火雷噬こう
初九(正) 履校滅趾
六二(柔順中正) 噬膚滅鼻
六三(不正) 噬せき肉
九四(不正) 噬乾し
六五(中・不正) 噬乾肉
上九(不正) 何校滅耳
山火賁
初九(正) 賁其趾
六二(柔順中正) 賁其須
九三(正) 賁如濡如
六四(正) 賁如は如
六五(中・不正) 賁于丘園
上九(不正) 白賁
山地剥
初六(不正) 剥牀以足
六二(柔順中正) 剥牀以弁
六三(不正) 剥之
六四(正) 剥牀以膚
六五(中・不正) 貫魚
上九(不正) 碩果不食
地雷復
初九(正) 不遠復
六二(柔順中正) 休復
六三(不正) 頻復
六四(正) 中行独復
六五(中・不正) 敦復
上六(正) 迷復
天雷无妄
初九(正) 无妄往吉
六二(柔順中正) 不耕穫
六三(不正) 无妄之災
九四(不正) 可貞无咎
九五(剛健中正) 无妄之疾
上九(不正) 无妄行有わざわい
山天大畜
初九(正) 有似已
九二(中・不正) 輿説輹
九三(正) 良馬逐
六四(正) 童牛之こく
六五(中・不正) ふん豕之牙
上九(不正) 何天之衢
山雷頤
初九(正) 舎爾霊亀
六二(柔順中正) さかさま頤払経
六三(不正) 払頤
六四(正) さかさま頤吉
六五(中・不正) 払経居貞吉
上九(不正) 由頤
澤風大過
初六(不正) 藉用白茅
九二(中・不正) 枯楊生てい
九三(正) 棟橈凶
九四(不正) 棟隆吉
九五(剛健中正) 枯楊生華
上六(正) 過渉滅頂
坎為水
初六(不正) 入于坎たん
九二(中・不正) 坎有険
六三(不正) 来之坎坎
六四(正) 樽酒き貳
九五(剛健中正) 坎不盈
上六(正) 係用徽ぼく
離為火
初九(正) 履錯然
六二(柔順中正) 黄離元吉
九三(正) 日昃之離
九四(不正) 突如其来如
六五(中・不正) 出涕沱若
上九(不正) 王用出征
爻上経3
易経上経解釈
火雷噬こう初爻爻辞で「履校滅趾」
「かせをはいて趾を滅す」で、校はここでは足かせのこと。滅はなくなることでここでは足の自由がなくなること。足をしめる刑具で行動の自由を奪うこと。
火雷噬こう初爻象伝で「不行也」
「行かしめざるなり」で、足かせをはめて(悪事に)行かせないこと。
火雷噬こう二爻爻辞で「噬膚滅鼻」
「はだえをかんで鼻を滅す」で、膚は柔らかい肉のこと。噬はかむこと。軟らかい肉を噛んで鼻まで見えなくなること。
火雷噬こう二爻象伝で「乗剛也」
「剛に乗ればなり」で、剛は初爻のことで、柔よく剛を制して咎なきを得ること。
火雷噬こう三爻爻辞で「噬せき肉遇毒」「小吝无咎」
「せきにくをかみて毒にあう」で、せき肉は小鳥などを丸干した乾肉のこと。陽位の陰爻で不正なので毒にあたるようなもの。
「小しく吝なれども咎なし」で、陰爻で能力は足りないので少し恥辱はあるが、刑を裁く者としては咎はないこと。
火雷噬こう三爻象伝で「位不当也」
「位当らざるなり」で、陽位の陰爻で不正のこと。
火雷噬こう四爻爻辞で「噬乾し得金矢」「利艱貞」
「かんしをかみて、金矢を得」で、乾しは骨付き乾肉のこと。金は金属で剛の物のこと。矢は真直ぐのこと。爻が進み相手も硬くなるが、こちらも剛爻で真直ぐに対応すること。
「艱貞に利ろし」で、難しい相手なのでそれを自覚して貞固にして宜しきを得ること。
火雷噬こう四爻象伝で「未光也」
「いまだおおいならざるなり」で、四爻は陰位の陽爻なので柔に流れる恐れがあり、徳が大きいとはいえないこと。
火雷噬こう五爻爻辞で「噬乾肉得黄金」「貞氏B无咎」
