秦時代
第4章 秦時代
秦時代は、BC221〜206年で、始皇帝が六国を平定して中国民族最初の統一国家を建設したが、短命で亡びた。
始皇帝は、従来の封建制を廃して郡県制を採用した。郡県制はその領域を郡及び県に分け、直接官吏を任命して行政を掌るものである。しかし急激に施行したため没後早くも破綻を生じた。
秦は、法家の刑名法術による政治を行い、人民を惑わす思想言説を徹底的に弾圧し、焚書(ふんしょ、書物を焼き捨てること、BC213年)坑儒(こうじゅ、儒教学者数百人を咸陽で穴埋めにしたこと、BC212年)を行った。
焚書とは、丞相李斯(りし)の献策を容れて諸国の歴史や五経(書・詩・礼・楽・春秋)を焼き、諸子百家の書は民間の私蔵を禁じたこと。諸国の歴史は自国の歴史を標準として秦の政治を批判し、五経は儒家が五経を根拠として秦の政策を論難したからである。しかし、易は卜筮の書として、医薬・農事関係の書物と共に除外されている。
かかる政策の下にあって思想言論の自由は失われ、学術の発展は著しく障害を受けた。