○デンマークの旅から ○KARUIZAWA WINE ACADEMY 2010秋 無限 (欧風料理で信州ワイン&ボジョレ・ヌーボーを愉しむ) 12/2 ’10 ○ボジョレヌボーと燻製で年忘れ 12/14 '11 ○フインランド オーボ・アカデミー大学男声合唱団コンサート 於 小海松原湖(長湖畔やルビーホール 9/1 '12) ○コペンハーゲンのお勧め新旧建築リスト ルイスポールセンジャパン 8/24/2012 ○シンポジウム −フインランド/建築、デザインから見る木の可能性。− 於:脇田和美術館10/6 2012 ○民家再生 降幡廣信の仕事 建築士ネットワーク2012分化講演会 10/28 2012
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Design in Wood Symposium 2012 + フインランド/建築、デザインから見る 木の可能性。 <ゲスト> ・シモ・ヘイツキラ Simo Heikkila(デザイナー) ・ベッカ・ヘイツキネン Pekka Heikkinen (建築家・アアルト大学教授) ・川上元美 Motomi Kawakami(デザイナー) ・益子義弘 Yoshihiro Mashiko (建築家・東京芸大名誉教授) |
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文化芸術を通して木の活用を学ぶシンポジウム。 この美術館では、1991年の開館以来、様々なアートの形を提唱し、芸術の交流・発信の拠点として活動をしている。 より多くの人が「建築」を思考し、芸術に触れる機会を設け、「建築」を様々な視点や角度から捉えた定期的な勉強会を開催している。 今回は木の文化、芸術に豊かなデザイン感性を持つフインランドのデザイナー、建築家を招き「フインランド/建築デザインから見る木の可能性。」 をテーマに意見交換がされた。 長野県に多く、特にここ軽井沢高原の心象風景とも言えるカラマツを素材にデザインを公募し、森林を環境そして資源として意識して活用していく ことを発信する脇田美術館の「「木のデザイン」プロジェクトの一環である。 座学の後、館とアトリエ山荘に囲まれ、こぶしの大木を抱く中庭で懇談会が開かれ150名程の参加者の談笑光景が見られた。 また、アトリエ山荘が参加者受付順に公開された。 このアトリエ山荘は、1970年に脇田和の友人である吉村順三の設計により建てられた、日本のモダニズム建築として知られる。 |
シモ・ヘイツキラ氏 | 川上元美氏 | ||||||||||||||||||||
ペッカ・ヘイツキネン氏 | 益子義弘氏 館近くの南が丘に氏が設計した“南が丘の山荘”の解説は特には興味を惹かれた *別途末尾に紹介 | ||||||||||||||||||||
益子氏は吉村順三先生ゆずりの木造の名手 自邸である“新座の家I 自然に帰る家” 自然を心として、建築の中に取り込む手法はここ軽井沢でも静かな佇まいを見せる | |||||||||||||||||||||
*益子義弘氏の講義の中で特に興味を惹かれた“南が丘の山荘” 設計 益子義弘/益子アトリエ 施工 佐久市 〈株)木内工務店 |
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各種チーズと自家製“おだんごパン” イギリスパンの生地で焼かれた丸型のパン 絵本そっくりの顔が焼印で |
フレッシュな葡萄とミニトマトが蔓手編篭に盛られ アーティステックな一品に!! |
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長野県産の大粒プルーンがみずみずしさを!! | 蔓編み篭にモミジの緑を 紅葉を盛り込むのも間近 | ||||||||||||||||||||
脇田愛二郎作鉄のオブジェを入れて | |||||||||||||||||||||
吉村作品の専売 デッキにオープン暖炉 | |||||||||||||||||||||
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以前から気になっていたヨーロッパの木製アンテーク人形が館内に飾られる | 脇田和の二男脇田愛次郎(1942〜2006)の鉄のオブジェ が外入口アプローチと入って直ぐに |
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ここはアーティストのおもちゃ箱。小さくて雅味溢れるアーテスティックな小物達が遊ぶ。 気に入って買い集めたものや、手製のもの。 画家と建物を手掛けた吉村は同じ“新制作協会”の重鎮、ドイツに学んだ脇田は絵のみならず、多様なアートに興味を注いだ。 画家とかたや建築家の趣向は相通じるものがあったのだろう。自分の城を吉村に任せたのであろう。 軽井沢二手橋の吉村の自邸“珠玉の山荘小さな森の家”のアーティステックな遺品の小物達が何故かここのものと兄弟姉妹のように思われる。 |
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脇田画伯の書斎蔵書 | 大きなイーゼルが二つ 夥しい数の画材が画伯の在りし日を偲ばせる パレットに残された絵の具がコンテンポラリーアートのよう | |||
吉村順三作品集1941〜1978の表紙を飾ったペンダントとレンジフード ペンダントは脇田が荷紐を貼り合わせたシェードと鉄工所で作らせた溶接痕も生々しい手作り レンジフードは一見判別の付かないシンプルな木製テイスト吉村作風を感じさせる |