「乾肉をかみて黄金を得」で、乾肉はせき肉や乾しよりは軟らかい。五爻は君位で離明の主なので罰に明らかにし法を正すことができるので君主にとっては黄金を得たようなもの。
「ただしけれどもあやうし、咎なし」で、法を正すことは正しいことではあるが、君主が直接裁くことは危うさがあること。しかし裁くこと自体は咎はないこと。
火雷噬こう五爻象伝で「得当也」
「とうをえればなり」で、離明の主なので当を得ていること。
火雷噬こう上爻爻辞で「何校滅耳」
「かせをにないて耳を滅す」で、校はここでは首かせのこと。何は荷(になう)の原字。首かせを荷って耳が見えなくなっていること。
火雷噬こう上爻象伝で「聡不明也」
「聡明ならざるなり」で、人のいうことを聞かない(耳を滅す)のは、聡明でないから。
山火賁初爻爻辞で「賁其趾」「舎車而徒」
「その趾をかざる」で、初爻は最下位で足、趾をかざること。
「くるまをすて、かちす」で、趾をかざり歩くこと。
山火賁初爻象伝で「義弗乗也」
「義、乗らざるなり」で、陽位の陽爻で位正しく、初爻は趾なので、趾を使って車に乗らないこと。
山火賁二爻爻辞で「賁其須」
「そのひげでかざる」で、三爻から上爻で頤の形で、その下にあるのでひげと観る。
山火賁二爻象伝で「與上興也」
「上とともにおこるなり」で、ひげは下アゴの飾り、くっついて上と共に動くことになる。
山火賁三爻爻辞で「賁如濡如。永貞吉」
「ひじょ、じゅじょ。永貞にして吉」で、賁は飾る、濡は濡れる(艶やか)で、とかく飾ったり、みすみずしく見せたがるが、虚飾は長く持たないので、正道を長く守って吉となること。
山火賁三爻象伝で「終莫之陵也」
「終にこれをしのぐなきなり」で、飾りや艶やかさは一時的なもの、長く正道を守ることが吉を得る。
山火賁四爻爻辞で「賁如は如。白馬翰如。匪寇婚媾」
「ひじょ、はじょ。白馬かんじょ。あだするにあらずこんこうせんとす」で、は如は飾るときにまだ飾っていない、白馬以下は白馬に乗ってすぐにでも初爻の元に行って婚媾を求めたい。
山火賁四爻象伝で「當位疑也」
「位に当るが疑わるなり」で、初爻は車を捨て歩くほどの飾らない人なので疑われてしまうこと。
山火賁五爻爻辞で「賁于丘園」「束帛」「戔戔」「吝終吉」
「きゅうえんをかざる」で、丘園は自然の野や田園のことで、自然の飾りのこと。
「そくはく」で、絹十反を一束としたもののこと。
「せんせん」で、わずかなこと。
「吝なれども終吉」で、自然の飾りなのでお金はかからないので吝嗇ではあるが、虚飾より実質の方が大切なので終には吉となること。
山火賁五爻象伝で「有喜也」
「喜びあるなり」で、五爻は君主で実質を以て飾りとして喜ぶことができること。
山火賁上爻爻辞で「白賁。无咎」
「しろくかざる。咎なし」で、上爻は賁の卦の極で無色に返ることで、咎はない。
山火賁上爻象伝で「上得志也」
「上、志を得ればなり」で、上爻は賁の卦の極で賁道を得ること。飾りの極に達すると素朴に帰ること。
山地剥初爻爻辞で「剥牀以足」「蔑貞」
「しょうを剥すに足をもってす」で、牀は寝台のこと。初爻なので牀の足を剥す。
「ていをほろぼす」で、正を滅すること。
山地剥初爻象伝で「以滅下也」
「もって下を滅するなり」で、陰が陽を下から滅ぼすこと。
山地剥二爻爻辞で「剥牀以辨」
「しょうを剥すにべんをもってす」で、弁は寝台と足の間のこと。初爻より上にいたる。
山地剥二爻象伝で「未有與也」
「いまだくみするあらざるなり」で、陰がまだ仲間がいないので強くないという説と応爻の剛が得られないという説の二説あり、応比いずれも与する相手(陽爻)がいないとみる。
