1960年代に、筑豊の炭鉱閉山は続々と進んだ。黒ダイヤ繁栄は終焉して行った、この頃周辺の景観は真っ黒なピラミッドが眺望されていた。地元の住民は「ボタ山」と呼んで経済象徴でもあった。この人工の山は採炭された中より石炭を選別した残余の混合粉炭を廃棄処理場として堆積していった。それが、もう50年も経過すると、一つの「里山」の風景に状況を変えてしまっている。
飯塚:大橋の上から眺めた「ボタ山だったが」 |
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田川市大字伊田2734(石炭記念公園内)
旧三井田川工業所が存在していた場所で、ここには、伊田竪坑櫓(国登録文化財/近代化産業遺産)と第一・第二煙突【二本煙突】(国登録文化財/近代化産業遺産)を残している。竪坑櫓とは、地下深部の石炭を採掘する竪坑の捲上機。この現存する竪坑櫓はイギリス製のバックステイ形で1909年に完成。一方、【二本煙突】は後述。
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石炭のなりたちや石炭がどのようにして採掘されたか、炭鉱で働く人々や生活の様子を、「三井田川伊田坑の模型」、「手掘り道具」、「機械採炭道具」、「筑豊の炭鉱経営者の面々のパネル」などを展示し、石炭産業が一目でわかるようになっています。コーナーです。
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炭坑節に歌われた2本(第一・第二)の煙突や竪坑櫓、石炭輸送に活躍したSL、採炭・掘進・運搬などに使用されたロード・ヘッダーなどの大型機械類の展示がしてある。
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【二本煙突】 |
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炭鉱都市から新産業都市への転換をテーマに宣言されています。
宣言文 |
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ジオラマで採炭の歴史を調べて見ると、(手掘りの様子と機械採炭はこんなに違いがある。)
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こうしてエネルギー資源となるものが次々と変遷してきた現在、原子力に世界の各国は依存しているが、これは安全神話は崩れ去ってしまった。本当に地球に優しいエネルギーを見つけ出さねば!