ホーム >> ブック >> ブックリスト2 >> 読書感想 >> No.291〜300
ロフティングの「ドリトル先生」シリーズは、ずっと子どものころ、1冊くらい読んだか、読んでないかくらいでよく知りません。映画か何かになっているもので「オシツオサレツ」がでてくるのを見たような。
絵本があったので、あれっ?と思って読んでみました。
これは、ロフティングの『ドリトル先生アフリカゆき』を原作に、 茂田井武さんが幻燈のために描いた絵だそうです。その幻燈をまとめ、文がつけられたものです。
貴重な幻燈が、このような形で絵本になり、また楽しめるようになったのは、素晴らしいことですね。
そういわれてみれば、幻燈(ってきちんと見たことはないかもしれない)のように、 淡くにじんだような絵です。
ところどころにある赤い色が差し色でしょうか…? きいています。
茂田井武さんは、武井武雄さん、岡本帰一さん、初山滋さんなどと同じくらいの時代の人?
いまひとつ区別がついていない自分ですが…(汗)瀬田さんの[242]『絵本論』にこのあたりの人のことが載っていました。もう忘れてしまっている…。
(参考:レトロな絵本について、ブログの関連記事
TV「美の壷 レトロな絵本」 コドモノクニ)
ひとつ気になったのは、赤い十字のマーク。
ブタのガブガブが背負っている救急箱は緑の地に赤い十字だけれど、ドリトル先生がサルたちのためにつくった診療所の上にある旗は、白地に赤い十字のマークがついている。
これって赤十字のマークみたいに見えるけれど…。
赤十字マークって、救急箱や病院をイメージするためにとか、勝手につけてはいけない、ということをきいたことがあるんだけれど…。大丈夫なのかな…。
ベスコフのこんな絵本、あったんですね。
ベスコフというと、野原や草花のようなイメージがあったのですが、水の中の生物を描いている。
(と思って、今まで読んだベスコフの絵本を考えてみたら、水の中の生物はどうか忘れたけれど、水辺やボートなんかの場面はあったような気がする。)
その水は、透明感があって、すずしげな色あい。
魚はユーモラスです。細い足であるいている3匹を、カエルのピョンコが笑っている絵、ピョンコの顔がほんとにおかしそうなのです。
トーマスがスイスイを逃がしてやって、そこで終わりでない。犬のダックスとおねえさんのシャスティンが現れたので、現実だろうけれど、トーマスが眠った間の出来事かもしれないとも思った。
フェリクス・ホフマンの絵だ、と思って、読みました。[173]『グリム童話 ねむりひめ』で、とってもいい絵だったので。訳も瀬田貞二さん。同じコンビなのに、この絵本、知らなかった。
読んでみると、「おおかみと七ひきのこやぎ」のさいごって、赤ずきんちゃんと同じみたい…?
赤ずきんも、ちゃんとしたのを読んだことないけれど。オオカミのおなかに石が…っていうところ。知らなかった。
おかあさんやぎの立ち姿がとっても、やぎらしいというか、おかあさんらしいというか(笑) 立って歩くのだからまったくの動物の写実画でもなく、かといって、 擬人化されてるだけというのでもなく。おかあさんやぎがつけてるエプロンなんか、絶妙な具合ですね。
おおかみのおなかを縫っている、おかあさんやぎの手つきの絵、すごいです。そうそう、こういう縫い方、とうなづいてしまう手つき。でもやぎなんですよ。
昔話の残酷性、については、まがりなりに知っている。ただ残酷、っていうんじゃないんだ、っていうこと。子どもの本には大切なんだということ。
ただ、自分の感情として、
「おおかみ しんだ! おおかみ しんだ!」
の大きな字、にはなじめない…。
井戸の水がぐるぐるとなって、緑色なのも、こわい。そのまわりで子やぎたちがおどっているところ。
マーシャ・ブラウン絵、瀬田さん訳の[103]『三びきのやぎのがらがらどん』で、トロルがやっつけられても、あっさりしているんだけど…。
「おれだ!」
だったかな? 大きな字体でかかれたセリフと、その場面の絵も、すっごくかっこいいんだけど。
[289]『おばあちゃんのキルト』、[293]『夜明けまえから暗くなるまで』のキンシー=ワーノックさんです。
キンジーワーノック
キンジー-ワーノック といろいろ表記が異なりますが。
これは、「第46回青少年読書感想文コンクール」の課題図書。
農場のくらし。家族の歴史。
