ホーム >> ブック >> ブックリスト2 >> 読書感想 >> No.201〜210
去年、クリスマス絵本を読みたいと思ったあたりから、今度はこれを読みたいと思っていた。いろんな人がこのムーアの詩に絵をつけて絵本をつくっているみたいだ*3。でも、まずはデンスロウから。
わたなべしげおさんの訳だった! (渡辺茂男さんのことは、ちょうど、ひとつ下の記事[209]『この絵本が好き!2007年版』で書いたところでした。)
福音館書店とか、他のサイトでもこの絵本の表紙の画像みると、カラーなんだけど、私の借りてきたのは、茶色というかベージュの布みたいなので、真ん中が薄く四角くくぼんでいて、丸い円の中にセントニコラスが描かれている紙が貼ってある。表紙をはがした中身ということかな…?*1 でもどこかのサイトで、これと同じのを見たんだけど…。
トナカイの名前がある、というのは、この詩だったんだな。
「そらいけ ダッシャー! それいけ ダンサー! そらいけ プランサー! つづけ ビクセン! とべ コメット! とべ キューピッド! とべ ドンダー! つづけ ブリツェン!」(p.26)
楽しそうですねぇ…。
セントニコラスは、現代思い浮かぶような姿じゃなくて、服も赤くなく、そして、「こびとの おじいさん」(p.22)
だった! びっくり。
今ふうのサンタクロースのイメージがあらわれてきたのは、この詩や、あとのアメリカかもしれないけど、セントニコラスというからには、もっと宗教的な感じの人がでてくるように思ってたけど、ムーアは、後ろの解説を読むと神学など詳しい人だということですが、そういう雰囲気のセントニコラスではなかった。
デンスロウの絵の「オズの魔法使い」は読んでない。そういえば「オズの魔法使い」も渡辺さんの訳でしたっけ?*2
デンスロウのサイン、たつのおとしごみたいなマークはなんだろう?
おもちゃがたくさんでてくる中に、カリカチュアされた黒人の人形の絵があった。
他の人の絵のついた、この絵本も読んでみたい。トミー・デ・パオラもあるのかな…?*4
(追記)
*1 (この本は「函入り」ということらしいのです。もしかして、カラーの絵のついているのは函ということでしょうか。図書館では函は捨ててしまうのかな…。)
(追記)
*2 (参考:[264]『オズの魔法使い』を後日読む。)
(追記)
*3 (参考:[326]『クリスマスのまえのばん』(ジェシー・W・スミス絵)を後日読む。)
(追記)
*4 (参考:[332]『あすはたのしいクリスマス』(トミー・デ・パオラ絵)を後日読む。)
2006年版も読みましたが、今度は2007年版。(最後のほうのアンケート結果は途中までしか読めていません) 3月ごろには発行されていたようなので、かなり遅いですが…。
2007年版ということは、2006年に出版された絵本について載っているということのようです。
国内絵本のダントツ首位は、『ルリユールおじさん』。
嬉しかったのは、海外翻訳絵本海外絵本のベスト9位に[130]『ちいさな曲芸師 バーナビー』が入っていたこと。
ほそえさちよさんの、評の中の言葉が目にとまりました。
「自分のすべてを投げだせるような仕事が欲しいと願い行動する人を、この作家はいつも絵本で気高く描いてきました。」
(p.35)
そうか、そういえばクーニーの[143]『ルピナスさん』のミス・ランフィアスもそういうことを「願い行動する人」
だったなあと思い当たりました。
そして、
「マリアの前で気絶するまでに芸をするこの少年も、もうひとりのクーニーなのです。(ほそえ)」
(p.35)
なるほど…そういう見方ができるんですね。
また、一つ思ったのは、ここでは2006年刊のことを言っているのだから話が出ないのはわかるけど、『ちいさな曲芸師 バーナビー』と似たテーマ絵本があるということ、(デ・パオラの[133]『神の道化師』)こっちもいいよ〜みたいな話題はなかったですね…。
