自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)例文
『学生時代に頑張ってきたこと』
ゼミで「自動車産業」について取り組み、ディベートで一度も負けたことがなかったことです。そのために自分自身の足と目を使い、情報を収集していました。一度のディベートに用意する資料は200ページにもなります。例えば、「日産はトヨタ自動車を抜けるのか」 というディベートでは実際に日産やトヨタ自動車を訪問し、街頭でアンケートを採る、ディーラーを回るなどしてデータを集めました。1人の力で勝ったとは思っていませんが、この演習で鍛えた行動力と論理的な思考能力はこれからも貴社に活かせると思っています
『学生時代に頑張ってきたこと』
アメリカへ短期留学をしたことです。最初のうちはもの珍しさから、皆が声をかけてくてれました。しかし、それにまともに応えられず、次第に声をかけてくれる人がいなくなりました。そこで、夜、自分の部屋で勉強しながら、明日はこの単語を使って話してみよう、このフレーズを使ってみようという風に 目標を設定し、何度も前日の夜に口でつぶやいていました。会話の中で何が何でもそのフレーズは使うようにし、繰り返しているうちに、まわりから親しく話しかけてくれるようになりました。英語も上達し、TOEICで900点を取得することができました。
『学生時代に頑張ってきたこと』
私は薬局でアルバイトをしていました。あまり売れ行きが無いような店だったため、猿を置いて客寄せをするように提案しました。 案の定、提案が当たり、小学生が集まってきました。しかし、小学生が集まっても売り上げは上がらないため学校へ行き 「猿がひっかくとあぶないので、保護者同伴で来ていただきたい」という旨を伝えました。見事に保護者同伴の小学生が増え、 お店の売り上げアップに貢献しました。
『自己PR(学生時代に力を注いだこと)』
私はホームステイしたアメリカの家族の奥様に日本語を教えていたことがあります。 その時、彼女から「ちゃんと報酬を払う代わりにビジネスとして日本語を教えて欲しい」と言われたことがあります。 そこで、教材を作成し、週1回1時間ほど日本語を教えました。やがて、彼女の友達も加わり、生徒の数は10人も増えました。 しかし、一人一人に対する指導量は減ってしまうため、ペアで練習させるなどして、少しでも時間を活用しようと努力しました。 一番指導していて困ったのが文化の違いを感じことです。 例えば、「彼女は私の右腕です」というのを直訳して伝えた時は「どういう意味」と質問されてしまったことがあります。 この日本語教師体験で改めて、日本語の難しさを実感し、日ごろから気をつけるようになりました。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私は「海外マラソン大会完走」という夢を実現しました。そのために、1年間みっちりトレーニングを行いました。 例えば、夏は北海道を自転車で一周しました。途中、悪天候や自転車のチェーンが切れるなどのアクシデントに見舞われましたが、 その度に切り抜けてきました。冬は沖縄へ行き、砂浜で10キロ走り込みました。練習は辛かったですが、楽しみながら続けたおかげで達成できました。何事も楽しもうと心がけています。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私は高校時代からチアリーティング部に所属し、さまざまなスポーツ大会において華やかに応援をしてきました。華やかなポーズをとるためには、基礎トレーニングの徹底、体調管理が必須です。そこで、毎朝1時間ジョギング、調理師免許を活かし、バランスの取れた食事を心がけました。そして、意外に難しいのが「笑顔」です。どんな疲れた時でも維持しなければなりません。常に日常生活から笑顔でいることを心がけています。それがどんな状況でも物怖じしない性格を形成し、どんな試合が負けている状況でも精一杯応援することができるようになりました。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私は全授業に出席し、オールAを取得しています。そのために毎日、予習・復習を欠かさず行い、教科書がわかりづらいと思った科目は「自分の教科書」を作成しました。それが友人達の間で評判になり、1000人以上にコピーが出回りました。そこで「商売になるのではないか」と思い、加筆して「本当の教科書」を作成して、本屋に置いてもらいました。結果、月20万円の売り上げを達成でき、教科書代・授業料をすべてをまかないました。