山地剥三爻爻辞で「剥之。无咎」
「これを剥す、咎なし」で、上爻と応じているので陽から見れば逆に剥さないこと。
山地剥三爻象伝で「失上下也」
「上下を失えばなり」で、三爻からみれば上爻以外の上下を失うことになる。
山地剥四爻爻辞で「剥牀以膚」
「しょうを剥すにはだをもってす」で、既に危険な身になっていること。余裕はない。
山地剥四爻象伝で「切近災也」
「災いにせっきんするなり」で、災いが身に切に近付いていること。
山地剥五爻爻辞で「貫魚」「以宮人寵」
「かんぎょ」で、魚の目刺しのこと、魚は陰物で陰を表現し、五陰が連なっているので目刺しと表現する。
「宮人のちょうをもってす」で、宮人は後宮の妻妾のこと。寵は王の寵愛のこと。上爻の陽に対して五爻以下の陰爻を寵愛によって従うこと。
山地剥五爻象伝で「終无尤也」
「ついにとがなきなり」で、五陰を率いる身なので本来は咎はあるが、こうすることによって尤がなくなること。
山地剥上爻爻辞で「碩果不食」「君子得輿」「小人剥廬」
「せきか食われず」で、碩果は大きな果実のことで、上爻の陽爻が唯一残っているたとえ。
「君子はよを得」で、担ぎ上げられること。
「小人はろを剥す」で、廬はいおりで小屋のことで、小人なら屋根まで剥がして坤になってしまうこと。
山地剥上爻象伝で「民所載也」「終不可用也」
「民の載するところなり」で、下の陰爻(民)が上の陽爻(上爻で君子)を担ぎ上げること。
「終に用うべからざるなり」で、小人ならば屋根まで剥がして身の置く場所がなくなるので用いてはならないこと。
地雷復初爻爻辞で「不遠復」「无祇悔」
「とおからずしてかえる」で、初爻は成卦主で一陽来復の爻で、全陰の状態から陽が戻って来たこと。不善から善に復るとの例え。
「悔いにいたるなし」で、かえるので悔いにいたることがないこと。
地雷復初爻象伝で「以脩身也」
「もって身をおさめるなり」で、過ちがあったら速やかに身を修めること。
地雷復二爻爻辞で「休復」
「よくかえる」で、休はよく、神にかばわれる意がある。
地雷復二爻象伝で「以下仁也」
「もってじんにくだればなり」で、初爻の仁徳にへりくだること。
地雷復三爻爻辞で「頻復」
「しきりにかえる」で、初爻とは応比になく、不中かつ不正で頻繁に迷うこと。
地雷復三爻象伝で「義无咎也」
「義、咎なきなり」で、復(かえ)るは、善に復ることなので、復るのなら義としては咎はない。
地雷復四爻爻辞で「中行獨復」
「ちゅうこう、ひとりかえる」で、中行は正道のこと、五陰の中にいるが初爻と応じているので正しい道に復ることができること。
地雷復四爻象伝で「以従道也」
「もって道に従うなり」で、善に復(かえ)る道に従うこと。
地雷復五爻爻辞で「敦復」「无悔」
「かえるにあつし」で、敦は厚いこと。五爻は外卦の坤の主爻で柔順の徳があり、中爻なので中庸の徳があり、善に復ることに厚い。
「悔いなし」で、復ることに厚いので悔いはないこと。
地雷復五爻象伝で「中以自考也」
「中もって自らなすなり」で、考はなすこと。中庸によってみずから行うこと。
地雷復上爻爻辞で「迷復」「国君」
「かえるに迷う」で、復の極で初爻の陽に最も遠く迷ってしまうこと。
「こっくん」で、諸国の君主で諸侯のこと。
地雷復上爻象伝で「反君道也」
「君道に反すればなり」で、復卦の最後まで迷って善に復(かえ)らないことは、君の道に反すること。
天雷无妄初爻爻辞で「无妄往吉」
「むもうにしてゆけば吉」で、彖伝(内の主)からもこの爻は无妄に適うので、他の爻とは違い往くことが可能。