もう一つ、目にとまった企画は、渡辺茂男さんへの追悼の企画でした。
福本友美子さんの、
「[追悼]渡辺茂男
。
子ども心を見つめつづけて」
渡辺さんの作品には、
「自分の内なる子ども」(p.64)
そして、
「「父親」としての眼」(p.64)
があらわれているということ。
「 四歳で生母を亡くした彼にとって父親の存在は大きく、息子たちとのかかわりの中にも、常に自身の父親への思いを重ねていた。彼の理想の父親像は、エッツの『もりのなか』にあったが、子どもの自由な空想の世界を暖かく見守り、肩車でしっかりと家につれて帰ってくれるお父さんは、自分自身でもあり、また自分の父親でもあったのだ。」
(p.64)
そういう見方があったのか…。[205]『もりのなか』はよんだけど、もっとなんとなく読んでいた…。
言われてみれば、そのような父親像が現れているような気がしてくる。
『もりのなか』に関して言えば、もうひとつ、気になる記述があった。
特集 「この一冊で絵本が好きになりました!」
の中で、なかがわちひろさんが挙げている『もりのなか』。
なかがわさんが、このもりってなんだろうと考えていたこと。
「真綿で耳を覆われたように静かで隔絶されている世界。」
(p.53)
エッツがこの頃体調が悪かったこととかご主人を看病していたこと。
そうだったのか…。なかがわさんがの読み取っていたことの中に、このもりと「死」のことの関連性があった。それもこわいものとしてではなく。
だから、あのもりは、白黒で表されなければならなかったのかな…? エッツをこれ1冊しか読んでいない自分だけど、ふとそう思った。
(あ、別に色として、<カラー = 生>、とかそういう事じゃなくて、なかがわさんが仰るような、「真綿で耳を」
〜「隔絶されている世界」
の表現として。)
[202]『名馬キャリコ』のバージニア・リー・バートンです。
副題、というか表紙の下のところに
「地球上にせいめいがうまれたときからいままでのおはなし」
とあります。
『名馬キャリコ』は白黒だったけど、これはぜんぜん違いました。(でも、がにまたというかO脚の足は、『名馬キャリコ』で見た形だなぁ。) 舞台の幕の中に宇宙が入っちゃうんですから。
真っ赤に燃えた地球やらマグマみたいなのやら、鮮やかです。いや鮮やかというよりも暗い赤で、混沌ムードで、冷えてきた地表なんか、暗い世界でこわいです。
日本語版をつくるのはたいへんだったでしょうね。絵の中にある言葉、日本語で書き直して、特に表紙裏の年表など。(背表紙の書き文字は、走り書きふうすぎるような気がするんですけど…)
古代生物のでてくるところは、わたしには難しくて、さっと読んだくらいだけど。
(でもこれを読んだ後で「タコって、何類?」という話題が出たとき、最近聞いたぞと思った。あの絵本にあったぞ。「頭足類」
って。)
「エオヒッパス」
という「四ほんゆびのちいさなうま」
、かわいいです。こんなのがいたんだ。
古代からアメリカ大陸にうつった場面。場面がうつるんだし、前のページの背景は海だし。ここに恐竜がいた場所とは違うんだろうけど。後ろの山三つ、古代の背景と一緒ですよね。
このアメリカの場面から後ろは、ずっと同じ場所の移り変わりを見ているのかな。「うり地」
になってしまうところは、一抹の寂しさ。そこから後は、一家の生活を追う。
庭の左のほうに天使の像みたいなのがありますよね? 気づいたあとで、さかのぼってみたら、「5まく1ば」
で出てきてて、「2ば」
と「3ば」
では、見えない。
気づいたのは、「6ば」
で西の山に日がしずみ、「7ば」
でぐるっと視点が回転して、左のほうから庭を見ているんだと思ったから。そのとき、像は視点のほうに近くある。
(東西南北考えたら、わからなくなってきた。日が西に沈むからあっちが西だと思うけど、
「7ば」
の北極星というのは?)
