火雷噬こう
山火賁
山地剥
地雷復
天雷无妄
山天大畜
山雷頤
澤風大過
坎為水
離為火
火雷噬こう
彖辭 噬こう。亨。利用獄。
彖傳曰。頤中有物曰噬こう。噬こう而亨。剛柔分。動而明。雷電合而章。
柔得中而上行。雖不當位。利用獄也。
象傳曰。雷電噬こう。先王以明罰ととのう法。
山火賁
彖辭 賁亨。小利有攸往。
彖傳曰。賁亨。柔來而文剛。故亨。分剛上而文柔。故小利有攸往。
天文也。文明以止人文也。観乎天文以察時變。観乎人文以化成天下。
象傳曰。山下有火賁。君子以明庶政。无敢折獄。
山地剥
彖辭 剥。不利有攸往。
彖傳曰。剥剥也。柔變剛也。不利有攸往。小人長也。
順而止之。観象也。君子尚消息盈虚。天行也。
象傳曰。山附於地剥。上以厚下安宅。
地雷復
彖辭 復。亨。出入无疾。朋來无咎。反復其道。七日來復。利有攸往。
彖傳曰。復亨。剛反。動而以順行。是以出入无疾。朋來无咎。
反復其道七日來復。天行也。利有攸往。剛長也。復見其天地之心乎。
象傳曰。雷在地中復。先王以至日閉關。商旅不行。后不省方。
天雷无妄
彖辭 无妄。元亨。利貞。其匪正有わざわい。不利有攸往。
彖傳曰。无妄剛自外來。而爲主於内。動而健。剛中而應。大亨以正。天之命也。
其匪正有わざわい。不利有攸往。无妄之往。何之矣。天命不祐。行矣哉。
象傳曰。天下雷行。物與无妄。先王以茂對時。育萬物。
山天大畜
彖辭 大畜。利貞。不家食吉。利渉大川。
彖傳曰。大畜剛健篤實輝光。日新其コ。
剛上而尚賢。能止健。大正也。不家食吉。養賢也。
利渉大川。應乎天也。
象傳曰。天在山中大畜。君子以多識前言往行。以畜其コ。
山雷頤
彖辭 頤。貞吉。観頤自求口實。
彖傳曰。頤貞吉。養正則吉也。観頤観其所養也。自求口實。観其自養也。
天地養萬物。聖人養賢。以及萬民。頤之時大矣哉。
象傳曰。山下有雷頤。君子以愼言語。節飲食。
澤風大過
彖辭 大過。棟橈。利有攸往。亨。
彖傳曰。大過大者過也。棟橈本末弱也。
剛過而中。巽而説行。利有攸往。乃亨。大過之時大矣哉。
象傳曰。澤滅木大過。君子以獨立不懼。遯世无悶。
坎為水
彖辭 習坎。有孚。維心亨。行有尚。
彖傳曰。習坎重險也。水流而不盈。行險而不失其信。維心亨。乃以剛中也。行有尚。往有功也。
天險不可升也。地險山川丘陵也。王公設險以守其國。險之時用大矣哉。
象傳曰。水しきり至習坎。君子以常コ行。習教事。
離為火
彖辭 離。利貞。亨。畜牝牛吉。
彖傳曰。離麗也。日月麗乎天。百穀草木麗乎土。重明以麗乎正。乃化成天下。
柔麗乎中正。故亨。是以畜牝牛吉也。
象傳曰。明兩作離。大人以繼明。照乎四方。
卦上経3
易経上経解釈
火雷噬こう
彖辞 噬(ぜい)こうは、亨る。獄をもちうるに利ろし。
噬こうはかみあうこと。頤(口)中にじゃま物(四爻)があり、これを噛み砕いて通る。邪魔者を噛み切るところから獄を用いてよろしいとみる。
彖伝 頤中に物あるを噬こうという。噬みあわせて亨る。剛柔分れ、動いて明らか、雷電合して章らかなり。
山雷頤の中にじゃま物(四爻)があるのを噬こうという。噛み砕いて合わさって通る。内卦震(剛卦)と外卦離(柔卦)が分かれて、震(雷)で動き、離(電)で明らか、雷と電が合わさってあきらかである。
柔、中を得て上り行く。位に当らずといえども、獄をもちうるに利ろしきなり。
柔(五爻)は、上って五爻の君位でかつ中を得る。位には当っていないが離明の主で明察があるので、獄を用うるにはよろしい。
