城を置かず外城制度を採用していた薩摩藩時代の町並みが、ほぼ当時の街路区画として残っている。なお、出水は薩摩藩最大の外城の規模を有し、約44ヘクタール、150戸余りの武家屋敷群。大きさと特徴ある美しい石垣、武家門住居などにより、往時の薩摩藩の武家集落の面影をとどめている。武宮屋敷、竹添屋敷、税所屋敷、伊藤屋敷等は有名である。この地域は、国の重要伝統的建造物保存地区(1995年12月末)に選定。出水は、肥後と薩摩の境界の町として、当時は、藩の防衛上重要な町である。一国一城制度下の薩摩藩の外城制度(島津氏による藩体制強化のための政治制度)により、出水には数多くの薩摩藩士を郷士として住み着かせ、藩境の防衛の任に当たらせました。武家屋敷とその町並みは、当時からの薩摩藩士の気風を伝えるかの様で、整然とした趣と閑静な佇まいの感じがする。
囲炉裏を囲む食事は楽しい、そして、非常に遠い昔が思い出される。
2011/04/01から出水市麓公開武家屋敷「税所邸」が公開されました。出水麓町並保存会が、2014/03/31迄の3年間指定管理で、この業務を担う。税所屋敷は1599年に加世田から出水に来たようです。この麓の成立と同時に屋敷を構えたようです。上級郷士であり、1684年に平松物主(平松郷の支配頭)を務めた後、麓で郷士年寄の役目を勤めており、この「税所邸」は「竹添邸」の隣りの位置している。堅馬場通りに面している。
篤姫のロケにもなった、実際は、彼女は立ち寄ったことはないそうです。
全体の敷地は推定1000坪を超える広さ。野石乱積みの石垣で囲み、石垣との間が庭となっている。また、石垣の上に、梼の生垣が植えてある。
座敷を堅馬場側に向けて建てられている。
座敷には、赤い弁柄の壁が使われて見ごたえのある様子。
正門より南側に主屋ある。今にも生活が営まれているような錯覚を起こしそうだ。
江戸時代中期~末期、麓で、上級郷士である。組頭・郷士年寄りあつかいの役を代々勤めてきた家系である。なお、こkでは、御仮屋門、武家門、石垣などが並び屋敷(武宮邸・竹添邸・税所邸等)3邸は公開しています。
石垣で境界を守り、建物と石垣の間が庭となっておる、石垣の工法は野石乱積み、その上に梼の生垣が植えてある景感。