日本が誇る世界的に有名な北里 柴三郎博士の生家のある処。ここは、九州ツーリズム大学とか小国自然学校の開講があり、学ぶことのスペースなのだ。 また、この建物の特徴とは、小国の伝統を持つ構法をヒントにして「ボックス梁」という新しい構法の建物。地域づくりの中心施設として全国からリーダーたちが集まってくる。
博士(柴三郎)から小国町に寄贈された北里文庫(図書館)を改修し彼の偉業をたたえている場所で、1916年に建てていた貴賓館、北里文庫があった敷地に、1987年柴三郎の学問継承している北里研究所、北里学園が中心になって、博士(柴三郎)の生家の復元修復を行い、それと共に、文庫の建物を利用して博士に関する遺品などを陳列してある。
門下生からの愛称は、「ドンネル先生(ドイツ語の〈雷おやじ〉の意味)」と呼ばれていて、畏敬の念を持たれながらも、親しみを持たれていた人柄でした。
1885年ベルリン大学留学 コッホ博士に師事。コッホの業績:1876年 炭疽菌の純粋培養。1882年 結核菌発見。1883年 インドにおいて、コレラ菌発見。1905年 ノーベル生理学・医学賞を受ける。
「近代細菌学の開祖」と言われている人。狂犬病ワクチン、ニワトリコレラワクチンを発明。分子の光学異性体を発見。牛乳・ワイン・ビールの腐敗を防ぐ低温殺菌法を開発。また予防接種という方法を開発。
破傷風菌の純粋培養法(世界初の破傷風菌だけを取り出す)(1889)。(1890)には破傷風菌抗毒素を発見、さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発。その年には、血清療法をジフテリアに応用、北里・ベーリング連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風菌免疫の成立について」という論文発表。この共同研究者ベーリングが第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞。今なら、ノーベル賞はその分野において、複数受賞者は当たり前なのだがな。
有名なこの時代の社会のリーダーたち。
非常に単純な小道具なのだな。
世界初の破傷風菌だけを抽出する。
柴三郎の実家は涌蓋山の麓で、各地に富士山によく似た形で目立ち、熊本県側からは小国富士と呼んでいる。幼少時代は”ワンパク”な活発な子供であった。明治の頃にこんな山深い郷から母親の希望とは言え、藩校の時習館から熊本医学校へ進学できたことは、先づ、御屋敷に資産が豊富であり、本人の秀れた学問に対する努力の結実したものであった。
彼の業績は本当に素晴らしいものであった。