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私は 「太ったのはマクドナルドのせいだ」という訴訟に興味を持ち、自分の体で証明しました。 そのため、3つのルールを打ち立てました。1つめは「30日間、マクドナルドの商品以外一切口にしない」 2つめは「常にLサイズを頼むこと」3つめは「残さないこと」です。このような生活を送りましたが、 実験終了後も健康でした。そのような結果になったのは、自分が運動していたからだと思います。アメリカ人は少しの距離でも車を使うそうです。 この訴訟を起こした人は負けましたが、当たり前の結果だと自分の体でも証明しました。 自分に厳しければ、どんな環境でも乗り越えられると思います。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私はバスケットボールサークルに所属し、マネージャー兼選手のような位置づけで頑張っていました。 例えば、得意の健康の知識を活かし、スポーツドリンクやサプリメントの摂取量や時間帯まで気を配り、 なおかつ、ドラッグストアでまとめ買いするなどして節約し、部費にも気を配っていました。 そして、選手としてはガードとして試合に出て、どんなに大差が開いて負けていても、 声だしは誰よりも行い、チームを引っ張ってきました。 このように管理能力には自信があります
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私の「2000回の笑顔」を持っています。コンビ二のアルバイトをしていたのですが、1時間に多いときで300人ほど来店されます。商品を提供するだけがサービスではなく、笑顔という無料のサービスも大切だと思い、1回、1回、最高の笑顔を心がけていました。これは6年間続けているシンクロナイズドスイミングでも活かされています。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私は「家計が苦しいため」、大学への費用をためなければなりませんでした。そのため、中学、高校と6年間毎日、新聞配達を行い、大学入学までに4年分の400万円を貯めました。今でも新聞奨学生として働いております。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私はどんな課題にぶつかったとしても、必ず解決策を見つけます。大道芸人サークルに所属したときには、「サソリ食い」「目から牛乳」「ドライアイスのむさぼり食い」をマスターしました。そのために牛乳を普通に飲むより目から飲み、サソリと同居したことさえあります。「ドライアイス」はスーパーでアルバイトし、 残ったものをいただいて練習しました。このように一つのことを成し遂げるのに手段は選びません。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私は学生時代テニスサークルの会計係をしていました。当時、毎年10万円の赤字が出るなど大変だったのですが「紙張り」によって打破し、毎年10万円ほど余るようにまで なりました。例えば、「テニスボール一個70円」など節約の言葉を書き込んだ紙を貼っていました。こうすることによって、コスト意識を持たせ、道具も粗末に扱わないようになり、 長持ちさせることができました。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私は学生時代、ダブルスクールをして情報処理技術者試験一種に合格しました。 これだけにとどまらず、企業から誘いがくるぐらいの特許を取得しました。 特許料だけでも100万円ほど稼いでいます。しかし、それに飽き足らず、 もっと大きな舞台で挑戦したいと思っています。私の天まで届くくらいの 向上心は誰にも止められません。
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私は「練習人間」です。高校生時代アメリカンフットボール部に所属しましたが、怪我をしてしまい断念し、レスリングに転向しました。アメフトで鍛えた体格を活かし、アマチュアで優勝しました。さらに不運なことにレスリングができない体になり、チェスに転向し、日本チャンピオンになりました。転向に伴うたびに言葉では言い表せない程の練習量を重ねました。これからは今までの練習を仕事いう本番で活かしたいです。(ボブサップを参考)
