ホーム >> ブック >> ブックリスト2 >> 読書感想 >> No.221〜230
他のかたのブログでこの絵本を知って、作者と題名をメモしていました。
小さめの絵本が借りたかったのと、たまたま目について、石井桃子さんの訳だったし、これにしよう、と。
見た目、地味な感じの色合いの絵本。水の青と、かえるの緑と。
かえるたちの動き、目、楽しそうです。遊んでいる様子がいきいきしています。
たまごから、おたまじゃくしになって、足がはえてくる様子。小さい子の科学絵本ともいえるかも?
「ああ おもしろかった。おなかが すいた。 とんぼのたまごと みずくさで おいしいごはん。」
絵本は、前までほとんどしらなかったけど、このところ、訳の、この言葉と言葉の分割とか、気づくようになった。
「みずのなかに ぜりーのような たまごが。 たまごのなかには くろいてんてん。」
ここの訳が気に入っています。簡潔で、名詞的に終わっているところとか。
うん。たしかに最後は、[226]『ねっこぼっこ』を思わせるような、余韻を残していますね。
古典絵本です。
ホフマンの『もじゃもじゃペーター』は、ベッティーナ・ヒューリマンの[69]『ヨーロッパの子どもの本』を読んで、興味を持ちました。
このあいだオルファースの[226]『ねっこぼっこ』で、生野幸吉さんの解説で、
「ジビュレがのこした絵本のなかで、この『ねっこぼっこ』(1907年)は、ハインリヒ・ホフマンの『もじゃもじゃペーター』とともに、現在もなお、ドイツの子どもたちの心をよろこばせる絵本として広く愛されているようです。」
とあるのを読み、読んでみようと思いました。
『もじゃもじゃペーター』として邦訳されているものもあるようですが、今回読んだのは『ぼうぼうあたま』のほう。また、最近、ホフマンの絵ではなく、 飯野和好さんの絵の『もじゃもじゃペーター』が出版されているようですね。飯野さん、あまり詳しくは存じ上げませんけれど、なんとなく、もじゃもじゃな頭の人物を描かれているイメージがあるので、合っていそう…。どんな「もじゃもじゃペーター」か、楽しみです。*
さて、この絵本、内容は、けっこうグロテスク! ぼうぼう髪のペーターは爪をのばしてただ立っている絵ですけど、「かわいそうな パウリちゃん」では、パウリちゃんは火あそびをして、最後はぞっとする感じ。猫が流している涙が滝のようなのがおかしみがあるけれど、パウリちゃんは…。
そんなふうに、いうことを聞かなかったり不注意なことをする子どもたちが何人もでてきて、それに対するいましめを書いている本です。でも、その教訓がおすましした口調じゃなくて、ストレートに心に入ってくるのが子どもに受けたのでしょうか。
『ヨーロッパの子どもの本』のホフマンの章を読みかえしてみました。とても人気のあった絵本だそうです。
「おそら の すきな ハンスくん」のハンスくんが足をつんと前にだして歩くつまさきなんかの絵をみていると、私はエドワード・リアの[43]『ナンセンスの絵本』の絵を思い出してしまった。ナンセンスっぽいところなんか、どこか似ているかもしれませんね。
(「もじゃもじゃペーターについての参考サイト)
「国際子ども図書館」のウェブサイトの中に、
展示会「もじゃもじゃペーターとドイツの子どもの本」というページがありました。
(この展示会はすでに終わっています。)
*(参考:[236]『もじゃもじゃペーター』(飯野和好 絵)を後日読む。)
2008年3月号に石井桃子さんの特集があることを知って*、読みたいと思っていました。でも貸し出し中で。そうしているうちに、石井さんがお亡くなりになったことを知って…。驚きました。
3月号は貸し出し中でまだ読めていないのですけれど、このイギリス湖水地方特集の載っている2007年9月号もねらっていたのが返却されていたので、借りてきました。
湖水地方というから、「ピーターラビット」のビアトリクス・ポターのことが載っていると思って。
スタイリストの伊藤まさこさんというかたと、お母様と娘さんの旅を追っています。 伊藤さんは存じ上げなかったし、ご家族の様子や、湖水地方のお店やロッジの紹介など旅的な部分は、私の期待とすこしずれていたかも。
ナショナル・トラストのスタッフのお仕事のところは、テレビ「おはよう日本」でみたナショナル・トラストのこと、思い出しました。(参考:ブログの関連記事)
石垣の修復はセメントを使わない。また、「ヘイメドウ」
という牧草地を保護するために、小さな枠とルーペを使って植物の数を数えて記録するという作業もあるそうだ。
