太宰府市観世音寺五丁目、天台宗寺院:山号 清水山 開基:天智天皇 ここの伽藍があるところは、県道から並木道の参道を北へ進み、南門跡をすぎると、やや小高くなった広場に、左ー金堂が建ち、正面ー本堂(講堂)が所在する。広場の東には、塔跡、鐘楼、その奥に観世音寺収蔵庫有り、寺の西に隣接ー戒壇院も。
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現存する国宝(文化財)ー梵鐘:7C末のものと推定され妙心寺(京都)梵鐘と兄弟鐘とみなされている。日本最古の梵鐘の一つである。
この観世音寺鐘とは、最上部のフック(龍頭)や上帯・下帯の唐草文のデザインが異なるが鐘身全体の寸法・形状などは細部にまで妙心寺鐘と一致する。ここの鐘には銘文はない。しかし、笠形の上面に「天満」、口縁部の下面に「上 三毛」などの文字が陰刻されている。今も、鐘楼に懸けられている。
国宝ー梵鐘は、奈良時代作:妙心寺鐘(京都)当間寺鐘(奈良) 観世音寺鐘(大宰府)の最古のものだ。
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境内出土品として、老司式 創建時の瓦 軒丸瓦および軒平瓦の組み合わせ。
観世音寺の戒壇院は、鑑真和上(唐の僧侶)によって当寺に設置。
古くは観世音寺の一部として天台宗派であった。天下の三戒壇と呼び、ここは、西戒壇、中央戒壇(東大寺)、東戒壇(下野 薬師寺)。
753年12月20日 坊津(鹿児島)に仏舎利を携えた鑑真和上(唐僧)来日に成功した。
753年12月26日 この戒壇院の地で授戒を行った。
現在も一貫して、同じ場所にあるとされているので、宗派を超えて僧が集い学ぶという開山の精神から「八宗兼学寺」と呼ばれた。西に唯一つ戒壇であったが、だんだんと退向して行った。1669年、崇福寺の智広和尚によって、本尊修理が施され、黒田家の家臣により諸堂再興を経て、1703年に観世音寺独立。現在は聖福寺の末寺として臨済宗派として存続している。
他に鑑真和上ゆかりのものとしては、境内の北東部に欝蒼と茂る菩提樹ーこれは和上が唐から請来したものと伝えられているー、 他に木像 鑑真和上坐像がある。
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