ホーム >> ブック >> ブックリスト2 >> 読書感想 >> No.231〜240
おやすみなさい、の絵本はいくつかあるみたいですね。
でも読んだことがなかったら、どれがどれかよくわかってない。
瀬田貞二さんの『絵本論』*の、ワイズ・ブラウンを取り上げた章に、この『おやすみなさい おつきさま』がでてきて、そして、『おやすみなさいのほん』というのも、同じワイズ・ブラウンだったんですね。
ワイズ・ブラウン、有名な人だろうけど、私はまだあまり知らない。
でも、[212]『クリスマス・イブ』を読んで、ワイズ・ブラウンの名前を知った。
不思議だったのは、このワイズ・ブラウンという人は文を書いていて、絵は別の人だったので、印象に残っている。
部屋の中にかけてある額の絵。
<牝牛が月をとびこした>と、<3びきのくま>の絵だあ〜。(ですよね?))
(<牝牛が月をとびこした>は、マザーグースで、<3びきのくま>はマザーグースってわけじゃないのかな?でも昔ばなしの絵本なんかでよく取り上げられているお話です。) (参考:[75]『ジャックと豆のつる イギリス民話選』の感想))
「おやすみ」ってくりかえされていきます。夜がふけて、暗くなり、でも、やすらかな感じ。
「おやすみ ねずみさん」
の絵がちっこいのがかわいい。
単調さが続くなかに変化があること、ねずみが部屋を移動することは文にはでてないのに子どもは気づくこと、『絵本論』で瀬田さんは書いていました。そこを読んでから、なるほど、気づいてなかったと思いました。
人形の家にあかあかと明かりがついているのはなぜだろうと思いました。
*(参考:[242]『絵本論』を後日読む。)
それから。そうです、「3匹のくま」は、やはりマザーグースじゃなくて昔話でした。『絵本論』に「3匹のくま」のこと書いてました。
[198]『ジェイミー・オルークとおばけイモ』 のジェイミー・オルーク第2弾?
またまた、なまけもののジェイミー、本領発揮ですが、今度はどんな事件がおこることやら?
「このおはなしは、アイルランドの伝承をもとにして、作者が作ったものです。」
とあります。
「あとがき」
を見ますと、アイルランドうまれの詩人イェイツが昔話を集めて出版した本に、プーカのことが載っているそうです。シェイクスピアの妖精パックも、プーカからとられているとか。
私は、キプリングの『プークが丘の妖精パック』が読みたいなと思っていたのですけど(参考:[81]『ゆうかんな船長』の感想)、そのプークだかパックだかに、関係あるのでしょうか。
パオラは再話の達人(?)だから、自分なりに工夫が入っているのでしょうか。
ゆかいなどんでんがえしで、楽しい絵本でした。
[233]上巻から少しあきましたが、中巻、下巻、よみました。
中巻は、ハンスとグレーテルの家族の問題はおいておいて、そのほか恵まれた少年たちのスケート旅行のことがどんどん書かれています。
運河の上をスケートでずっと旅していくんです。なにせ氷がずっと続いているんです。間に書かれている景色、風土、仲間たちの行動がめずらしかったです。
さっぱりしたキャプテン肌のピーター君。イギリスから来たベン。太めで気のいいヤコブ。いばりやなところもあるカール。ランベルトにルードウィヒ。
旅行や、オランダの歴史、気質の説明もいいけど、そういう記述が続くといったいどうなることかと思ってしまう。でも、これは、訳者あとがきによると、
「この本もたいへん長く、お話でありながら、旅行案内であったり、歴史の本であったり」(p.213-214)
する面もあるようでした。石井さんは、そういう部分は幾分省いているところもあるそうです。(でないと日本の少年少女の読者には長すぎるのかもしれないですね。)
そして、驚いたことに、作者は、(オランダ人の血はひいているけれど)アメリカの人なんだそうです。
ハンスとグレーテルの家族は、どうなったでしょうか? 謎の事柄の真相は? そして、銀のスケート靴は、誰の手に入ったでしょうか。
解決に至る展開がうまくいきすぎという点はあるかも。スケート大会は一大イベントです。そこにも、爽やかな友情がみられました。
子供たちの将来。わたしはカトリンカのところで涙がでた。かわいいけれど中身のない、リンリンなるだけのベルのような、カトリンカ。高慢なリシーよりも、まだ問題ありそう。そのうち誰からも相手にされなくなりそうな子。
でも、貧しくても誠実だったハンスや、立派なピーター、ヒルダ、アニーと違い、嫌な子はこうなるのか。
カトリンカが「本気になるということがあってくれれば」(p.205)
しあわせになれたのか。うまく言えないけれど、心がいたみました。
(追記)
(参考:挿絵のヒルダ・ファン・ストックムの作品、[327]『楽しいスケート遠足』を後日読む。)
[132]『エル・シードの歌』と、[12]『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』の解説で、馬のことについて気になることがあった。