ナショナル・トラストが管理しているという、「ビアトリクス・ポター・ギャラリー」。原画などがある。日の光で紙が劣化しないように薄暗く管理されている。
「気づくのは、現在出版されている絵本と印象が変わらないこと。印刷へのこだわりは映画でも紹介される。」
「ミス・ポター」の映画、確かに印刷にこだわっている場面ありましたね。(参考:ブログの関連記事)
*(参考:[261]『ミセス2008年3月号より 特集 石井桃子の宇宙』を後日読む。)
とってもすてきな絵本をみつけました! 絵も気に入りました。
グリーンマン。イギリスの森の中に住むという伝説。
この絵本は、その伝説をふまえて、でも主人公のクロードや、クロードがグリーンマンになったくだりは創作なのでしょうね (後ろの解説 「グリーンマンの由来」に書かれているように、デンマークの王子が森に住んだということが文献にでていたり、それを題材にとったとしても)。 でも、グリーンマンのことがよくわかって、好きになれるような、そんなことが伝わる絵本だと思います。
大地主の息子、クロードはわがままで横柄。でも、あるとき、着物も失い、ほら穴で暮らすはめになります。それからクロードの生き方が変わり、それがまた、楽しそうなのです。 身もひきしまり、工夫してものをつくったり食べ物を集める生活。
「女の子は 涙をふきふき,そおっと 背のたかい 日やけした若者を みあげました。まるで 樫の木の ようだわ。緑を いっぱい つけて 苔に おおわれて ふるい木が つったっているようだわ。「おじさんは グリーンマン?」 と 女の子は おずおずと きいてみました。」
解説「グリーンマンの由来」
は興味深かったです。ロビン・フッドもグリーンマンだそうですが、それはなるほどと思うのですが、マーリンもグリーンマンなんですって。そういえば、アーサー王の物語で、「緑の騎士」ってありますね。あれもグリーンマンなのだろうか?
(参考:[52]『ロビン・フッドのゆかいな冒険』)
(追記)
(参考:ブログの「ふしぎ発見…グリーンマン」の記事)
このあいだ秦理絵子さんの訳のを読んだ、[214]『ねっこぼっこ』(平凡社刊)の、生野幸吉さんの訳の方のです!
並べてくらべたわけではないです。前のはもうだいぶ忘れています…。以下の感想でも思い違いなどあるかもしれません。
この訳は、とてもリズム感や語感がいいと思いました。
「くさや、いろんなむしたちも もう、まるでおおよろこびだ、 いつまでも、いつまでも 夏だったら、いいのになあ!」
表紙の、「ねっこぼっこ」という文字のデザインが風変わりでかわいい。蔦がくねくねっとまるまってるような。(少し和風でもあるような感じもしますね。お相撲の番付(?)とか歌舞伎の文字にも似ていそう)
中の文章の文字、手書きふうフォントみたいなかたちで、いいですね。平凡社のほうのは、太い明朝体みたいな形だったと思う。
生野さんの解説も読みたかったので、読めてよかったです。
生野さんの解説の中には、(初版年は)1907年と書いてあった。秦理絵子さんの訳の平凡社のほうには1906年とあったように思うんだけど…?
「Fubutake Publishing」
と書いてあったのにびっくり。「ふぶたけ」なの? 「ふくたけ」だとおもってた。
(追記)
参考:関連記述[229]『ぼうぼうあたま』
トロールがでてくるというし前にチェックしてたのを、読みました。
トロールのヘルガは、このあたりきってのきりょうよし。ハンサムなラースに結婚を申し込まれたけど、もっていく持参金が、ヘルガにはない。
ちえをはたらかせ、ヘルガはいったいどうするでしょうか?
あっぱれ、ヘルガ!!
ゆかいな、そして、痛快なお話です。しあわせは、自分でつかむ! 女の子は励まされますね。
トロールとはいえ、きりょうよしやハンサムとは思えない絵がらですが…。「おへちゃのインジ」
との対決が面白い。
あまり書くとネタバレになってしまうけど、ラースに言うセリフは、ただ面白いだけじゃなくて、心に響きます。
しあわせを求める人々を応援し、自分を大切にしようと思わせてくれる、そんなメッセージを受け取れます。
「鳥少年」って、なんだろうと思った。
原題は、「MICHAEL BIRD-BOY」
。
はじめのページから、
「鳥少年マイケルは しずかないなかぐらし。」
なんです。
何の説明もなし。不思議な感じ。
かれは、「鳥のかたちのふく」
を着ている。そして、なんということもない日々を楽しんでいる。ところがある日、雲がやってきて…。
こういう感じ、すこぉし、リー・バートンの[218]『ちいさいおうち』にも通じるかな?
