漢代の儒教


第6章 漢代の儒教
一 武帝の思想統一
 漢が統一して始めは、秦の苛法と兵乱に苦しんだ世人の間には道家の無為自然の思想が比較的歓迎された。然し武帝の時代になると事情が一変した。国力が充実し、帝王の権威は加わり、強力な政治的指導原理を確立して思想の統一を図ることが必要とされた。かくして儒教が再認識され、武帝の時代に董仲舒の賢良対策が採用されて儒教が国教と定められた。それは、
1. 漢代の社会が士人(支配階級)と農民(被支配階級)との身分的階級的関係が枢軸で、儒教の礼義道徳、正名名分を力説して身分的階級的秩序を重んじ支配者の身分安定に適切な学説であり、

2. 儒家が先王の道を説き、周の盛世を理想とし、周代の典籍(てんせき、書物や書籍)制度に通じ礼制を重んじ、武帝の各制度を整えるに以前の典籍制度に通ずる儒家が重んじられた。

3. 儒教思想が弾力性に富み、他の思想を包容する可能性があったからである。

二 漢代儒教の特質
 漢代の儒教は、孔子・孟子・荀子の思想をそのまま踏襲したものではなく、漢代の一般人の思想的欲求を巧みに取り入れたもので、迷信的傾向が強く、好んで宇宙と人生との関係交渉を考え、吉凶禍福を言い、災異瑞祥(ずいしょう、吉兆)を論じた。そこで漢代儒教の特質は、
1.易経が尊重された。易は元来卜筮の書であるが、当時の士人は吉凶禍福を予知する欲求が強かったためである。

2.政治思想に陰陽説を取り入れた。様々な天変地異が発生するのは陰陽の不調和から来るもので、天子の不徳に原因とし、天子自ら徳を修めて陰陽の調和を図るにあると災異思想が説かれた。

3.道家の思想を儒教の中に取り入れた。前漢儒家の手に成ったと思われる経書の或る部分に老子の無為自然の思想がふくまれている。

 漢代の儒教は前漢の終りまでに形成された。後漢は、概して古典の注釈をする所謂訓詁の学が主となったのである。