天雷无妄初爻象伝で「得志也」
「志を得るなり」で、无妄の主なので志を得ることができる。
天雷无妄二爻は前提が大事
二爻は色々と訳されますが、前提が大事。天雷无妄は自然のまま、為すがまま、欲を持たない、そして二爻は内卦の中を得ているのでその傾向が一層強いとみて読むべき。
天雷无妄二爻爻辞で「不耕穫」「不あらきばり・こなた」
「穫るに耕さず」で、収穫を多く期待して耕すのではなく、農夫の務めとして耕す時期が来たので耕すこと。
「こなたつくるにあらきばりせず」で、こなたつくるは熟田を作ること、あらきばりは新田を開墾すること。熟田を作る目的で新田を開墾するのではなく、農夫の務めとして土地があるので開墾すること。
天雷无妄二爻象伝で「未富也」
「いまだ富まんとせざるなり」で、富むことを期待して耕すのではなく、農夫の務めとして耕す時期が来たので耕すこと。
天雷无妄三爻爻辞で「无妄之災」「行人之得。邑人之災」
「无妄の災い」で、初爻と違い不正なので无妄の悪い面、思いがけない災いがある。
「こうじんの得るは、ゆうじんの災い」で、行人は通りがかりの人、邑人は村人のこと。
天雷无妄三爻象伝で「行人得牛。邑人災也」
「行人の牛を得るは、邑人の災いなり」で、行人が勝手に牛を牽いて得たことは、邑人にとっては思いがけない災いであること。
天雷无妄四爻爻辞で「可貞。无咎」
「貞にすべし。咎なし」で、貞は貞固にすること。陰位の陽爻で不正なので過剛の危険があり无妄を守るため貞固にすれば咎がないこと。
天雷无妄四爻象伝で「可貞无咎。固有之也」
「貞にすべし咎なし。かたくこれをたもてばなり。」で、貞は貞固で道を固く守ること。有は保有するで、たもつこと。
天雷无妄五爻爻辞で「无妄之疾。勿藥有喜」
「无妄のやまい、薬なくして喜びあり」で、疾は苦しみや悩みのことで、心の疾なので薬がなくして回復し喜びがあること。
天雷无妄五爻象伝で「无妄之藥。不可試也」
「无妄の薬、もちいるべからざるなり」で、薬を使うことは作為となり自然の成り行きにならない。
天雷无妄上爻爻辞で「无妄行有わざわい」
「无妄、行けばわざわいあり」で、上爻は卦の極で進めない、進めば妄になること。
天雷无妄上爻象伝で「窮之災也」
「きわまるの災いなり」で、上爻は卦の極で窮まってしまうこと。
山天大畜初爻爻辞で「有似已」
「あやうきあり、やむによろし」で、初爻は陽位の陽爻で内卦の健の一爻で進みたい気持ちが強いが外卦の艮に止められるし、まだ蓄えも大きくないので進まない方がよい。
山天大畜初爻象伝で「不犯災也」
「災いを犯さざるなり」で、初爻は卦のはじめで蓄えも大きくないので進めば災いとなるので進まないこと。
山天大畜二爻爻辞で「輿説輹」
「くるま、ふくをとく」で、輹は、車台と車軸を縛るもの、これを解くと進めない状態になる。
山天大畜二爻象伝で「中无尤也」
「中にしてとがなきなり」で、中庸を守り自分で止まって進まないこと。
山天大畜三爻爻辞で「良馬逐。利艱貞」「曰閑輿衞」
「良馬おう、艱貞に利ろし」で、陽位の陽爻で剛に過ぎで良馬が敵の後を追いかけるように疾走するが、蓄える時なので艱貞に利ろしと抑えている。
「ここによえいをならう」で、曰は一般的には「いわく」ですが、ここでは「ここに」。閑はならうこと。輿衛は乗り物を警護すること。
山天大畜三爻象伝で「利有攸往。上合志也」
「往くところあるに利ろし。上と志を合わせばなり」で、三爻は畜も進んでいるが、陽位の陽爻で剛に過ぎ勝手に進む恐れがあるので、上と志が合えば進んでも良いと条件を付けている。