『エル・シードの歌』ではドン・キホーテの馬ロシナンテはエル・シードの馬バビエーカになぞらえている、というような注釈があったし、 『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』の訳者あとがきで吉田新一さんが、次のように書いている。
「ことのついでにもうひとつ、これまた個性のある、内向的タイプの例の「灰色のめす馬」はドンキホーテのロシナンテであり、おそらく英語の伝承童謡「農夫は灰色のめす馬に乗って出かけた」に出てくる馬でもあろう。」
(『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』p.322)
だから、ロシナンテとはどんな馬なのか、ドン・キホーテの話も、知りたかった。 私の読んだ版のドン・キホーテには獅子の場面はなかったようだし、ロシナンテはバビエーカになぞらえた、という記述もなかったけれど。
『エル・シードの歌』のところで書いた「ロマンセ」、とはなにかということは、注釈がありました。
「(23) ロマンセ − はじめは、ラテン語に対しての俗語のいみだったが、のちに「民謡」といういみに変わり、また十二、三世紀以後は、わが国の「びわうた」に似た物語歌をさすことばとなった。」
(p.336 注より)
ちなみに、『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』の訳者あとがき(吉田新一さん)にも、ロマンス(ロマンセのこと?)が書いてありました。
「一読明らかなように、『ジャイルズ』は中世のラテン語のロマンスを英訳した、ということになっている。(中略)それらすべてはフィクションで、作者のおどけなのである。(中略)つまりこれは似非ロマンス、騎士物語のパロディ、バーレスク、偽英雄譚などと称されるものなのである。」
(『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』p.321)
なんかここ読んでいると、『ジャイルズ』のことなのか、『ドン・キホーテ』のことなのかという気にもなってきました。トールキンがロシナンテを念頭においていたとすると、騎士物語のパロディ(『ドン・キホーテ』)のパロディ、ということにもなるのかな。
『ドン・キホーテ』中、「にがり顔の騎士」
という言葉を読み、思い出した。朝日新聞でこの言葉みたことある。
アサヒコムのサイトにその記事があったので、リンクします。
(参考サイト:「asahi.com」より、野谷文昭さんというかたのという文章で、「『ドン・キホーテ』セルバンテス 集大成の訳と、成長中の訳」
という記事。http://book.asahi.com/special/TKY200711050224.html 新聞掲載は「2007年10月26日朝刊」
とある。)
「永田寛定が「にがり顔の騎士」、さらに会田由が「憂い顔の騎士」と訳し、」
私の読んだのは、岩波少年文庫版(旧版)ですが、「にがり顔の騎士」と訳したという永田寛定訳で、やはり「にがり顔の騎士」となっています。
「(56) 《にがり顔の騎士》−《うれい顔の騎士》と訳すのも悪くないが、すこしきれいすぎると考えたので、このようにした。」
(p.339 注より)
ずっと読んできていると、やっぱり私にとっても「にがり顔の騎士」。「うれい顔」っていう感じではないです。
挿絵は、ギュスターヴ・ドレでした。
ドレ、みたいにサインがあるのもあるし、「H.PISAN」
みたいに見える字もあるんですけど、これは何でしょう。*
ドン・キホーテと、サンチョ・パンサのかけあいというか、言葉のやりとりが面白いです。
最後のほうは、サンチョもドン・キホーテが「遍歴の騎士」
と信じてるようになってくるんですけど、最初は、そういうことは信じてないような。でも従士としてどこまでも忠実に主人を助けます。そしてときに諭したりもします。
私は、ドン・キホーテが主役なんだし、サンチョはもっとドジでさえない感じの人物だと思ってた。 でも、かけあいはテンポもいいし。サンチョはすごいです。サンチョはとてもいいこと言います。
好きな言葉。抜粋。
「だんなさま、わしは争いをすかぬおとなしい人間でね、どんな悪口でもききながすことができるだよ。それがってのは、やしなって育てなけりゃなんねえ女房と子どもがおるでね。わしはあいてが平民だろうとさむれえだろうと、もうけっして刀をぬかねえだよ。今から神様の前に出る日まで、身分のたけえ者ひくい者、金もち貧乏人、氏の知れた者知れねえ者、つまり、どんな生まれと身分の者でもがね、わしにした仇にするはずの仇、それから、したらしい仇、するかしれねえ仇、すると思える仇を、みんな赦してやりまさあ。」
(p.95-96)