一歩進むのをこわがっている少女。絵の才能がある。おばあちゃんの病気。
今まで読んできたキンシー=ワーノックさん世界観がここにもまた、あらわれている。
でも、表面的には似ている設定なのに、『おばあちゃんのキルト』より、こちら、ずっと凝縮されてる感じ。
どちらかといえば、良い子な雰囲気の『おばあちゃんのキルト』。
対し、金原さんの訳や、ささめやゆきさんのポップな絵がらもあってか、よりティーンズ的な雰囲気な本書は、内容も短めで、より言いたいことが心に響いてくる。
おばあちゃんのおんぼろなカメラと、古いアルバム。
少女シェルビーの成長を、読みながら体験し、最後にピタっとパズルのピースがあったような気持ちにさせられたラストシーン。
[103]『三びきのやぎのがらがらどん』のマーシャ・ブラウン。
こんな絵本があるって知りませんでした。
マーシャ・ブラウンに渡辺茂男。これは、はずれはないでしょう。
あとがきをみると、
「フランスの昔話「奇妙なスープ」を素材にしたもの」
とありました。
絵本の原題は「石のスープ」
。
読んでみると、これ、「くぎスープ」というお話に似ているみたい。
「くぎスープ」。前に読んだのは、何だっけ、と。
瀬田貞二さんの[193]『世界のむかしばなし』という本の中に入っている「くぎスープ」で、自分の感想を読みかえしてみると、スウェーデンのお話ということです。
スウェーデンとフランス。似たお話があるんですね。
おなかをすかせた3人のへいたいが、村を見つけて、食べ物と寝る場所をほしいと思うのですが…。
食べ物を隠してしまう村人、最初はけちだなと思ったけど、ちゃんと理由が書かれているところは、しんみりします。
でもそのあとは、楽しい。
赤い上着を着て、長靴、ナポレオンみたいな三角帽子のへいたい。機転をきかせるのだけど、最初は、そんな気の回る人たちだと思ってなかった。
にんじんをきっている剣は、腰にさしていた武器じゃないですか? 考えたら、あまり気持ちよくないですが…。この絵自体はとても好きです。
マーシャ・ブラウンの絵がいいです。表紙なんか、とっても楽しそう。
(追記)
(参考:[304]『しあわせの石のスープ』を後日読む。)
[280]『チョコレート工場の秘密』の、ロアルド・ダールです。
こちらの本は、本のお知り合いが読まれていた本で、図書館でタイトルをみて、「あった!」と思ったら、訳が柳瀬尚紀さんじゃない。
旧版だろうか? 書庫に直されてしまわないうちに、読みたくなりました。
1月から12月までが、各章になっていて、鳥の渡りや動植物の観察、子どもの頃のエピソードなどが自然や季節の風景と共に描かれたエッセイ。
ひとつひとつ読んでいくと、最初の章にある、ダールの机の上にあるというめずらしい品々を思い出した。
それにしても、外国の人は休暇には遠くへ行ったり、いろんな体験を子どもの頃からしているな、と思わせられる。自然のこともよく知っている。
ダールは、自然は好きだが、鳥でも、きらいな鳥は、そのずるがしこさを詳しく書いている。(というより、ずるがしこいからきらいなのだが)
トチの実のゲーム、というのが、おもしろそうだ。トチの実を乾燥させて、硬くするようだが、それを、ぶつけるのだろうか。
ウェールズにいくと、僧院があって、そこの修道士たちが沈黙を守っているのを見て、「世の荒波に立ちむかうことを」(p.42)
しないように思い、人のためになるようなことをすればいいのに、と書いている。
そこを読んで、ひとつ感じたことは、ダールが書いているところの僧院では、畑仕事をしているから外部の人と接触はできるようなので、どんな修道会かはわからないけれど、祈りに専念する修道会もあるのではないかということ。
前面にでて活動する修道会もあるし、それを支える祈りの修道会もある。
クリスマスカードについて書いてあること中の、あることは、賛成…。日本でいうと年賀状にもあてはまるかな。(私は手作りはしないけど…(汗))
これを読み、「行って帰る」形式の絵本だな、って思いました。* 厳密には、自力で帰るわけじゃないけど。
絵は堀内誠一さん。
すずめの絵、最初は、ちょっと頭でっかちで目も大きいところ(特にこすずめ)、 すこしデフォルメしている形と思った。
でも、クライマックスの絵、
「ぼく、あなたの なかまでしょうか?」(p.26)
と、いうところの絵、ぐっとリアル感、増しているように思います。