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建築士ネットワーク 佐久2012 文化講演会 10/28 2012 於 佐久グランドホテル 「先人に学ぶ・匠の技」 技術研修会: 武士の住まいと士官官舎〜そして現代へ 講師 文化庁認定上級技術者 永川強氏 文化講演会: 民家の今後はどうあるべきか (株)降幡建築設計事務所 降幡廣信氏 |
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永川氏の切り口は非常に興味深い。2年前にもこの会で「木と鉄と日本文化」と題して講演を頂いたと言う。 曲がりなりにも、再生ビジネスを掲げ、かねてより降幡氏の話を聞きたいとの思いから、ここは氏の話しのみ紹介させて頂く。 −民家の今後はどうあるべきか=民家再生− 民家再生をライフワークとしている民家再生の顔 降幡廣信氏 83歳とは見えない元気な姿で熱弁、司会から2度も時間ですと促され、 予定を40分オーバーしてまだ語り足りないとの表情。 名匠村野藤吾(1891〜1984)を引き合いに情熱を語る。村野は、90歳を超えても創作意欲は落ちず93歳で亡くなる前日まで仕事をしていたと言う。 驚くことに、60歳までと60から93歳までの手掛けた作品がほぼ同じと言う。 降幡氏も村野藤吾を超える94歳現役を目標にしていると言う。この元気さからは成し得る可能性大とお見受けした。 氏が再生を手掛け、中でも氏が民家再生と言うビジネスをライフワークと心に決めた案件がある。話の中で感慨深げに語られ、強く印象に残る話であった。 1982年12月に完成した松本神田の「草間邸」がそれだ。 ここは氏の著書「民家の再生 降旗廣信の仕事」の中でも月刊住宅建築の編集長立松氏が「民家再生への系譜−降幡廣信さんの人となり−」を寄稿、 述べられているので、その一文をご紹介したい。 「この家との出会いには、ちょっとした枕がある。当時、設計事務所の所員だった一柳邦子(旧姓星野)さんは、民家の調査を担当していた。 ある日、彼女が信州でも由緒ある家柄の草間家を調べて報告し、降幡さんに言った。 「もし、所長が良心ある建築家ならば、草間さんの家を見殺しにはできないはずです。」と、「どんな状態なの。」「まあ行ってご覧なさい。」 私も再生前の草間家を訪れる機会があった。 大屋根は傾き朽ちてくずれ落ち、所々に青いビニールシートがかかって見る影もない。大戸から土間に入ると真っ暗で、その暗がりの中を恐るおそる中に進むと、 オエがあり畳があげられ、雨漏りのため用意したバケツや洗面器などが到るところに散らばっている。 それを避けながら懐中電灯の光をたよりに手探りでゆくと、 という惨状であった。 「草間家は、民家再生の診断でいうと、医者の出る幕はすでになく、もう坊主の出番だった。私は、この家を手掛けたお陰で、その後、どんな難しい再生の仕事に 出会っても、驚かなくなった」と、後日、降幡さんは述懐している。肝っ玉が座ったのである。 オエとは、囲炉裏が切ってある居間的空間のこと。 一柳(旧姓星野)嬢については群馬県桐生市の人で、大阪市立大の持田教授の紹介で、26歳で就職して来たと言う。 氏の講演のなかでは、「もし、所長が良心のある建築家ならば、草間さんの家を見殺しにはできないはずです。」の 上州女の意気の良さを感じさせてくれる。語気の強い上州人の言葉が捨て台詞に感じたのであろう。 |
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民家再生の熱弁をふるう降幡氏 | 講演後挨拶をされる左降幡、右永川の両氏 | |
−降幡氏講演余話− 折りしも私自身の関与で、畳の選定で迷ったため特に印象に強く残った畳に纏わる話があった。 氏が手がけられた奥飛騨温泉郷の松宝苑の女将が最近氏に語ったお話し。 女将は畳を入れ替えるのに、磨耗に強く、色褪せない点から和紙製の畳にしたと言う。 ある女性客から「最近はこの畳がかなり普及していますね。お宅でもこれにしたのですか。」と言われ驚いたと言う。 この女性は、畳と縁深い茶道をやられ、畳には一入感心を持ち、すぐに紙の畳であることを見分けたのであろうと。 やはり本イグサの畳はほのぼのとした温かさを感じ、経年変化で言い知れぬ上品さを醸す点で、紙畳とは異なる。 氏の持論は、縄文時代から竪穴式住居の土間に草が敷かれ、イグサのルーツが連綿と今に繋がれている。 草の中からイグサが選ばれ、その優れた良さが古代から選別され今に繋がり、イグサをすすめる不動の根拠がある。 |
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降幡廣信 プロフィール 1929年長野県生まれ 1961年家業山共建設(株)を継承(三代目)現会長 1963年(株)降幡建築設計事務所設立 同所長現在に至る 1990年民家再生の方法論確立による業績で日本建築学会賞受賞 全国にて建築賞、景観賞等多数受賞 計58件(平成24年4月現在) 著書 「民家の再生 降幡廣信の仕事」 建築資料研究会 「民家再生の設計手法」 彰国社 「古民家再生ものがたり」 晶文社 「民家再生の実践」 彰国社 ほか多数 アトリエ 長野県南安曇郡三郷村大字温 0263−77−3163,5611 |
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