漢時代


第5章 漢時代
 漢時代は、BC206〜AD220年で、前漢221年、後漢196年にわたって存続した。
 漢の高祖は、封建郡県両制を併用したが、その後漸進的に中央集権的郡県制を推進する政策を採って統一国家としての実質が備った。文帝景帝の時代に内外の統治が成就し、権力を絶対的なものとしたが、継承した武帝が更に中央集権的支配力を強化して、在位60余年間に最盛期を実現した。
 武帝は、董仲舒(とうちゅうじょ、BC176〜104年)の献策を用いて儒教を以て国教として思想統一を図った。封建時代では官吏は貴族階級(士大夫)から採用され世襲だったが、郡県制では身分階級に関係なく俸禄や権威は身分から分離して官吏としての地位に附随するものとなったが、次第に官吏階級という身分に固定した。漢代は、儒教によって学術思想が統一され、儒学によって官吏を採用したのも儒学が名分を重んじて、士人階級(主として大土地を所有して多くの奴隷を蓄えた地方の富豪紳士で知識人でもあった)の身分を安定する上に最も好都合であったからである。

*董仲舒とは、
一 陰陽五行説
 陰陽五行説を儒教に取り入れた。気には陰陽の区別があり、各々その作用が異なる。陽気は暖・生、陰気は寒・殺であり、二気は絶えずその勢力を消長変化し、春夏秋冬の四季の循環が生じる。五行も陰陽二気の作用によって生ずるとし、五行循環の法則として五行相勝と五行相生を並び説いた。

二 災異思想
 災異思想は天人相関関係を基調とする政治思想で、天と人とは同類であり、人間は小宇宙であり、天を永久不変の道徳律と解した。災異説は人間の行為と天の意志乃至は自然現象との間に密接な関係があるとするもので体系的な理論を与えた。災は天の譴(せめ)で、異は天の畏(おそれ)であり、災は軽少でしばしば有り、異は重大にしてまれに起り、君主が天の意志に悖る行為をした時に災を降し、悔い改めなければ異を降ろすと説く。

三 人性論
 性は生れたままの自然の素質と謂い、善は自然の素質に人為的な教化を加えることによって生ずると説き、人の性は善に向う可能性と悪に向う可能性がある。悪に向う可能性として考えられたのが「情」であり、性も情も共に天より受けたもので、人に性情の二者が具わるのは天に陰陽の二作用があるのに相当する。

四 倫理思想
 倫理思想として三綱五常を提唱した。三綱は社会倫理で、「君は臣の綱たり、父は子の綱たり、夫は妻の綱たり」という説で、君・父・夫に主導的な地位を与え、臣・子・妻を従属的な地位に置くもの。五常は個人倫理で、「仁・義・礼・智・信」の五つの徳目を謂う。