを養成し、航海の礎を築いた。王子は、生きているうちには、インド航路をひらくこともできず、借金ものこした。でも、この人がいたから後には道が大きくひらけた。

次の文章がかっこいい。

「しかし、その人の仕事は、未知の海をおそれることなく、羅針盤によってどこへでも進むという新しい航海の源になった。生涯にたった三度、対岸の北アフリカへわたっただけのこの王子を、世界の人が「航海者ドン・エンリケ」とよぶようになったのは、けっして理由のないことではない。」
(p.92)

しかし、航海の道がひろがり、ポルトガルやスペインは、着いたその土地は領土にしてしまうんですね…。島の名前もスペイン語だったりするのは、そのせいだったのか…。

このあいだ、『1492年 海のかなたへの旅』という、コロンブスの船に乗った少年の目を通して旅を描くという設定の物語を読んでいたので、コロンブスの第一回の航海のことは少しわかりやすかった。
(参考:『1492年 海のかなたへの旅』(物語の項へ)

コロンブスの船もそうだし、そのころは、海にでるということは、たいへん勇気がいり不安なことだったのだろう。また、金やもうけに目がくらむこともある。船員たちの間では、不満がつのったり、反乱もおきる。壊血病もあった。
(参考:ダイアリーの記述

キャプテン・クックは、船員の健康について研究したり心を配り、いやがる船員に麦芽汁を飲ませた。 すると壊血病にかかるものはいなくなった。

前にテレビで、中国の鄭和とかいう人の番組をみた。バスコ・ダ・ガマの船などは、壊血病に苦しんだけど、鄭和の船では野菜(?)かなにか育てて、壊血病はなかった…みたいなこと、見た記憶ある。ダ・ガマより前の人…? すごい。

リストへ戻る

▲top


[171] くるみ割り人形

原作:E.T.A. ホフマン
文:ズザンネ・コッペ
絵:リスベート・ツヴェルガー

教えて頂いて知った、ロベルト・インノチェンティの『くるみわり人形』とツヴェルガーの『くるみ割り人形』。

インノチェンティは、またの機会として。こちらを見つけましたので。

ツヴェルガーは、『賢者のおくりもの』で、長い髪をゆいあげたところの絵がいいな、と思ったことがあった。ツヴェルガーってあの人かな、と思ったら、やはりそうだということでした。

朗読と音楽の入ったCD付きの絵本。

ねずみが何匹もいる絵は、ちょっとおぞぞ…。

「くるみ割り人形」は、バレエでは見たことあるように思うけど、ちゃんとしたお話は知らなかったです。 お父さんのコートの袖から、階段がのびているところが気に入りました。 マリーって、子どもですよね…? さいごは、きゅうにおとなになっているような展開で、びっくりしました。

リストへ戻る

▲top

(New) ←以降(181〜190)へ  以前(161〜170)へ→ (Old)

読書感想のトップへ戻る

ブックリスト2メニューへ戻る