山天大畜四爻爻辞で「童牛之こく。元吉」
「どうぎゅうのこく。元吉」で、子牛の角木で、危険予防のもので、童牛は初爻のこと。危険を未然に防止するので元吉。
山天大畜四爻象伝で「有喜也」
「喜びあるなり」で、危険を未然に防止するので大いに喜びがある。
山天大畜五爻爻辞で「ふん豕之牙。吉」
「ふんしのきば」で、いのししのきばで、危険は初爻よりも高いが、ふんしは去勢したいのししなので危険は少ない、二爻のこと。危険を軽減するので吉。
山天大畜五爻象伝で「有慶也」
「慶びあるなり」で、危険を制するので慶びがある。しかし、未然ではないので四爻ほどではない。
山天大畜上爻爻辞で「何天之衢。亨」
「かてんく。とおる」で、何は荷で「になう」、衢は四方に通じる大通りのこと。大畜の究極で道が開け大いに通ること。
山天大畜上爻上爻で「道大行也」
「道、大いに行なわるるなり」で、道が開け大いに行なわれること。
山雷頤初爻爻辞で「舍爾靈龜」「觀我朶頤」
「なんじのれいきをすてて」で、霊亀は尊いもののたとえのこと。四爻から初爻を見ている。
「我を観て頤をたる」で、朶はたらすこと。下アゴをたらして物欲しそうにすること。
山雷頤初爻象伝で「亦不足貴也」
「また貴ぶにたらざるなり」で、もはや貴ぶに足りないこと。
山雷頤二爻爻辞で「さかさま頤」「拂經」「于丘頤」
「さかさまにやしなわる」で、下の者に養われるのは逆さま。
「つねにもとる」で、経は常のことで、払は違うこと。
「おかにおいてやしなわる」で、丘は高いところで上爻のこと。上爻に養ってもらおうとすれば。
山雷頤二爻象伝で「行失類也」
「行けば類を失うなり」で、柔中の同類を失うこと。
山雷頤三爻爻辞で「拂頤」「貞凶」
「やしないにもとる」で、養いは本来五爻に求めるもの、応爻である上爻に求めることは頤の道に違うとみること。非常に悪く見ている。
「ただしくとも凶」で、養うことが正しくても頤の道には背くので凶となる。
山雷頤三爻象伝で「道大悖也」
「道、大いにもとればなり」で、頤の道に大いに間違っていること。
山雷頤四爻爻辞で「虎視眈眈」「其欲逐逐」
「こしたんたん」で、虎(四爻)が初爻を見下ろすさまのこと。
「その欲ちくちく」で、逐逐はどこまでも物を追求するさまのこと。
山雷頤四爻象伝で「上施光也」
「上の施しおおいなればなり」で、彖伝の聖人は賢を養って以て万民に及ぼすこと。四爻は陰位の陰爻で位正しく、初爻も陽位の陽爻で位正しくかつ応じており、能力があり万民に及ぼすことができる。
山雷頤五爻爻辞で「拂經」「居貞吉」「不可渉大川」
「つねにもとる」で、陰爻で能力不足で民を養えないので上爻に頼ることは道に悖ること。
「ていに居れば吉」で、正しさを守り上爻に任せれば吉。
「大川をわたるべからず」で、不利ではなく不可なので、絶対に冒険をするなということ。
山雷頤五爻象伝で「順以従上也」
「じゅんにしてもって上に従えばなり」で、陰爻で能力不足で上爻に柔順に従うこと。
山雷頤上爻爻辞で「由頤」「視g」
「よりてやしなわる」で、上爻によって養われること。
「あやうけれども吉」で、頤の道は本来五爻がすべきだが今は任されている状態なので、しかし万民を養うこと自体は吉であること。
山雷頤上爻象伝で「大有慶也」
「大いに慶びあるなり」で、危ういが戒慎恐懼すれば最後には大きな慶びがあること。
澤風大過初爻爻辞で「藉用白茅」
「しくにはくぼうを用う」で、藉は下に敷くこと。白茅は白いちがやのこと。祭器などの下にを白茅を用いて敷くこと。