「危険が希望よりもでけえときに、たちのくのは逃げることでねえし、待ちうけるのはりこうなことでねえだ。また、あしたのためにきょうのわが身をたいせつにして、なにもかもいちんちに冒険しねえのが、かしこい人のやりかたでがす。わしゃ、やぼな人間だがね、それでも、じょうずなしめくくりというものを、いくらか承知してると思いなせえよ。だから、わしの意見にしたがうことを気にしねえで、できたら、ロシナンテに乗んなせえ。できなかったら、わしが乗せてあげるだ。そして、わしについてきなせえよ。今は手よりも足が入り用だと、勘がおしえるでね。」
(p.177)
私は読んでいて、ドン・キホーテとサンチョの二人に対して、『指輪物語』のフロドとサムを思いました。(うーん、キホーテは、フロドとはいえないかもしれないけど)サンチョは、サムみたいだと感じました。
*(追記)
ブログにも同記事をアップしましたが、PISANについてコメントを頂きました。原版の版画をつくった人だそうです。
ホフマンの絵で読んだ、[229]『ぼうぼうあたま』の別訳で 飯野和好さんの絵のものです。 訳は、オルファースの[226]『ねっこぼっこ』で挙げた、生野幸吉さんでした。
初版1980年に集英社から出た本の、ブッキングからの復刊です。
生野さんの解説が、オルファースの時もそうでしたが、やはり読んでためになります。(解説は、集英社版にも載っていたのの再録だそうです)
最後の一文が、印象に残りました。
「 それにしても巻頭に一度だけ出てくる、もじゃもじゃペーターとは何者なのでしょう。子供たちの間での「英雄」かな、とぼくは思います。」
(p.77)
確かに強烈なインパクトです。ペロっと舌をだして、この版ではずいぶん現代的な格好をした(トレーニングパンツみたいなズボンに運動靴)、ペーターくん。巨大に逆立った髪の毛。のばしまくった爪を見せびらかしています。不敵に構えて堂々としています。
「スープぎらいのカスパルのはなし」の、カスパル君、五日目の絵は、すごいです。やせ細っているなんてものじゃなくて…。
絵の中に、ローマ字で(伸ばす字は上に横傍線がついてる)、小タイトルや注釈みたいなのや文がついています。例えば「空とぶローベルトのはなし」には、
「SORA・TOBU・ ROBERUTO」 (p.69)
みたいに。ローマ字なので、読むのがちょっと難しい。
字体の、斜め下に払うところが長く伸びている形が、気に入っています。(ちょっとエルフ文字(?)っぽい?)
「ピーター・パン」の映画(実写版)を見たので、本も読んでみようと思いました。(参考:ブログの「ピーター・パン」の感想の記事)
断片的にしか知らなかった、話の筋や登場人物。
ワニがなぜカチカチいっているのかもわかりました。映画と同じところもあったけど、お父さんの描写はちょっと違うみたい。
タイガー・リリー、美人ですね。F=D=ベドフォードの挿絵(扉絵)を見て思いました。
ピーターの年齢は、どれくらいかよくわからない。歯も生え変わっていないほんの小さな子かと思うけど、ウェンディは彼のこと少し好きみたいですし。でも、ピーターが夢を見て泣いていると、膝の上にのせてあやしてあげます。
ウェンディとピーターが、お母さんとお父さんの<つもり>
になっている場面は、好きじゃない。
フックと戦っている彼の挿絵は、フックに比べるとかなり小さいです。フックが背が高いんでしょうけど。
こんな小さな子や迷子の子どもたちに、てこずる海賊たち。迷子の子どもたちは、ネヴァーランドに住んでいるのは、なんとなくわかるけど、海賊たちは、なぜネヴァーランドにいるのだろう。不思議に思うこともありました。
フックに同情してしまう場面があります。「正しい作法」
を守ったかどうか、悩み苦しむフック。
「自分でも知らないうちに、正しい作法を身につけている」(p.275)
、水夫長スミーや、ピーターへの思い。
芹生さんの解説がよかったです。知り合いのデーヴィズ夫妻の息子たちとの海賊ごっこなどの中から生まれてきたという、ピーターパンの物語。でも、それはただ頭のなかでだけで作られた話ではなかったという。
ピーターがはじめて登場する作品『小さな白い鳥』も読んでみたいです。
(追記)
(参考:ブログの、映画『ネバーランド』の感想の記事)
[216]『ヴァージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』の作者の素顔』で、一番最初に紹介されていた本だと思う。
バートンの、もう大人になった息子アリスとマイケルが写っていたのだったろうか? スチームショベル、メアリ・アンの模型(?)と一緒にだったろうか? 嬉しそうに。こういう絵本があるんだなと思った。
スチーム・ショベルの、「バケット」
と「そこぶた」
のところが、顔になっているのが面白いですね。
スチーム・ショベルは、「メアリ・アン」という女の子(女性)なんですよね。 [218]『ちいさいおうち』のおうちも、女の子ではなかっただろうか?
