聖福寺
聖福寺入口
この寺は、総門より入る。1195年に源頼朝公よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された日本最初の禅寺。山号「安国山」寺号「聖福寺至仁禅寺」。なお、後鳥羽上皇より、「扶桑最初禅窟」と称された。 「総門」は名島城にあったものを移したとされる。足利紫山書「安国山」の木彫りの額が懸かっている。
目に付いた
ここのエリアは博多駅から北へ大博通りが伸びている大通りより、一筋東に入る旧寺町界隈である。
野点
境内の「無染池①」
|
境内の「無染池②」
|
境内の「無染池③」
|
妙心寺派の寺なので、春・秋とここで野点が行われる。今日は丁度、秋の茶会であろう。
山門
境内建立当初、鎌倉幕府 源頼朝公より、方八町(900m四方)を戴き、七堂伽藍を建て丈六の釈迦・弥勒・弥陀の三世仏を安置 塔頭も三八陀だったが今は六陀を数える。ここの配置は一部は寺中町を形成していたと云われ、現存する博多の地名として、普賢堂・中小路・魚町・店屋・蓮池・西門(さいもん)等、これは当時のものです。
江戸期の寺住職
開山堂には栄西禅師を安置する厨子が置かれ、左右に達磨大師、源頼朝像を安置してある。寺住職の仙涯義梵は文化・文政期の禅画で有名人であって、この寺の知名度をアップした。
寺中町(聖福寺のエリア)
1587年の大閣町割で、エリアは狭くなる。方四町(450m四方)で現在はこの伽藍配置になっている。(配置):勅使門・山門・仏殿・方丈・庫裡・禅堂の七堂伽藍が建ち、周りに総門・開山堂・護聖院・経蔵や塔頭が建ち並んでいる。ここは、初め建仁寺に属す。1600年黒田長政公の命により妙心寺派に転ずる。