象伝 雷電は噬こうなり。先王もって罰を明らかにして法をととのう。
雷(震)と電(離・火)で火雷噬こうとなる。昔の聖王はこれをもって刑罰を明らかにして法をただす(きちんと整えること)。
山火賁
彖辞 賁は、亨る。小しく往くところあるに利ろし。
賁は飾ること。飾れば通る、外卦の陽爻(内から外に往く)は艮で止まるので大きくは行けない。
彖伝 賁は亨る。柔来りて剛を文る。故に亨る。剛を分ち上りて柔を文る。故に小しく往くところあるに利ろし。
賁は通る。柔爻(二爻)が来て剛爻(初爻と三爻)を飾るので通る。剛爻(上爻)が下から上り柔爻(五爻と四爻)を飾る、艮なので大きくは往けないがよろしい。
天文なり。文明もって止まるは人文なり。天文を観てもって時変を察し、人文を観てもって天下を化成す。
天文は自然の文(あや)で、人文は人間の文のこと。自然の文があり、文明で止まるは人間の文であり、自然の文を観て時の変化をあきらかにし、人間の文を観て天下をよき方へと導く。
象伝 山下に火あるは賁。君子もって庶政を明らかにし、敢えて獄を折むるなし。
外卦艮の山の下に内卦離の火があるのが賁である。君子はこれをもってもろもろの政事を明らかにして、強いて訴訟を裁くようなことをしない。
山地剥
彖辞 剥(はく)は、往くところあるに利ろしからず。
剥とは、剥ぎとられること。陰が伸びて最後の一陽が剥ぎ落されようとしているとき。そんなときなので往くところあるには、よろしくないことになる。
彖伝 剥は剥ぐなり。柔、剛を変ずるなり。往くところあるに利ろしからずは、小人長ずればなり。
剥とは、剥ぐこと。柔(五爻以下の陰爻)は剛(上爻)を変じようとしている。往くところあるによろしくないのは、小人(陰)の勢いが増しているからである。
順にしてこれに止まるは、象を観るなり。君子は消息盈虚を尚ぶは、天行なればなり。
内卦坤の順にして外卦艮で止まるのは、象を観察することである。君子が消長や満ち欠けをとうとぶのは、天の運行だからである。
象伝 山、地に附くは剥。上もって下を厚くし宅を安んず。
外卦艮の山に内卦坤の地に付くのが剥である。上に立つ者は下を厚くして身を置く場所を安らかにする。
地雷復
彖辞 復(ふく)は、亨る。出入疾なく、朋来りて咎なし。その道を反復し、七日にして来り復る。往くところあるに利ろし。
復は、陽が帰りて通る。内卦震は動き、外卦坤は従うので出入に障害はなく、朋(陽)来たりて咎はない。その道(卦の消長)を反復して、七日(こう{陰が戻る}→遯→否→観→剥→坤→復{陽が戻る・七日目})で一陽が来り帰る。積極的に行動してよろしい。
彖伝 復は亨るとは、剛反るなり。動きて順をもって行く。ここをもって出入疾なく、朋来りて咎なし。
復は通るとは、剛(陽)が帰ってくることである。内卦震で動いて、外卦坤の順で従って行く。これによって出入に障害はなく、朋(陽)来たりて咎はない。
その道を反復し、七日にして来り復すは、天行なり。往くところあるに利ろしとは、剛長ずればなり。復はそれ天地の心を見るか。
その道(卦の消長)を反復して、七日で一陽が来り帰るは天の運行である。積極的に行動してよろしいとは、剛(陽・君子)の勢いが増しているからである。復は天地のおもいを見るようである。
象伝 雷、地中にあるは復。先王もって至日(とうじ)に関を閉じ、商旅行かず、后は方を省みず。