像のようなものがある?と思ったとき、羽があるような気がして。前の場面をたどってみた。 あの像が書かれているのはどういうような意味があるのでしょう。
何気なく読んでみようと思ったこの絵本。クーニーだったし。
開いたら、カレワラの題材だった! カレワラの絵本は知らなかった。しかもクーニー。
「訳者あとがき」
のところで、
「日本語版は、原著以外に原典「カレワラ」を参考に、クーニーの絵の流れにそって再話しました。」
とありました。
原文はどんなだったのだろう。そのままで日本語版にするとわかりにくいとか、何か理由があったのだろうか?
またロウヒの性格とか、月と太陽をつくるように頼むのは違う人物だとか、原典とは異なるところもあるそうです。
「けれども、古い叙事詩に基づいた物語のおもしろさと、クーニーのすばらしい絵を楽しんでいただければ幸いです。」
とありました。
クーニーの絵、またよく見てみたいです。
この絵本は、たしか、向井元子さんの本で知ったような気がする。[48]『虹の町の案内板』か[44]『すてきな絵本 たのしい童話』だったか…? 違うかもしれない。
コロマ神父、とあり、神父さまがかいている絵本があるんだと思いました。見てみたら、絵は日本の人の絵だったけれど。
古い本だけど、まだずっと出版されているみたいですね。さいごのほうを読んだら、キリスト教の出版社からでたらいいようなお話だと思いました。岩波からでていて、ずっと愛されている絵本なんですね。
子どもの歯がぬけると、まくらの下におくとねずみがとりにきてくれるという。スペインではそうなんでしょうか?
小さなぶびおうさまは、歯をとりにきたねずみのぺれすと一緒に、男の子ぱぶろのところへ行きます。
おうさまがねずみの姿になったとき、まあ、なんとかわいらしい。青い目をした小さなねずみ。冠をかぶって、服も立派です。(ぺれすも、羽のついた帽子をかぶってなかなか素敵な衣装を着ていますね。)(気に入ったのは、へいたいねずみの衣装です。バンダナをかぶっているのが海賊みたい?)
絵の色もまろやかで、古いアニメのような、ぼあっとした色あいのところもある。ぱぶろのおかあさんの顔とか。どんなふうに描いているのでしょう。
印象に残った記述
「ぱぶろは、ねむそうな こえで おいのりを はじめました。
「天に まします
われらの 父よ…」
おうさまは これを きくと、はっとして、ぺれすのほうを 見ました。
すると、ぺれすは かしこそうな 目で、じっと おうさまを 見かえしました。」
(追記)
この『ねずみとおうさま』、スペインの昔話なのか、それに基づいているか、それともまったくコロマ神父の創作なのだろうか。
どこかでスペインの話だと読んだ気がするし、歯が抜けたら枕の下にというのはたぶん昔話かな、と。
でも、はっきりわからなかった。本の後ろの「岩波の子どもの本 幼・一・二年向」
のリストを見たら、「(スペインのお話)」
とあってコロマ神父の名が無い(いいのか…?)。
調べていたら、「児童文学書評」のウェブサイトで記述を見つけた。長谷川晶子さんの「世界本のある暮らし」という論文の中のページです。(このサイト、各ページにHOMEへ戻るリンクボタンかなにかあればいいのに)
これによると、スペインで、歯を枕の下に、というのは伝承であるということのようだ。それを文章にしたコロマ神父の書いた話は、しかしスペインでは忘れられており、英訳されたものが日本に入ってきて、それから日本ではこの話が知られて続いている、ということのようだ。
コロマ神父が出版したのが1911年、かなり昔なんですね。
この絵本、有名みたいだし、(このあいだ[201]『すえっこおおかみ』のところで言ってたように)まさきるりこさんの訳。
この絵本は、色がなくてモノクロでした。かみのぼうしをかぶって、らっぱをもった、ちいさい男の子がかわいいです。 後ろ姿も…。ライオンやぞうやいろんな動物たちが、ぼくのさんぽについてきます。
森の中で動物と出会ったり、おとうさんのかたぐるま、ベスコフの[197]『おうじょさまのぼうけん』を思い出した。『おうじょさまのぼうけん』は、物語の中では、ほんとうに動物にであう。こちらは、お父さんがでてきたところで、視点ががらっとかわって、ああそうだったのか、ということになるけど。お父さんのセリフがいいですね。
「きっと、またこんどまで まっててくれるよ」
動物たちの、
「まっててくださぁい」
とか
「いきますよぉ」
とかいう言い方がのんびりほんわかな雰囲気がでてかわいい。
うさぎだけは、なにもいわなかったり、かくれんぼうでもかくれないのは、どんな意味があるのかなと思う。
[202]『名馬キャリコ』のときに言ってた、『よあけ』読みました。ふーむ…こういう絵本だったか。
おちついた、暗い色の絵の具。ブルー系だと思っていると、まるい絵のふちには赤い色がのぞいている。赤い色の上に青をのせて紫が表されているのだろうか?