本自体は、あまり好きというほどでもないけど、「鳥少年」という不思議な存在が心に残ります。
[151]『みどりの船』のクェンティン・ブレイクです。
最初は、「帆かけ舟」、というので、船のことの絵本かと思って手にとった。
でも、見返しや解説を見たら、この絵本ができたわけが書かれてあった。
ブレイクが、教師たちに持ちかけられたこと。子どもたちと一緒に本をつくらないか、という試み。
「偏見、環境破壊、児童虐待、戦争といったこと」
という、世界の問題。
それらについての本を子どもたちと一緒に作る、ということでした。
そして、1800人もの子どもたちの協力によってこの絵本が作られたと。(この本の見返しにはその子どもたちの名前が記されています)
イゾベルとニコラスは、おしゃべりをしながら砂浜で壊れた船を見つけます。組み立て、羽を撃たれたこうのとりを助けたことが、はじまりでした。
「シモーナを助けてくれたんだから、ほかの人たちも助けたらどうだい? この空の上から見てるとさ、助けの必要な人がわんさといるじゃないか」
最初は、シモーナを助けたのに「ほかの人たちも助けたらどうだい」とは何よ、と私は思った。でもそれは、おごったことだった。(そこには、助けて「あげた」のに、という気持ちがあったと思う。)
ガスはシモーナのそばに、みんなのそばに最後までいたし、みんなは困っている人をためらわずに舟にのせていく。(舟は重みで下降していくのに)
疑問点は、一番困っている人一人ずつを乗せていく、ということ。ほかの人はどうなるのか…?
考えさせられる絵本でした。
「ラッセのにわで」はタイトルは聞いてたけど、またお庭のお花などの擬人化*の絵本だとは知りませんでした! (参考:[91]『リーサの庭の花まつり』)
かわいいですね。
植物のモチーフのファッションショーなんか、もしあったら、もうそのまんまデザイン画になりそう。ベスコフの才能、発揮されてる感じ。
という呼び名がいいじゃないですか?「くがつちゃん」
「りんごふじん」
、きれいー。りんごふじんに、あこがれる。
「キャベツふじん」
には笑っちゃう。こういうおばさん、いるかも。(でも本当は、世話好きだったりいいところありますよね、きっと。)
* 参考:擬人化
オルファースの[214]『ねっこぼっこ』も参照。
バートンのこの絵本、すき。
バートンの絵は今まで読んだのは、田舎の風景とか駅とか、都会とかそういう感じだけど、 これは、雰囲気が違っている。
衣装からきれい。モーツァルトが着ているような、ああいう感じの服装。王さまや、家来の人たちの衣装をみているだけでも楽しい。
絵の、人物などの左右対比や、繰り返しなどの面白さ。人が円形にならんだり。まるで噴出しのように、唐草模様ふうな線でかこんだ心の中の言葉。
文章と絵の配分、配置が計算されています。
気に入ったのは、36から37ページの、わるものたちと、王さまと家来たちの姿を前後から描いているところ。(布を見に行く王さまたちを大きく、と小さくと捉えた28から29ページもおもしろい。)
文章は「中央ぞろえ」です。きっと原文もそうなんでしょうね。
バートンが、文章の配置にこだわっていたことが、([216]『ヴァージニア・リー・バートン 『ちいさいおうち』の作者の素顔』で書かれていたけれど)実感できました。
長い文章に絵をつけた[220]『ビュンビュンきしゃをぬく』では、たしかにこの手腕は発揮できなかったかも…。(『はだかの王さま』だって、バートン作のお話じゃないけれど。(テキストはアンデルセンのままなのかな?))
乾さんの解説にもあるように、この王さまは、
「少しおばかさんぐらいです」(中略)「心やさしく、みえっばりではあっても」(中略)「ほんとうはいい王さまなのです。」
そうですね。この王さま、好きですね。
また、家々が、[218]『ちいさいおうち』でのように表情があるように見えるのが面白い。うわさばなしをしているようだし、また、お口をあんぐりあけて、驚いて、呆然としてパレードを見送っています。
46から47ページのページだけ、なんだか色がにじんでいるように見えるんですけど、何故でしょう。つるつるの紙に印刷しているのかな?と思ったけど、よくみても他の紙と変わりないようですが。
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