澤風大過初爻象伝で「柔在下也」
「柔、下にあればなり」で、初爻が陰柔で内卦巽の主爻で従うことができること。
澤風大過二爻爻辞で「枯楊生てい」「老夫得其女妻」
「こようにていを生ず」で、楊はやなぎのことで、ていは、切り株からはえた芽のこと。
「老夫、その女妻を得」で、老いた夫が若い女を妻を娶ること。
澤風大過二爻象伝で「過以相與也」
「過ぎてもってあいともにするなり」で、盛りの過ぎた老夫だが、若い妻は子を産むことができるので子孫を残すことができること。
澤風大過三爻爻辞で「棟橈」
「むなぎたわむ」で、棟は屋根の上の主要な材木のこと。橈は曲がること。
澤風大過三爻象伝で「不可以有輔也」
「もってたすけ有るべからざるなり」で、輔は車を補強するそえぎで、たすけること。陽位の陽爻で重く棟が曲がってしまうこと。
澤風大過四爻爻辞で「棟隆」「有它吝」
「むなぎたかし」で、隆は曲がらないこと。陰位なので剛に過ぎないので曲がらないこと。
「たあれば吝」で、它は他と同じ。初爻と応じているので陰陽のバランスがとれているが他に気を移すと崩れてしまうこと。
澤風大過四爻象伝で「不橈乎下也」
「下にたわまざるなり」で、下にたるまないこと。
澤風大過五爻爻辞で「枯楊生華」「老婦得其士夫」
「枯楊に華を生ず」で、枯れかかった楊に花が咲くこと。
「老婦、そのしふを得」で、士夫は若い男子のことで、年老いた婦人が若い夫を得ること。
澤風大過五爻象伝で「何可久也」「亦可醜也」
「なんぞ久しかるべけんや」で、花は一時的なもの。
「またはずべきなり」で、醜はみっともで、子の出来ない関係なのでみっともないこと。
澤風大過上爻爻辞で「過渉滅頂」「凶。无咎」
「過ぎてわたりて、いただきを滅す」で、滅頂は頭のてっぺんまで没することで、身のほどを過ぎて大川を渡ろうとして頭まで没してしまうこと。
「凶なれども、咎なし」で、行ないは凶だが、志には咎はないこと。
澤風大過上爻象伝で「不可咎也」
「咎むべからざるなり」で、咎めることはできないこと。
坎為水初爻爻辞で「習坎」「入于坎たん」
「しゅうかん」で、習はくりかえす意がある。
「かんたんに入る」で、坎たんは穴の中の窪地で穴の底のこと。初爻で最下位にあること。
坎為水初爻象伝で「失道凶也」
「道を失いて凶なり」で、穴の中の穴の底に落ちて道がないこと。
坎為水二爻爻辞で「坎有険」「求小得」
「坎に険あり」で、坎の時に険ありで内卦も外卦も坎であり険であること。
「求めて小しく得」で、内卦の中にあり剛爻なので少しだけ得られる。しかし坎の中の坎にあるのでほんの僅かだけ。
坎為水二爻象伝で「未出中也」
「いまだ中を出でざるなり」で、険中から抜け出せないこと。
坎為水三爻爻辞で「来之坎坎」「険且枕」
「来るも之くも坎坎」で、下るも坎で進むも坎であること。
「険にして且つちんす」で、枕はのぞむ(臨)ことで、険でのぞまなければならないこと。
坎為水三爻象伝で「終无功也」
「ついにこうなきなり」で、進むも坎で退くも坎で動いても功はないこと。
坎為水四爻爻辞で「樽酒き貳」「用缶」「納約自まど」
「そんしゅきじ」で、たるざけと、きは竹などで作った皿で、貳は二で、酒とつまみが二品の状態。
「ほとぎを用う」で、缶は、土製の酒などを入れる器のこと。
「やくをいるるにまどよりす」で、まどは小さい明り(明知)とりのまどで本来は物を入れる所ではないが、倹約を明確にするためのたとえ。
坎為水四爻象伝で「剛柔際也」