静かな夜の場面が続きます。動くものがないようにみえて、しだいに、月がでて、風、さざなみ、もやもたちます。だんだん朝が近づいてくる。
瀬田さんの訳もみました。
「やまが くろぐろと しずもる。」
しずまる、じゃないんだ。
「おーるのおと、しぶき、
みおをひいて・・・・・・」
(「みお」の上には、「、、」がついています)
みお、ってなに?
絵をみたら、ボートが水を進むときの跡というか、そういうものかなと思った。調べてみたら、やはり、そういう感じ。(参照 講談社カラー版日本語大辞典)
そういえば「澪つくし」っていう言葉、ありますね。「身を尽くし」
とかけているとか。こちらの澪は、水の跡じゃなくて、水路のことみたいだった。みおつくしは「澪の串」
から来ていると。(参照 講談社カラー版日本語大辞典)
そうか、みお 「の」 くし なんだ。「つ」って。
じゃあ、「中つ国」の「つ」というのも、そういう言い方なんだな…。(今頃)
話がそれたけど、
「やまとみずうみが みどりになった。」
のところの絵の色、とってもきれい。
最後のページの解説をみたら、
「この絵本「よあけ」のモチーフは、唐の詩人柳宗元の詩「漁翁」によっています。」
とありました。 東洋の世界が元になっているんですね。
瀬田さんの経歴なんかでよくこの本のタイトルを見る。読んでみた。
ラッパばなし、というのは、ほらばなしのことだった。お父さんが子どもたちに話してきかせるお話、昔世界中をめぐっていろんな冒険をしたんだということのお話のこと。もちろん、そんなにたくさん冒険できるわけでなく、うそだろうとはわかるけど、子どもたちがわくわくして聞いて、お父さんが話し出してくれるのを待っている。カナダやインドや、オーストラリアにいって、いろんな冒険をしたこと。
話の中のお父さんは、知恵でも勝り、運動もできるし(できすぎ?)、嫌な人をやりこめたり気持ちを変えさせることもできる。何でもできてかっこよすぎかも。ほら話なので、何でもありの世界だから、いいか。
瀬田さんの訳は今いろいろ読んでいる途中で、いいなあと思うけど、創作は、これを読んだくらいくらいかな。([172]『航路をひらいた人々』は歴史を材料にしているので、いわゆる創作物語とは違うし。)
面白いけど、ほらばなしの前後の、(現在の)父子の場面が絵に描いたよう。
末っ子の男の子が「もとちゃん」というんだけど、末の子はもとちゃんという名前でした、とか説明もないのが唐突で、また何度も何度も「もとちゃんが」とでてくるのを読んでると、違和感を覚えた。お姉さんも、「〜わ」「でしょう」的な言葉遣いをするし、姉弟全員良い子だし、個人的にいうとちょっとカユいかなぁ…。
堀内誠一さんの絵は、若いころの(ほら話の中の)「お父さん」の絵ハンサムですね。
第八話「指輪をもらった時計像」のハインリヒ王子とマチルダ姫の絵が、好き。他の絵と雰囲気が違う。西洋風で、ちょっと版画みたいな感じになってて、違うかもしれないけど、どこかハワード・パイルの絵を思い出した。それに、見つめ合う二人の絵が、お話のせつなさを表している感じ。
せたていじさんの訳の絵本といえば『よあけ』?と思いながら、こんなのがあったので、読んでみました。(参考:[204]『よあけ』を後日読む。)
