春秋・戦国時代
第3章春秋・戦国時代
春秋時代は、BC722〜481年で、春秋に記載された魯(ろ)の隠公から哀公に至る242年間である。孔子はこの間の人である。
戦国時代は、BC481〜221年で、大国の晋が韓魏趙(ちょう)の三国に分裂したことから始まり秦の統一に至る間の時代である。
春秋末期から戦国にかけては周の封建制は殆んど崩壊に瀕し、諸国も諸侯の権威が衰え、大夫の権力が強くなり、列国間の抗争が激しく、侵略攻伐が相次いで行われた。列国の分立抗争は人心に多大な刺激を与え、個人の実力が重視され、学術が下に移って、諸子百家が競い、学術思想界は活気を呈した。西周時代の学術はすべて官学だったが、春秋末期になると官民問わず等しく学問の機会を得られ、孔子は民間で弟子を集めて学問を講じた最初の人である。この風潮は、戦国時代に益々盛んとなり学問の重心は完全に民間諸子の手に帰するに至った。
戦国時代の諸侯はその国を維持するために新時代に順応すべき政策のために、新人材を求めたのである。春秋末期から戦国時代にかけて商業が発達した。これにより諸侯の国々の交際が盛んとなり、使節が多くなり交通が発達し、諸侯が強大となり奢侈に耽(ふけ)り珍貴の品を求め、居城の人口が増加し、都市が発達したことなどが挙げら、商業の発達により、庶人階級は勃興したのである。
*春秋とは
春秋は、もと魯の国の歴史で、魯の史官の手になったものを孔子が修正を加えたもの。春秋は魯の隠公から桓公・荘公・閔公・僖公・文公・宣公・成公・襄公・昭公・定公・哀公に至る十二公242年間の歴史。
春秋は、孔子が大義名分を正すために作ったもので、後世の思想界に与えた影響は極めて大きい。春秋を祖述(そじゅつ、先人の学説を受け継いで発展させること)した書に春秋左氏伝・春秋公羊(くよう)伝・春秋穀梁(こくりょう)伝がある。