「剛柔、まじわるなり」で、険難のときに、五爻の君主である剛爻と四爻の大臣である陰爻が心を合わせること。
坎為水五爻爻辞で「坎不盈。祇既平」
「坎みたず。既に平らかなるにいたる」で、穴の中の水はまだ満ちてはいないが、穏やかな状態となったこと。
坎為水五爻象伝で「坎不盈。中未大也」
「坎みたず。中いまだおおいならざるなり」で、坎を心・思いとみて、それがまだ満ちていないので、中にはいるが未だ大にはなっていないこと。
坎為水上爻爻辞で「係用徽ぼく」「ゥ于叢棘」「三歳不得」
「つなぐにきぼくをもちう」で、係はしばること。「徽」「ぼく」は共になわのこと。
「そうきょくにおく」で、そうきょくはいばらの草むらで牢屋のこと。おくは置くで止めること。
「三歳得ず」で、三年間得られないので、出れないこと。
坎為水上爻象伝で「失道」
「道を失う」で、陰柔で卦の極におり道を見失うこと。
離為火初爻爻辞で「履錯然」「敬之无咎」
「ふむことさくぜんたり」で、錯然は乱れてそろわないさま。初爻は離の始め、一日でいえば夜明けでまだ十分明るくはない時。
「これをつつしめば咎なし」で、敬は慎むこと。明るくないので慎めば咎はない。
離為火初爻象伝で「履錯之敬。以辟咎也」
「ふむことさくたるのつつしみは、もって咎をさくるなり」で、履は足を踏み出すこと、錯はまじること、敬は慎むこと、辟は避けること。初爻は陽位の陽爻で進みたい気持ちが強いが、日の出初めなのでまだ明るくなっていないので慎重にして咎を避けること。
離為火二爻爻辞で「黄離」
「こうり」で、黄は五行で中の色、二爻は内卦の中でかつ成卦主。
離為火二爻象伝で「得中道也」
「中道を得ればなり」で、内卦の中で柔順中正で中庸を行なうことができること。
離為火三爻爻辞で「日昃之離」「不鼓缶而歌。則大耋之嗟」
「日かたむくの離」で、昃は傾くこと。初爻の反対で日が西に傾き終ろうとしている。
「ほとぎをうちて歌わず、すなわちだいてつのなげきあり」で耋は70又は80歳の老人のこと。人生残り少なくなったのに天寿を楽しまず老境を嘆いていること。
離為火三爻象伝で「何可久也」
「なんぞ久しかるべけんや」で、日が傾くので長くはないこと。
離為火四爻爻辞で「突如其来如」「焚如」
「突如それ来る」で、最後の如は助字なので省略する。陰位の陽爻で不正の火が激しく燃えると見る。
「ふんじょ」で、焚は焼かれること。
離為火四爻象伝で「无所容也」
「いるるところなきなり」で、四爻は陰位の陽爻で不正、火の激しさがある。それにより五爻を激しく迫ると居る場所が無くなること。
離為火五爻爻辞で「出涕沱若」「戚嗟若」「吉」
「なみだを出すことたじゃくたり」で、涙がとどめなく流れるさまのこと。
「うれいてさじゃくたり」で、戚は憂い、嗟はなげくことで、うれいてなげくこと。
五爻は君位だが陰柔で四爻などからも激しく迫られるので涙を流し、憂いて嘆くことになるが、離明や中庸があるので対処でき、吉となること。
離為火五爻象伝で「六五之吉。離王公也」
「りくごの吉は、王公につけばなり」で、離はつくで王公の位についているので最後には吉となること。
離為火上爻爻辞で「王用出征」「折首」「獲匪其醜」
「王、用いて出で征す」で、王(五爻)が上爻を用いて国を正すために出征させること。
「かしらをおる」で、首領を誅すること。
「うるはそのたぐいにあらず」で、醜は仲間で衆人のことで、衆人を殺すことが目的ではないこと。
離為火上爻象伝で「以正邦也」
「もって邦を正すなり」で、征伐するのは国を正すためであること。