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読書感想

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No.311〜320

[320] 三びきのこぶた

イギリス昔話
訳:瀬田貞二
絵:山田三郎

瀬田貞二さんのを連続してアップすることになってしまいました。

三びきのこぶた の話は、知っているつもりだったけど、最初の、家をこわされて、という部分しか印象がなかった。
(後半の部分も、読んでみたら覚えはあったけれど、「三びきのこぶた」のラストだ、という印象がなかった。)

簡略化された物語を読んでいたのかな。

言われてみれば、イギリス民話集なんかに入っていたのはこういう話でしたか。

「こぶた、こぶた、おれを いれとくれ」
「だめ、だめ、だめ。めっそうもない」
「そいじゃ、ひとつ、ふうふうの ふうで、この いえ、ふきとばしちまうぞ」

リズム、いいですよねー。

そして、出たか、<瀬田節>? 「ごんべさん」と来たか。

外国の話なのに。しかも、「ごんべえさん」じゃないところがミソかも。

これは気に入った。絵もいいです。

おおかみもリアルちっくで、どぼんと落ちてる足の角度とか。台所道具などの絵も好きです。

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[319] あおい目のこねこ

作・絵:エゴン・マチーセン
訳:せた ていじ

絵本というより、本のような形と厚さなんですが、読んでみると文と絵で1ページが構成されているので、絵本なのかなと思います。

瀬田貞二さんの訳で、前からチェックしていたもの。有名な絵本のようですが、読んでみて、最初はよくわからなかったのが本音。

疎外され、いじめられる猫がテーマのように思ってたけれど、この猫を見ていると、そんなに悲愴でない感じがした。

「青い目のげんきなこねこ」はねずみのくにを見つけにでかけます。ねずみのくにはどこか、魚にきいたら、青い目を見て大笑いされた。他の者たちにも、受け入れられない。

「なーに、なんでもないさ」

と、こねこは言うけれど、この台詞、途中からでなくなってる。

はりねずみに丸くなられたのはきついな。でも猫は、ヘコむかと思ったら、そうでもない。

五ひきの黄色い目のねこたちの、目の、いじわるそうなこと。

「きみは、ひとりでさがせるんだろ、
 青い目のねこだもの」

きっつー。

この、「さがせるんだろ」と「青い目のねこだもの」、の間には何の脈絡もない。

「おもしろいことをしてみよう。なんにもなくても、げんきでいなくちゃいけないもの」

このポジティブさは、どこから来るのでしょう?

後ろの作者紹介を見たら、「シャムねこを主人公にしたこの「あおい目のこねこ」」とあった。

シャムねこだったんだ。そういわれてみれば、絵はシャムねこに見える。

このあおい目のこねこ、かわいいですね。

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[318] 王女さまと火をはくりゅう

作:イディス・ネズビット
訳:猪熊葉子

ラジオの「大人のためのイギリス児童文学」を聞いて、(参考:ブログの記事)、ネズビットの『宝探しの子どもたち』を読もうかと思ったんだけど、まずはこちらにしました。

りゅうがでてくるみたいで、読みたかったし。訳が猪熊葉子さんですし。

で、もう忘れていたのですが、これ、[93]『ドラゴンがいっぱい!』の本に入っていた話でした。「火をふくドラゴン」という話だと思います。

ブタ飼いのエルフィン、という若者がでてくるのですが、そのエルフィンという名前が気になってたことがあります。エルフみたいだし。今回読んで、あれ、エルフィンって…、と。

今回のこの本はこの話ひとつだけです。また訳の雰囲気が違います。

挿絵の影響もあるのでしょうが、こちらを読んでいて、王女とエルフィンの愛はドラマティックだと思いました。

「熱い、熱い、熱い。でもエルフィンは、がけにつくまでけっして手をはなしませんでした。」
(p.58)

りゅうのために海がお湯になって漁師のひげそりの湯になった、とか、ユーモアもあります。 王女さまは豚を守るためとはいえ、最後はちょっとドキっとするほど厳しい命令を出しますね。

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[317] 白くまマリヌス

作:フランス・ベアリナー
訳:奥田継夫/木村由利子

白くまのこぐま、マリヌスティヌスの誕生、そして、成長。

[255]『くまのブウル』を思い出した。

でもこちらは、雪と氷の世界

「ぽかっとでた雪あなの外。
 明るい!
 きらきらしている!
 (中略)
 それに、外の世界のひろいこと!」(p.6)

うまれたときは、子ねこぐらいだったマリヌスとティヌスも、アザラシをとるようになり、やがてひとりだちしていく。

「白くまはさすらう。一生、さすらい、さまよいつづける。」
(p.22)