内卦震の雷が外卦坤の地の中にあるのが復。昔の聖王はこれをもって冬至に関所を閉じて商人や旅人の往来を止め、君主は国土の視察をせず安静にする。
天雷无妄
彖辞 无妄(むもう)は、元いに亨りて貞しきに利ろし。それ正しきにあらざればわざわいあり。往くところあるに利ろしからず。
妄は、みだり、うそ、でたらめなことで、无妄はそれがないので、自然のままにとなる。わざわいは人の行ないによる災い。正しくなければ、往くところがあってもよくはない。
彖伝 无妄は、剛外より来りて内に主となる。動にして健。剛中にして応ず。大いに亨りてもって正しきは、天命なればなり。
无妄は、初爻の剛は外より来て内卦の主爻となる。内卦震は動きて、外卦乾は剛健である。五爻は剛健中正にして二爻に応じているので、大いに通りて正しいのは天命によるものである。
それ正にあらざればわざわいいあり、往くところあるに利ろしからずとは、无妄の往くは、いずくにゆかん。天命祐けず、行かんや。
それが正しくなければ天命に反することになりわざわいがある。往くところあるによくないとは、正しくなくしてどこに往けよう、天命が助けずに行けようか。
象伝 天下に雷行くは、物みな无妄。先王もって茂(さか)んに時に対して、万物を育う。
外卦乾の天の下、内卦震の雷が動いて行く、万物みな自然のままである。昔の聖王はこれをもって盛んに天の時に対応して、万物を養う。
山天大畜
彖辞 大畜は、貞しきに利ろし。家食せずして吉。大川を渉るに利ろし。
畜はたくわえる、やしなう、止めること。大は内卦の乾を外卦の艮(陽卦)が止め、陽卦が止めるので大となる。家食せずとは広く世に出なさいということ。大川を渡るに良いとは大事を行なうことに用いても良いこと。
彖伝 大畜は、剛健篤実にして輝光あり、日にその徳を新たにす。
剛健は内卦乾の徳、篤実は外卦艮の徳、この両徳があるので光り輝き、日々に徳を新しくしてゆく。
剛上りて賢を尚ぶ、能く健を止むるは、大正なり。家食せずして吉とは、賢を養えばなり。
剛爻(上爻)が上って賢人を尊ぶ、よろしく内卦乾の健を止めるのは、大いに正しいことである。家食しないで吉なのは、賢人を育てるためである。
大川を渉るに利ろしとは、天に応ずればなり。
大事に用いて良いのは天に応じていて大いに正しいからである。
象伝 天、山の中にあるは大畜。君子もって多く前言往行を識りて、もってその徳を畜える。
内卦乾の天が、外卦艮の山の中にあるのが大畜である。君子はこれをもって多くの昔の聖人の名言や徳行を知り、これによってその徳をたくわえるのである。
山雷頤
彖辞 頤は、貞しければ吉。頤を観てみずから口実を求む。
頤は、口であり、口から食物を入れるので養うこと。ただしいものを養わなければならない。養いを観て自分の食べ物(入れるもの)を探し求める。
彖伝 頤は貞しければ吉とは、正を養えばすなわち吉なり。頤を観るは、その養うところを観るなり。みずから口実を求むは、そのみずからの養いを観るなり。
頤は、ただしければ吉とは、正しいことを養えば吉である。頤を観るとは、養い方を観るのである。自分に入れるものを探し求めるとは、自分の養い方を観るのである。
天地は万物を養い、聖人は賢を養い、もって万民に及ぼす。頤の時大いなるかな。
天地は万物を養い、聖人は賢人を養い、それによって万民に及ぼしてゆく。頤の時はなんと大きいことか。