西部劇ふうみたいだし、バージニア・リー・バートンという人も有名みたいだけど読んだことがなかったし、どんなかなと思った。
白黒の、版画みたいな絵で、1ページに2枚の絵とか(見開きに4枚)、コマ割りふうになっている。 なかなか面白かった。
せたさんの言葉も、楽しみました。
あっかんたちの名前も、「ばらしやボーンズ」、「へびの目パイゾン」、「はげたかベイツ」、「ちびスカンクのスキーター」、と面白い。語呂もあっているし。あっかんたちの親玉は、「すごみやスチンカー」*。5人の中でやはり一番印象が強い。(原語では、「STEWY STINKER」。STEWYとかSTEWとかで調べてみたけど、すごみやとかいう意味ではでてなかったみたい。)スチンカーの馬は、「どろずみ」。
「ぎょっ! とするまも,あっ! というまもあらばこそ,まばたきするまに,川をわたり,はらをこえて・・・・・・」
(p.19)
「すごみやスチンカーが馬車をかって,せまい山ざかを,首もおれよと,とばしました。」
(p.39)
なんて、瀬田さんらしい言葉づかい、と思いました。「あらばこそ」
「首もおれよと」
のところなんか特に…。
「なだれかかる洪水のあしは,はやせまり,水かさは,こくいっこくにますばかり。いそげや,いそげ!」
(p.51)
の文章が気に入りました。なんかこういうの感じ、講談とか浪曲とかいうのかな?ああいうのと似てる気がする。聞いてて耳に心地よいというか…。
あっかんたちが素直に学校へはいっていくのに、すごみやスチンカーだけはそっとぬけだす、その気持ち。 最初はわるだくみするのかな?と思ったけど、そうじゃなかった。そっと窓から中をうかがう、すごみやスチンカー。その気持ち、せつないね。泣いた顔はなんか変だけど…。なんで黒くて線がいっぱいはいってるの? 月夜だから逆光のせい? 版画(?)のためにそういうタッチになるのか?
ひとつわからないのは、「がにまたビル」がスチンカーをきしゃのおもちゃであそぼうとさそったとあるけど、絵をみると、がにまたビルは、おっての一隊と一緒に帰ってきているように見えるんだけど。
* (追記)
(参考:[216]『ヴァージニア・リー・バートン 『ちいさいおうち』の作者の素顔』)
絵がかわいいです。
独特の、ヘタウマっぽい絵で、動きもあるよなないよな。すえっこおおかみが、お父さんの頭の上にのっている表紙がキュートです。裏表紙はうしろからみたところです。
とうさんおおかみは、うんとおっきくて、おおかみらしく目つきがわるいです。でもやさしい。
とうさんおおかみは、ちゃんと話をきいてくれて、せっかちじゃなくて、
「どれ、ともかく いっぺん やって みせてごらん」
と言ってくれます。
おっきくて、
「ちびっこや、みてごらん」
と言ってくれるやさしいとうさんおおかみ。あたまをなでてくれてる絵や、すえっこおおかみとの大きさの対比がまた、すえっこおおかみをいじらしく感じさせます。
こんなふうに言ってくれるお父さん、いいなあ。
「ほんとうだとも。かぜのように はしるのは、おおきくなってからだ」
訳のまさきるりこさん、気になっている人です。
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