人間との出会いも描かれます。

マリヌスのほうから見て、襲うつもりはないときに、人間がとった行動が、ユーモアも交えて語られます。

これは、もとは、アルカルック・ビアンコという人が遭遇した、白くまの話。この話を再話した人の手も経て、まわりまわって、ベアリナーのこの『白くまマリヌス』の中に入りました。

『白くまマリヌス』の最後、「お話のあとで」で、そのビアンコの本来の話が読めます。こちらは、人間の気持ちから書かれているから、こわかったことがわかります。

お話の中のマリヌスには、人間がこわがっていることが理解できなかったんですね。

ユーモアもあるし、また、雪と氷の厳しさがある世界で、さすらい続ける白くまの姿の厳しさ、宿命のようなものが、印象にのこりました。

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[316] 風の子リーニ

作:ベッティーナ・アンゾルゲ
訳:とおやま あきこ

[271]『冬のオーレ』の、ベッティーナ・アンゾルゲです。

2冊目ですが、この人の絵本、独特の不思議ワールド。

自然と、そして、光が美しいんですね。月の光も、冷たく青くなく、あたたかい色味がある。

そして、透明感もある絵です。

リーニは風の子です。

人の目には見えないのですが、そのことがフクロウのムーダの気にさわりました。風の子が持っている鈴をムーダにぬすまれたリーニは、森でフローリアンに出会います。

フローリアンとリーニ、フローリアンの子馬のフロッキーの旅がはじまりました。

  開いたところの解説に、アンゾルゲさんの写真がありました。とてもきれいな人でした。絵は独学だそうですよ。すごいですね。

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[315] 雑誌母の友 2009年11月号 より 特集 瀬田貞二が遺したもの

福音館書店の「母の友」という雑誌に、瀬田貞二さんの特集があると知り、まだ特集のところだけですが、読みました。

(背表紙と表紙は「瀬田貞二の のこしたもの」となっていますが、 目次と本文では「瀬田貞二が 遺したもの」になっています。)

(参考ブログ:「母の友」のブログより、2009年11月号紹介の記事
「母の友」ブログトップページはこちら

ページ数はそう多くはないのですが、まず瀬田さんのお写真があって、あまりお写真は拝見したことがないし、瀬田さんの特集を読めるということが嬉しかったです。

雑誌はまだ出たばかりですから、詳しい内容は読んでいただくことにして、その人生を追った歩みのページと、林明子さん、斎藤惇夫さん、中村柾子さんの鼎談(三人で話すことをこう言うんですねー)、の2つがありました。

中村柾子さんは、私は存じ上げなかった。保育者としての視点を持っていらっしゃる。
斎藤さんは、瀬田さんを語るにこの人、という感じを持っています。
林さんは、私のような日本の絵本の門外漢でもお名前だけは存じ上げている絵本作家。瀬田さんとかかわりがお有りだったんですね。
それどころか、瀬田さんの最後の(?)仕事の、『きょうはなんのひ?』の絵の担当が林さんなんですね。

瀬田さんは多くのことに知識や造詣が深かったとのこと。『2001年宇宙の旅』の映画はつまらないとおっしゃったところ、林さんに負かされたそうですよ。

今度福音館書店から出た、『瀬田貞二子どもの本評論集 児童文学論』にはディズニー評も載っているそうですが、もしこの本を読む事があったら、そこも読んでみたいものです。

確か、[242]『絵本論』だったか、瀬田さんはディズニー(の映画そのものではなくて、その画面を元にした)絵本について、批判をしていたように記憶しているのですが(今、記憶だけで書いています)、
まさにその通りだとしても、自分の家にはあまり絵本はなく、選ぶことすらできないし、中にディズニー絵本が1冊あったことを覚えている。(ディズニー絵本は他と比べて高価だったのではないだろうか?) それなりにウキウキして持っていたものだ。

そんな記憶の中で、ディズニー絵本を責められることは、気分のよくないことだった。

そして、この対談の中で、中村さんが、瀬田さんは「新しいものに対しても貪欲」(p.28)で、「ディズニー映画なんかもちゃんと見て論じていた。」(同)と言っておられることに興味を覚えた。

また、「瀬田節」として、3つほど、瀬田さんの言葉が挙げられているのだが、『ホビットの冒険』あとがきで、ファンタジーについて語っているところ。そこを読んで、『ホビットの冒険』あとがきを読み返してみた