象伝 山下に雷あるは頤。君子もって言語を慎み、飲食を節す。
外卦艮の山の下に内卦震の雷があるのが頤である。君子はこれをもって言語(口から出るもの)を慎んで、飲食(口に入るもの)を節しなければならない。
澤風大過
彖辞 大過は、棟橈む。往くところあるに利ろし。亨る。
大過は、大の陽が過ぎる状態のこと。陽が過ぎるので棟木の両端(初爻と上爻)が柔爻で弱くたわむ状態になる。しかし陽が過ぎるのは決して悪いことではなく進んでもよく、通る。
彖伝 大過は、大なる者の過ぎるなり。棟橈(むなぎたわ)むは、本末弱きなり。
大過は、大なる者(陽)が過ぎる状態のことである。棟(屋根の横木)がたわむのは、本末(初爻と上爻)が陰爻で弱いからである。
剛過ぎたれども中、巽いて説び行く。往くところあるに利ろしく、すなわち亨る。大過の時、大なるかな。
剛(陽爻)が過ぎてはいるが、五爻と二爻は陽爻で中を得ており、内卦巽で従い、外卦兌で悦んで行くので、進んで行ってよく、通る。大過の時はなんと大きいことか。
象伝 澤、木を滅するは大過。君子もって独り立ちて懼れず、世を遯れて悶うるなし。
外卦兌は澤であり、その下に内卦巽の木があるので滅してしまうのが大過である。君子はこれをもって我が道を行っても懼れず、世を捨てても苦しまない。
坎為水
彖辞 習坎は、孚あり。維れ心亨る。行けば尚ばるるあり。
習は重ねるで、坎はあな、重なった穴のこと。坎は外側は陰爻で虚、中が実で芯が通り孚があり、これ心が通る。行けば尊ばれる。
彖伝 習坎は、重険なり。水は流れて盈たず、険を行いてその信を失わず。維れ心亨るとは、すなわち剛中をもってなり。行きて尚っとばるるありとは、往きて功あるなり。
習坎は険が重なっている。水は流れて一杯になることはない。険を行なってもその信頼を失うことはない。これ心が通るとは、剛と中(五爻と二爻)を得ているからである。行けば尊ばれるとは、往って功があるからである
天の険は升るべからざるなり。地の険は山川丘陵なり。王公、険を設け、もってその国を守る。険の時用、大いなるかな。
天の険は升ることができない。地の険は山川丘陵である。王公は人為的な険阻を設けて、よってその国を守る。険の時に険の効用はまことに大きいのである。
象伝 水しきりに至るは習坎なり。君子もって徳行を常にし、教事を習う。
水が幾度も来るのが習坎である。君子はこれをもって徳の行いを常にして、おしえの内容を習う。
離為火
彖辞 離(り)は、貞しきに利ろし。亨る。牝牛を畜えば吉。
離はつくこと。ただしいものについてよろしく、通る。牝牛は柔順の象徴で、柔順の徳を養えば吉を得られる。
彖伝 離は麗(つ)くなり。日月は天に麗き、百穀草木は土に麗く。重明もって正に麗けば、すなわち天下を化成す。
離はつくことである。日月は天につき、百穀草木は土につく、正しい相手につくことである。明が重なって正しいものにつけばそれこそ天下を育成することができる。
柔、中正に麗く、故に亨る。ここをもって牝牛を畜えば吉なり。
柔(二爻)は、柔順中正につく、ゆえに通る。これによって牝牛(柔順の徳)を養えば吉を得られる。
象伝 明両(ふた)つ作(おこ)るは離。大人もって明を継(つ)ぎ、四方を照らす。
明がふたつあるのが離である。大人はこれをもって明を継(つ)いで、四方を照らす。