易経
何年係るか分からないが易学の集大成を始めました。その中で気が付いた点を日記形式に。
易占を勉強する人へ
私は易占を勉強してけっこうなるが、随分無駄な時間を使っていたと反省しています。
これから易を勉強する人は、私の過ちを避けて勉強して行ってほしい。
しかし、残念ながら易占を勉強するための本がそうなっていないのです。昭和の易学の大家とされる人の本でさえ、ずれているのです。
本人はそのことを知っていながら、本を出しているので、公式にはそのことを言えずに、弟子に間違いを訂正して欲しいと言ったそうです。
でも、そんなことを知っているのは、ほんの一部だけ、もともと真剣に易占を勉強している人は、それほど多くはないと思いますが、しかし、真剣に勉強したいと思う人もこれからも出て来ると思いますが、その道はいばらの道であることを忘れないで下さい。
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今井宇三郎先生の易経上中(新釈漢文大系)を再読しています。この本の素晴らしさは、色々な人の説を多く載せていることです。また、今井先生は90歳を過ぎても著作を続けられていたそうです。この本を再読しながら自分なりのノートを作っていこうと考えています。よかったそちらも見てください。
離為火の上九「王用出征。有嘉折首」を読んで。
今井宇三郎先生の易経上における離為火上九「王用出征。有嘉折首」の解釈は、色々な説があるが、佐藤一斎の欄外書の説を採っている。
六五の王が上九を用いて出征せしめ、その首(上九)を折断するのを嘉美とすると解している。
通常なら、上九が出征して、自分の首を討つなど考えられないが、易経ならあり得る。
易経は、あらゆる角度から見るために、全体としては有り得なくても一面としてとらえればあり得るのである。こんな所が易経の難しさなのだろう。
易経は、紀元前千年の中国周時代より約三千年の歴史があります。人が将来の事をいかに知りたかったかが伺える。