うーん…。すごい。なんと『ホビットの冒険』の世界、トールキンの世界を言いあて、表現していることだろう。

「伝承の宝ぐら」(p.271)

にもかかわらず、ホビットの世界は血のかよった人間的な暖かさを持つ。平凡なホビットが、冒険を経て最後には品格を、詩人としての品格を持つ。

うまくまとめられないけれど、あとがきだけでももう一度この物語を読みたくなった。

そして、あとがきのあとで、斎藤さんの言葉も載っていたが、瀬田さんの脳裏にあった、「最後の天狗」の物語。

斎藤さんは、今回の鼎談の中で、それを書いてみたいと思っていらっしゃるようでした。 お書きになったら、ぜひ、読んでみたいものです。

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[314] くつなおしの店

作:アリスン・アトリー
訳:松野正子

[256]『こぎつねルーファスとシンデレラ』アリソン・アトリーです。こちらではアリスンという表記になっています。

バッキンガムシャーの村の古い通り。その描写にあこがれます。小さな家やお店が並び、そのひとつひとつが、小さくつつましいながらも清潔そうです。

ポリー・アン・スノウとお母さんの家はブリキ屋で、おなべなどを売っていますが、町に大きなお店ができてからは、お母さんはケーキもやいて、売ったりしている。

お隣はニコラス・ドビーじいさんのくつ屋。孫のジャックは、ポリー・アンを気づかってくれる。足の具合がよくないポリー・アンのために、かるいくつを作ってあげてほしいと、じいさんに頼みます。

真夜中に、妖精や小さいものが、靴を作ったり、服を仕立てたり、というような話はどこかできいたことがあるけれど、靴を作ってもらったお礼に、という話は、あったっけ?

こみねさんの絵も見ながら、きれいな革や靴の描写に、小さな靴の美しさが思い浮かびます。

「仕事台の上で、革は小さなほのおのようでした。ニコラスじいさんはドアをあけ、きれはしを手のひらにのせました。革は、くらいところでは、真珠貝のように見えました。でも、月の光があたると、それは、火でした。」
(p.25)

「(前略)つまさきにはバラの花のかざりをつけたり。仕事をするニコラスじいさんの頭の中では、うつくしい鐘の音のように、音楽がひびいていました。」
(p.27)

妖精たちは、お礼を忘れませんけれど、あんまりお行儀はよくないなあ…と思いました。お礼も、ぶっきらぼうですよね。

ポリー・アンは、かしこい。靴の革をどうしたらいいか、わかっている。それがなかったら、最後の展開はあまり好きになれないところだけど…。
(マクドナルドの、[123]『カーディとお姫さまの物語』みたいに、この歳でぴったりな二人、でなくてもいいんじゃないの…?)

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[313] 宇宙戦争

H.G. ウェルズ
訳:雨沢 泰

映画「宇宙戦争」参考:ブログの記事)を見て、本も読みました。

最初、落下してきたものは、映画のように地中にみえない形ではなかったので、また映画は原作と違うな、と思いました。

でも、そこは違いましたが、<ブチ犬亭>の主人が、あの「自動車修理」の人なんだ、とか、あてはまるところがありました(彼から馬車=自動車を奪ってしまった)。他にもいろいろ。川をわたる船の場面や。

(映画では、人が消滅してしまう光線だと思ったのは、「熱射線」だったんですね。)

本独自の場面かな?、と思い、気に入った場面は、熱射線の箱が水にあたって、川が熱い水の波になるところ。

地下の部屋がある家の男は、本では副牧師と、砲兵の人にあてはまると思う。

瓦礫にとじこめられた家の場面が一番ハラハラする。

精神的に追い詰められた副牧師の人と、宇宙人を見るための穴を奪い合ったり、食料のことでも、争う。

音をたてちゃダメなんだってば! 宇宙人のすぐ横で。

そして「ブーツ」です。このぞーっとする場面が、映画でも、違う形でいかされていたなと思います。

この瓦礫の家の場面(人物と、壁の穴から触手)、佐竹美保さんの挿絵が印象的です。

時代が違う、乗り物も違う。内容は沿っている。でも、やはりトム・クルーズは、この本の人と全然違う。いくら、ヒーローでない父親としても。

ウェルズの話の人はもう少し、客観的に話すようかな、とも感じます。科学者的であるような。

「ドードー鳥」や、「ウミガメ風味のスープ」(p.288)は、 この間、ラジオの「大人のためのイギリス児童文学」(参考:ブログの記事)で、ルイス・キャロルの回を聞いたときに、でてきたな、と思いました。

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[312] かもさんおとおり

文・絵:ロバート・マックロスキー
訳:わたなべしげお

よく聞くタイトルの絵本。読む事ができました。 [303]『ジョニーのかたやきパン』の、マックロスキーです。

絵本ですが、ちょっとした本というくらいのボリュームがあります。しぶいグリーンの表紙に、茶色のカモ。

こがもたちの名前は、
ジャック、カック、ラック、マック、ナック、ウァック、パック、クァック
だそうで。

なんか、アフラックのCM思い出します。でもあのCMに出てくるのはアヒルでした? そうしたら、カモとアヒルはどう違うか、とか調べていました。泣き声は似ているのでしょうか? 