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私はイベントサークルに所属し、毎年行なわれる「愉快な就職活動計画」で広告営業責任者として頑張りました。3年連続前年比200%の広告増収を達成しました。そのために、大学生に意識調査を行い、そのデータを分析し、訪問先を絞り込み、訪問先でもそのデータを活用しました。イベント終了後も広告の閲覧率をアンケートでとり、クライアントに提出して、次に繋げてきました。良い関係を続けるために尽くすことができます。(198文字)
学生時代に力を注いだこと例文
『学生時代に力を注いだこと』
私はアメリカのフロリダ州にホームステイをしていた時に老人ホームでボランティア活動をしていました。その際、日本について知っている方が全くいなかったため、日本ならではの折鶴などを教えることで日本について伝えていました。 人と人が支えあおうとする感情は、勝手に湧きあがるものではなく、お互いに「何か感じたい・伝えたい」という思いが必要であること。「自分よりも相手を・・・ 」という気持ちをもって接していくことから生まれることを学びました。 この2つの気持ちをこれからも大切にしたいです。
『自己PR(学生時代に力を注いだこと)』
ゼミ活動の夏合宿です。合宿前は毎日学校の図書館へと集まり、約1000頁もの資料を読み、お互いの考えを徹底的に話し合いを続けました。合宿直前には2晩徹夜になりながらも一体となって納得行く発表を作り上げました。それと共に私は代表として、予め下見に行き、レクリエーションの場所の確保や宿との交渉など裏方の準備を整えました。勉強・遊びともに充実した夏合宿を作り上げるよう努力しました。
学生時代に最も力を注いだこと例文
『学生時代に最も力を注いだこと』
私は最も力を注いだのはゼミ活動です。そのなかでも、サントリーの「DAKARA」を題材として取り上げた広告立案計画のケーススタディに尽力しました。 試飲アンケートの作成から始まり、分析、マスコミ戦略、SP戦略を一貫したコンセプトの元に立案し、実施しました。特に評判が良かったのがSP戦略です。人が多く、公園のような場所にマスコット人形を置くというものでした。小便小僧と変わらないため、 置かれても違和感を感じないからです。このような作業を通して、マーケティングの実務の知識を得るでなく、本音で言い合える友人を得ました。数ヶ月のプロジェクトで お互い主張しあい、ぶつかったこともありましたが、今では良い思い出です。
自己PR(趣味・学生時代に頑張ってきたこと)例文
『自己PR(趣味・学生時代に頑張ってきたこと)』
大学生活で月100本、年間1200本の映画を見ました。
自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)例文
『自己PR(学生時代に頑張ってきたこと)』
私は毎年夏休み、小学校にて水泳指導員をしています。昨年、従来勤務していた小学校から新規に規模の大きい小学校を紹介され、ただ教えるだけでなく、人材の確保、 学校との話し合いなどをする調整役として1シーズンの水泳指導を作り上げてきました。
以前の小学校に比べて生徒数は倍になったのですが、指導員は1人増えただけで、たった4人。また習慣や設備の違いもあって、全くの0からの不安を抱きながらのスタートでした。しかしながら、 「いかに安全を確保しながら子供達に水泳を好きになってもらうか」という目標だけは、 変わりません。それをいつも頭において工夫を重ね乗り越えようとしてきました。
例えば、私は大学で「スポーツと法」という授業を選択し水泳の事故の例を勉強していたこともあって、ありとあらゆる可能性を考え、その防止に人一倍気をつかいました。ゲーム をするにしても一度に全員を入れると危険なので、入る子供の数のチームを作ることで制限し、逆にチーム同士手を組ませることで応援する姿勢を作ってみてみたりもしました。
教え方にしても、ビート板など道具を多用して、泳ぐのではなく体が浮くことをみんなで繰り返ししてみたりと、少し変わった観点から水泳の楽しさを学んでもらいました。 とにかく毎日が勉強でした。子供は興味がないとはっきりといやがり、だらだらとする。 そのような中で、毎日天候と子供の様子を見ながら問題点を見つけ、こうしたらどうかと 担当者と先生にも提案しながら、その場その場で対応していく。この繰り返しでした。
これらの成果もあり、幸い事故もなく先生方にもとても好評でした。そして何よりも子供達から「こんなに泳げるようになった」「今年のプールは楽しかった」と喜んでもらえたことが私の誇りです。このように人のニーズに答えるのが私の喜びであり、そのため に小さなことを積み重ねていけることが私のセールスポイントでもあると思います。