スチーム・ショベルって、古い型だけど、一応機械。『ちいさいおうち』でいうと、田舎を掘り起こしたりするタイプのほうですね。バートンは、単に田舎や自然を擁護しているわけじゃあないのかな、と思いました。除雪車や機関車の絵本もありますし。
(でも、時代が進んで新式の機械ができ、スチーム・ショベルが用済みになったとき、マイクとメアリ・アンは田舎へ出発しますけれど。)
息子や、小さい子どもたち、特に男の子が好きな機械も、こんな楽しい絵本にしているんですね。
この絵本のポイントは、ここかな。
「できるとも。ぼうやが そこで みていてくれればね」 と、マイクはいいました。「おれたちは、だれかが みていてくれると、はやく ほれるんだ」
ここのことは、『ヴァージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』の作者の素顔』にも、書かれていたと思うんだけど。 ちょっとうまく表現できないんだけど、誰かが見守っていてくれると、力が発揮できたり、がんばれたりすることのメッセージがある気がする。
以前は、単に「ハンス・ブリンカー」というタイトル(?)だったとか、そういうこと聞いたことある。(「銀のスケート」になったんだと思っていたら、ちゃんと副題に「ハンス・ブリンカーの物語」
とありました。)
読みたいなと思いながら、何年か。ついに、手にとりました。
でも、これは、大きな活字のシリーズなので3巻に分かれていて、まだ上巻です。
石井桃子さん訳です。
オランダの、ハンスとグレーテルという貧しい家の兄妹。お父さんが事故にあってから、たいへんです。まわりのもう少し恵まれた環境の子どもたち。いやな子どももいるけれど、「〜してくれたまえ」とか、特にみんなのキャプテン役のピーター・ファン・ホルプがさわやかです。
ほんとうなら、子どもがこんな言い方するのをずっと読んでいると鼻につくかもしれませんけれど、オランダの真面目な感じが、人柄や町の描写に現れているのか、今のところ、あまり気になりません。
スケートも買えないハンスとグレーテル。ばかにされていますし、家はたいへんなのです。でも、何か秘密もありそうな感じ。これから事件もおきるでしょう。後半を読むのが楽しみです。
(追記)
[238](中巻・下巻)読みました。
古典絵本です。
1897年に描かれたということです。
すばらしい絵です。豪華な絵本。
これも、瀬田貞二さんの『絵本論』*にもでてきました。まだちょうどモンヴェルのところを読み始めたところで読むのが途切れています。イギリスの古典絵本は、今でもずっと刷られているのに、フランスは、日本と同じで、古い絵本を大切にしない、というように、(フランス出版事情を)批判しておられました。
(参考:ジョセフィーン・プール文、アンジェラ・バレット絵の[241]『絵本 ジャンヌ・ダルク伝』を後日読む。)
*(参考:[242]『絵本論』を後日読む。)
瀬田貞二さんの、『絵本論』*という本を読んでいると、この、ワンダ・ガアグのことが、ちょくちょくでてくるんです。
そんないい絵本を描く人なのかという思いと、石井桃子さんの訳だったから、今よんでおこうと、手にとりました。
アメリカの絵本で1928年とありますから、古いですね。絵自体は、白黒です。
構図が面白い。左下から右上に流れるように続く道や、上空の雲。痩せた猫が丸々となるまでの、連続した絵のつながりが半円になっているところ。
また、話の筋には、どの猫を選ぼうかという、繰り返しも見られます。
猫たちがほんとうに「たべっこ」
してしまったとすると、考えるとこわいですが。話が昔話ふうになっているので、そこはあまり考えないとして。
最後の絵、気に入りました。おじいさんとおばあさんの後ろの壁にかかっている写真(絵?)。二人の結婚式のときのでしょう。
*(参考:[242]『絵本論』を後日読む。)
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