「ぐぁっ! ぐぁっ! ぐぁっ!」

 って?

マージョリー・フラックの[42]『アンガスとあひる』ではどうだったでしょうね〜。

話がずれてしまいました。この絵本での画材はなんでしょう。 なんていうの、クレヨンでもなし。とにかく、そういう類のものですか? やわらかい、墨みたいなもの。広い面をグイっとぬったり、人物の輪郭の力強い線。

チャールズ川の上をとぶ、かものマラードさんふうふの羽の線。ちょいちょいちょい、と描いただけみたいなのに、ちゃんと羽。すごい。

人物の絵が好き。マイケルおまわりさんの、でっぱったおなかの姿勢。かもの行列を見守る人たち。かもたちを守って道を通してくれたおまわりさんの絵をみて、記憶の底にある『ゆかいなホーマーくん』をどこか思い出す。

原題『Make Way for Ducklings』「かもさんおとおり」と訳した渡辺茂男さんのセンス。

(…よくわかんないけど、直訳すると、かもの子たちの為に道をあけろ(る)って言う意味かな…?)

そして、あれ?と思ったのは、「Ducklings」「-lings」です。

Duckはわかるけど、「Ducks」じゃなくて、何だこの「Ducklings」とは? とふと疑問に思いました。

「duckling」で子ガモという意味みたいですね。それはしらなかった。だけどカモの「子」のことなんだな、と思ったのは、話の内容からわかるのもありますが、思い出したのは。

トールキンの『指輪物語』で、ホビットのこと「halfling(s)」っていいませんか…? 小さい人たちだから、「half」はわかるけど、「ling」 って何だろう…? って思っていました。辞書を見ても載っていなかったし。たぶん、「小さい」っていうことをあらわしているのかなと思ってた。

それを思い出し、この「Duckling(s)」の「-lings」 って、あれと関係ある言葉?と思ったんです。「halfling」の方も、「-ling」のそういう(小さい)意味から取られているのかな、と。

(補足)

Duckのほうは、「Ducks」じゃないことが目をひきました。「halfling」も辞書引いたことあるんですね。当然載ってなくて、トールキンの造語かなあ…?なんて思っていました。ちゃんと意味あったんですね。ネットで辞書、「-lings」でひいたら、「子〜」とか「小〜」とか意味あるみたいでした!

そしてそして、ポターの『こぶたのピグリン・ブランド』のピグリンも「pigling」みたいです。「子豚」って意味? し、知らなかったです。

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[311] エマおばあちゃん

文:ウェンディ・ケッセルマン
絵:バーバラ・クーニー
訳:もきかずこ

クーニーの絵本、こんなのがあったんですね。文は違う人だけど、またクーニーの絵に出会えて読んでみました。

エマおばあちゃんには、たくさんのこどもや、まごがいて、あそびに来るのを楽しみにしている。 でも、かえってしまうと、おばあちゃんはひとりぼっち。

エマおばあちゃんがすきなのは、ちいさなこと。雪をみたり、ふるさとのことを思ったりと。でも、まごたちは、そんなおばあちゃんを見て

「かわいそうな おばあちゃん。もうおとしだものね」

と思っているよう。

72さいの誕生日、ふるさとの絵をもらいました。おばあちゃんはお礼をいいましたが…。

原題の「EMMA」というのが気に入りました。ひとりのエマという人を、あらわしているようだから。

エマおばあちゃんは、人に気遣いができ、優しい人ですが、

「あたしが おぼえている むらとは まるで ちがうわ」

と感じ、その思いを曲げない強さを持っている。

でもそれは、せっかくくれた絵や、くれた人の思いを否定することではなく、ただ、新しい絵を見て、楽しくなるため。

お歳をめしてから絵を描き始めた<モーゼスおばあさん(グランマ・モーゼス)>を思い出しました。

誰からも強制されることなく、好きだから、描いている、みたいな。

窓辺に座って絵を描いているおばあちゃんの絵、の明るい色合いが好きです。

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