そして、この絵、こすずめの目に涙が光っているようにも見えます。この絵には、ぐっときますね。
そして、この絵本、繰り返しの場面と文でできているでしょう。 なんだろう、[62]『おだんごぱん』とか、[13]『てぶくろ』とか、(ちょっと違うかな?) にもあるような。
そこも、子どもに向いている絵本だと思うのですが、どうでしょう。
*(参考:行って帰る物語について、関連記述 『ジョン・ギルピンのゆかいなお話』)
トミー・デ・パオラの絵本[291]『おばあちゃんのキルト』と同名で間違えたことから読んだ、
ナタリー・キンジーワーノックの[289]『おばあちゃんのキルト』。
[277]『雪の写真家ベントレー』などの、メアリー・アゼアリアンの絵本もあると知って、読んでみました。
(こちらの表記は「キンジー-ワーノック」となっている)
そういえば「夜明けまえから 暗くなるまで」っていうタイトル、聞いたことあるような気がする。アゼアリアンの力強いタッチの絵(版画?)と、よく合った内容です。
『おばあちゃんのキルト』でも、キンジー-ワーノックさんのふるさと、バーモントの自然や生活が描かれていましたが、こちらはまた、農場の厳しい生活を、1年を通して描く、自伝的な作品です。
スコットランドから移住
してきたという先祖。
「どうして、わざわざここに移住してきたんだろう?」
と兄さんがいうほど、ここも働きづめの仕事がたくさんあるのです。それこそ、「夜明けまえから 暗くなるまで」です。
冬は寒いし、土地は石だらけ。
砂糖作り
(メープルの木から樹液をとる)は、手足が凍えてつらいのです。
(でも砂糖小屋の楽しい思い出もあります。)
家族や近所はお互い助け合いながら、暮らします。
大きくなったら他のところに行きたいと、言っていたのに、兄弟、いとこたち、ほとんどが、いまもそこに残り、同じ生活をしています。
生活は素朴で、人と人とがあたたかい。すてきな絵本でした。
教会で、お説教のときに、神父さんがこのお話のことをお話してくださった。 思わず目頭があつくなった。
読まれたのはどの絵本かわからないけれど、これを読んでみたら、オスカー・ワイルドの原作を、翻訳してわかりやすく書き直したものらしい。
だから、本当の話はどうなのか知らない。
でも、読んでいると、お話のとおりに思えたから、もしかしたら、この絵本ではないだろうか、と想像してみるのだけれど…。
王子さまは、どうして像になったのだろう。
生きているときは、楽しくすごし、ダンスやなにかで贅沢もしていた。
「でも死んで、像になってからは…」と神父さんはおっしゃっていたように思う。
この絵本には、「むかし」(p.10)
と書かれているだけで、生きていたときとか、死んで像になった、とかは書かれていない。だからわからないけれど、像は王子さまの姿だから、若いときに亡くなられたのだろうか…。
王子さまが、目の宝石をあげた、とか、昔アニメか何かで見た覚えもあり、それくらいは知っていた気でいたけれど、つばめとの交流は、お話を聞いてあらためて知った。 深いものがありますね。
絵は、[273]『でんでんむしのかなしみ』の井上ゆかりさん。
先日、同じ名前の本、ナタリー・キンジーワーノックの[289]『おばあちゃんのキルト』を読みましたが、こちらは、最初に読もうと思っていたほうの絵本です。
トミー・デ・パオラの絵です。
「詩人が贈る絵本」のシリーズは、きいたことはあったけれど、 読むのははじめて。インノチェンティの『白バラはどこに』などあるんですよね。
ナンシー・ウィラードという人は、知らなかった。お話は、ちょっと変わった雰囲気。ストーリーの完結というのじゃない感じ。
見開いたところにある解説に、
「不思議な味わいのノンセンス・ストーリー」
とあった。こういうの、ナンセンスの面白みっていうのだな。
また、「色鉛筆と水彩画のハーモニー」
と書かれている、デ・パオラなんだけど、前に読んだ絵本とはまた違って、明るい色合いが印象的。今までは色鉛筆じゃなかったのかな? 思い出せないけれど、幾何学模様のような波形線のカラフルさとか、4人の魔法使いの人物の、ちょっとゆがんだ小山のようなフォルムが並んでいるところとか、色や形としての面白みを感じるのが、今までと違って新鮮です。
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