観世音寺周辺

観世音寺周辺

観世音寺

  太宰府市観世音寺五丁目、天台宗寺院:山号 清水山 開基:天智天皇  ここの伽藍があるところは、県道から並木道の参道を北へ進み、南門跡をすぎると、やや小高くなった広場に、左ー金堂が建ち、正面ー本堂(講堂)が所在する。広場の東には、塔跡、鐘楼、その奥に観世音寺収蔵庫有り、寺の西に隣接ー戒壇院も。

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   観世音寺の創建時746年、平安時代以降は火災・風害がたびたび重なって創建当時の建物はことごとく失ってしまっている。1064年:本堂(火災) 1102年:金堂・南大門(台風) 1143年:復旧した金堂(火災) 1630年:この当時唯一つ残っていた金堂(台風)がたおれ、観世音寺は廃寺同然となった。それが藩主黒田家にて復興された。1631年:金堂、1688年:本堂(講堂)が建立された。 また、1913年~1915年には傷の激しかった諸仏像の修理がおこなわれ、1959年に鉄筋コンクリートの宝蔵完成、現在、観世音寺収蔵庫となっている。

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   現存する国宝(文化財)ー梵鐘:7C末のものと推定され妙心寺(京都)梵鐘と兄弟鐘とみなされている。日本最古の梵鐘の一つである。

   この観世音寺鐘とは、最上部のフック(龍頭)や上帯・下帯の唐草文のデザインが異なるが鐘身全体の寸法・形状などは細部にまで妙心寺鐘と一致する。ここの鐘には銘文はない。しかし、笠形の上面に「天満」、口縁部の下面に「上 三毛」などの文字が陰刻されている。今も、鐘楼に懸けられている。

   国宝ー梵鐘は、奈良時代作:妙心寺鐘(京都)当間寺鐘(奈良) 観世音寺鐘(大宰府)の最古のものだ。

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   境内出土品として、老司式 創建時の瓦 軒丸瓦および軒平瓦の組み合わせ。 

観世音寺の戒壇院は、鑑真和上(唐の僧侶)によって当寺に設置。

戒壇院

   古くは観世音寺の一部として天台宗派であった。天下の三戒壇と呼び、ここは、西戒壇、中央戒壇(東大寺)、東戒壇(下野 薬師寺)。

   753年12月20日 坊津(鹿児島)に仏舎利を携えた鑑真和上(唐僧)来日に成功した。

753年12月26日 この戒壇院の地で授戒を行った。

現在も一貫して、同じ場所にあるとされているので、宗派を超えて僧が集い学ぶという開山の精神から「八宗兼学寺」と呼ばれた。西に唯一つ戒壇であったが、だんだんと退向して行った。1669年、崇福寺の智広和尚によって、本尊修理が施され、黒田家の家臣により諸堂再興を経て、1703年に観世音寺独立。現在は聖福寺の末寺として臨済宗派として存続している。

   他に鑑真和上ゆかりのものとしては、境内の北東部に欝蒼と茂る菩提樹ーこれは和上が唐から請来したものと伝えられているー、  他に木像 鑑真和上坐像がある。

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