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ハーモニーハウス入口の案内標識に従い玄関へのアプローチ |
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あえて軒下に玄関へと導く十分な距離のアプローチを設けている 美しい玄関周り
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~アプローチ~
1976~80年吉村順三設計事務所で吉村氏の薫陶を受けた建築家中村好文氏は著書「普段着の住宅術」の中でその重要性を説く。
「アプローチとは建物に近づく道のりのこと。通常、公道から玄関ドアに至るまでをこう呼ぶ。
住宅の場合、特にこの「アプローチ」は重要である。
そこに住む者も訪問者も、この「アプローチ」を歩むことでストレスという名の街の塵埃(じんあい)や社会人としての身構えを振り落とすことができるからである。しかし皮肉なことに、ストレスの多い都会ほど、そしてそれが本当に必要な人の住宅ほど、この「アプローチ」が取りにくくなる。
どうかするとドア1枚で魑魅魍魎(ちみもうりょう は大げさだけれど)の住む外界と接してしまうという事態が出来(しゅったい)する。
せめて12歩分くらいの「アプローチ」が取れぬものかと清貧の見方、庶民派建築家は苦慮するのである。」
建物には正面から近づくべきではないという教えがある、が、都会ではそんな教えを守る余裕もない。
たっぷりとした長さのアプローチをぜひ一度やってみたい!」
また氏は別著「住宅巡礼」のなかで、スイス/ティチーノ地方リゴルネットにあるマリオ・ボッタの「リゴルネットの住宅 1976年」巡礼の項で、その長く幾何学的な切石舗装のアプローチを見た時の驚きと感動を述懐されている。
「古代ギリシャの建築原理には「建物には真正面からアプローチせず、必ず斜めにアプローチせよ」という項目があったそうです。
あのパルテノンやエレクティオンもアプローチはすべてその原則を守っているといわれています。
建物がのっぺり平板に見える上、その建物に正面切って突進する印象の真正面からのアプローチを嫌い、パースぺクティヴに立体の魅力を味わうことができ、建物に親近感を持ちつつ近づくことのできる斜めのアプローチを推奨したことは、さすがといわなければなりません。
その斜めのアプローチといえば、ちょっと思い出すだけでもフィリップ・ジョンソンの「ガラスの家」、吉村順三の「軽井沢の山荘」といった住宅作品を始め、韓国の「宗廟」など歴史的建築に数々の事例を挙げることができます。
中でもこの住宅のアプローチは、私には傑出した成功例に思えるのです。」
著名、売れっ子の先人達が言うようにアプローチを見れば住まい手の思いや感性のあるや無やも伝わってくるというもの。
山荘の景観、庭創りに携わる者の一人として、常に説いている「玄関へは単刀直入の便利さを避け、敢えて回り道をして期待感と景色を造りなさい!」と。
中村氏のいわれる都会での難しさはいざ知らず、ここ軽井沢では自然豊かな広い敷地が多い。
にもかかわらず、直線的最短で何の景色も無い短絡的なアプローチが多い。
狭い敷地における玄関位置と駐車スペースからアプローチの取り合いは工夫やアイデアが求められ苦慮させられる。
さらなるおもいとすれば、ここ軽井沢の自然に融合させるには、幾何学的な造形美でなく、自然素材を使った遊歩道的小道がおすすめだ!
勿論それは、山荘的風合いの建物が前提のことは言うまでもない。
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渋い入口ドアにウサギのウエルカムサイン |
前庭から望むハーモニーハウス |
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ハーモニーハウスの宿泊棟部分 |
隣地メロディーハウスから空堀を隔てたハーモニー |
前庭からのハーモニーハウス 左手に大きなカツラの木 |
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竣工を祝賀記念しアルバムに残る吉村設計事務所の現場担当上田徹氏の署名、施工の丸山工務店故丸山杢太郎氏の署名も |
2階ホール 籐椅子の経年変化,シルバーホックスカラーが美しい
大きな木枠のガラス窓に裏庭のカツラの緑が写る 落ち着いた色調と簡素な中に溢れる気品が吉村マジック |
2階ホールの軽井沢彫り椅子 |
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作者不明のロッキングチェア |
建築当時から置かれた籐椅子達が落ち着いた周囲の雰囲気に溶け込む |
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2階ホールの美しく年を重ねた籐椅子やテーブル 当時そのままで傷みはない |
2階ホールから階下のMFYアンサンブル練習光景を望む |
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P.B.K.のクレッセント錠 |
上のホールに続くスロープと下の食堂に続くスロープ 若かりし頃の吉村が勤務したレイモンド夏の家(現ペイネ美術館)
にも同種のものが バリアフリーに配慮よりデザイン面と見えるが? |
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食堂から裏庭を望む カツラの落葉が自然のままに美しく |
宿泊棟の末端 |
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主屋から翼状に伸びる宿泊棟 和室と洋室 洋室にはにはピアノが |
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スズメ蜂を駆除した直後のハーモニーハウス付属四阿(アズマヤ) 中央に古色豊かな籐テーブルが ここで楽器を奏でると素晴らしい音響と、案内してくれたサイガバレー研究所の雑賀代表は言う |
~メロディーハウス(旧カニングハム女史邸)~ |
カニングハム邸は、旧軽井沢の上、愛宕山山腹に吉村順三氏設計でありましたが、ハーモニーハウス建築に伴い、空堀で隔てる隣接地に1983年建築したものです。
設計は、吉村氏のもとハーモニーハウスの現場主任として担当した上田徹氏(1952年名古屋生まれ。
78年東京芸大大学院美術研究科(建築)卒と同時に吉村順三事務所入社 88年玄総合設計設立代表、JIA(日本建築家協会)、
東京建築士会会員)
吉村自身の設計と言われても納得の吉村テイストを十分感じ取ることのできる建物です。
愛宕山の旧カニングハム邸は、現在吉村建築のフアンである下重暁子氏(元NHKアナウンサー)の所有となり、冬仕様の続き家を増築し使用されています。 |
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